第25話 外伝 在原業平之章④

 秋葉原を拠点に勢力拡大を目論んでいた文屋康秀サイレントレイマンを打ち倒し、その街を手中に収めた在原業平ジェネラルが自らの根城に選んだのは、秋葉原駅の電気街口を出て少し北、中央通りを越えたとある地下劇場だった。

 暗がりの中、並べられた座席の中央に座り、手と足を組んで何も無いステージをただ見つめる業平に猿丸が話しかける。

「業平殿、そういう訳での、新宿は一先ず置いといてもええじゃろ。となれば池袋管轄区イケブクロリバティー持統天皇エンプレス首都解放戦線リベレイションフロントトキオ後鳥羽院キングエメリタスのどちらに仕掛けるか」

 三つの勢力はそれぞれの拠点で仲間を集っていたが今のところそれ以上の動きは見せていない。そして猿丸太夫モンキーマジシャンがその三勢力で最も恐れたのが崇徳院カラミティカイザーである。他の拠点を潰し、その勢力を糾合した後に崇徳院カラミティカイザーと事を構える、それが猿丸の打ち出した作戦だった。

「ふん、崇徳院カラミティカイザー ストクか、奴もいずれ倒さねばなるまいが……そうだな、猿丸サルの言う通り、後回しでも構わん。持統天皇エンプレス ジトウ後鳥羽院キングエメリタス ゴトバ、俺はどちが先でもいいが、いや、俺が顕現したのが東京駅、となると来た道を戻るのも面倒だな。ここは持統の小娘を先に蹴散らしてやろう。奴が築いた楽園を蹂躙する、猿丸サル、準備にかかれ!」

 業平の指示で猿丸太夫モンキーマジシャンが席を立とうとしたその時だった。大声を上げながら柿本人麻呂ミスターマロが劇場に飛び込んできたのだ。

「業平殿! た、大変ですぞ。外に強大な力を持つ詠人が現れ……」

 ――バリバリピシャーン!!

 その時、人麻呂の言葉を遮るように場内に轟音が響いた。たて続けに二度、三度、それは紛れもなく雷鳴。同時に閃光のような眩しい光が館内に射した。

 そして慌てて外に飛び出した三人の目に映ったのは、暗闇の中、腕を組み仁王立ちする壮年の男の姿であった

「我は菅原道真、強さを探究する者。ここに強大な力を感じ来てみれば、なるほど在原業平朝臣ジェネラルか、良き相手に巡り合えた。いざ尋常に勝負せよ!」

 雷鳴轟く暗がりの中、男が名乗りを上げる。そしてまるで他の二人が見えていないかのように、真っすぐその視線を業平に向けた。

「この雷の音、まさかとは思ったがやはり貴様か、雷神、菅原道真サンダーボルト! 貴様までもが既に顕現していたとはな。強さの探究者? よかろう、俺が貴様に真の強さというやつを教えてやろう。猿丸サル人麻呂マロ、下がってろ、こいつはお前らの敵う相手じゃねぇ」

「業平殿、ちょっとええか? 菅原道真サンダーボルト殿、お主も相当な力を持っておるじゃろ。儂らと一緒に来ぬか? そうすればこれからいくらでも強い奴等と戦えるがの?」

 素直に退いた人麻呂に対して猿丸が割って入った。もしもこの猿丸の説得が功を奏し、業平と道真のタッグが実現していれば、他の勢力を圧倒する力を持つことになっていたのは間違いない。

 しかし道真はその猿丸の誘いに迷わず首を振った。

「我が求めるのは強さのみ。他に強き者がいるならばいずれ相まみえるであろう。だが今は在原業平ジェネラル、其方と戦う以外に我の渇きは癒されぬ」

猿丸サル、聞いての通りだ、此奴はこう見えて生粋の馬鹿。それにな、俺も先程までは勢力がどうのと似合わぬ事を考えていたが、今この男を前に俺の心は歓喜に震えている。力と力のぶつかり合い、やはり戦いこそが俺の退屈を紛らわせる。どっちの強さが上か、試してみようじゃねえか、なあ、菅原道真サンダーボルトよ」

