第9話 絶対王政

二度あることは三度ある。


衝撃的なことが立て続けに起これば、その翌日だって衝撃的なことが起きてしまうものだ。


「あ、あの……」


放課後、僕はとある教室の扉の前で完全に怖気づいていた。その震えようはまさに産まれたてのバンビさながら。


そんな自分とは裏腹に、隣では昨日ドリンクバーを見て目を輝かせていた時と同じく、嬉しそうな表情を浮かべている莉緒さんの姿。


「これは一体どういうこと……ま、ま」


町田さん、と震えっぱなしの唇でその名を告げた瞬間、莉緒さんが少し不満げに「え?」と目を細めてきた。その直後、僕は慌てて言い直す。


「いや、その……莉緒さん」


「莉緒さん?」


「いや…………莉緒」

 

わかれば宜し、と言わんばかりに莉緒さんがニコリと唇で弧を描いた。


あの誰もが知るトップスターをまさかの名前呼び。


もちろん彼氏彼女の関係とかそんなんじゃない。そんな恐れ多い関係とは断じて違う。


理由は至極単純で、昨日莉緒さんのことを『町田さん』と呼んだ時に、「それじゃあシズと区別がつかない!」と言われてしまい、名前で呼ぶことになったのだ。


女性慣れしていない僕としては苦渋の決断でそれを了承し、せめて『さん』付で呼ぼうとしたのだが、彼女はそれさえ許してくれなかった。だから……『さん』付は胸の中でこっそりとしよう。


「それで莉緒……なぜ僕はここに?」

 

再び僕は視線を目の前の教室の扉へと戻すと、そのまま頭上を見上げる。


そこにはクラス名ではなく、『演劇部』と記された一枚のプレート。その文字を見て、僕はゴクリと唾を飲み込む。


「なぜって、ユッキー部活入ってないでしょ?」


イエス。でも……入りたいとも言っていませんけど?


そんな疑問がすぐに頭に浮かぶも、もちろん莉緒さん相手に言う勇気はない。すると莉緒さんはニヤリと笑って再び問う。


「それにシズともう一度仲良くなりたいんでしょ?」


「……」


イエス。でも、それはこういう意味じゃ……


なんて言葉が思い浮かぶ前に、沈黙があだになってしまったのか、「それじゃあ決まりだね!」と莉緒さんの嬉しそうな声が鼓膜を震わす。


「ちょ、ちょっと待って莉緒! さすがにこの展開は……」


慌てて僕は反論して彼女の動きを止めようとするも、莉緒さんは白い肌が眩しい右腕を伸ばして、勢いよく教室の扉を開ける。


「たっのもー!!!」


 

え? まさかの道場破りスタイル⁉︎

 

莉緒さんの行動に僕は思わず頬を引きつらせる。同じく、姿を現した教室の中ではポカンとした表情で突然現れた自分たちのことを見ている見知らぬ演劇部の生徒たち。


が、僕の視線はすぐにとある人物の方へと注がれてしまう。


「……姉さん、何しにきたの?」

 

驚くほどの冷めた声。まるでドライアイスでも耳の中に突っ込まれたんじゃないかと思ってしまうほどのその冷たい声に、僕は「ひっ」とさっそくチビりそうになる。


そう。


この演劇部には僕の初恋の人でもあり莉緒さんの双子の妹、静さんが所属しているのだ。


「何しにって、もちろん『入部』しに来たんだよシズ」


妹の凍てつく言葉なんてなんのその、莉緒さんはあっけらかんとした声ですぐに答えた。


その言葉に、教室の空気が一瞬でどよめく。


もちろん一番どよめき動揺しているのは、この僕だ。


「入部しに来たって……本気で言ってるの?」


莉緒さんと同じアーモンドのような形をした綺麗な瞳が、闘志剥き出しで細められる。


それはもう、「ふざけてるなら今すぐ帰って」という無言のメッセージが込められているみたいに。


そんな一触即発の雰囲気に、僕はゴクリと唾を飲み込むことしかできない。


うわー……これ、静さんぜったい嫌がってるよ……


さすがに姉妹揃って同じ部活をするのは反対なのか、それとも莉緒さんが元女優だからなのかはわからないが、静さんは美しい黒髪を片耳にかけるとさらに鋭い目つきで姉を睨みつけた。


「もちろん本気で言ってるに決まってるじゃん! ね、ユッキー?」


「え……えぇ⁉︎」


いきなり飛んできたキラーパスに僕は思わず目を見開いた。


いや、僕入部するなんて一言も言ってないですけど⁉︎


心底動揺する自分をさらに追い詰めてくるかのように、静さんの険しい眼差しが今度は僕に向けられる。


その瞳にはかつて仲良く一緒に遊んでいた頃の優しさは一切なく、まるで罪人を睨みつけるような厳しい眼差しだ。


「…………」


言えねーっ! こんな状況で間違っても「入部します」なんて言葉は言えないよ莉緒さん! 言った瞬間に間違いなく殺されるやつだよ、これ!


あまりの恐ろしさに呼吸さえままならない僕は、ただあわあわと動揺するだけで黙り込んでしまう。


すると突然、自分の右腕が柔らかいものに包み込まれた。


「ほら、ユッキーも無言になるくらい入部の決意は固いよ! だからお願い、シズ!」


パン! と両手を合わせて可愛くかつ潔く頭を下げる莉緒さん。


だがしかし、その両腕と胸元が僕の右腕を挟み込んでいるのでせっかくの誠意が台無しだ!



ちょっと莉緒さーっん!!


この絵面はダメだよ!


変な誤解生んじゃうやつだよ!


