第13話.記憶の中のセルファ

「ん、誰かノックしてない?」

「え?」


 本当だ、ノックしてる。あまりにも小さなノック。

 ……ずっと一定でノックしてて不気味なんだが。


「はい、どちらさま~?」


 ドアスコープから覗いてみるも頭部しか見えない。

 扉を開けてみると――ああ、お隣さんだ。


「どうも、どうしたの?」

「……」


 何も言ってくれない、どうしたものか。

 ただただじっと、そのくりっとした双眸で見つめてくる。そんなに見つめられると照れるぜ。


 ぐぅ。


 妙な音が聞こえてきた。

 今の音ははたしてなんだったのだろうか。


「……あの」

「……」


 無表情で無言。何かを訴えているのはひしひしと伝わってくる。

 ここまでくると妙な威圧感さえ漂ってくる。

 今の音が空腹からくる腹の虫の鳴き声であるのならば、答えは一つ。


「お腹空いてるの?」


 彼女は小さく頷く。

 お腹が空いた結果、俺の部屋を訪ねてくるというのは、いやはやどういう事なのだろう。


「……た、食べる?」


 頷いた。

 中に招き入れたほうがいいのかもしれない。このまま戸を閉めたら彼女との関係が悪化しそうだし、お隣さんとは良い関係を築かなくてはね。


「どうぞ」


 また小さく頷き、彼女は中へ入っていった。

 上下ジャージ、平日でこの格好……どこか親近感を感じる。


「どうしたのこの子」

「隣に住んでる苑崎葵さんだよ」

「私の隣に座り始めてじっと野菜炒め見てるんだけど」

「それは彼女が空腹だからだよ」

「だから何なの? 怖いわよ!」


 ごもっともで。

 多めに作っておいてよかった。

 彼女の分もよそってやるとしよう。


「どうぞ、遠慮なく」


 ついでにご飯もよそってやろう。

 どれくらい食うのかなこの子。


「――す」


 あれ、ようやく彼女の声が聞けた気がしたぞ?

