0-1-3 狩猟団

 鬱をこじらせた人間は、常に後ろ向きである。


 それは時間の方向についても言える。

 閉人は過去を思い返しては、今という時間がどんなにくだらないかを嘆く。


「そーいえば、昔こうやって親父に『高い高い』してもらったことあったよなぁ。あの頃は楽しかったなぁ……」


 閉人は宙に浮いていた。

 厳密には、心臓に突き刺さった猪の牙に持ち上げられ、ブラブラとぶら下がっている。


「あのさあ……食ってくれないんだったら、そろそろ降りたいんだけど……」


 死ねないのに、いつまでもこんなことをしていても仕方がない。

 だが、胸ぐらに牙が根元まで刺さってしまっており、降りたくても降りれない。

 足が地面に付かないので、重力に従って牙はどんどん閉人にめり込んでいく。


「へっくし」


 閉人は途方に暮れ、くしゃみをした。


 対して、猪の方も困っていた。

 この土地では『大牙グレイトタスク』の名で畏れられる魔物である。


 彼の趣味は殺した人間を白骨化するまで牙にぶら下げてオシャレをすることなのだが、この人間、心臓を突いたのに待てど暮らせど死にやしない。


 猪は雑食、小動物や山菜を食べる。

 巨大なグレイトタスクにとっては人間も例外ではない。


 だが、心臓を突いても死なない人間など気持ち悪くて食べられやしないし、いつまでも牙にぶら下がってブツブツと呟かれていては、気に障る。


 閉人は結局死ぬことが出来ず野ざらしになり、グレイトタスク側も気味の悪い不死者を四肢の機能の不適により牙から取って外すこともできない。

 両者にとって、ちょっと困った状態であった。



「それにしても痛ぇな……」

 心臓を貫かれる痛みにもそろそろ慣れ始めてきた頃。


「いたぞ、奴だ!」


 男の声がした。

 それを皮切りに、辺りの森にざわざわと無数の気配が現れ始める。

 

「例のグレイトタスクだ!」


 男の声に呼応して、周囲にいくつもの気配がわっと湧きだした。


 戦士……いや、狩人と言った方がよりしっくりくる。

 それぞれ異なる武器を携えた男女六人が、遠巻きにグレイトタスクを取り囲む。


「前情報通り、目に傷がある。こいつで間違いない」


(目に傷? そんなの在ったか?)


 閉人が振り返ると、グレイトタスクの二つの目は健在である。


 ただし、それは『二つ』に限ってのことだ。


「グルオオオオォ!」


 戦士たちの姿を捉えると、グレイトタスクは毛を逆立てて激昂した。


 あまりに激したためか、額の中心、傷のようになっている部分から血が噴き出す。


 よくよく見ると額の傷には折れた矢が突き刺さっており、毛皮に隠されているものの、確かに瞼のようなものが見える。


 目だ。


「目が、三つ……?」


 ぞくり。閉人の背筋が寒くなった。


 男の口ぶりからして、目に傷があることが目印にはなっても、目が三つあること自体はさして珍しくはないということだ。


 根本的に、異世界。常識が違う。


 だが、そんなことに驚いている場合でもないらしい。



「おい……あれ、生きてないか?」

 グレイトタスクを取り囲んだ戦士たちの一人が、閉人を指差した。


 閉人はどう反応していいか考えあぐねていると、戦士たちを率いる中年男が言った。


「心臓を貫かれている。どの道助からん。討伐に集中する」

「了解」


 途端に、戦士たちの目から同情と迷いが消えた。

 きわめて冷静な、戦闘者の目。

 グレイトタスクに六人分の殺意が向けられ、ついでに閉人にも突き刺さる。


(怖ぇ……)


 今まで何度も死のうとし、実際に何度も死にかけてきた閉人であったが、他者から剥き出しの殺意を向けられたのは初めてであった。


 なお、異世界に来てかけつけ一杯と言わんばかりに心臓を射抜かれたことや、グレイトタスクに心臓を串刺しにされたことは閉人の勘定には入っていない。

 もっと冷徹な、プロの殺意なのだ。


(こういう奴らなら、俺を殺せるか……?)