っていうか無言になるほど決意が固いってどういうこと? もしかしてハリウッド的解釈か何かなの⁉︎


僕は慌てて莉緒さんの胸元から右腕を引っこ抜くと、これ以上静さんにあらぬ誤解を持たれぬように咄嗟に口を開いた。


「ち、違うんだ町田さん! こ、これはその……」


刹那、僕は幻覚を見た。


ゴオォっと音が聞こえてきそうなほどの真っ黒な炎が静さんの身体から吹き出しているの幻覚を。


いきなりのラスボス登場に僕は思わず息を止めた。数少ない演劇部の生徒たちもそんな静さんの姿は初めて見たのか、一瞬にして教室の隅へと避難して縮こまっている。


「悪いけど、あなた達の態度から本気で入部したいとはまったく思えないわ。ここはイチャつく場所じゃなくて部活をする場所なの。だから今すぐ教室から出ていくか、目の前から消えてくれる?」


……どっちにしろ、消えろってことですよね?


なんて余計な突っ込みが浮かんでしまうぐらい僕は現実逃避がしたかった。いや、物理的にこの場所から逃避したかった。静さんがほんとに怖すぎるからっ!


もはや声一つ漏らすことができずに固まっていると、隣にいる莉緒さんが僕の代わりに口を開く。


「もうシズったらー、何もそこまで冷たくする必要ないでしょ! ……それとももしかして」


なぜか急に声色を甘くして、再び僕の隣に接近してきた莉緒さん。すると彼女は、あろうことかいきなり僕の腰に手を回してきた。


「妬いてる、とか?」

 

台詞にしてわずか二秒足らず。が、その息を吸い込むにも満たない時間の中で、僕は天国と地獄を垣間見た。


天国は密着度120%の莉緒さんの柔らかい身体。地獄は静さんから感じる致死率120%の殺意。


その両極端過ぎる刺激のせいで本当に昇天しそうになった僕は、魂をこの場所に留めようとするかのように慌てて口を開く。


「ちょ、ちょっと莉緒……」


「莉緒?」


名前の呼びかけにいち早く反応したのは莉緒さんではなく、双子の妹だった。


ヤバい……いくら本人からの要望とはいえ、転校してきたばかりの実の姉を名前で呼び捨てにするなんて、あまりにも馴れ馴れしく映ったに違いない。あー……静さんのあの目、もう日本刀より鋭くなってるよ。切れ味凄そう……


喉元に刃先を向けられているような静さんの気迫に耐え切れなくなった僕は、思わず視線を逸らすと、咄嗟に莉緒さんの腕をほどいた。そして、彼女の耳元で静さんには聞こえない程度の声で小さく呟く。


「ちょっと莉緒さん! これじゃあ静さんと仲良くなるどころか余計悪くなってるよ!」


「だーいじょうぶ大丈夫! シズはちょっとシャイなところがあるだけだから」


「いやあれはシャイとかそういう話しじゃなくて……」


昨日の協定、どこにいったの? 莉緒さん僕に協力してくれるって言ってなかったっけ?

 

まったく理解できない莉緒さんの言動に僕が戸惑っていると、再び静さんの冷めた声が鼓膜を貫く。


「さっきからコソコソと何を話しているの?」


「ひいいっ!」


絶対零度のその声色に、僕はブルリと背筋を震わせた。もうこれ初恋の人と会話してるとかそんな甘酸っぱい要素、なくない?


静さんと目を合わすこともできなくなった僕は、思わずその場で顔を伏せてしまう。


せっかく静さんと何ヶ月、いや何年かぶりに言葉を交わすことができたのに状況があまりに最悪だ。


色々と話したいことはたくさんあるのに、これじゃあ怖過ぎてコミュニケーションなんてまったく取れないっ!


蛇どころかキングコブラに睨まれた蛙さながら、身動き一つ取れなくなってしまった僕は莉緒さんに助けを求めてチラリと視線を送る。


すると僕の心境を読み取ってくれたのか、彼女は「任せて」と言わんばかりに力強くコクリと頷いた。


こういう時、静さんと双子の姉という存在は非常に心強い。


そんな莉緒さんは僕の前に勇ましく立つと、静さんに向かってハッキリとした口調で……


「ユッキーが、シズは怖いから話したくないって」


「⁉︎」


ちょっと莉緒さぁぁあんっ! その言い方はストレート過ぎるよ⁉︎


せめて「ほんとは話したいけど」とか付け加えてくれないと、ただ一方的に僕が嫌ってるみたいになっちゃってるよ!!


もしかして莉緒さんって意外と天然? なんて一瞬余計なことが頭に浮かぶも、そんな思考は目の前の恐怖ですぐにかき消されてしまう。


「へー……」とまるで鞘から刀を抜き取るかのように静さんがそっと声を漏らした。そして、黒のニーハイソックスに包まれた右足をゆっくりと前へと踏み出す。


一歩、また一歩と静さんは侍のような殺気を放ちながら僕の方へと近づいてくる。


そう言えば聞いたことがある。


孤高で冗談なんて通じない彼女に遊び半分で告白したチャラい男子生徒が、往復ビンタを食らわされた挙句、再起不能なほど冷酷な言葉を浴びせられたという噂を……


もしかして……今日が僕の命日になるのか?


眉毛一つピクリとも動かさず、静さんは鋭い睨みを利かせながら確実に距離を詰めてくる。そんな妹に姉の莉緒さんといえば、僕らを見て「あちゃー」という表情を浮かべていた。


いやもう、僕はあちゃーで済まされない状況なんですけど?


