先輩とクレーンゲーム


 最近、新しい知り合いができた。

 知り合い……知り合い? 友達……とは違うし、仲間……っていうのとも違うし。知り合い……うん、知り合いだ。知り合いの先輩。

 教室の中では脇目も振らずゲームばかりしているあの人を、学校の先輩と呼ぶのにはいささか以上の抵抗があるけれど、ゲーマーとしては、そう、確かに私の先輩だ。だから私はあの人を――古霧坂こきりざか里央りおを、先輩と呼ぶ。


 先輩とは、ゲームの中でしか話さない。それ以外の接点はないに等しい。だから学校の人たちは、私があの学校一の変人、人呼んで《ゲーム王子》と毎夜のように遊んでいるだなんて、夢にも思わないことだろう。

 そう考えると、ちょっと小気味のいい気持ちになる。

 だから私は、友達にも家族にもこの関係を話すことなく、密やかに独り占めにしていた。




◆◆◆




 私はよく、友達が多いように思われる。

 だけどそんなことはなくて、普段から話したり連絡を取ったりする人となると、10人にも届くかどうかという程度だ。

 もちろん、それ以外にも、たまに思い出したようにメッセージを飛ばし合うだけの薄い関係の人が、アプリの連絡帳にたくさん収まっている。けれど、その人たちを友達と呼ぶのは、本当の友達に失礼だろう。

 友達なんて気の置けない人が2~3人もいれば充分。

 そう考えているがゆえに、私にも稀に、下校の途を一人で歩く日があるのだ。


 そんな日は気分によって、自由気ままに寄り道をする。

 中学の制服を着ているとナンパの数が減るので、一人歩きも気が楽だ。最近はナンパお断りの雰囲気を出すのにも慣れてきたので、今日は新京極まで行くことにした。

 アーケードの下に異種様々なお店が並ぶ新京極商店街を、人波に揺られるようにして歩く。

 別に目的があるわけじゃなかった。多くの人の中に埋もれている、という状態自体が、私にとっては心地いいのだ。


 そんな風にしていると、あるゲームセンターが目についた。

 私はゲームが好きだ。だけど基本的にはアナログゲームが専門で、ゲームセンターにはあまり縁がない。友達と一緒にクレーンゲームをしたり、その程度で、店舗の奥のほうにあるディープな空間には立ち入ったことがなかった。


 でも……先輩なら?


 格闘ゲームの筐体の前に座る、知り合ったばかりの先輩の細っこい背中を想像して、少し笑う。

 似合うなあ。あの暗さ、狭さ、隅っこ具合。

 あまりにも似合うので、その想像を補強したくなった。

 私は人波から外れ、ゲームセンターの入口に足を向け――


 そこで、ようやく気付いた。


 ゲームセンターの入口の、すぐそば。

 明るくて、広くて、浅っさい浅っさいライトな空間に。

 クレーンゲームの筐体を真剣な目で睨みつける、先輩の姿があることに。


 ……に、似合わない……!


 キラキラと明るいライトを放つクレーンゲームと、眼鏡をかけた地味な顔を親の仇を見るがごとくしかめている男子の姿とが、あまりにもミスマッチで、無意識に視界から締め出していたのだ。

 これが『太鼓の達人』辺りをドヤ顔でプレイしているのだったら、『あー、先輩だなあ』という感じだけど、クレーンゲーム……しかもふわっふわのファンシーなぬいぐるみしか入ってないやつ!


 こんな、カップルが気まぐれにきゃっきゃとやるためだけにあるようなゲームに、どうしてこの人はここまで真剣な顔をしているのか。

 気になって見ていると、透明なアクリル板の向こうでクレーンが動き出した。

 縦の位置が決まり、横に動き出して、トラのぬいぐるみの上で静止。

 そしてゆっくりと下がっていき、アームが閉じて、ぬいぐるみに食い込み――

 ――ぬるっと、ぬいぐるみがアームから零れ落ちた。


「ぬぐおおおおお!!」


 瞬間、先輩は派手なダメージボイスを発する。

 クレーンゲームと神経でも繋がっているのだろうか、この人は。

 その様子はあまりにも変な人で、普通だったら近づこうとは思わなかっただろう。けれど、幸か不幸か、それはここのところゲーム内でお世話になっている先輩だったので、見て見ぬふりをすることはできなかった。性格がいいのも考えものだなあ、まったく!