 なんて言おうとしたんだろう。

 手を合わせてたから――いただきます? くそっ、よく聞き取れなかった。


「大人しい子ねえ……」

「す」

「でも可愛いわねこの子!」

「す」


 大人しく頭を撫でられている。

 人畜無害というのはこの子の事か。


「私はこの糞ニートの姉の月子よ、よろしくね」

「糞ニートて」


 基本、彼女は返答代わりの頷き。

 最初は警戒していた姉ちゃんも小動物を見るかのようにすぐに苑崎さんを受け入れていた。


「ジャージ姿もねえ、女子力が足りないわよ! お洒落しなきゃお洒落」

「家事できない姉ちゃんも女子力足りてないと思うんだけど痛ぁい! 手の甲に箸がめり込んでる!」

「綺麗な黒髪ねえ、私みたいにもっと腰まで伸ばしてみたら? 色気が出るわよ?」

「姉ちゃんは色気っていうよりも怠けが出てるから家事頑張っ痛ぁぁい!! また箸がめり込んでる!」


 少しは聞く耳を持ってくれたっていいじゃない……弟なんだもの。


「す」


 食べ終えるや彼女は深々と頭を下げて、姉と違って食器はちゃんと流しに持っていって部屋を出て行った。


「変わった子ねえ」

「皿をちゃんと片付けてくれる面では姉ちゃんよりえら痛ぁぁぁい!! 頬に箸が!」

「家事をする秘孔を突いた。お前はもう、家事をしている……!!」

「家事をする秘孔があるなら姉ちゃんに突きたいよ!」


 今に始まったことじゃないし、片付けしよう。

 その後、姉ちゃんは昼休みぎりぎりまで昼寝をして、時間になるや急いで部屋を出て行った。

 次は零れ落ちている女子力を拾い上げてから来てもらいたい。


「……よし!」


 一人になれたし、ゆっくりゲーム再開といきますか。

 今後の動きやらは石島さんと相談しなきゃいけないけど、これといって何もない日は俺の自由とは言われたし、この自由時間を満喫しなくちゃ。


「セルファもやってこないし、てるてる坊主も来ないし、どうしたもんかねえ……」


 敵が動かないとこちらも動きようがない。

 今動いているのはゲームの敵くらいだ、力量も分からずに無謀に飛び掛ってくるが実際の敵もこれくらいすぐ飛び掛ってくれれば話は進むんだが。

 ただ、時々思う。

 そもそも、認識する上での敵とは……と。

 敵と味方、この区分けはあっても――善と悪、この区分けはどうだったのだろうと。

 たかがゲームでこんな考えを抱くのは少々浅はかかもしれないけど。

 こんな見た目は明らかに弱そうな、筋骨隆々とは程遠い雑魚敵が向かってきてゲームの主人公が蹴散らす――ゲームとしてはいい。

 ゲームとしてはね。

 しかし現実ではそこから背景が続く。

 俺は今までいくつもの魔物を倒してきた、いくつもの敵勢力も倒してきた。

 もしかしたら。

 そう、もしかしたら、彼らにも正義のために、それか誰かのために戦っていたとするならば、俺の正義とは何なのだろうと思う時がある。

 果たして俺は、本当にノリアルを救えたのだろうか。

 救えてないから、こんな状況に陥っている――のかもしれない。

 どうなんだろうな。


「……やめた」


 コントローラーを放り投げた。

 こんな気持ちでゲームをやっていても面白くもなんともない。

 窓枠に尻をついて外を眺めるとした。

 住宅街だけど街寄り、少し歩けば都心にアクセスできるのは悪くない。

 耳を澄ませば様々な生活音が聞こえてくる。

 エンジンの音、街を走る宣伝車、……街は喧騒に包まれているがそれは平和な証だ。俺が二年間住んでいた異世界とは大違いだ。

 争いは、静寂を生む。

 それにしても……。


「苑崎、葵さん、か」


 静寂といえば、彼女。

 なんとも不思議な人だ。

 腹が減ったからといって俺の部屋を訪ねるのも大胆ではあったが。

 しかし俺の抱えている事情はお隣さんを巻き込んでしまう可能性もある。

 魔物にここを襲撃されたりなんてしたら彼女にも被害が出てしまう。


「まいったなあ……」


 俺のせいで引越しちゃったらどうしよう。

 ああ、こういう時はセルファに優しくしてもらいたいもんだぜ。

 今は洗脳を受けてると思うから優しくどころの話じゃないけど。

 あの子は本当にいい子だった。

 歳は俺の一個下なはずだから今は十六歳か。

 俺が元の世界に戻るっていう時も、セルファは一緒に行くって言って大変だったなあ。

 思えば一番俺に尽くしてくれたのは彼女かもしれない。

 今や家事は俺の仕事だけど、異世界じゃあセルファがやってくれたし。

 料理もよく作ってくれたなあ、異世界は野菜やら食用獣やらがいてそれほど食べるのには苦労しなかったね。

 セルファの手料理、もう一度食べたいなあ。


『私の紅き一部を混ぜ込みましたので、是非食べてください……ふふふっ』 


 ってよく言ってたっけ、一部ってきっと愛だよね。

 いやあ今思い出すだけでもにやけてしまうなあ。

 フェイの奴も元気だろうか、なんでも出来たセルファの従者だったな。セルファってば地位が高いから優秀な従者も揃えててね。

 料理できるわ戦闘技術も高いわで最初はよく色々と教えてもらってたっけ。


「セルファがこの世界に来てるのならフェイも来てるのかな」


 だとしたらあいつも洗脳を受けている可能性がある?