なんでこんな事に……なんて後悔する間も与えられず、気づけば僕の目と鼻の先には冷酷無慈悲な表情を浮かべた黒髪美人の女の子の姿。


「岩本くん」


「……はい」


何故だろう。久しぶりに名前を呼んでもらえて嬉しいはずなのに、すっごい死にたい気分だ。


そんなことを思った時、射殺すように自分のことを睨み続けている静さんの右腕がすっと動いた。どうやら、ビンタは避けられないようだ。


ヤバいっ! と僕は咄嗟に目を瞑った。


自分の初恋がビンタ一発で終止符が打たれる。


受け入れたくない現実を少しでも拒絶するかのように、僕は思わず顔を伏せると呼吸を止める。


と、その瞬間。背後で物凄い勢いで扉が開いた。


「ウェェェルカム! 新入部員の諸君!!」


「…………」


一瞬、僕たちが入ってきた時以上に教室の空気が止まったような気がした。


と同時に、なぜかミュージカル調のオヤジくさいその声に、僕は反射的に絶望的なため息を漏らす。


そう、僕が演劇部に近づきたくなかったのは、大好きな静さんがいて恥ずかしいこともあるのだけれど、もう一つの決定的な理由が、これだ。


「ここは愛と青春を育む場所! そして、それを演劇という素晴らしい世界で表現する場所だぁ! 自分の中に眠る熱く若い魂を発揮したいという者は、誰でも大歓迎なのさ!!」


声高らかに宣言する相手を、僕はぎこちない動きでチラリと振り返って見た。


無造作どころか清潔感のカケラもないもじゃもじゃヘアーに、映画LEONの主人公ですか? と突っ込みたくなるような丸ぶちサングラス。


そして極め付けは、エセマジシャンよりもはるかに怪しい派手な紫のシャツに黒いジャケットという謎のファッションスタイル。


誰がどう見たって学校という公的機関に似つかわしくない姿をしているこの男こそ、演劇部の顧問、万城寺ばんじょうじ先生だ。この風貌と言動で物理学の担当というのだから、世界の真理もくそもあったもんじゃない。


「この部活はいつだってオールシーズン部員を募集している! 即日入部、即日活躍可。塾や習い事に合わせて練習時間も調節可能! まずは週3日の2時間コースからでも構わない!」


「……」


何この短期バイトの謳い文句のような勧誘は?


静さんからのビンタは間一髪でま逃れたとはいえ、突如訪れた新たなカオス的な状況に僕は言葉を失ってしまう。


そんな自分の様子など気にすることもなく、頭のネジが外れた教師は妄言を続ける。


「お? おぉっと?? そこにいるのは静ちゃんの双子の姉であり、かの有名な大女優のRIOちゃんじゃないか⁉︎ いやー、これはおったまげたっ!!」


「先生、うるさいです。今は黙ってください」


……静さんの発言に、僕がおったまげた。


教師相手でも躊躇せず言葉の刃を向ける静さんに、僕は再びチビリそうになる。それでも、頭のたがが外れている教師はその勢いをやめない。


「君がもし我が部活に入ってくれた暁には武道館、いや、ニューヨークのブロードウェイだって狙えるっ! どうだい? 静ちゃんとの姉妹愛も深めながら、一緒に青春ウェイを走らないかい⁉︎」


いや先生のせいで溝の方深めちゃってますけど、大丈夫ですか?


キラリと白い歯を見せながら親指を立てる教師に、僕は白くて冷めた視線を向ける。このテンションで授業まで行うのだから、僕含めてクラスの生徒たちがドン引きしているのは言うまでもないだろう。


が、アメリカ帰りの莉緒さんとは波長が合うのか、彼女は先生に向かってニコリと満面の笑みを浮かべる。


「ありがとうございます! 私もシズやここの部員の人たちと一緒に青春を楽しんでみたかったんです!」


ね、ユッキー! となぜか莉緒さんはこの状況下でもキラーパスを出してきた。もちろんその言葉に、僕は無言を貫く。


「そうかいそうかい。やはり君たちも青春のど真ん中で青春したいかっ! よしっ! 今すぐにでも入部届けを……」


「私は反対です!」


テンション高い万城寺先生を一刀両断するかのように、静さんの鋭い声が多目的室の空気を震わせた。その芯の通った声に、再びピリリと緊張が走る。


「先生、部員が少ないとはいえ私含めここにいる部員たちはみな真面目な気持ちで部活動に励んでいます。姉の先程の態度、そしてそこにいる男の態度を見ても二人とも本気でこの部活動をやろうと思っているようには見えません」


ひいぃっ! と僕は心の中で盛大に叫んだ。


どうやら莉緒さんだけでなく、完全に僕も宙ぶらりんな奴と認定されてしまったらしい。


そんな恐怖とこの修羅場のせいで誰とも関わりたくなかった僕は気配を消そうと息を殺す。できればもうこれ以上殺気めいた雰囲気はやめ……


「あれ? 静ちゃんどうしたの? そんなに怒っちゃって??」


どうやら頭がイカれた教師は、数秒前の自分の発言も覚えていないらしい。静さんの機嫌を悪化させたのはあなたですらかね⁉︎


僕は信じられないっといった目で、元凶となった教師を睨んだ。くるりと妙に形だけ可愛い黒いレンズの向こうでは、一体何を考えているのか判別不可能。


「先生、冗談はやめて下さい。私はこの部の『部長』として本気で言っています。たとえ先生が許したとしても、部長としてこの部の規律と精神、そして今後の存続を守るために、私が許しません」


凄いよ……凄いよ静さん! そんなに硬い口調が似合う女の子なんてそうそういないよ。


ほんと典型的な黒髪美人の優等生って言葉がピッタリ似合うよ!


ピッタリ似合うから……だからそんな人殺しみたいな視線を僕に向けてくるのはやめてぇえっ!


今すぐにでも首を切り落としにかかってきそうな静さんの鋭い目つきに、僕は思わず目を閉じる。


これ以上、大好きな初恋相手の裏の顔なんて見たくない。裏の世界でドンやってそうな顔なんて、もう見たくない!


