第10話 赤い薬

 15時過ぎに最寄りのコンビニに足を運んだ。コンビニはいつも通りで、江上京子もいない。紙パックのピルクルを買って家に帰る。


 ……つもりだった。結局、江上京子の家の前に来てしまった。インターホンを押すか携帯電話に電話をするか2分くらい迷ってから、携帯電話に電話をかける。


「長井?」京子はすぐ出た。コール音がする前だったぞ。

「あ、はい」

「決めた?今から来てくれる?」

「いやまあ今さあ君の家の前でさあ」なんか変な声が出てしまう。


 ガラリと音がして2階の窓が開く。手招きをする京子。


 相変わらず懐かしい匂いのする家には今日もひと気はなくて、親御さんはいない様子だった。京子の部屋に上がると、卒業アルバムが開かれている。小、中、高。


「どしたの、これ」とぼくは聞く。

「やっぱ1人で行くのは危ないからさ、長井が無理なら、頼めそうな人を探そうかって思って」京子は平然という。

「誰か適当な人いた?」

「無理。みんなが今どうしてるのか全然わからないし。最悪、出会い系サイトとか考え始めたところだよ」

 すごい発想だな。出会い系サイトでタイムマシンの話するのか。


「それで、乗ってくれるんだよね」念を押すように聞いてくる江上京子。

 なんとなくハッキリ答えるのが嫌で、「まあね」みたいに小さな声でいう。

「大丈夫、死にはしない」と京子はいった。嫌な発言だ。

「じゃあ行こう」そういって京子は立ち上がった。


 庭にでて、トラックの荷台にでも掛かってそうな深緑のシートを2人ではがすと、黒く塗られた「タイムマシン」が顔を出す。長さは3メートルくらい細長い円筒形、真っ黒な小さな潜水艦。ガラクタっぽいけど。


「準備とかしてないんだけど」いきなり乗るのがいやで、黒い筒を前にそういってしまう。

「タイムマシンなんだから、今の時間にもどって来れるんだよ?」そう答える京子。


 本当にそうならいいんだけどね。実際のところ何なんだろうな、この人は。精神疾患か、彼女も誰かに騙されているのか、はたまたマジでタイムマシンなのか。まあいいんだよ。たぶん、こういうことでも無いと、同年代の女の子と2人で話したりどこかに行く機会はもう来ない。デート商法みたいなのに引っかかる人、バカだと思っていたけどね、たぶん違うんだよな。


 潜水艦のハッチみたいなのを開けて、電灯のスイッチを入れた京子に手で促されて、乗り込む。降りたところの粗末な感じの座席を越えて前席へ。こっちも粗末なパイプに布を張ったような座面。キャンプ用品を取り付けた感じ。

 前席はまあコクピット風なのか?計器っぽいのと、ディスプレイ。


「よし。行こうか」あとから入って来て。後席から声をかけてくる京子。

「これ、俺が座ってる前の席が操縦席なんじゃないの?」

「飛翔中の操作はできないから、操縦というか、設定するだけ」

そういいながら、後席であちこちいじっている。


「どこ行くつもり?」と質問した。全然なにも聞いてないんだよ。

「『いつ』だね。15年前でどう?小学生の私たちがいる」

「タイムパラドックスとか、大丈夫なの?」

「わからない。まだちゃんとした研究は無いのよ。これから私たちがやる」


 とんでもねえな。まあいいよ。どうせ失うものは大してないからね。

「じゃあこれ飲んで」京子はそういって、錠剤を差し出した。


白い、普通の錠剤と、ペットボトルのミネラルウォーター。

「それ飲めっての?」とにかく聞くしかない。

「そうだよ」

「聞いてないよ」

「だって長井、説明する前にこないだ帰ったから」


 だってじゃねえよ。いや、これは無理だろ。コイツは医師でもないし薬剤師でもない。問診も受けてない。

「なんの薬なの?」

「眠くなるだけ。『マトリックス』の赤い薬ね。目を覚ますと不思議な国のウサギの穴の奥底へ行ける。私が連れて行くの」

「この薬白いけど」

「だから、たとえ話だって。『マトリックス』観ていないの?」

ちょっとイライラした感じで嫌になる。


 最悪の場合として考えられるのは、これを飲むとぼくは死ぬ。江上京子はなんらかの精神疾患による、異常な妄想で毒薬をぼくに飲ませる。

 他になにか企んでいる可能性でいえば、この薬で眠らされて臓器を取り出されて売られるとか? しかし、ここまで手の込んだことをする必要ないだろう。


「飲んでよ」とりあえずそういった。「江上が飲んだら、信じるよ」いきなりキレたりしないだろうな。


「いいよ」京子はあっさりとそういった。

「どうせ、そういうと思ってたんだ。もうタイムトラベルの設定は終わっている。私がこれを飲んで、眠ったことを確認したら、その赤いレバーを引いて」


 そういって、京子は薬を口に含んで、水を飲んだ。

「15分くらいしたら寝るから、赤いレバー引いてね。他は触らないで。よろしく」

京子は布を張っただけみたいな座席の背もたれを倒して、横になった。


「1人は寝てないといけない。帰りには逆に、起きていた人が寝る必要があるの」

 そういって目を閉じる。


「寝たあとぼくが京子のおっぱい揉んで帰ったら?」

 できれば、ここで怒らせて帰りたい。


 京子はむくりと起き上がって無表情でいった。

「2時間くらいで起きるから、訴えるよ」また体を横たえてそういう。

「すみません。ただ何もせずに帰ったら?」

「おっぱい揉まれたって訴えるからね、頼むよ。私はもう、長井を頼るしかない」


 京子は目を閉じて黙る。数分して問いかけると、応じなくなった。

「寝た?」そういって、肩を叩く。反応はない。


 ぼくは少しだけ迷ってから、前席の右についている赤いレバーを引いた。

 潜水艦は振動を始める。


 前席の前に設置されたディスプレイには2つの数字が並んでいる。1つは今日の日付。2007.10.04。もうひとつは1992.05.30。なんで15年前の今日ではないのか、聞けばよかった。





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