07.悪夢は広がる
外出許可は意外なほど早くおりた。
事件解決にロビンが乗り出しているなら、コウキが手足として動くと判断されている為か。または犯人と思われるコウキがぼろを出すのを待っているのか。
どちらにしても、動ける事実はコウキにとってマイナスにはならない。
捜査員の運転する車で駆け付けた校内は暗く、すでに学生の姿はなかった。職員も一部残っているだけだろう。普段は足を踏み入れたことがない屋内球技施設の照明をつけて、内部をぐるりと見回す。
テニスコートが2面、サッカーなどの多目的用に2面。かなりの大きさを誇るドームは、大学生はもちろん一般市民にも開放されていた。
多目的コートは異常なしと判断し、奥のテニスコートへ足を向ける。手前のコートは片付け忘れたのか、まだネットが残っていた。
奥は―――大きなビニールシートが掛けられ……!?
手前に立てられた札を見る限り、コート整備中とある。ブルーシートを捲るコウキの指が震えた。この下に血の惨状の痕跡を想像するのは、後ろからついてきた捜査員も同じだったらしい。
「手伝います」
2人がかりで持ち上げたブルーシートの下は、深さ50cmほど掘り下げられていた。すでに証拠隠滅されたか……舌打ちしたい気分で下におりる。
途端に不思議な香りがした。臭いではない、あくまでも「香り」と表現する方が似合う……薔薇だろうか? 香水のような甘い匂いがふわりと鼻をつく。顔を顰めたコウキの隣で、捜査員も周囲を見回して首を傾げていた。
香りの元となる瓶などは見当たらない。
「臭い消し、か?」
「……おそらく」
お互いに同じ結論に達し、捜査員と顔を見合わせて溜め息を吐いた。つまり、ここが犯行現場とみて間違いないだろう。そう判断した。
携帯で鑑識の派遣を要請する捜査員の声を背で受けながら、コウキはしゃがみ込んだ。黒土のため、薄暗い現状では血の染みたと思われる箇所は見あたらない。
指を土の表面に滑らせ、乾いた感触に「仕方ないか」と苦笑して立ち上がった。後は鑑識の結果を待つしかない。見回して、ひとつ引っかかった。
『指の持ち主は水の中から見つかる筈だ』
世紀の天才犯罪者はそう分析した。その根拠は何だろう。ここに水はない。一番近い水は大学の敷地内にあるプールだが、そこに死体が沈んでいるなら、すでに騒ぎになっている筈だった。
大学の敷地周辺に川や湖、池はない。個人宅のプールは別だが、大きな水場は存在しなかった。とすれば……同じ場所で殺されたと予測したこと自体間違っているのか? あの男が、そんな初歩的なミスを犯すだろうか。
「水……」
彼は水の中と言った。浮いているより沈んでいる可能性が高い。通常、死体は浮いてくることが多い。大量の水を飲んで肺が満たされているなら沈むが、地上で死んだ死体は肺が浮き袋になって沈まないのだ。
同じ場所、つまりテニスコートで殺されたなら死体は浮く――その死体を沈められる大量の水。
まわりを見回すが、それらしき物は見つからなかった。
すべてがすべて、あの男の言葉通りになるとは限らない。
釈然としないながらも己を納得させたコウキは、手を洗おうと蛇口を捻った。流れる水で手を洗い、ふと生臭さに顔を顰める。
周囲を見回しても臭いの原因らしきものはなく、小首を傾げながらハンカチを取り出そうとした手を止めた。生臭さは自分の手から漂ってくる。近くにあったバケツを引き寄せると、蛇口を捻った。
「最悪だ…」
生臭い水の原因に思い至り、背筋が寒くなる。慌てて手を拭ってハンカチを放り投げた。コウキの行動を疑問に思った捜査員が声をかけてくる。
「どうしました?」
「水だ……」
「は?」
「貯水タンクに死体が入っている!」
吐き捨てるように叫んだコウキの言葉こそ、悪夢のごとき現状を象徴していた。
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