さすがの静さんの口調から青春中毒の先生もやっと真剣に受けとったのか、「うーん」と悩ましげな声を漏らす。悩むも何も、まずは教師としてこの場を早く和解させてほしい。


そんなことを胸の中で必死に嘆願していると、真っ暗な世界の中で、今度は莉緒さんの声が再び耳に届く。


「先生! 私とユッキーは本気です! 演劇部という場所で、自分たちにとってかけがえのない青春を送りたいんですっ!」


そうだよね、ユッキー! と三度目のキラーパス。どうやら莉緒さんが喋れば必ずパスが回ってくるルールのようだ。僕はとりあえず返事の代わりに咳払いで誤魔化す。


美女の双子姉妹に真っ向から挟まれてしまったせいか、先生はさっきよりもさらに悩ましげな声を漏らした。そして、「本気でシンキングターイム……」とわけのわからないことを呟いている。


数年にも感じるほどの重々しい沈黙が数秒続いた後、僕はおそるおそる少しだけ瞼をあげた。


半月のようになった視界の中では、風神雷神の睨み合いさながら、双子の姉妹がまだ睨み合っている。……とは言っても睨んでいるのは静さんの方だけど。


一体いつになったらこの地獄から解放されるんだ? と一人心の中でムンクみたいに嘆いていたら、突然万城寺先生がパチンと指を鳴らした。


「ならこうしよう!」


「え?」


僕ら3人の声が同時に揃った。そんな自分たちの視線を受けて、先生がニヤリと笑う。


「ここは公平に判断を下すために、『多数決』といこう」


「……多数決?」


僕らは再び先生が言った言葉をぼそりと繰り返す。どうやら万城寺先生は日本人らしく民主主義に出たようだ。……が、しかし、


「多数決って言っても……私たちが不利じゃないですか?」


静さんよりも少しキーの高い声で莉緒さんが言った。


そう、彼女が言う通り今ここにいるのは僕と莉緒さんを除けば5人。


そのうち一人はエセ教師だが、残る4人は演劇部の生徒たちだ。


僕が言うのも何だけど、見るからに大人しくて読書をこよなく愛していそうな見知らぬ女子3人は、どう考えても静さん派と見るべきだろう。


つまり、多数決を取ったところで4―2で試合終了だ。


そんな当たり前の結果がすでにハッキリと見えているのか、唇をきつく結んでいた静さんの口元がふっと冷たい弧を描く。


が、部長である彼女もさすがに顧問の頭の中までは見えなかったようで、万城寺先生は続いて規格外の発言をする。


「もちろん、多数決は今行うわけじゃない! この学校で熱い青春を送っている『全校生徒』にも参加してもらうのさっ!」


「……は?」


あまりに突拍子もない先生の発言に、今度は僕が思わず声を漏らしてしまう。たかだが僕と莉緒さんが入部するかしないかの話しに、その規模の民主主義いりますか?


一体何言ってんの? と教師というより狂師を見るような目で先生を見ていたら、隣にいる静さんが大きなため息を漏らした。


「先生の発言があまりにも妄言的でまったく理解できないのですが、もう少し分かりやすく説明してもらっていいですか?」


うわー。凄いよ静さん、顧問相手にその突っ込み。もうどっちが生徒で先生かわかんないよ。僕がこの部の顧問だったらとっくにチビって泣いてるよ。


ゴクリと唾を飲み込む間にそんなことを考えていたら、鋼のメンタルを持つ万城寺先生がニカッと笑って話しを続けた。


「ソーリー静ちゃん! ちょっと表現がスペクタクル過ぎたね。つまり……こういうことさっ」


そう言いながら先生はホワイトボードがある方へと近づいていく。というより、なぜ無駄に英語を挟んで会話してくるの? しかもちょっと発音良いのが、なんかムカつく。


そんな僕の心境など知るわけもなく、ホワイトボードの前に立った万城寺先生は黒いペンを持つとそのフタを開けて、力強く一言こう書いた。



文化祭――



満足げな顔でペンを元の場所へと置いて僕らを見つめる先生。ますますわけがわからなくて顔をしかめる3人。するとそんな空気をやっと察したのか、先生がニヤリと笑って説明を付け加える。


「我が校で一番熱い青春イベントといえば文化祭! そしてこの部が最も輝き活躍する場も文化祭だ! つまり、そんなグレイトフルなステージを活かして演劇部に最もふさわしいのは誰かを決める……まさに、ザ・青春バトルのオンステージっ!」


「すっごい面白そうっ!」


真っ先に反応したのは部員の静さんではなく莉緒さんだった。そんなスイッチの入った2人に、静さんが冷ややかな目を送る。


「それで、具体的な内容は?」


……顧問と部長の温度差がひどいよ。


この部活、ほんとにこれで大丈夫? とチラリと万城寺先生の様子を伺うも、どうやら顧問にとってはこれが日常的なやり取りなのか、戸惑う様子は一切ない。


「もう、静ちゃんはせっかちのお茶目ちゃんだね! オーケイわかった、説明を続けよう!」


まったくテンションを抑える様子もなく、万城寺先生は力強くグッと拳を握った。


「誰もがご存知の通り、我が演劇部は毎年文化祭の舞台で活躍しては観客たちに夢と希望を与えてきた! そしてもちろん今年も演劇部は文化祭で舞台をする!」


「……」


何でだろう。この先生が熱く喋れば喋るほど僕のテンションは下がっていく気がする。そんなことを思いながらも、僕はとりあえず続きの言葉に耳を傾ける。


「そこでだ諸君! 今回の舞台では『演劇部の中で一番輝いていたのは誰か⁉︎』を観客である全校生徒に投票してもらうのだよ! そしてその頂点に立った者こそ真の演劇部。つまり、ゴットオブ演劇部になるっていうことさっ!」