 業平がにやりと不敵な笑みを浮かべる。強き相手との戦いを心底楽しむようなその表情に、猿丸も肩を竦めて引き下がった。

「結構! 真に結構! それこそ力有る者の示す態度。さあ、いつでもかかってくるがよい」

「かかってこいとは随分余裕じゃねえか。ならまずは小手調べだ、歌術『竜田川リヴァイアサン』」

 業平の体から溢れた小手調べとは思えない大波が道真を飲み込み、砕けたその波から先程と同じ巨大な水龍が姿を現した。天に昇る様に空へと突き抜けたそれは、大口を開け鋭い牙をきらりと光らせ、上空から道真を睨め付ける。

「見事! 強さとは斯くも美しい。歌術『とりあへず手向山ダイダラボッチ』」

 両腕を組んだままで水龍と対峙する道真の足元で大地が盛り上がり、土の塊がやがて巨大な人の形をとった。腕を伸ばせば上空の水龍に届かんばかりのそれは巨塔。しかし業平はその姿に寸分の恐れも抱く事無く走り込み間合いを詰めた。

「でかけりゃいいってもんじゃねえ! 歌術『くくる水ブラッドスプラッシュ』」

 赤き血色の水が真っすぐにゴーレムの身体を貫く。そして上空から急降下した水龍がその土でできた頭を丸呑みにした。

『ゔおおおおぉぉぉ!』

 どさりっ、と膝を着く頭を無くした土塊、しかしその人形におそらく痛みは無く、体全体から発する雄叫びとともに大きく振りかぶった拳が業平の身体を捉えた。

「ぐっ!」

 それはまるで大型車両同士が衝突したような轟音とともに業平が後方へ大きく吹き飛ぶ。そして空中で辛うじて体制を立て直し着地した業平の口から赤い血が一筋流れた。

 さらに追撃の拳を振り上げるゴーレム、しかしその胴体を今度は狂ったようにうねる暴龍が水平に薙いだ。この一撃を以て、下半身のみを残した巨塊はさすがに状態を保てなかったのか、崩れ広がりながら大地へと還る。

「我の一撃で倒れぬとは、称賛に値する」

「はん、こんなもんじゃねえぜ。泥人形を屠った水龍の一撃、今度はその身をもって味わいな!」

 業平の言葉に反応したのか、荒れ狂うレヴィアタンが道真を飲み込まんと迫った。

「あんなものと一緒にされては困る! 歌術『神のまにまにエレクトリックパレード』!」

 それは雷神と謳われる菅原道真サンダーボルト渾身の歌術、無数の落雷が辺り一面に降り注ぐ。そして眩しいばかりの閃光の中、幾筋もの光が水龍の体内を巡り、次の瞬間爆散して霧の中に溶けた。僅かばかりの煌めきを残して、水の龍はその姿を消したのだった。

 襲い掛かる業平の強力な歌術を撃退し、道真が半ば勝利を確信したその時だった。消滅した水龍の陰から業平がさっと躍り出たのだ。

「捕まえた、ぜ。なあ菅原道真サンダーボルトよ、最後はやっぱり殴り合い、我慢比べだよなぁ」

 業平の真っ直ぐに伸びた右手が道真の頭を掴む。

「ぐっ、先の歌術は囮だったか。よかろう、在原業平ジェネラルの力、我が存分に味わい尽くしてやろう」

 互いの瞳が互いの瞳を捉える。その目はやはり笑っているようで。業平は我慢比べと言った。漢と漢の戦いに於いてどれ程打たれ傷付いても決して退かない、決して逃げない、それが業平の強さ。その傲慢さを裏付けるそれが業平の力。

「歌術『神のまにまにエレクトリックパレード』!」

「歌術『からくれなゐディープレッドインパクト』!」

 その声は同時に響いた。天から降り注ぐ雷が業平を貫く。紅き柱が天に昇り道真の身体から血飛沫が溢れる。

「まだまだ! 離さねえぜ。貴様のその血が枯れるまで。何発でも受けてやる、さあ来い!」

 雷鳴が轟く度、業平の体が揺れる。立ち込める煙、肉の焦げる匂い、耐え切れなくなった肉体が裂け迸る血液、その全てに業平は歯を食いしばり、そして笑った。

在原業平朝臣ジェネラル、見事なり。我は問う、強さとは何か。我は問う、弱さとは何か。強き者よ、またいつの日にか其方と再び相まみえん事を我は楽しみにしておる。悠久の時を越え、また必ず……」

