第6話 万能過ぎる下女

 練兵場には200にも及ぶ兵が集結し、厳しい調練に励んでいた。いつ人間の軍が押し寄せてくるか分からない為に、力の弱き末端や下士官は必死であった。


 その様子を遠くから見守るのは、主たるエイデンと愛娘ニコラだ。最近、昼の暖かな内は、城の外を散策するのが日課となっている。まだまだ抱っこを必要とする。それでも幼い好奇心を満たすには、新たな景色だけで十分と言えた。


「あっこ、あっこ!」


 ニコラが指を差す先は、一般兵たちが二手に分かれて訓練していた。攻守に分かれ、役割を適宜変え、激しくぶつかりあっている。


「もう少し近くで眺めるとするか。いずれはお前の手足となる者達だ」


 エイデンはニコラを抱き抱えたままで、そちらまで歩み寄った。主君の登場に気づいたのは、兵士長を任されるグレイブだ。


「者共、手を休めよ!」


 鋭い声により、兵士たちの喚声が止む。


「魔王陛下に、敬礼ッ!」


 訓練中であっても、主君への礼儀を忘れぬあたり、この人物の内面を如実に表していた。蜥蜴人(トカゲビト)である彼は、体も特別大きくなく、不思議な能力も有していない。しかし実直かつ忠義に厚い男で、歩兵の長としては適任なのであった。


「手を休めずとも良い。少し見物をしに来ただけだ」


「ハッ。それでは恐れながら、訓練の再開を」 


「続けてくれ。見物しても構わぬか?」


「異などございましょうか」


 歩兵隊は種族の統一は無く、いわゆる混成部隊だ。蜥蜴人、魔人、狼人に狐人など幅広く集めている。彼らは個としての力を持たない代わりに、絶妙なる連携によって侮れない働きを見せてくれる。ちなみに個体でも十分に強い者は、別の部隊へと配属される決まりとなっていた。


「様子はどうだ?」


 エイデンが短く問う。


「変わり有りませぬ」


 グレイブも温度感を揃えて答えた。


「本当か?」


 エイデン、念を押す。すると忠義者たる兵士長は、声を地に平伏させるかのようにして答えた。


「陛下。王命に逆らうようで、誠に申し上げにくいのですが……」


「良い。正直に申せ」


「マキーニャという金属生命体は、歩兵隊に収まるような器ではありません」


「やはりな。そんな気はしていたのだ」


 マキーニャを最強の兵士にしてみせると、クロウに約束したのであるが、彼女は既に強かった。少なくとも基礎調練など必要ない。体内に宿る魔力が尽きるまでは、延々と動き続ける事が可能なのだ。


「だが、お手並みくらいは見てみたい。何か試す事は出来ぬか?」


「では、早速ご用意いたしましょう」


 そうして設けられたのが、マキーニャ1人を多数で囲む会である。事情を知らぬものからしたら、私刑(リンチ)の類いにしか見えないだろうそれも、末端の兵たちは真剣な顔で挑んだ。余興だなんだと笑う声は一つとして無い。


「はじめっ!」


 グレイブの凛とした声が響くと、囲む兵たちは一斉に槍を突き出した。対するマキーニャは、跳んで避ける事を禁じられている。全てを払うか、細かく回避するしか、逃げ道は無かった。


「ほう、これは凄まじいな……」


 エイデンは思わず感嘆の息を漏らした。マキーニャの動きは、常識から遥かにかけ離れていたからだ。


 同時に繰り出された槍といえど、微妙な速度差がある。それを彼女は瞬時に把握してみせた。後は到達順に払えばよい。両腕で小円を描き、背後には蹴りを放つことで、向けられた大半の攻撃をいなしてしまう。 


(まだだ。時間差での攻撃が2つあるぞ)


 一呼吸だけずらした突きが、マキーニャの頭部に迫る。さすがに1打くらいは貰うだろう、と思われたのだが、そこは金属生命体だ。まったく予期せぬ動きで対処してみせた。


 なんと、亀が頭を引っ込めるが如く、自身の首から上全てを体内に隠してしまったのだ。そうして、最後の攻撃までも空を切る。すかさずマキーニャによる反撃があった。胸から巨大な触手を出現させたかと思うと、あらゆる槍を破壊してみせたのだ。


「うむ。確かにモノが違うな」


「陛下。この部隊は連携を第一としています。ここまで突出した者を組み込んでは、必ずや綻びが生じましょう」


「独立強襲隊に組み込むべきか。しかし、あの部署の連中は気難しい。細やかな訓練などせぬだろうな」


「簡単な武芸を仕込む、という程度でしたら、我らでも可能です。ですが実戦に投入する場合は、先程の点をご留意くださいませ」


「よかろう、考えておく」


 グレイブからの『成績表』を受け取っていると、マキーニャが近づいてきた。鼻を膨らませている辺り、なにがしかの手応えを感じているらしかった。


「カスご機嫌いかがでしょうか、魔王の端くれ様。本日もクソお日柄の宜しい事で」


「おぉマキーニャ。丁度お前のことを話していた」


「別の部署に移れ、という話でしょうか?」


「まぁ、それに近いものだ」


「ならばカス願います。親衛隊として活躍したいです」


「親衛隊だと? そんな組織は無いぞ」


 そもそも、エイデンこそが最強武力なのだ。彼の世話をすることはあっても、わざわざ守ってやる必要性は無いと言えた。


「端くれ様ではなく、御子様の警護を承りたく存じます」


「ニコラのか……。悪くない考えだが、果たしてお前が適任だろうか」


「むしろ私こそが適任でしょう。この体の特性を活かすことで、隙の無いご奉仕を実現するのです」


 マキーニャはそう言うと、腰の袋から邪山羊のチーズを取りだし、口の中へと放り込んだ。そして水筒を口に含み、案配を確かめつつ呷ると、嚥下(えんか)しては腰をシェイク。やがて『チーン』という鉦(かね)の音にも似たものが鳴ると、エイデンに向かって両手を差しのべた。


