第23話 外伝 在原業平之章②

 ここで業平が北へその進路をとったのは特に理由があっての事ではなかった。それは一つの偶然にしてほんの気まぐれ、だがその気まぐれの持つ意味ははたして大きい。

 もしも彼がここで踵を返し、東京駅、はたまたその地下街に足を運んでいたならば、或いは気の赴くままに西に歩みを進めていたならば、この先、夢島ゆめのしま貫之かんじが紡ぐであろう物語はまた違った結末を迎えていたのかもしれない。それは結局選ばれなかった物語ストーリー、一つの可能性としての決まらなかった未来で。

「風……」

 霧の中、僅かばかりの躊躇も見せず淡々と北を目指した業平の頬を、一片の風が撫でた。それは微かに暖かみを帯びた西からの風。

「この風、この匂い、都からは程遠いようだがここはやはり日本の国か」

 歩みを止める事無く業平は呟く。そしてかつて自分がいた美しき風景を自然脳裏に思い描いた。

「小川のせせらぎ、鳥のさえずり、草と土の匂い、それをこのような固い石の塊で覆うとは無粋の極み。いつの世から人は心を持たなくなったのだ」

 頭上に見える石の橋、それは現代でいうところの高速道路に向けて業平は右手を掲げた。

「いっそ俺が壊してやろうか!」

 僅かに怒りを帯びたその声に合わせて上げられた手を、しかし直ぐ様業平は収めた。

「ふん、くだらぬ」

 何事も無かったように業平は変わらぬ様子で歩みを続ける。目的も無く、只々ひたすら北へ。そんな彼がやがて辿り着いたのは秋葉原の街だった。

 再び頭上を見上げる業平の目に映ったのは高くそびえる高層ビル、その一面に描かれたアニメのイラスト。彼はそこで足を止めた。東京駅を出発して以降、一度も止まる事が無かったその足を、ここで初めて止めたのだ。

「これは……いや、悪くない。胸に突き刺さるこの感じ、これはなかなかに風情があるではないか。なるほど自然の美しき調和を完膚なきまでに叩き潰し、その上に人の手で新たな美を表現せしめる、か。面白い、現人まれびとのそれも侮れないな」

 しばし一枚の画を鑑賞し尽くした業平は再びゆっくりとその一歩を踏み出した。彼が立ち入ったそこは秋葉原、かつては日本屈指の電気街として栄え、今ではある種の日本文化を惜しみなく発信し続けるそれは背徳の街。

 至る所に散りばめられた少女のイラストはあたかも此岸と彼岸を隔てる結界の如く、その場所が既にであることを明確に示していた。

「……よし、決めた。俺はここに留まる。今からここが俺の居城だ」

 誰に宣言するでもなく業平は言い放つ。この世に顕現してから常に退屈さを湛えていた彼のその両目に初めて光が満ちた。そして更に街の中心へと目を向けたその時だった。

「おやおや、そのような事を勝手に申されては困りますぞ」

 建物の隙間から一つの影が躍り出た。

「私は柿本人麻呂ミスターマロと申す歌人、この街は我ら新詠人軍団ニュージェネレーションのもの、勝手は許しませぬぞ!」

「ほぅ、この街に既に先客がいたと。貴様も詠人の一人か、柿本人麻呂ミスターマロ。俺は在原業平ジェネラル、貴様のような雑魚に用は無い。その新詠人軍団ニュージェネレーションとやらで一番強い奴を直ぐにここへ呼べ。それとも貴様が相手をするか? 実力の差がわからぬわけでもあるまい」

 雑魚と断じられた人麻呂マロが顔を強張らせて業平を睨む。自尊心はあるのだろう、しかし業平の言う通り、六歌仙ゴッドシックスの名を聞いてそれでも一人で立ち向かえる程の力は人麻呂マロには無かった。

「ぐぬぅ、おのれ、其方とて同じ詠人ではないか。よいかよく聞け、こちらにも六歌仙ゴッドシックスが一人、文屋康秀サイレントレイマン殿がおわす。戦えば貴様とて無事では済まぬぞ」

 人麻呂マロが間合いを見計らいつつ吠える。その言葉に業平がピクリと片眉を動かす。

文屋康秀サイレントレイマン、ふん、あの俗人がここにいるのか。面白い、少しばかり退屈していたところだ、貴様は見逃してやるから早く呼んで来い」

 業平の強弁に人麻呂マロがその肩を震わせながら踵を変えそうとしたところで、それを遮るように霧の中から二つの影が姿を見せた。

「おや? おやおや、おやおやおや、これは在原業平ジェネラルさんじゃあありませんかぁ。呼ばれなくても来ちゃいましたよぉ。退屈? 退屈、退屈。そうですかぁ、業平さあんは退屈してらっしゃる? それはいけませんねぇ、こんなに素晴らしいぃ場所に、時代に、せっかく顕現できたというのに!」

