第五話

「うちの衣裳だわ……! なぜここにあるの!?」

 圭蘭けいらんが呆気にとられた様子で武官に駆け寄った。

上衣下裳じょういかしょうと肩掛けと帯と……帯の端だけ切り取られているけれど、あとは無事だわ!」


「これはどういうことだ、白影はくえい

 王にうながされ、白影は答える。

「どうもこうもありません。悠修ゆうしゅうりゅう家の衣裳を盗み、隠し、その罪をほう家になすりつけるばかりか、貴妃暗殺未遂の罪も加えようとしたんです。……そうだな? 悠修」

「白影さま……! 僕がそのようなことをするとお考えなのですか!?」

 悠修は蒼白な顔で声を荒らげた。

「だが悠修、なぜ私の指示どおりに中書省に行かなかった? しかも行ったと嘘を吐いて」

「それは……!」

「おまえは昨夜、礼部から柳家の部屋の鍵をくすね、衣裳を盗んだ。それを高楼の裏庭に隠し、今朝、偶然を装ってほう家の部屋の調査に加わった。そして持っていた礼部の鍵と柳家の衣裳の一部を莉璃りり姫の部屋に置き、さも自分が発見したかのように装った。さらには皆の注意が逸れたすきに鳳家の衣裳に針を仕込んだ――そうだな?」

「違います!」

「私は柳圭蘭殿が犯人だと――昨夜、柳家の衣裳を発見して押収したと嘘を吐いた。その結果、おまえは自分が隠した衣裳がきちんとその場にあるのか不安になり、中書省に行くふりをして確かめに行ったんだ」

「違います……!」


 悠修は髪を振り乱して否定したが、それが嘘であることは、もはや誰の目から見ても明らかだった。

 いつもの軽い調子はすっかりなりを潜め、まるで別人のようにも見える。

 

 ――けれど、どうしてわたくしなの?


