10.答え合わせ

 最初から『彼』は言っていたのだ。


『サロメが犯人だ』と――サロメは女性という意味ではなく、殉教者ヨハネの首を欲した罪深き存在の象徴と考えるべきだろう。


 ならば、今までの捜査の考え方が間違っていた。


『殉教者ヨハネは誰か』


『神に魅せられた殉教者を取り戻そうとするサロメは?』


 サロメを探すより先に、ヨハネを見つければ簡単に解決できる事件だ。そして死体を『作る』必要はなく『調達』できる立場と職種は限られていた。


 犯人は――彼しかいない。





 ロビンは手元のカップを引き寄せ、豆から挽かせた珈琲に口をつける。香り高い珈琲を二口飲み込み、ゆっくりカップをベッド脇のサイドテーブルに置いた。反対の手で開いていた聖書を音をたてて畳み、枕の上に放り出す。


 珍しく彼を監視する看守の姿はない。二人きりであっても今更だった。事実、ロビンの態度は変わらない。


 座っていたベッドの上で足を組んで、近づく人影に笑みを向けた。


「謎は解けたか? 稀有なる羊」


 無言で頷いたコウキが置かれた椅子に腰掛けるのを待って、手を組んだロビンが静かに切り出す。


「死体を作ったのは?」


「……彼ではない」


「そうだ、彼は作られた死体を利用しただけだ。切り裂いて並べ、死神へのメッセージとして利用した」


「いつから気づいていた?」


 苛立つコウキの声は鋭い。その響きに小首を傾げた男は組んだ手を解いて前髪を掻き上げた。


 悪びれない様子と答えそうにない態度を、いつものことだと溜め息ひとつで割り切るコウキが目を伏せた。


 視線をそらされた瞬間、ロビンはゆっくりと説明を始める。


「お前が事件に巻き込まれたと連絡があった時から、気づいていたさ」


 立ち上がって踵を返す男の背で、三つ編みが蛇のように揺れた。


「彼から『死の匂い』がした。懐かしくも愚かな匂いだ。男の白い袖の内側には、きっと赤い血が染みていただろう」




 こつんと足音が響く。


「自ら死体を作る必要はない、ただ届く哀れな被害者達を切り裂くだけでいい。交通事故、転落事故、銃弾を受けて傷ついた獲物の無事な部位を切り落として、血が固まってから運ぶだけでよかった。見咎める者もない時間帯、彼は自由に死体を持ち込めた筈……」


「ああ、研究所へ大きな荷物が配達されることは少なくない」


 宅配業者を装うか。または実験に必要な機材を搬入する業者を名乗るか。


 どちらにしても誰も呼び止めず、『サロメ』はスムーズに死体を並べることが出来ただろう。まるでショーを演出する監督のように、意味を持たせたフリで無意味に死体を室内へデコレーションした。


 すべてを知ったようなコウキの言葉に頷いたロビンが振り返る。じゃらり、鎖が乾いた音を立てた。




 そして、再びこつんと足音が響く。


「では答え合わせの時間だ、稀有なる羊――『サロメ』は?」


 両手を広げて友人を迎えるように笑ったロビンが、さらに口元の笑みを深めた。


 音はなかった。


 白いシャツに赤い花が咲き―――崩れ落ちる。


「っ!」


 檻の中、がくりと膝を折ったロビンがそれでも倒れこむ直前で床に手を着いた。かろうじて体を支えた彼の口元から赤い血が零れ落ちる。丸い王冠型に広がる血は鮮やかで、すぐに上からこぼれた朱に塗りつぶされた。


「!、ロビ……ンッ」

 驚きに駆け寄ろうとしたコウキは、背後から響いた足音に身を竦ませて振り返った。金属がすれる音がして、振り返った視界で己に向けられた銃口に気づく。


 そうだ、足音がしていた。ずっと……ロビンは足音など立てなかったのに、今日だけは後ろから足音がしていたのだ。こつりと革靴の硬い音が聞こえ続けていたのに――なぜ気に留めなかった?


