第17話 天智天皇之章①
「貫之、終わったぜ」
「ああ不比等、それに蝉丸さん、ええと小野小町さん、みんなご苦労様」
笑みを湛える不比等、肩を竦める蝉丸さん、それに僕を真っすぐ見つめるマチコ。
「私の事はこれまで通りマチコで構いません。貫之様、行きましょう、
マチコの声にこれまでの幼さは既になく。やはりそれは歴史に語り継がれる絶世の美女、小野小町その人だ。
天智天皇の居場所も彼女にはわかっているようで、案内人のような確かな足取りで歩を進める。僕達はそれに付き従い、着いた先は同じフロアの別室。この中に天智天皇がいるのか。
「
扉の先にいたのは高貴な衣に身を包んだ男。この人が僕が探し求めた天智天皇か。
「ああ小野小町、よく戻ってきてくれたね。貫之殿、私は貴方を待っていました。さあ、こちらへ」
柔らかな物腰の天智天皇に促されて僕は席につく。捕らわれていると言っていたが、無理矢理拘束されているといったわけでもない様子だ。
「
「私は三十八代天皇、天智です。よく来てくれました。それにここまで
天智天皇の話によると、彼は崇徳院の力によってこの部屋に幽閉されており、外に出ることも、そして歌術を使うことも出来なかったようだ。
幽閉される直前、身の危険を感じた彼は、まだ現世に顕現していなかった小野小町をマチコの体に移し、自分を助けてくれるであろう
生憎、小野小町の意識とマチコの体は完全に同化することなく、記憶を失った彼女は
「この世界に顕現した私は新宿の混乱を知りこの地に赴きました。しかしこの街の濃い瘴気によって既に復活を果たしていた崇徳院は思いの外強く、
なるほど崇徳院はあれでまだ本来の力ではなかったという事か。
「今、崇徳院が倒れたことによって私の力は解放されました。私の残る力の全てを使い貴方の望むまま、東京を覆う厄災の霧を払いましょう」
「はい、そのために僕はここに来ました。でも天智天皇、貴方は今、全ての力と仰いましたね。その力を使った後、貴方はどうするのですか?」
僕の問い掛けに、しかし彼は優しく微笑んだ。
「貴方が案ずる事はありません。ここは私達が本来在るべき世界ではない。ここに顕現したは
天智天皇の真っすぐな瞳が僕を捉える。
「ですが、私の力をもってしても霧を晴らす事が精一杯。他の在り得るべからざる存在を消す事は叶いません。貴方にはもうしばらく苦労をかけることとなるでしょう」
霧とヨミビトは別、ということか。
「天智天皇、マチコは、この少女はどうなるのでしょう?」
彼女は今ではすっかり小野小町だ。その彼女が僕と天智天皇の視線を受けて口を開いた。
「私の役目は終わりました、この体はお返しします。彼女の記憶は私が
そう言って彼女、小野小町は僕に頭を下げ微笑んだ。その笑みはやはり妖艶で美しく。
「花の色はうつりにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに。小野小町さん、僕は貴女の容姿は知らない。だけど貴女が本当に心優しい女性だという事はここ数日で知りました。貴女がいなければ、きっとマチコも無事ではなかったでしょう、お礼を言うのはこちらの方です。今までマチコを守ってくれてありがとう。貴女のお茶、美味しかったですよ」
彼女の瞳から一筋の涙が零れた。そして僕を見据えてにっこりと微笑む。それは初めて会った時のような少女の笑みで。
「では参ろうか、
天智天皇の体が眩い光を放ち、ゆっくりと天に昇ってゆく。その体が薄れ全く見えなくなった時、窓から光が射した。久しぶりに見る太陽の光、それは淡く優しい天智天皇の意志そのものだった。
と、どさっという音を伴ってマチコの身体が脚から崩れ落ちる。
「大丈夫か、マチコ!」
「うう、私は……え? あなたは?」