 自称『自殺玄人』を唸らせる殺意を漲らせ、狩人たちはグレイトタスクに挑みかかった。



 †×†×†×†×†×†×†



 時を同じくして、


「『守護者ガーディアン』さん、遅いですね……」


 雨宿りに宿った洞穴の中で、姫巫女エリリア=エンシェンハイムは心配そうに呟いた。


「ご安心ください姫様。あの者にかかっている『魔術』を見る限り、そう簡単にくたばる事はないでしょう。それに……」


 紺色髪の女騎士、ジークマリアはふらつくエリリアの身体を支えた。


「フィガロを、膨大な魔力を必要とする精霊馬を使役した後なのです。後の事は我々に任せて、今はお休みを」


 ジークマリアは心配そうにエリリアを見つめた。


「マリィにはいつも迷惑をかけてばかり。ごめんね」


 マリィとは、ジークマリアに親しい者が用いる、彼女のあだ名であった。


「いえ。姫様こそが私の全て、生きる喜びですから」


 ジークマリアは微笑むと、エリリアを焚火の近くに座らせて毛布を肩にかけた。


「少しばかり外を見てまいります。山が妙に騒がしい」

「気をつけてね、マリィ」

「もちろんです。『影』を置いておきますので、何かあればお申し付けください」


 ジークマリアは愛用の槍を握りしめ、石突で軽く地面を叩いた。


「ランク4、魔術……」


 ジークマリアの小さな囁きに従い、その影が彼女の足元から離れた。



 †×†×†×†×†×†×†



 雨足が強くなった。

 背の高い木々に囲まれた山中であろうと、雨粒が容赦なく体に突き刺さる。


 雨に煙り、まるで雲の中にいるかのような視界状態で死闘が行われていた。


「ランク3、魔術『誘獣灯ライング・フェアリー』」


 戦士たちの一人、軽装の女が槍のように長い杖の先端から紫の光を放ち、グレイトタスクを誘き寄せていた。


 ただの光ではない。雨の中でも怪しく煌めく奇妙な光であった。

 人魂のようなその光を一度見てしまうと、妙に目が離せなくなる。

 不思議な力があるようだった。


 グレイトタスク。そして閉人も、その光に目を奪われていた。


(さっき、『魔術』って言ってたよな。魔術師ってヤツなのか?)


 今更驚く事でもない。

 召喚。不死。契約。

 不思議なことなどいくらでも起きている。


 だが、それを用いて巧みに戦闘をこなす戦士たちの姿はどうしようもなく新鮮であり、リアリティがあった。


 だが、

(おっとっと、今は死んだふりしとこ)


 戦士たちの邪魔をしてはいけない。

 死体が動けば驚かせてしまうだろう。


 閉人は死体の振りをしつつ、死闘を特等席で観戦することにした。


「グルオオオオ!」


 グレイトタスクが杖の光を目がけて突進を繰り返す。


 軽自動車の如き体躯が走れば、軽自動車の如き速度が出る。

 それも、高低差や障害物が勢いを殺すはずの山中で、である。


 山の獣は山で走るようにできている。ということなのだろう。

 あの勢いに閉人もやられた。ビビっている間に心臓を一突きである。


 しかし、戦士たちはいささかも怯まない。


「後退」

「了解」


 統率者らしい中年男の号令に従い、戦士たちは後退を繰り返す。


 光を灯している魔術師は一人ではなかった。


 木々をすり抜ける度に、魔術師が持つ杖の光が点いたり消えたりしている。

 たぶん二人いる。

 巧みに明滅を繰り返しながら、グレイトタスクの視線を誘導しているようだ。


 グレイトタスクは光を追い、二つの光が入れ替わるたびに減速、方向転換。

 その度に死角から矢が飛んできてはグレイトタスクの胴に突き刺さる。


「グルオオオオ!」


 軽自動車程の巨体には既に十数本の矢が突き立っていた。

 雨では洗い流せないほどの血が、既に流れ出している。


(凄ぇ……化け物が形無しだ)


 魔術師たちの光が闘牛士の赤マントのようにグレイトタスクの動きを制御していた。


「グルルゥ……」


 グレイトタスクにも多少の知性はあるだろう。

 杖から出る光に盲進していれば戦士たちの思うツボだという事は分かっているはずだ。


 だが、それでも止まれない。それほどに信頼のおける技術だからこそ、戦士たちも命を預けているのだ。


「グルオォ……」


 そんな、作業のような戦闘が数分に渡って続けられた。


 グレイトタスクにとっては地獄のような数分だったろう。

 やがて倒木に足を取られて転倒。苦しげに呻き、巨大な胴を初めて地につけた。


「……よし」


 戦士たちのリーダー、双剣を佩いた中年男が初めて命令以外の言葉を口にした。

 その冷徹な目はグレイトタスクの動向を鋭く探っており、油断はうかがえない。


(終わった、か?)


