第18話

 



(これは、トマトソース……だろうか)



 赤色をしたソースので思いつくものは、そんなところであった。



 俺の持ち得る知識では、それぐらいしか思い当たらない。それ以外には考えつかなかった。



 けれども、ハンバーグに合わせるのならデミグラスかそれぐらいなものかもしれない。



 本当はもっとあるかもしれないが、俺の考えつくものではその二つしか無かった。



(多分、トマトソース……だろう)



 とりあえず、俺はそうであると仮定する。もし、違ったとしても、それ程に大きな問題ではない。



 要は食べてしまえば分かる問題だ。いくら何でも、彼女も食べられないものは入れたりはしていないだろうから。



 そう考えると今までと比べれば、随分と分かりやすくて楽である。



「さぁ、温かい内に、召し上がれ♪」



 香花もそう言って、早く食べる様にと催促をしてくる。



 特別と言うだけあって、これは相当な自信作なんだろうか。早くに俺の感想を聞きたいのだろう。



 配膳を終えた彼女は、何時の間にか俺の目の前の定位置、自分の席に腰掛けて俺をジッと見つめている。



「それなら……いただきます」



 促されたからという訳では無いが、確かに俺もお腹は空いている。俺は手を合わせてからそう言って、食事を始める事にする。



 別段、彼女の料理は毎日食べてはいるし、それらに害があった事は一度として無かった。



 なので、大丈夫だろう。この事に限って言えば、俺は割りと安心してはいる。それなりに信頼を置いてはいるからだ。



 俺は箸を手にすると、その先端を目の前に置かれた料理に向けて、掴み取ろうと手を伸ばす。



 しかし、その行動は途中で止まってしまう。ある事に気付いた事で、俺はその手を止めた。



 それは俺の視線の先……そこに本当ならあるべき物が無い事に気づいたからだった。



「あれ? 香花の分は?」



 彼女の目の前……そこには何も置いてはいなかった。料理も、皿も、箸すらも。あるべきはずの料理が、1品も置いてなかったのだ。



「私? 私の分は……大丈夫だから」



「いや、でも……」



 大丈夫だと彼女は言うが、何かおかしくはないだろうか。彼女の起こした反応に、俺は若干の違和感を感じた。



 普段の食事であれば、香花も少量ではあるがきっちりと食べている。一緒に食べなかったという例は、俺の帰りが遅くならない限りでは、ありはしなかった。



 しかも、今日は特別なのだ。記念日であると彼女はそう言っているのだ。それなら尚の事、一緒に食べないというのは変ではないだろうか。



「本当に、大丈夫だから……。気にしなくて、いいよ」



「いや、そんな事を言われても気にはなるって。どこか、体調でも悪いのか?」



「……実はちょっと、食欲が無いんだ」



 香花はそう言うと、苦笑いを浮かべた。確かに良く見てみれば、顔色はいつもと比べて良くない気がする。



 日に焼けていない白い肌をしている彼女だが、この時に限って言えば青白くなっている。今朝の神谷と同じ色をしていた。



「ごめんね。だから、まーくんだけでも食べて」



 申し訳なさそうに彼女はそう言った後、俺に向けて座ったまま頭を下げた。



 体調が悪いという事なら、俺からはこれ以上は何も言えない。食欲が無いという相手に、無理矢理と食べさせる訳にもいかない。



(しかし、朝の内はそんな風には見えなかったのだが、昼の間に何かあったのだろうか……)



 俺は疑問を抱きつつも、とりあえずは食事を進めていく事にする。



 彼女に遠慮して食べなかった場合、それは余計に彼女を不機嫌にさせる事になる。もっと悪い事態にへと発展するだろう。ただでさえ今は、危機的状況なのだから。



 ここは彼女の言う通り、俺だけでも食べてあげる方が良いのだ。結果的に、彼女も俺も救われるだろう。



(それじゃ、まずは……)