「なるほどっ!」


万城寺先生と同じくグッと拳を握って目を輝かせる莉緒さん。どうやら一卵性の双子と言えど、決定的に違う部分もあるようだ。


目の前で次々と衝撃的なことが起こっていくせいか、この教室に入ってからまだ僕はまともにみんなと会話できていない。


このままだと何も意見できないまま大変なことに巻き込まれてしまう、と恐怖心でブルリと肩を震わせるもやっぱり声は出なかった。


すると、自分のような臆病者とは違う、芯の通った声が僕の耳に響いた。


「その提案に、異議があります」


綺麗でほっそりとした指先を天に向けて、静さんが言った。彼女からすればそうだろう。もしもこんな多数決の仕方なんかしたら……


「その方法だと、すでに女優として活躍していた姉さんの方が有利だと思いますが?」


……だと、僕も思います。


心の中でそう呟くも、もちろん僕は言葉になんて出来ない。けれど静さんはその冷静さと気の強さで、落ち着いたまま言葉を続ける。


「それに私は演劇部に所属していますが、監督としてこの部に入部した約束のはずです。なので舞台に立たない以上、その方法では勝負ができないと思うのですが?」


それとも私の不戦敗になりますか? と淡々とした口調で静さんは話しを続けた。


不戦敗、という言葉を使いながらも、その声からは負けを感じないほどの威圧感。


そういえばたしかに去年の舞台では静さんは出ていなかったな……


昨年、つまり僕にとって初めての高校の文化祭で、僕は初恋相手の静さんが演劇部に所属していたのを知っていたので、ルンルン気分で体育館へと足を運んだのだ。


周りは友達同士やイチャつくカップルばかりがいる観客席の中、僕は静さんの活躍を見るためならと、そんな空気に戦いを挑み一人で乗り込んだものの、結局彼女の姿は1秒も見ることができなかった。


……って、あれ? 僕だけすでに不戦敗だった?


そんな過去の悲劇に一人浸っていると、今度はあっけらかんとした莉緒さんの声が耳に響く。


「だったらシズも一緒に舞台に出ればいいじゃん! 私も舞台は初めてだし、シズと二人なら絶対に面白いよ!」


「嫌だわ」


姉妹相手でも容赦ない静さんに、僕は思わず視線を逸らす。もちろん理由は、怖いからだ。


しかし莉緒さんにとってはどれだけ容赦なかろうと自分の妹。もうシズったら! と姉さん口調で可愛く唇を尖らす程度で軽くリアクションを返していた。


するとそんなやり取りを見てウンウンと頷いていた顧問が再び口を開く。


「まあまあそうスピーディーに早まることはないよ静ちゃん! 先生は一言も『舞台の上で』なんて限定していないよ」


「え?」


意表を突かれたのか、一瞬だけ静さんの目が大きくなる。それを逃さまいとするかのように、万城寺先生は説明を続ける。


「今回の投票の目的は、『演劇部で誰が一番輝いていたか?』だ。つまり舞台に上がる役者だけではなく、それを裏でサポートする黒子や照明スタッフ、演劇に何かしら携わる部員すべてが対象だ! だから静ちゃんが舞台に上がらないのであれば、違うところでお姉さんと勝負をすればいい。たとえば物語……静ちゃんが書いた『脚本』で勝負をするとかね」


「……」


脚本、という言葉にピクリと反応したのは静さんだけでなく莉緒さんもだった。


なぜか生まれる奇妙な間。


その間、二人は一瞬だけ目を合わすも、すぐに視線を逸らした。まるで、鏡に映る自分自身の姿から目を逸らすように……


「脚本……か」


ぼそりと莉緒さんは何かを吟味するかのように声を漏らす。そしてすぐにスイッチを切り替えるようにポンと手を叩いた。


「いいじゃんシズ! やりなよ脚本! それだったら舞台に出る必要もないし、物語で感動してくれた人はシズに投票してくれるよ!」


けらりと明るい笑顔を見せて妹に説得を試みる莉緒さん。そんな彼女の言葉に、先ほどまで強気だったはずの静さんの表情が曇る。


「私は別に脚本なんて……それに、舞台以外で勝負をするなら自分には監督という立場もあるわ」


そう言って再び強気な姿勢を取り戻した静さんは、キリッとした目で姉を睨んだ。どうやら監督という自分のポジションは何があっても崩したくはないらしい。


静さんの監督姿か……


メガホン片手に汗を流して叱咤する。自分の合格ラインに達成するまで役者に鞭打つ徹底的なSっぷり。が、一歩楽屋に二人で足を踏み入れたらその態度は一変して急に猫撫で声に……


うん……悪くない。


ここにきて初めて恐怖以外でゴクリと唾を飲み込むことに成功! ……って、一体どんな妄想でこの場から現実逃避を計ろうとしているんだ、僕。


そんな自分に呆れてため息をついた時、顎をさすっていた万城寺先生がうーんと声を漏らした。


「それはディフィカルトな話しだな……今年3年生が卒業しちゃって脚本が書ける子がいなくなったからね。この中で物語を書けそうな素質を持ったのは静ちゃんだけなんだけど……」


万城寺先生はそう言葉を漏らしながら、他の可能性も模索するようかのようにぐるりと室内にいる生徒を見渡した。……あれ? なんか僕だけ今スルーしなかった?