どうやら体に問題は無いらしい。小野小町によると彼女のここ数日の記憶は無いという。当然僕の事もわからないだろう。
「僕は
「私は……そうだ、突然街が霧に覆われて……」
マチコはゆっくりと自分の記憶を確かめているようだ。
「あっ、ごめんなさい、私は
僕の視線に気付いた様子で自己紹介を始める彼女。なんと本物の巫女さんだったのか。それにしても日神神社、何処にあるんだろう、聞いた事ないな。
「急に濃い霧に包まれて、晴れる様子もなくて、それで祈祷を行っていたんです。そうしたら狂暴なお坊さん達が押し掛けてきて……そうだ、そこで誰かに助けてもらったような。その後は覚えていません」
どうして詠人が彼女を襲ったのかはわからないが、助けたのはおそらく天智天皇だろう。彼は自分の身を案じて小野小町を真千子の身体に宿したと言っていたが、それは彼女を助けるためでもあったのかもしれない。
「霧は今晴れたよ。でも君を襲ったような連中はまだ消えていないから神社に戻るのは危険だと思う。しばらく僕の知り合いのところに身を寄せていた方が安全だと思うけど、それでいいかな?」
事情を知らない彼女をこのまま僕に同行させるのはさすがに憚られる。知り合いというのは僕の会社の上司であるハルコさんの事だが、彼女なら真千子を守ってくれるだろう。多分あれからずっと会社にいるはずだ。
そう思った僕の提案に真千子は素直に従った。
「じゃあ行こうか、ええと真千子でいいかな?」
「はい、貫之さん。お願いします」
不比等を召喚システムに戻した僕は、蝉丸さんの歌術で再び会社へと飛んだ。
「貫之クン? ああ、やっぱり。君は突然やってくるね」
カチカチとキーボードを叩く手を休めず、僕の方を見ないままのハルコさんが呟く。
「ハルコさんはずっとそのままですね。灰皿くらい綺麗にしましょうよ」
彼女のデスクに並んだ灰皿は五つ、その総てに吸い殻が盛られている。まるで生け花のようなそれを片付けながら、僕はハルコさんに真千子の事を話した。
「ふぅん、そこの美少女が真千子さんね、いいよ。といっても私が別に何かするわけじゃないけど。ここに居ればしばらくは安全さね」
「宜しくお願いします」
真千子が頭を下げる。前髪の揃った綺麗な黒髪がふわりと揺れた。
「それで貫之クン、彼女をここに預けるってことは、まだ事態は改善してないんだよね。さっき陽が射したから霧は晴れたんだろう?」
作業が一段落したのだろうか、ハルコさんが手を止めて僕の顔に視線を向けた。
「ええ、霧は晴れました。でもハルコさんを襲ったような暴漢は未だにその辺りをうろついていると思いますので気を付けて下さいね」
そういえば階下の様子も気になる。ハルコさんにのされた
「嬉しいねぇ、心配してくれてるのかい。でも心配ご無用、お姉さんは強いからね。それでこの事態はいつ終わるの? キミが終わらせるんでしょう? 終わったらご褒美に私が奢ってやるから飲みに行こう」
おっと、最終ステージはハルコさん相手に居酒屋か。これは力を残しておかなくては大変な事になるな。『
「……楽しみにしてますよ。そうですね、明日終わります。明後日の朝は底値の銘柄を全力で買い戻しても大丈夫です」
「ふむ、まあ貫之クンが言うんだから間違いないんでしょう。わかった、ここは私に任せてもう一頑張り行っておいで。そこのお爺ちゃんは残らないのかい?」
「ええ、このお爺ちゃんはこう見えて実は結構狂暴なんです。か弱い女性二人の元に置いておくなんて出来ません。それじゃ行きましょうか、蝉丸さん」
次の行き先はもう決まっている。僕は蝉丸さんが出したゲートの前に立つ。すると蝉丸さんが後ろから僕のお尻を思い切り蹴った。
「誰が狂暴なジジイじゃ!」
僕はゲートに吸い込まれた。
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