 それならば厄介だ、あいつはセルファ以上に敵に回したくない。

 魔物とか素手で殴り倒せるくらいの実力だしな。

 女というかメスゴリラだ、うほうほ言って魔物ぶったおしてバナナ食ってる姿を想像すると違和感が仕事放棄だ。


「敵に回ってなきゃいいけど……」


 異世界で平和に暮らしていてほしい、切実に。

 石島さんは今日は何時くらいに来るんだろう。

 これからのこと、入念に話を進めておきたいんだよね。

 一階に住む部下の人は訪ねてもいないことが多いし、それに話しやすさなら石島さんが一番だ。


「あっ」


 窓の外を眺めていたら、隣で同じく顔を出す人物が一人。

 苑崎さんだ。

 こっちをただじっと見ている、なんというか、ちょっと怖い。


「やあ」


 声を掛けてみる、また頷くだけなのは変わらず。


「あの、料理とか得意なんで、作って欲しいのとかあったら言ってね。結構なんでも作れるよ」


 彼女は何度も頷いた、良い反応だ。

 そこはかとなく瞳が輝いているように見える。

 これから俺を頼りにするということなのだろうか、頼られるのは嬉しいぜ。


「あんまり美味しくないかもしれないけど」


 するとすごい勢いで首を横に振りはじめた。

 そんなことはないと否定してくれているのか、だとしたら嬉しいね。

 苑崎さんは一旦顔を引っ込めるや、暫くしてなにやら取り出して見せてきた。


「……牛肉?」


 彼女は一度頷く。


「これで何か作って欲しいと?」


 二度頷く。

 ふむ、リクエストだ。

 牛肉を作った料理とな。

 牛肉料理は得意だ、彼女を満足させられる料理を作れる自信は大いにある。


「じゃあ夕食はそれを使って何か作ろう」


 その時。

 苑崎さんは薄らと。

 薄らとだが、笑顔を見せた。

 これはなんと表現していいのか、滅多に見つけられないレアポ○モンと遭遇したような、びっ○りマンチョコを買ったら激レアものを引いてしまったかのような、そんな気分。

 彼女とは今後とも仲良く出来そうだ。

 だからこそ、こちらの事情に巻き込まれそうになった場合は、全力で助けなくては。

 事件が解決してもこのままここで一人暮らしを継続するのもありかなぁ。

 彼女は小さく手を振って頭を引っ込めた。

 引き際も可愛いな。

 くっ、セルファ以外でこうも心が揺さぶられるとは……。

 こっちの世界の女性も捨てたものではない!

 思えば俺はセルファとは恋人関係もないわけだし、苑崎さんと……いやいやいや何を想像してるんだ俺は!

 落ち着け、落ち着こう。

 意識しすぎてるんだ。

 セルファだって素敵な女性だ、彼女が言い寄るのならば受け入れるべきだぜ。

 異世界であれだけお世話になって魔王討伐にも貢献してくれた、彼女がいなきゃ俺は魔王討伐まで成せなかっただろう。

 彼女は本当に、いい子だ。

 妙な話ばかりしてきたけど。


 例えば将来は子供は何人欲しいだとか、名前は大体もう決めてるだとか、子供には将来どんな職につけるかだとか、親子で行くなら山か海どっちがいいだとか、仕事は会社の束縛は少なく家族の時間が過ごせるとこがいいよねとか、絶対に離れ離れにならない暮らしをしようねだとかあなたと今まで接してきた女性を教えてだとかあなたの一日の行動を知りたいとか身辺の心配までしてくれたし、趣味の共有やどこにいても一緒よとかそりゃもう親身に……。


「あれ? 今思い返すと……」


 いやいやいや!

 きっと思い違いだ、セルファは素敵な女性だ。

 最後だって、


『あなたなしでは私は生きていられません! どうか! あ、せめて私の血! 私の血を飲んでぇ!!』


 って涙ながらに叫んでて、なんだかぐっときましたね。

 ……うん?

 なんだろう、何故俺は違和感を抱いているのだろう。

 変だな、元の世界に戻ってからセルファとの思い出に対して妙にクエスチョンマークが浮かび上がる時がある。

 世界が違うとこう、世界観の違いとかそういう差異が生じるし仕方の無い感覚なのかもしれない。

 この世界じゃあそんな情熱的な女性なんていないだろう?

 男は年収を、それが低けりゃ女は哀愁はいさよなら的な。

 大抵がそんなのばかりじゃない?

 つまりニートの俺には誰も近寄らない、きっとセルファも心変わりせずに俺に前と変わらず接してくれるはずだ。

 だからセルファは特別。

 そういうわけだ。

 たとえ洗脳されているといえ、俺に会いにきてくれるのならば先ずは抱きしめるかもしれないね。

 君の手料理も食べたいよ。

 君と一緒にまた異世界で暮らすのも悪くない。

 ただ、あっちの世界でもニートなのは変わりないのだけど。

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