「うーん、花梨かりんちゃんと美鈴みすずちゃんは役者志望だし、由夏ゆかちゃんは音響担当だもんね……これはまさかの我が校始まって以来の演劇部出場停止になっちゃう?」


ぜんっぜん危機感のないトーンで、万城寺先生は危機的状況だと警告する。しかし、静さんの決意も固いようで、なかなか首を縦に降る様子はない。


「どうだい静ちゃん? ここは脚本も兼ねて『監督兼脚本家』っていうVIP席は?」


「お断りします」


「まあまあそう言わずに! 面白いよ脚本! 静ちゃんのさじ加減であんなことやこんなことも出来ちゃうんだよ〜。それはもうパラダイッス!」


「だから私は遠慮させて頂きます」


何故だろう。この状況こそがエロい脚本家兼監督が女優に無理難題を突きつけている状況にしか見えない。


僕は無関係、と言わんばかりに第三者的な目線でそんな状況を見ていたが、ここにきて頭のイカれたエロ監督が、とんでもないキラーパスを出してきた。


「君だって静ちゃんの脚本を読んでみたいよね?」


「え……えぇ⁉︎」


あまりに唐突なパスに、僕は一瞬自分が話しかけられたことに気づかなかった。が、丸いサングラス含めて3人の目が一斉にこちらを向く。


「ぼ……僕は……」


ゴクリと喉を鳴らした僕は、思わず静さんの顔をチラリと見た。彼女は「一言でもバカなことを言えば命はないわよ」と宣言するかのような目で睨みつけてくる。


え……? これ、どう答えるのが正解なの?


僕は一瞬瞼を閉じると、その刹那に思考を巡らす。


見たい……非常に見たい! あの静さんが書く物語なんて、僕からすれば永久国宝級の代物だ! ……が、この状況で見たいと言えばきっと静さんはブチ切れるだろう。けれど見たくないと嘘をつくのも失礼に値するような気も……


当たり前だが頭の悪い僕がどれだけ考えようと、こんな短時間でベストな答えなんて浮かばない。


そうこうしている間に、「で、YOUはどうなの?」と万城寺先生がさらにプレッシャーを与えてくる。


「み……み……見た……」


僕の声に莉緒さんと静さんのまったく同じアーモンドのような瞳が細められる。ヤバい……質問内容もヤバいけれど、美女二人に見つめられるのもヤバいっ!


なんて余計なことを考えながら、そろそろ答えないと本気で殺されそうな雰囲気に、僕は慌てて口を開く。


「み…………み、見たいです!」


初めて多目的室に自分の声が響いた。


と、同時に物凄い後悔の念が押し寄せてくる。


見たいのは本音だけれども、こんな言い方じゃ先生に無理やり言わされたような感じで……


そんなことを思い、チラッと静さんの方を見た時、僕は思わずギョッとした。


何故ならあれほど終始鉄壁のクールビューティさを貫いていた彼女が、ほんのりと頬を赤く染めて少し俯いていたからだ。


あぁ……僕の言葉でどれほどの屈辱を与えてしまったのだろう……


やりたくないものを顧問に強要され、それを同じクラスメイトからも無理やりな形でお願いされてしまう。


たぶん、あの静さんといえど、怒りを通り越して悔しさのあまり恥ずかしいとさえ思っているのだ。自分の発言のせいで、羞恥で顔を赤く染めてしまっているのだ。これで僕と静さんの関係は……


「……わかりました。そこまで皆さんが強く望むのであれば、今回は私が脚本を書きましょう」


「へ?」


予想だにしなかった彼女の言葉に、僕は思わず目をパチクリとさせる。てっきり全力で否定されるどころか、みなの前でビンタでもされるんじゃないかと怯えていたが、まさかの了承。


驚いて固まってしまった僕の前で、莉緒さんと万城寺先生がオーバーなくらい喜ぶ。


「さっすがシズっ! そうこなくっちゃ青春バトルは面白くないもんねっ!」


「エクセレンツっ! 静ちゃん! 今年のアカデミー脚本賞は君で決まりだ!」


「……」


何だろうこの二人、やけに気が合うな。


盛り上がる二人をよそに、僕と静さんは黙り込んでいた。


彼女の様子が気になりチラッと顔を見たとき、偶然向こうも僕のことを見ていたようでバッチリ目が合ってしまう。その瞳に先ほどの羞恥の色はすでになく、敵意剥き出しで細められているのを見てしまい、僕は「ヒッ!」とすぐに顔を逸らした。


やっぱり怒ってる……


もしかしたら僕が頼んだから了承してくれたのかも、なんてバカな自惚れを一瞬期待してしまったが、あの刃のような目を見る限りそれはないだろう。


平行線、あるいは少し嫌われてしまったかもしれない僕らの関係に思わずため息をつく。


「オケーッイ! これで今年の役者もストーリーも決まった! あと必要なのは血湧き肉躍る主役ッ!」


「え? 主役って莉緒さんじゃないんですか?」


万城寺先生の言葉に、僕は反射的に顔を上げて尋ねた。てっきりこの流れだと、『脚本家静さん、主演莉緒さん、双子美人姉妹による夢の共演!』みたいなキャッチフレーズが生まれると思っていたからだ。


ぽかんとした表情を浮かべる僕に、顧問は人差し指を立てて左右に振る。


「ノンノン。それは違うよボーイっ! 青春ドラマに必要なのは麗しき乙女と、真っ直ぐに熱く生きるメンズ! つまり、『ヒロイン』である莉緒ちゃんを青春の向こう側に連れていく『ヒーロー』が必要だということだ!」


ドーユーアンダァスタンドゥ? と鼻先すれすれまで近づいてきた変態教師に、僕は思わず後ずさる。


って、何その変なドラマ理論。


青春の向こう側って……もう青春飛び出してますけど?