 あれ程激しかった落雷の雨はいつしか止み、気付けば静寂が一面に広がっていた。業平の右手がふわりと道真の頭から離れる。そしてどさり、と音をたてて崩れた。仰向けで大の字に倒れる業平の視線の先には両腕を相変わらず組んだまま仁王立ちする菅原道真サンダーボルトの姿、しかしその目と口が再び開く事は無かった。

「最後で倒れちまうとは俺も焼きが回ったか。情けねえ、なあ猿丸サル人麻呂マロ。強さとは何か、か。そんなもん知らねえな、どうでもいい。だが弱さは何となくわかる。思い通りにならない心、なあ道真さんよ、俺もあんたもまだまだ強き者には程遠いな……って聞いちゃいないか。ふん、立ったまま逝ったか、菅原道真サンダーボルトは最後まで菅原道真サンダーボルトだったと。いいだろう、今日のところはあんたの勝ちだ」

 業平の言葉が途切れるのを待っていたかのように、道真は光の粒となり散った。最後の瞬間、その口元に僅かな笑みを湛えたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。

 兎も角、その濃さを増す霧の中、自らの敗北を口にはしたが、結局残ったのは在原業平朝臣ジェネラルだった。

猿丸サル人麻呂マロ、俺は疲れた。貴様等もしばらくは好きにするがいい」

 東の空が薄っすらと白い。知らぬ間に夜は明けかかっていた。

「次の夜、そう陽が沈み世界が闇に溶ける時、俺は宴を始める。戦いの狼煙、強き者のみが生き残る狂乱の宴、道真の分まで暴れてやろうじゃないか! いいか、それまでは俺を起こすな。貴様等も英気を養え」

 業平の言葉に猿丸太夫モンキーマジシャン柿本人麻呂ミスターマロは昂り震える鼓動を抑えきれずにいた。在原業平朝臣ジェネラルの描く世界は力と力がぶつかり合う強者の楽園、蹂躙こそが求められる弱者にとっての地獄。

 しかし彼のその宣言が果たされることは無かった。


 ここから数時間後、業平は夢島ゆめのしま貫之かんじ綾川あやかわ真理まり、二人の詠人召喚士ポエトマスターと邂逅することになる。そしてその時既に猿丸太夫モンキーマジシャン柿本人麻呂ミスターマロは敗れて散った後だった。


 これは余談だが、夢島ゆめのしま貫之かんじが事態の黒幕であった藤原定家を打ち倒し、全てを終わらせたその帰路、真理が尋ねたことがあった。

「ねえ貫之、結局詠人で一番強かったのは誰だったのかしら? 藤原定家? 崇徳院? それともあんたの藤原不比等?」

「そうだね、藤原定家はその権能で他の詠人じゃ対抗できなかっただろうし、崇徳院の怨念には立っていられない程の恐怖を感じた。もちろん不比等もそれらに匹敵する強さを持っていたのは間違いない。それに後鳥羽院や他の歴代皇帝ロイヤルナンバーズも対等な条件で戦ったら誰が勝ってもおかしくはないと思うよ」

 崇徳院は天智天皇の力を抑えるために力を使い万全ではなかった。後鳥羽院も八重洲地下街に自らの領域を造るためにその力の大部分を使っていた。彼らが単に一人の戦士として戦ったのなら、はたして自分は勝つことができたのだろうかと貫之は思っている。そしておそらくそれは間違いでは無かった。

「でも、それこそ単純な強さ、という事なら、おそらく彼なんじゃないかな。唐突に現れて、そして唐突に去っていった……」

 どこか憧憬の籠った貫之の言葉に、真理も一つ頷きを返す。

「ああ、彼ね。確かに、強かったわ。理由も無く、思想も無く、そして意味も無く……純粋にね」

 ちはやぶる神代も聞かず竜田川、からくれなゐに水くくるとは……


「そう、在原業平朝臣ジェネラル

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