02.忠告と恐怖

「最後のターゲットは……『コウキ』だ」


 声に出されなかった彼の確証に満ちた言葉が、鎖のようにコウキを縛り付けていた。


 あの男と関わったばかりに、逃走の手助けをしたと疑われ、勝手に過去を探られ、殺人現場を見せ付けられて、殺人犯扱いで監禁もされた。これ以上の不幸はそうそうない。


 無視したいのに気になってしまうのは、彼がコウキに対して嘘を吐かないからだ。誤魔化したり答えないことはあっても、バレるような嘘は吐かない。


 わざわざ呼び出してまで伝えたということは、自衛しろという意味だろう。


 ましてや彼はコウキのことを『稀有なる羊』や『最愛の犠牲者』といった抽象的な呼び方をした。わざわざ名前で呼ぶときは要注意なのだ。


 寒い廊下を進んだ先で、ロビンは椅子に腰掛けていた。珍しく動かないので、眠っているのかと思えばそうでもない。手元の書類をじっと読み耽っているようだった。


「ロビン」


「ああ、少し待ってくれ」


 普段は読みかけの本でも放置して相手をする男の真剣な声色に、小さく頷いて椅子へ落ち着いた。以前の椅子より座り心地のよいクッションは柔らかすぎず硬すぎず、上質な生地でコウキを包み込む。


 ……ロビンの選択だな。


 確証を持って椅子の肘掛けの装飾に触れた。アンティーク調の椅子は芝居がかっていて、あのじつを重んじる上司には似合わない。おそらく値段は高い物だと判断し、コウキはそこで椅子についての考察をやめた。


 ロビンが顔を上げたのだ。


「待たせたね、稀有なる羊」


 いつもの綺麗な笑みを浮かべる。作った表情を見抜かれるのを承知で浮かべられる口元の笑みは、すでに彼の一部として当たり前になっていた。


「それは?」


 手元の資料を視線で指し示せば、彼はあっさりと書類をこちらへ放り投げた。足元に落ちた書類を拾い上げれば、そこには複数の遺体のカルテと写真が並んでいる。


「殺されたのは若い男女、整った顔、美しい黒髪、そして……優秀な頭脳。神が与えたもうた幸を一身に纏う者たちだ。寵愛されたアベルのように、カインに恨まれ妬まれる存在」


 一流大学で優秀な成績を収める面々は、一様に黒髪だった。人種により好みや差はあるだろうが、顔立ちも整っているという点で否定されることはない。モデル達の写真だといわれても違和感ないほど、彼らは似たような雰囲気を持っていた。


 人を寄せ付けない、一種独特な雰囲気だ。生きていたときの写真がある者はそれが顕著だった。


「またお前の指示か?」


 ロビンが裏で糸を引いているのだろう? そう突きつけたコウキに、彼は大げさに両手を天に向けて嘆いた。


「ああ……なんという盲目。神に愛されし『稀有なる羊』は、すべての罪をこの『穢れた死神』に押し付けるのか」


「違う、と?」


 今までの経緯を考えれば、ロビンが主犯で実行犯が別にいると考えるコウキの判断は正しい。確かにロビンは裏で事件を操ることもあった。コウキを『こちら側』へおびき寄せる為だけに。


 沢山の人間を殺し、刻み、それでも平然としている男が『今更』罪のひとつやふたつ増えたところで気にする筈がない。


 今回は無実だと訴える男に溜め息を吐き、続きを聞くために先を促した。


「彼らの美しさを見ろ、まるで絵画のようだ」


 人種や好みの違いはあれど、彼と彼女らが美しくないと否定する人間は少ないだろう。素直に頷いて見つめる先で、ロビンはにっこりと邪気のない笑みを浮かべた。


「『死神』が地上にあれば、この羊たちは獲物となっただろうね」


 自分が自由なら己の手にかけたと物騒な言葉を残し、踵を返した稀代の連続殺人犯は1枚だけ抜き取っていた写真をコウキに提示した。


「彼だけが違う……『コレ』はオレの獲物に『なれない』」


 獲物ではない、なることができない!?


 特別な言い回しをしたロビンは椅子に腰掛け、おもむろに両手を組んだ。指を絡めた先で、左手の親指の背を右手の指腹で撫ぜる。考え事をする際の彼の仕草は以前にも見たことがあった。


「獲物の条件は?」


「ふむ。それを約束の質問と考えていいなら、答えるが?」


 以前に彼から提案された『嘘なしで5つの質問に答える』という言葉が浮かんだ。ここで使ってもいいのか、もっと重要な質問はないか? 迷いが生まれたコウキが視線をそらす。


「稀有なる羊、迷いは罪を生む。あの愚かなサロメのように」


 あの場で殺された男は、公的な死人に殺された為に病死という形で片付けられた。まるですべてが決まっていたみたいに淡々と片付けられ、最後はなかったことになる。


 手傷を負いながらも平然と笑う男は、かつて赤い血に塗れた両手を解いて右手を傍らの聖書の上に置いた。


「今夜はここまでにしよう、また明日……待っているよ、稀有なる羊」


 それきりコウキの存在を無視して聖書を引き寄せるロビンの姿に、手元に残された資料をまとめて看守に渡す。立ち去るコウキの足音が聞こえなくなる頃、やっとロビンは顔を上げた。


「飲み物を」


 看守に用意するよう指示し『ロトの罪を戒めた』聖書のページを閉じる。





 地下室から地上に戻り、ようやく一息ついた。


 深呼吸して吸い込んだ夜風は冷たく、湿っている。雨が降るかもしれない。


「…っ」


 約束の質問という単語を聞いたとき、不思議な恐怖がコウキを襲った。彼との関係も、世の中からも隔離されるような……足元の大地が消える恐怖に似た感覚だ。


 ぞっとした瞬間に身を震わせれば、風に黒髪がさらわれる。


 ―――これは荒れるな。


 それが天候なのか、この事件についてか。自分でも判断できないまま、漠然とコウキは曇り空を見上げた。

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