わけのわからない教師に絡まれ、今更になってやっぱりこんな場所にくるんじゃなかったと後悔する僕など無視して、万城寺先生は話しを続ける。


「つまり今回の舞台では、いかに静ちゃんの書いてくれた物語を輝かせ、そしてヒロインである莉緒ちゃんを引き立てらせれるかがヒーローである主役の役目! そんな役を任せられるのは……」


万城寺先生はそこで一呼吸置くと、ドシドシと教室の扉の方へと近づいていく。どうやら主役は最初から決まっていたのか、扉の向こうで待っているらしい。


こんな状況の中で主役を任されるなんて悲劇以外の何物でもないだろうと固唾を飲んで見守っていると、先生は何故か扉を開ける前にくるりと振り返る。そして、銃口を向けるように指先をピンと伸ばした。


「KIMIしかいない☆」


「…………」


あれが本当にピストルだったならば、まず真っ先に死んでいたのは僕だっただろう。


一瞬そんなどうでも良いことを思った僕は、そろりと身体をずらした。


失礼なことをしてしまった。僕がこんなところに立っていたせいで、主役に任命される方の邪魔をしてしまったようだ。


そう思い彼の顔を見ようと後ろを振り返る。


……うん、誰もいない。


どうやら今回の主役は透明人間さんのようだ。


…………って、


「……は?」とわずかに正気を取り戻した僕は慌てて前方に視線を戻す。するとクレイジー教師の銃口は、いまだはっきりと僕に向けられたまま。それを見て、全身の毛穴という穴から汗が吹き出る。


「いや、その……え、ハイ?」


まったく言葉が出ない。死んでも認めたくない現実が、自分に向けられている小さな指先に詰まっている。


何の罰ゲームですか? それともただのドッキリですよね? だってこれじゃあまるで……


「今回の舞台の主役といえば君しかいない! その名は、岩本幸宏っ!」


「…………」


おー! と莉緒さんと部員たちが拍手をする中、僕は慌てて口を開く。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……」


「ちょっと良い感じ?」


「違いますよ! お願いだからふざけないで下さい! だいたい僕みたいな根暗な人間が舞台の主役になれるわけないでしょっ! しかも未経験者で演技だってしたことないんですよ! だったらここは新しく主役にピッタリな人物を探してですね……」


恐怖心の方が口下手な性格に勝ったのか、僕はまれに見るほどの流暢な喋り方で言葉を返した。


が、そんな正論がクレイジーな相手に通じるわけがない。


「ノープロブレムっ! 誰もが最初は未経験者の初体験者だ! 先生もスキューバダイビングはやったことはないが、今度の週末やってみようと思っている! それと同じさ」


だから大丈夫! とまったく大丈夫じゃない理論を振りかざしてくる妄言教師。そもそも週末のスキューバダイビングって、あんたの娯楽でしょ!


この人一体どんな思考回路してんの⁉︎ と目を見開くも、相手はトントン拍子で事を決めていく。


「よーし! それじゃあまず夏休み前までに脚本は完成させて練習は夏休み中に思いっきり……」


「ちょっと先生! ほ、本気で僕を主役にさせるつもりですか⁉︎」


「何を今更! 先生はいつだってフルパワーの本気だっ! 明日事故に遭うとわかっていたら、今を全力で楽しむ男っ!」


え? それ間接的に僕が主役だと事故るって言ってません??


意気揚々とメモ帳にスケジュールを記入していく先生の左腕を掴むと、僕は必死に嘆願を続ける。


「先生! それに僕はまだ演劇部に入れるかどうかもわからないんですよ! なのに舞台に上がるなんて……」


「はっははー! 心配ご無用! 舞台の上では人はみな平等! それにこれは真の演劇部員を決める青春バトル。そんな舞台で一番輝けば誰も文句はいわないさっ」


「文句って……」


いやそもそも僕が莉緒さんと舞台に上がれば文句しか出てこないと思いますけど?


舞台の上で空き缶やら刃物やらを観客から投げつけられている自分の姿を想像してしまいブルリと身体を震わす。


しかしそんな恐怖は僕しか感じないのか、突然莉緒さんが両手を握ってきた。


「やろうよユッキー! 絶対楽しいって! それに私、ユッキーのためなら一肌でも二肌でも脱いじゃうよ」


「え……脱ぐ?」


目と鼻の先で嬉しそうに頬を火照らせそんなことを言われると、反射的に視線はその大きく膨らんだ制服の胸元へと向けれてしまう。……って、こんな時に僕は何を考えているんだっ!


煩悩と性欲を振り払おうと首を振った時、静さんの顔が視界に入って思わず「ひいいっ!」と叫び声を漏らす。


僕が主役であることがよっぽど気に食わないのか、その目は人殺しの目になっている。


「ご、ごめんなさい!」と反射的に謝ると、近づいてきた静さんが僕の手を握っている莉緒さんの手を振り払った。


「姉さんが一肌脱ぐかどうかは私のさじ加減で決まるわ。それに、イチャつくシーンなんて作るつもりまったくないから」


「えー、でも青春ものだよ? ちょっとぐらいそういうシーンがあった方が見てる方も喜ぶと思うんだけどなぁ」


そうだよねぇユッキー? と何故か甘さをたっぷりと含んだ口調で莉緒さんが耳元で囁く。その吐息と唇の近さに、僕は危うく昇天しかける。


「嫌よ。そんな品のかけらもない下世話な物語なんて。悪いけどあなたと姉さんは指一本触れさせるつもりもないし、入部させるつもりもないから」


世界を分断させるかのようにピシャリとした口調で言い切る静さん。その瞳に込められた敵意がなぜか僕にだけ向けられていて、思わず呼吸も心臓も止まりそうになる。


なるほど……彼女が怒っているのは僕みたいな人間が主役になることだけじゃなく、きっと自分のお姉さんに触れられるのも嫌みたいだからだ。……って、いつの間にかそこまで嫌われちゃってる⁉︎


「ふーん、随分と強気なのねシズ。つまり、私の演技よりも脚本で勝つ自信があると?」


「当たり前でしょ。じゃなきゃやりたくもない脚本なんて立候補しないわ」


「……」

 

へー、と笑顔で声を漏らしながらも、どこか殺気立った雰囲気を放つ莉緒さん。


そして艶やかかな黒髪を右手で耳にかけながら、完全に殺気立った目で睨む静さん。


その間に挟まれた僕といえば、ゾンビみたいに生きている心地がしない。


あれ……? これってもともと僕と静さんが仲良くなれるようにって話しじゃなかったっけ? 