「整いました。では御子様を」


「意味がわからぬ。何の話だ」


「授乳でございます。先ほどの作業で乳が出るようになりましたので」


「その体でか?」


「おっと、完璧超人たる私としたことが。外側の調整を忘れておりました」


 今度は自分の胸元に手を当てると、盛大に膨らませた。伸縮自在の体ゆえに、そのフェチの者を熱狂させかねない程の乳房を即席してみせたのだ。さらに今のマキーニャは、訓練の最中に服の胸元を破いてしまっている。授乳するには、ある意味ではおあつらえ向き、とも言えた。


「では御子様。お昼のおっぱいを召し上がれ」


「やめろ。グレイブも止めてくれ」


「マキーニャ殿。たとえ形だけ整えても、さすがに乳をやるのは無理があるのでは?」


「いいえ腰巾着様。我が至高の体に不可能はありません。母乳と呼ぶに相応しき液体を乳房に集め、先端にも細かな穴を空けております」


「成る程。そのようであれば、授乳も可能……」


「不可能だ。私が金輪際、許さぬからだ」


 エイデンは当然ながら拒否する。これまで、娘が口に入れるものは、全て厳格に取り仕切ってきたのだ。今になってわざわざ、金属体から滴るミルクなど飲ませる気は更々無かった。


「さぁ全て整ってございます。どうぞ御子様を」


「ふざけるな。ニコラに妙な物を飲ませる訳がなかろう」


「ほう……それはつまり、端くれ様が存分に味わってからである。そう仰るのですね?」


「意味がわからぬ」


「この完璧なる煩悩ボディを堪能し尽くすため、途方もない淫行を申し付けるおつもりなのですね。ですが私は忠実なるしもべ。その悉(ことごと)くを受け入れてしまうでしょう」


「お前はどうしてこうも要領を得ないのだ?」


 終わりの無い舌戦が繰り広げられる最中、遠くから悲鳴があがる。そして砂煙を巻き上げながら全力疾走にて駆けつけたのは、シエンナであった。論戦の場に身を踊らせると、マキーニャを庇う位置で仁王立ちとなった。


 エイデンは事態が拗れた事を予見する。事実その通りとなった。


「何をしてるんですか! よってたかって女性に乱暴を働くだなんて、恥を知らないのですか!」


 エイデンは頭痛にも似たものに堪え、弁明を試みた。しかしそれよりも早く答えたのは、よりによってマキーニャだった。


「控えなさい豚足女。今は私は、端くれ様とどのような情事を貪るか討論中なのですよ」


「じょっ、情事ですって!?」


「真に受けるなシエンナ。戯言だ」


「で、でも、服が破かれてますし……」


「それは胸が膨らんだ結果だ」


「破けるほどの巨乳をご所望って事ですか!? 御子様の前で煩悩フルオープンにしたんですか!」


「あぁ……なんと不毛な会話であろう」


 より混迷を深める誤解。その渦中にあっても、余計な口を挟まないグレイブと、訓練を止めない兵士はある意味で頼もしい。しかし、できれば助け船のひとつも欲しいと思うのは、エイデンのワガママであろうか。


 終わりの見えない議論に痺れを切らしたのは、マキーニャであった。彼女は弁護してたらしいシエンナを強引に退けると、エイデンの側にズイと寄った。


「もはや議論は尽くされました。御子様ともども私に依存なさい」


「頑なだ。何がお前をそうさせるのだ」


「そこの豚足女よりも、優れているという証をこの私に……」


 言葉として聞き取れたのはここまでだった。マキーニャは目の光を一層暗くし、膝を折ると、その場に倒れ伏した。魔力が尽きたのである。これにて騒動は、未解決のままながら、ひとつの決着を迎えた。


「騒がせたな。ひとまず、こやつは居室に連れ戻しておく」


 エイデンはマキーニャの体を抱えながら帰路についた。その道すがら、新たに判明した彼女の性質についてボンヤリと考えていた。


 ひとつは、魔力が尽きる寸前であっても、当人に自覚症状が出ないこと。そしてもうひとつは、自身と彼女の気に入った対象については、暴言を吐かぬ事だ。


「それと、シエンナに向く対抗心も強烈だな。やはりオリジナルに対して、思うところがあるのか……」


 この環境下でマキーニャを親衛隊に任ずるかどうか。相当な迷いが生じた事は言うまでもない。遊軍に派遣するか、ニコラの側に置くか、彼の心は枝に垂れる枯れ葉のように揺れていた。



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