 護衛と監視を兼ねた看守がいなかった理由も、この男が犯人なら説明が付く。


「答え合せの続きを」


 淡々と促す男は銃口をコウキに向けたまま、当然の権利のように檻の前に置かれたコウキの椅子に腰掛けた。


「いいだろう」


 ごくりと唾を飲んだコウキの口が、からからに渇いた唇の間から声を紡ぎだす。


「『サロメ』は警察関係者、それもかなり上の地位にいる男だ。運ばれたばかりの死体を勝手に損壊し、大学の研究所へ運び込むことを命令できる立場にいる。指を落とした死体は、検死官だった筈。何らかの脅迫か理由で協力し、手違いで指を切り落としてしまった。その血が別の死体に混じったことで『サロメ』の怒りを買い、口封じをかねて殺されたのだ。検死官はタンクの前まで歩いていかされ、最後に突き落とされ溺死したと思われる」


 突きつけられた銃口を無視したように、淡々と事実だけを読み解いていく。


 わかってしまえば簡単すぎた。あの改装中のテニスコートは関係なく、死体となった彼らを殺すのに体格がいい必要もなかった。死体を切り刻むだけなら、細身の小柄な女性でも可能なのだから。


 既成概念にとらわれていたのだ。それを捨てた瞬間、すべてがひとつの方向へ向かっていると気づいた。


「死体を損壊したのは、運ぶのに大きすぎる荷物を小さくする為。そして事件を複雑そうに見せかける為だ。それによって『ヨハネ』をおびき出すことができる。『サロメ』は『ヨハネ』を事件にかかわらせる為だけに、俺の研究所を選んだ」


 俺が『ヨハネ』であるロビンのお気に入りだった、ただそれだけのことで選ばれたのだ。


 だから犯人である『サロメ』は貴方しかいない。


「そうでしょう?」




 パンパンと手を叩く音に、コウキは驚かなかった。


 檻の中で赤い血に塗れながら、それでも口元の血だけは袖でぬぐったロビンが檻に寄りかかって立っている。拍手を送ったロビンが大きく胸を波打たせて息を吐き出した。


「どうやら稀有なる羊の勝ちのようだ……愚かなヘロディアの子『サロメ』よ、『ヨハネ』の首をもって行くか?」


 息苦しいのか、声はいつもの朗々とした響きを持たず掠れていた。


 まるで己の首を獲れと命じるように、ロビンは微笑みすら浮かべて『サロメ』を促す。銃口を突きつける男はコウキの直属の上司であり、国家機関直属の強力な権限を持つ男だった。ロビンを監視し、コウキを監督する立場にあるというのに、彼はロビンに魅了されている。


 この稀代の殺人犯にささげる為に事件を起こして見せたのだ。


「……やっと手が届く」


 満足そうにつぶやいた男が立ち上がり、スーツのポケットから取り出した鍵で檻を開けていく。檻に預けた背を滑らせて床に座ったロビンへと近づく様は、崇拝する神を崇める姿に似ていた。




 ――ああ、殺されてしまう。


 そう思ったのに、コウキは声を出せず動くことも出来ない。


 近づく男が手を伸ばし、ロビンに触れる直前…鮮やかな悪夢のような極彩色の世界が広がった。


 あまりの惨劇に瞬きすら忘れる。


 真っ赤な血が噴出し、権力の座にあった男は倒れこんだ。アイボリーの絨毯が赤黒く染まっていく。まだ絶命していない男が必死で手を伸ばすが、平然と血塗れの手を踏みしめたロビンは檻の外へ出た。


 稀代の連続殺人犯は自由を満喫するように手足を伸ばす仕草を見せる。手にしていたナイフを放り投げ、己の右胸を染める血を一瞥してゆっくりコウキへ近づいた。背後でうめく男に見せ付けるように、床にへたりこんだコウキに赤い手を差し伸べる。


「さあ、おいで『稀有なる羊』。お前は選ばれたのだから」

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