もうそんな雰囲気一切無くなっちゃってますけど……大丈夫??


再び静さんと話す機会はできたとはいえ、これじゃあ会話じゃなくて宣戦布告。


とりあえずここは場を丸く収めなくてはと無い頭を必死にフル回転させていると、先に顧問が火に油を注いできた。


「二人とも、ナイスガッツ! やはり青春を楽しむべき学生はこれぐらいヒートアップしてエンジョイしないとね! それでこそ友情も姉妹愛も深まるってものさっ!」


「先生うるさいです。今は姉と話しているので黙ってて下さい」


オッケー、シャーラップ! と言ってすぐさま右手で口元を押さえる顧問。威厳も尊厳も失っていく顧問に、見ているこっちが居た堪れない気持ちになってしまう。


完全に部外者扱いとなった僕と先生の前で、静さんがすっと小さく息を吸った。


「なら姉さん。もう一つ条件を付け加えましょう」


「条件?」

 

妹の言葉に、莉緒さんが不思議そうに首を傾げる。


「そう。最も投票数が多かった者がこの部のすべての権限を握る……つまり、負けた者は勝者の言うことを絶対に聞くこと」


「……」


静さんの言葉に、莉緒さんよりも僕の方が震え上がった。


歴史の教科書でしか見たことがなかった『絶対王政』という言葉が、今まさに目の前で生まれようとしている。


もはや演劇部に入部できるかどうかより、人としての権限も左右されそうな状況の中、莉緒さんは楽しそうに唇で弧を描いた。


「シズ、ほんとにいいの? 私が勝ったら何でも言うこと聞いてもらうことになっちゃうよ?」


「わかってるわ。そのかわり私が勝てば姉さんが演劇部に入ることは永久にないし、今後万城寺先生にも好き勝手なことはさせないわ。それでいいかしら、先生?」


静さんは美しくも恐ろしくもある細めた瞳で顧問を睨んだ。その言葉に万城寺先生はウンウンと何度も頷く。


「オッケー! シャーラップ!」

 

いやそこは黙ってないで何か意見言おうよ! ほんとに威厳なくなっちゃうよ先生⁉︎

 

驚きのあまり呆然としていると、今度は静さんの瞳に僕の顔が映る。


「岩本くんも聞いたわね? もし私が勝った場合は、あなたにも言うことを聞いてもらうから」


「えっ! 僕もですか⁉︎」


「当たり前でしょ。あなたも今回の舞台に出演するのだから条件は同じよ。それに主役に抜擢されたんだから、私の脚本で中途半端な演技を見せたらただじゃおかないから」


「……」


これって……もう僕だけ死刑確定ってことですよね? 


人見知りで人前に立つのが大の苦手な自分が舞台に立ち、中途半端な演技を見せて静さんに怒られるどころか、果ては人権を捨てて絶対服従。


初恋の人とお近づきになりたいと願ったけれど、何も奴隷になってまで近づきたいとは言ってない。


……いや、静さん相手ならそれもありか? 


なんて極度の緊張感のせいで思考がおかしくなりそうになった僕は、慌てて首を振ると口を開いた。


「や、やっぱ僕には主役なんて無理ですよ! ここは適した生徒をもう一度探して……」


おどおどとした口調でそう告げながら一歩ずつ後退していくと、突然万城寺先生が僕の両肩を掴んできた。


「どうやら君は、まだ自分の中に眠る『才能』に気づいてないようだね」


「……え?」


急に落ち着いた真面目な口調で話し始めた先生に、僕は思わずきょとんとした表情を浮かべる。


「惜しい……実に惜しいよ岩本くん! それだけの才能を持ちながらまだ気づいていないなんて」


「……」


胡散臭いとはいえ、人生で人から褒められた回数が流れ星を見た回数よりも少ない僕は、万城寺先生の言葉に不覚にも心が揺らいでしまう。


もしかして……先生が僕を主役に抜擢したのは、その『才能』を開花させるため?

 

僕は黙ったまま万城寺先生の顔をじっと見つめる。そんな僕を見て先生は優しく微笑むと、そっと声を漏らした。


「岩本くん。よーく見たまえこの状況を……」


そう言って先生は広げた右手を莉緒さんたちの方へと向ける。


「高校、部活、そして可愛い双子姉妹に挟まれてしまうシチュエーション。君はまだ気づいていないと思うが、君には青春ならぬ青春ラブコメの主人公になるためのある『才能』を生まれつき持っているんだよ。それは……」


先生はそこで言葉を区切ると静かに目を瞑った。


僕はゴクリと唾を飲み込む。


自分では今まで気付くことができなかった、主人公になるための才能。もしかしたら、それを活かせば僕は静さんと……

 

期待と尊敬の眼差しを向ける先で、万城寺先生がゆっくりと瞼を上げる。そして、その唇が大きく開いた。


「それはカゲロウよりも薄い存在感……つまり、『冴えない』ところだッ!」


「…………」


キラリン、とサングラスを光らせて満面の笑みを浮かべる顧問。


そんな教師を見て、僕は心の中でそっと呟く。


……そろそろ一発殴っていいですか?

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