 死体のフリをしつつ、閉人はグレイトタスクの様子を探る。


「グルゥ……」


 弱っている、それは間違いない。


 無数の矢によってグレイトタスクの身体はハリネズミのようになっており、血が止めどなくあふれ出ている。

 残されていた二つの目のうち、右眼は矢に貫かれて駄目になっていた。


 だが、


(終わりではない。ただでは死なないし、死ぬ気も無い)


 グレイトタスクに残された最後の目がそう言っていた。


(こいつ、まだやる気なのか……?)


 閉人は、眉をしかめた。

 憐れむように、閉人はグレイトタスクの目を見つめた。


(やめとけって。目ん玉潰れて傷だらけでさ、もし生き残れても、良い事なんて無いぜ? 死のう、死のう、楽になっちまおうぜ?)


 一人の自殺志願者として、閉人は『死』がこの猪の救いだと本気で考えていた。


 殺されることは、決して幸福ではないだろう。

 だが、死ねば『幸福』だとか『苦痛』だとか、そういった生命のくびきそのものから解放される。


 無への回帰欲求。

 それが無ければ、閉人はこうまでして死を恋い焦がれることなど無かっただろう。


「グル、ルゥ……」


 しかし、グレイトタスクはそんな閉人の同情をあざ笑うかのように立ち上がる。

 残された最後の目には悪意に似た闘志が宿っていた。


 閉人は、その目に、自分には無い『何か』を感じとり、身震いした。


「油断するな。完全に無力化するまでは現状を保つぞ」


 グレイトタスクの執念を知ってか知らずか、戦士たちは陣形を保持し続けていた。

 相変わらずグレイトタスクを誘うように杖の光が木々の間を彷徨っている。


(ほら、相手はプロだ。やっぱり敵わない)


 閉人がそう確信した、その瞬間だった。


「グルルルルルアアアアアアアア!」


 グレイトタスクの鼻から突如煙が上がった。赤い、血煙である。

 軽自動車並みの巨体が渾身の力を込めた鼻息に、夥しい量の血が巻き上げられた。


 周囲が赤く染まり、ほんの一瞬だけ全ての視界が途絶された。

 その意味するところを、その場にいる誰もが理解した。


「後退!」


 リーダーの指示はあれど、突然のことに陣形が揺らぐ。

 魔術による誘導は血霞によって途切れ、戦士たちの戦術に不確定要素が生じる。


 その一瞬の隙を突き、グレイトタスクは賭けに出た。

 紅い霧の中、何も見えない中をデタラメに突っ込む。

 最後の悪あがき、一人でも道連れにするための突撃。


 だが、グレイトタスクの執念がそれに意味を与えた。


 ゴキンッ!


「ぎゃっ!」


 枝の折れるような音と共に、女の悲鳴が続いた。


(げぇ、コイツやりやがった!)


 グレイトタスクにぶら下がっていた閉人だけが全てを見ていた。


 グレイトタスクの盲進は戦士たちの一人、杖を操っていた女魔術師の腕を杖ごとへし折っていた。

 そして、その感触を頼りにグレイトタスクはまさに今、女魔術師を牙で突き殺そうとしている。


「ひ、ひぃ……」


 腕を折られた女魔術師は、その衝撃で腰を抜かしていた。

 目の前で人が死のうとしている。

 閉人はグレイトタスクに同情していた。

 だが、それだけはいけないと心が叫んでいた。


(駄目だ、流石にそれは駄目だ! 逃げろ、逃げろ、逃げてくれ!)

 閉人は死体の振りも忘れて身ぶり手ぶりで逃げるように女魔術師を急かす。


 だが、駄目だ。

 体勢を立て直すには、とても時間が足りない。


(畜生!)

 閉人は、どうやっても牙が引き抜けないため、胸の肉ごと引きちぎる。


「痛ぇぇぇぁッッ!」


 歯を食いしばりながらようやく牙から抜け出すと、グレイトタスクに突き刺さった矢を引き抜き、


(すまん!)