 そう言って現れたのは紺のスーツに身を包み何故か狐のお面を被った細身の男だった。詠人とは思えないその装いはしかし妙に様になっている。そして何処で調達したのかパーティーグッズにしては細部まで確りと作り込まれた狐面に業平は思わず肩を竦めてみせた。

「え? この被り物? わかります? いいでしょう、これ。この街は素晴らしい物で溢れていますよぉ、業平さんも如何ですぅ? 何なら僕が良いお店、案内しますよぉ」

「何言ってんだ、文屋康秀サイレントレイマン、相変わらず馬鹿か貴様。俺がそんな恰好出来るわけがねぇだろう、風情の欠片も無い。ちったぁ隣の爺さんを見習え」

 業平はそう言って文屋康秀サイレントレイマンの隣に佇む老人に目を向ける。視線を受けた老人、猿丸太夫モンキーマジシャンは詠人らしくきちりと着物を着こなし、ほぅほぅ、と愉快そうに笑っている。

「康秀に何を言うても無駄じゃて。儂等とはその何というか、感性が違うておるわ」

「感性? 感性、感性! 酷いなぁ、猿爺、ほら郷に入っては郷に従えって言うでしょう。僕は現人まれびとさあんのそれに倣っているんですぅ!」

 その二人の漫才のような掛け合いに心底呆れたような表情で業平が割って入る。

「もういい! 俺はここに来るまでそんな恰好の現人まれびとは一人も見なかった。貴様の趣向などどうでもいいわ。そんな事より貴様はここで何をしている?」

「ふぅん、短気は嫌われますよ、業平さん。僕はね、ここで力を集めているんですよ。せっかくこの世に顕現したんです、もっと他の街とか見てみたいじゃあないですか。それなのに既に各地で強い詠人さん達が縄張り争い始めちゃってるんですよぅ、知ってました? 業平さん」

 狐面の下で文屋康秀サイレントレイマンの顔がにやりと歪む。

池袋管轄区イケブクロリバティー持統天皇エンプレス ジトウでしょ、首都解放戦線リベレイションフロントトキオ後鳥羽院キングエメリタス ゴトバ新宿混沌領域カオステリトリー崇徳院カラミティカイザー ストク。今更、歴代皇帝ロイヤルナンバーズの下につくのも面白く無いじゃないですかぁ。だからね、僕はここで第四の勢力を集めているんです。秋葉原で、この光と影が入り乱れる背徳の街で、でっかい花火を打ち上げましょうよぉ!」

「そんな訳でのぅ、どうじゃ、在原業平ジェネラル殿も儂等と一緒に来てくれんかのぅ。貴殿が我ら新詠人軍団ニュージェネレーションに加わってくれれば他の勢力と事を構えるに十分じゃ」

 彼等の言う通りここに集った詠人は一言で言えば一種のはぐれ者達である。彼等は主義も主張も、目的さえも持ち合わせてはいない。藤原定家が創り出した騒音ノイズ、しいて言えばそれが彼等の役割であった。

 猿丸太夫モンキーマジシャン柿本人麻呂ミスターマロの視線が業平に向かう。文屋康秀サイレントレイマンだけはその仮面に遮られて視線が読めなかった。

「ふむ、貴様等の言分はよくわかった。そうか、歴代皇帝ロイヤルナンバーズが既に動いている、か。なるほど確かに気に食わぬな」

 そして業平は文屋康秀サイレントレイマンを睨んだ。まるで汚らわしい物でも見るような侮蔑に溢れる表情で。

「だが言っておく。俺は康秀、貴様が大嫌いだ。貴様のような俗物が俺と同じ六歌仙ゴッドシックスに数えられているなどということが何より許し難い。俺のこの街に貴様は不要だ!」

 業平の言葉に気圧されて猿丸太夫モンキーマジシャン柿本人麻呂ミスターマロが一歩後ろに下がる、と同時に文屋康秀サイレントレイマンが前に出た。相変わらず表情の見えない狐面が微かに揺れる。そこにはけらけらと軽口を叩いていた先程までの雰囲気は既に無く。

 それは交渉決裂の証、開戦の狼煙だった。

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