 最初に手をつける料理は既に決めてある。それはメインの料理であるハンバーグだ。



 これ以外を選ぶという選択肢は存在していない。彼女も気にしているのは、これに対する感想なのだから。



 俺はソースのかかっていない部分に箸を入れると、食べやすい大きさに取り分け、それを掴んだ。



 まずは料理そのものの味を確かめたい。俺は掴んだそれを口元にへと持っていき、そしてぱくりと食らいついた。



 良く噛んで咀嚼し、その味わいをしっかりと噛み締める。



「どう、かな……」



 心配そうに首を傾げて、香花はそう尋ねてくる。



「……うん、美味しい」



 そんな彼女に対し、俺はそう答えた。嘘偽り誤魔化しも無い、純度100%の俺の本音であった。



「本当? 本当に、美味しい?」



「うん、これは美味しいよ。お店で出せるレベルの料理だよ」



「……えへへ、良かったぁ♪」



 これに関しては持ち上げたり、気持ちを水増しする様な必要性は無かった。純粋に美味しかった。



 噛み締めれば噛み締めるほど、肉汁と旨みが料理から溢れ出る。何の肉を使っているかは分からないが、今まで味わった中では一番の味だと思った。



 この美味しさを前にしては、抱いていた疑問や怖さは自然と消え去っていた。普通に食べたいという欲求が湧いてくる。



(料理そのものでこの味なら、ソースを付けて食べればもっと美味しいのかもしれない)



 そんな期待を胸に膨らませ、今度はソースのかかった部分に俺は箸を入れた。



 まだこのソースが何なのかは判明していないが、今の俺からすればあまり気にはならなくなっていた。



 一切も躊躇う事をしないで、俺は取り分けたハンバーグを、また口にへと運んだ。



 再び口内に広がっていく、肉汁と旨みの味わい。それにプラスして、トマトの酸味と甘味が加わり、更なる味の多重奏を奏でていた。



(なるほど。やっぱりこれは……トマトソースだったのか)



 その正体が分かり、ようやく俺は納得がいった。多少の鉄の味を舌で感じたが、それはトマトが入っているからだろうか。



 俺は料理に関しては詳しくは無いが、多分はそうだろう。それなら気にする事は無い。



 料理に対する恐れが消えた事で、俺はどんどん食べ進めていく。ハンバーグをおかずに白米を食べ、その後にスープを啜った。



 そうした食べている様子を、香花は恍惚とした表情で見ていた。自信作を美味しいと言って食べている姿を見れて、喜んでいるからだろうか。



 まぁ、何であろうと彼女の機嫌が良い事は、俺にとっても良い事だ。特に気にする事でも無いだろう。



 そう考えつつ、俺は次の一口を口にへと運ぶ。よく味わう為に、噛み締めて―――



「ん?」



 と、そこで俺は変な違和感を感じた。そのせいで咀嚼を途中で止める事となった。



 感じた違和感の正体―――それは食感だった。今まで味わってきた食感とは違うものに当たったからだ。



 柔らかいはずの肉であるはずなのに、何故かそれは固かった。小さな欠片みたいな大きさで、こりっとした食感をしていたのだ。



「ふふっ、ようやく当たったんだね」



 俺の反応に気づいてか、香花はそんな事を言ってきた。返事をする為にも、とりあえずは口の中に残っていたものを俺はごくんと飲み込んだ。



「何か、固い感じのが入ってたけど……」



「それはね、ちょっとした隠し味なんだ。それが入っているから、特別なんだよ」



「隠し味? でも、それって何が入っているんだ?」



「軟骨だよ。食感が少し変わっていいでしょ♪」



 そうか、軟骨か。こりっとした食感の正体は、それだったか。しかし、軟骨……?



 確かにこりっとはしていたが、軟骨にしてはちょっと、固かった気がするのだが……。



 噛むのにも力がいるし、それによくよく考えるとこりっと言うよりかは、かりっと―――



「さぁ、もっと食べて食べて♪ まーくんが美味しそうに食べてるのを見るだけでも、私は嬉しいから」



「あ、あぁ、うん」



 香花に促されて、俺は食べるのをまた再開していく。食べ進めていくとまた固い食感に当たるが、それは軟骨であると言い聞かせ、自分を納得させる。



 もしかすると違う可能性もあったが、それが何であるかを考えるのは怖かった。だからこそ、考えない様にする。これは軟骨なのだと思わせるのだ。



「ごちそうさま……」



 そう自分を騙した上で、俺は彼女の特別な料理を完食した。皿の上には何も残っておらず、綺麗にきっちりと食べ切ったのだ。



 途中までは良かったのだが、文字通り、後味の悪い結果になった事が悔やまれる。本当にあれは……何が入っていたのだろうか。



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