 グレイトタスクの左目、残された最後の目玉に突き刺した。


「グオオオオ!」


 グレイトタスクは視界を完全に失い、狂ったように暴れた。


 何度も何度も閉人はグレイトタスクによって潰されたが、やがて……


「グル、ル、ゥ……」


 グレイトタスクは弱々しく唸ると、糸が切れたように倒れ、ぐったりと動かなくなった。


「はぁ……ッ、はぁ……ッ、はぁ……ッ!」


 閉人は胸の傷がみるみる回復するのを感じながら、それでもどうしようもなく胸を引き裂かれるような気持でいた。


 ぐったりとしているグレイトタスクを見下ろす。

 人間を助けるためとはいえ、この手で止めを刺したようなものだ。

 この恐ろしい猪の最期の命の煌めきを、たった今、台無しにしたのだ。


 つまり、『殺し』。

 命を奪う罪悪感に、閉人は震えることもできなかった。


 血の霧はいつの間にか雨に流されていた。

 戦士たちの統率者、双剣の中年男は今度こそグレイトタスクが無力化したと悟ると、ゆっくりと閉人の方へと歩み寄った。


「君は……不死者か?」

「お、俺は……」


 閉人が呆然と立ち尽くしていると、中年男は双剣を抜き放った。

 閉人は一瞬ビビッて縮こまるが、男はそれを見て小さく笑むと、頭を下げた。


「部下を救ってくれたこと、感謝する。礼を用意したいが、まずはトドメを」


 戦闘時と同じく抑揚のない口調で告げると、中年男はグレイトタスクの首元に立ち、グレイトタスクの首を挟むように双剣をあてがった。


「ま、待ってくれ!」

「?」


 思わず叫ぶ閉人に、中年男は目を丸くした。

 閉人は続ける。


「こいつを見逃してくれないか? もう目は潰れちゃってるんだし、これ以上悪さもできないだろ? だから……」


 閉人は最後の最後でグレイトタスクの邪魔をしたことに罪悪感を抱いていた。


 いわゆるストックホルム症候群。

 誘拐犯や人質を取った強盗犯などに対して、被害者が連帯意識や同情を催してしまう犯罪学上の心理現象である。


 奇妙なことだが、閉人はグレイトタスクにぶら下がって同じ視点で戦闘を体験していたために、これに近い心理状態にはまりかけていた。


 だが、それだけではない。

 閉人は、この猪に自分には無い物を見出していた。

 それは、生に対する執念。

 自殺志願者である閉人は、それが良いものだとは思っていない。


 だが、自分のような無価値な人間が生き永らえているのに、生きたがっているこの猪が死ぬのは理不尽だ。

 閉人の身体は今、そんな理屈によって動いていた。


 だが、それは甘っちょろい屁理屈であると、中年男は指摘する。


「この猪、グレイトタスクは今までに少なくとも二十三人の旅人を殺している。討伐のクエストも幾度となく組まれたが、受注した冒険者は君の先客となったようだ」


 そう言って顎で示したのは、グレイトタスクに元々ぶら下がっていた死体の一つである。


「それに、目を潰したところで時間が経てば再生する。魔物なのだ、君も知らんわけではあるまい」


 中年男は冷めた目でもってグレイトタスクを見下ろし、再び双剣をあてがった。


「ま、待ッて……」


「ランク4魔術『太刀雷鋏ギロチンボルト』」


 双剣それぞれの柄に取りつけられた引き金を引く。


 次の瞬間、バチリと火花が散るような音と共に双剣が交差、グレイトタスクの首を切り飛ばしていた。



 『断章のグリモア』

 その3:魔術について


 ローランダルク大陸には『魔』の概念が満ちている。

 精神や生命の運動、あるいは単純な化学反応によって『魔力』は発生し、物理世界に作用する。

 魔力を電気に例えるなら、『魔術』は電気機械にあたるだろう。

 単純な働きしか持たない魔力を魔文字式で記述された魔導書グリモアによって制御し、元よりも多彩で強力な効果を引き出すことができるのだ。

 閉人の召喚や不死もこの大陸の現象である以上は魔術の範疇にあるはずだが、誰がそれをプログラムしたかは謎に包まれている。

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