「――せーんぱいっ」


 後ろから呼んで、肩を叩いて、その手の人差し指をピッと伸ばした。

 ぷにっと、振り返った先輩の頬に私の指が刺さる。


「……! おみゃえは……!」

「いや、指刺さりっぱなしですよ。少しは逃げるなり驚くなりしてください」

「こんにゃ古典的な手に屈する俺ではにゃい」


 先輩は猫みたいな喋り方になってさえ振り返った首を戻さなかったので、仕方なく私が手を引っ込めた。


「何やってるんですか、先輩? 男一人でクレーンゲームを睨みつけて。すっごく目立ってましたよ」

「男がクレーンゲームをして何が悪い。俺はたとえ女児向けのアーケードゲームであろうと、やりたいと思ったらやるぞ」

「おお~、カッコいいですね!」

「……………………」


 先輩は眉をひそめて一歩間合いを取った。

 警戒しているらしい。『俺は騙されないぞ』という意思が瞳に漲っている。


「そんなに身構えなくても、心からの本音ですよ?」

「どうだか。俺みたいなオタクは適当に褒めとけば舞い上がると思ってんじゃねえの?」

「んー……割と思ってますね」

「認めるのかよ」

「だって、事実でしょう?」


 私がにっこりと微笑むと、先輩は嫌そうな顔をしてさらに一歩距離を取った。

 思わずからかってしまったけれど、私は別におべんちゃらを使ったわけじゃない。

 誰にどんな目で見られようと自分のやりたいことをやる、というスタンスは、本当にカッコいいと思うのだ。

 まあ、先輩にはそこまで説明してあげないけど。


「それで、なんでクレーンゲームやってるんですか? 実はふわふわのぬいぐるみが大好きで、ベッドがぬいぐるみで埋め尽くされてるんですか?」

「そんなわけないだろ。景品には興味ない」

「だったらなんで……」

「昨日、動画を見てさ」

「動画?」


 首を傾げる私をよそに、先輩はまたクレーンゲームのクレーンを見つめた。


「ぬいぐるみのタグにアームを引っかけて吊り上げる動画だよ。こんなこともできんだなーと思って、やってみたくなった」

「……それだけですか?」

「悪いかよ」

「いえ……」


 やってみたくなった。

 動画で見るだけで満足せず、わざわざゲームセンターに来て、お金を払って?