「なぜ、このようなことを? 悠修さまは、わたくしに――鳳家になにか恨みでもあるのですか?」

「それは柳圭蘭殿に惚れているからでしょう」

 白影の言葉に。

「やめろ!」

 悠修は過剰に反応した。


「惚れて……え?」

 すぐにはぴんとこなかったが、つまり悠修が圭蘭に対して好意を抱いている、ということなのだろう。


「悠修の家は柳家に出入りしている商家です。悠修も幼い頃は親に連れられ、よく柳家を訪れていたのだとか。つまり二人は幼馴染み――そうですね? 柳圭蘭殿」

 白影が問いかければ、皆の視線が圭蘭に集中した。


「悠修……本当なの? 本当にあなたがわたくしの衣裳を隠したの?」

 悠修は答えない。

 ちくしょう、と唇を噛んで、顔をうつむけている。


 それが答えだと判断したのだろう。圭蘭は両手で顔を覆うと、声を震わせた。

「なんて馬鹿なことを……! 何を考えているのよ、あなた!」

「おまえが……! おまえが白影さまを好きだと言うから……もうずっとあきらめられずにいると、苦しくて死んでしまうと言うから!」

 だから悠修は、今回の事件を起こしたのだ。

 莉璃を――鳳家を失墜させれば、この国一の貴族の名を得るのは四星家しせいけの三の位である柳家。

 となれば白影と莉璃の結婚は破談となり、圭蘭との縁談が持ち上がるだろう、と。


「悠修、おまえが女遊びをするようになったのは、柳圭蘭殿をあきらめるためだな?」

 白影が溜息混じりに問うた。

「だがそれでもあきらめきれなくて、ならばせめて柳圭蘭殿に幸せになってほしいと願い、今回の事件を起こしたんだな?」

 ばかだな、おまえは、と白影はつぶやく。

 悠修はもう肯定も否定もしなかった。


「なんて馬鹿なの……!」

 圭蘭の言うとおりだ。

 彼はなんてあさはかなことをしてしまったのだろう。


 そして、なんて一途なのだろうか。

 悠修のその想いが――ただひたすらに圭蘭の幸せを願う想いが、胸に迫る。

 部屋の中にいる誰もが、複雑な表情でうつむいている。


 だが次の瞬間、いきなり武官のひとりが執務室に駆け込んできた。

「主上、失礼いたします! 急ぎご報告がございます!」

 よほどの急用なのか、彼は息を整えることなく王の前にひざまずく。


 いったい今度は何が起きたのかと、王や貴妃、礼部の成官吏やその場にいる皆が息をのんだ。

「どうした。述べよ」

「鳳家の衣裳が見当たりません。王家の花であるこう句劾くがいさまが作られた宝飾品の試作品も、ともに行方不明でございます!」


 え? と莉璃は自分の耳を疑った。

 今、彼は、なんと言ったのか、と。


「わたくしの……衣裳が?」 

「ふざけたことを……何者かが鳳家の部屋から衣裳を持ち去ったということか」

 状況をいち早く把握した白影が、握った拳を震わせた。

「鳳家の――莉璃姫の部下は? 何をしていたんだ」

「それが、実はその者も行方不明でして……今、警備の者たちが捜しているのですが」

 説明をする武官の声が、どこか遠くで響いているような気がしている。


「それで、気になることがひとつ。西いぬの門衛が、大きな葛籠つづらを背負った美しい男が馬に乗って王宮から出て行くのを見たと申しておりまして……なんでも官吏たちの衣裳を製作する仕立屋を名乗っていたとか」


 ――零真れいしん……!!


 居ても立ってもいられず、莉璃は立ち上がった。


 まさか、その人物が零真だというのだろうか。彼が、貴妃のための衣裳を持ち出した?

 そう予感した途端、莉璃の頭の中は真っ白になった。


「それから、こちらが鳳家の作業部屋の卓子たくしの上に置いてあったようなのです」

 武官の手に握られていたのは、小さく折りたたまれた白い紙だった。


「これはあなたの部下の筆跡ですか?」

 白影の手で開かれたそれには、零真の字で『申し訳ございません、莉璃さま。どうかお幸せになってください』と残されていた。


「悠修、おまえが零真に命じたのか」

 白影の問いに、口を開いたのは圭蘭だった。

「何も命じてはいませんわ! まさか衣裳を盗めなんて、そんな恐ろしいこと……」


「ちょっと待って……どうして圭蘭姫が、零真に命じるの?」

 呆然と声を絞り出せば、圭蘭がいくらか申し訳なさそうな顔をする。

「……零真は、わたくしの間者なの。家が鳳家との縁組みを希望しているらしいと聞いたから、鳳家の動向を探ろうと思って……」

「まさか……嘘でしょう? だってそのようなこと……」


 信じていたものが、音をたてていっきに崩れていく。

 もうやめて。これ以上、おかしなことを言わないで。

 今、目の前にある現実をとても受け入れられなくて、莉璃は嗚咽のような息を漏らした。


 まさか零真が、圭蘭の手の者だったなんて。

 協力し合って作った貴妃のための衣裳を、盗んでどこかへ行ってしまうなんて。


 と、その時、ふと点と点が線でつながった。

 圭蘭はやけに、王宮での莉璃の動向に詳しかったが、もしやそれは零真から情報を得ていたのかもしれない。

 彼は以前――白影が初めて莉璃の部屋に泊まった翌日の朝、言っていた。「手紙をだしてまいります」と。

 今考えればあれは、圭蘭への報告書だったのかもしれない。


「急ぎ零真とやらを捕らえよ。鳳家の衣裳は、春琳しゅんりんの衣裳になるかもしれぬものだ」

 王が立ち上がって指示を出した。

 こうなったらおとなしくしてはいられないと、莉璃は王に訴える。

「主上、お願いいたします。わたくしも捜索に参加させてくださいませ。……彼が向かいそうな場所に、心辺りがあるのです」


 ふむ、と王はしばし考え込んだようだった。

「ならば白影、おまえが莉璃姫と行動をともにしろ。捜索には我が軍の一部を使え」


 うなずくなり白影は、「行きますよ」と、莉璃の腕を引いて立ち上がる。

 武官の手によって開かれる扉。どちらからともなく走り出す莉璃と白影。

「どうか泣かないでください。今はあなたの涙を拭うことはできません」

「わたくしは泣いてなんかいませんわ」

「ですが、今にも泣き出してしまいそうです」


 もうそれ以上、言葉を返すことができなくて、莉璃は無言で首を左右に振った。

 白影の言うとおり、精神状態はもう極限。けれど今、ここで泣いている場合ではないことはわかっていた。


「必ず……私が必ず解決してさしあげますから」

 だからどうか泣かないでほしいと、白影はもどかしげに唇を噛んだ。

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