12月25日の矢印

美海未海

矢印と白

『お願いがあります』


 帰宅してすぐ、ぴこんと音が鳴ったのに気づきスマホに目をやると、そんなメッセージが来ていた。送り主の名前には『雪姉ゆきねえ』という二文字。


 ―――

 雪姉とは隣の家に住んでいる女性の名前だ。小さい頃から良くしてもらってて、学校も一緒で、仕事場までも一緒。幼馴染というか腐れ縁というか……とにかく長い付き合いなのには変わりがなくて、一つ変わったことがあるとすれば、それは――

 ―――


 一度深呼吸して画面を見る。いつもならその二文字に、続く文字列にどきどきして、心を弾ませて、メッセージをすぐ開いて既読マークをつけていたに違いない。でも、今日は手が動かなかった。先程見た電波時計には0度と表示されていたっけなんて、何かを誤魔化すように寒さのせいにした。


 ぴこん


 またメッセージがホーム画面の時計に覆い被さった。


『25日。君早番なんだけど、私勤務変更したくて……私の遅番と代わってもらってもいい?』


 通知に映るその文字列は思っていたよりすんなり頭に入った。というか、「そっか」と口にしていた。わかってしまった。『君』という文字だけは受け入れ難かったけれど。


「12月25日か……」


 そう呟いて、エアコンを25℃に設定して、脱ぎ忘れていたダウンジャケットをハンガーに掛ける。玄関で払ったはずなのに少しばかり白が紺を染めていて、それを人差し指でなぞった。ふと、壁に掛けてあるカレンダーに目がいった。12月の別の名は、春待月。



 逃げるように目を背け、ソファに座る。ふぅーと息を吐いては目の前をもやもやと白が漂う。

 両手に広げているのは確認するための勤務表。彼女と自分の列の数字をなぞるように、照らし合わせるように見て、それから他の列も見る。


「そっか」


 またそんな言葉が零れる。その日の早番は上の職の人ばかりだった。たぶんお願いしづらいから俺しか頼れる人がいなかったんだろう。

 悪い気はしなかった。なんなら頼られて嬉しかった。手にしたコーヒーにひとつも砂糖を入れずに飲んだくらいには。


 彼女の列をつらつら眺めていくと、その日の遅番の数字の横に、『休』、『休』と続いているのに気づいた。頭をよぎるものがあるが振り払った。俺は何を想像しているのだろう。これでは単なるストーカーだ。彼女を傷つけることだけは絶対にしたくない。この日は、何もないといえば嘘になるけど、別に断る理由にはならないから。だから――


『いいですよー』


 そう返信して、スマホを手に持ち自室に向かうため立ち上がる。


 ぴこん、ぴこん


『ありがとう』

『いつもありがとう』


 続け様に返信が送られてくる。大体内容はわかってるけど通知を見て自室の扉の前に座った。腰が抜けたみたいに。ポケットからペンを取り出して、勤務表の数字に丸をして矢印をつけた。手はやはりあまり動かなかった。


 次に、メッセージを開いてしっかりとそれを確認してから、プロフィールに飛んで前にあった文字を消して『雪先輩』という文字を入力した。

 

 外では雪が音を立てている。その日にはまだ早いのに。安堵からなのか、寂しさからなのかはわからない。けど、自然と口から白が舞う。


「メリークリスマス」



 その言葉は、届かない。









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