「……ちなみに、今までお幾らほど吸われました?」

「…………1000円…………」

「1000円!」


 大金である。

 このクレーンゲームは1回100円だから、もう10回も惨敗しているわけだ。

 まあ、タグにアームを引っかけて吊り上げるなんて、一朝一夕でできる技だとは思えないし、10回くらい失敗のうちにも入らないような気がするけど。

 先輩はげんなりした顔をして、


「どうして欲しくもないぬいぐるみのために1000円も無駄にしているのか……さすがの俺も虚無感を誤魔化しきれなくなってきたところだ」

「じゃあ諦めるんですか? できませんでした、って」

「ナメるな。ゲームと名の付くもので俺にできないことはない」

「おイキりになられるじゃないですか。それでこそ先輩ですね!」

「大して俺のこと知らねえだろ。適当言いやがって」

「んー。それじゃあ、そうですねえ――」


 私はクレーンゲームの中を横から覗き込んで、ピンと来るぬいぐるみを探した。


「――あ。あれ。あのピンクのぬいぐるみ、わかりますか?」

「ん? あのカービィのパチモンみたいなやつ?」

「パチモンとか言わないでくださいよ! 可愛いじゃないですか!」

「俺には小生意気な顔した宇宙生物にしか見えねえけど……」

「あれ、欲しいです!」


 私は丸々としたピンクの可愛いぬいぐるみを指さして言う。


「取ってくださいっ、先輩!」

「……ええ~」

「なんですかその嫌そうな顔は。可愛い女の子にクレーンゲームでぬいぐるみ取ってあげるのが男の夢なんでしょう?」

「知らねえよ、なんだその夢は」

「もう! せっかくモチベーションを上げてあげようと思ったのに!」

「やってることはただ物を要求してるだけのくせに、恩着せがましい奴……」


 おかしいなあ。昔、同好会の先輩が理想のシチュエーションだって言ってたのに。

 先輩は単純に見えるけど、意外と思い通りには動いてくれない。

 むう。惜しいなあ。あのぬいぐるみ、取ってくれないのか……。

 そう思うと俄然欲しくなってきた。あと一押し、どうやったら先輩のやる気を引き出せるかな――


「――1回だけだぞ」


 いろいろと策を練っていると、チャリン、と先輩が100円玉を筐体に入れた。


「え?」

「なんだよ。意外そうな顔して。お前が欲しいって言ったんだろ」

「いえ、でも……嫌そうだったじゃないですか」

「嫌だよ。なんで俺の金でお前のぬいぐるみ取らなくちゃいけねえんだ」


 ぶっきらぼうに、先輩は言った。


「でも……先輩ってのは、後輩に奢るもんなんだろ」


 あ。……そっか。

 先輩は、先輩なのか。


「……ふふっ」

「なに笑ってんだ」

「いえ……年下でラッキーだったなって」


 まさか先輩が、ちゃんと先輩をしてくれるなんて思わなかった。

 私が押しかけるようにして始まった関係なのに……先輩も、私をちゃんと、後輩として見てくれるんだ。

 まあ、上辺だけかもしれないけど。


「でも、100円くらいで偉ぶられても困りますからね。私も横から見ておいてあげます。そのほうが位置を調整しやすいでしょう?」

「偉ぶらねえよ、たかが100円で。……ちゃんと見とけよ」

「はーい!」


 ゆっくりとクレーンが動き出す。

 私は集中し、注意深くクレーンとぬいぐるみの位置関係を確認し――


「ストップ!」


 ほぼ同時、先輩がクレーンを止めた。

 さすがの反射神経だ。本当に、ゲームになると途端にステータスがバフされる人だ。


「奥行きはピッタリです。あとは先輩次第ですよ」

「わかってる。これまでの10回で、コツは大体掴んでるんだ――」


 息さえも止めて、先輩はクレーンを見つめた。

 その指が、繊細な手つきでボタンを押す。

 先輩の目は、まるでここではないどこかを覗いているかのようだった。

 先輩が見ているのは、きっと現実のクレーンではない。自分の中の理想のクレーンの動きを見て、現実をそれに合わせているのだ。

 私さえまったく視界に入っていないその瞳を……私は思わず、見つめてしまっていた。


「――ここ!」


 指がボタンを離れる。

 クレーンが止まる。

 そしてゆっくりとアームが開き、降り始める。


「あっ……!」


 私は思わず声を上げた。

 アームの先端が、ぬいぐるみの頭のところにあるタグのすぐ横に降りたのだ。


「行け……!」


 アームが、閉じる。

 それによって――輪っか状になったタグの中に、アームの先端が潜り込んだ。


「「………………!!」」


 私たちが息を飲んで見つめる先で、タグを引っかけられたピンクのぬいぐるみが、宙に吊り上げられていく。

 そしてそのまま、無事、クレーンの移動に耐え続け。

 アームが開くと同時に――ゴールとなる穴の中に、落ちた。


「おっ……っしゃあっ!!」

「やったあーっ!!」


 先輩が快哉を上げると同時に、私はその肩に飛びついた。


「すごいすごいすごい! すごいじゃないですか先輩!」

「はっはっは! 褒めろ褒めろ!」

「現実で初めて見ました! 本当にできるんですね!」

「できるんだなあこれが!」

「先輩カッコいい!」

「それほどでも……あるかなあ!」


 きゃいきゃいとひとしきり飛び跳ねて――

 ハッと、不意に我に返った。

 恐る恐る振り返ると……道行く人たちが、何事かとこちらを見やっている。

 ……う、うわあ~……! めちゃくちゃはしゃいじゃった……! 思わず素ですごいすごいとか言っちゃったよぉ……!

 思えば、男の人に自分からこんなに触れたのも初めてだったかもしれない。思いっきり飛びついちゃったし……胸も当たっちゃったかも……。


「がっはっはっはっは!!」


 と思ったけど、先輩はまだ高笑いしていた。

 私がくっついたことに、気付いてすらいないようだった。

 ……あーもう。なんでこんな人を意識してるんだか。

 私はそそくさと先輩から距離を取り、取り出し口からピンクのぬいぐるみを取る。

 それをぎゅっと胸に抱えて、


「ありがとうございます、先輩」

「おう。大事にしろ」


 そう言われて、ふと魔が差した。

 身長差を活かして、上目遣いに。

 それから、ほんの少しだけ口角を上げて――


「――先輩だと思って、毎日一緒に寝てあげますね?」


 とびっきりの小悪魔ボイスで、そう言ってやった。

 私が意識させられた分、先輩も意識してくれないと、バランスが悪いというものだ。

 まあ、こんなことをしても、どうせまた警戒されるだけなんだろうけど――


「……お、おう……」


 …………おや?

 おやおやおや?

 先輩……今、目を逸らした?

 声、震えてた?

 顔……赤くなってた?


「……先輩? どうかしたんですか?」

「ちょっ……それ以上近づくな!」

「え~? なんでですか~? さっきはあんなに強く抱き合って、おっぱいだって当たってたのに……」

「はあっ……!?」

「嘘です」

「……はああーっ!?」


 くすくすと笑うと、先輩は二歩三歩と距離を取って、拗ねたような顔で私を睨みつけた。


「……もう絶対に信用しねえ」

「そんな……」

「悲しそうな顔すんな! 嘘くせえんだよ!」

「あははは!」


 私はぬいぐるみを抱き締めたまま、頬っぺたが痛くなるくらい笑う。

 可愛いなあ、先輩は。

 私なんかよりよっぽど可愛いなあ。


 うん、やっぱり先輩は先輩だ。

 可愛さでも先輩だ。

 たとえ学校が変わっても、私は先輩を先輩と呼ぶだろう。


「私以外の女の子に騙されないよう、気を付けてくださいね? せーんぱいっ!」

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