第8話 四女ジャスミン・下


 翌日、ダレリアス準男爵家の騎士ウィルが返事を得るため、アーロンのいるリビングにやってきた。一日休んだおかげで疲労は抜けている。精悍な顔は、昨夜よりも血色がよかった。


 リビングにはアーロン、エラ、ロビンの三人がいた。


「アーロン殿、手紙の返答はいかがでしょうか? 当主さまより、早い返事をいただくようにと仰せつかっておりまして、何卒、前向きに検討いただければと存じます」


 アトウッド家との婚姻はダレリアス家にとって重要だ。


 ドラゴンスレイヤーのミーリアと親戚関係になれば、家名に箔がつき、経済援助、領地の魔物討伐などを依頼することもできる。ミーリアがまだ十二歳であり、御しやすい子どもであれば、手綱を握って家に更なる利益を生むことができるかもしれない。


 この世界で魔法使いは貴重な存在だ。


 それだけに、情報に敏いダレリアス家は他家を出し抜くため、強行軍で最果ての街道を踏破してきた。ドラゴンスレイヤーとの縁を結ぶためには、手段を選んではいられなかった。


 準男爵であるダレリアス家・次男からの婚姻である。


 騎士爵家四女ジャスミンの婚姻先としては玉の輿の部類に入るであろう。本人が優秀であるとか、魔法使いであるとか、そういった特別なプラスワンがない限り、騎士爵家四女の嫁ぎ先はそこそこな大きさの商家が関の山だ。


 今回の婚約をアトウッド家は一も二もなく了承するはず――


 騎士ウィルはそう考えていた。


「ああ、それについてだが、まだ決めてない」

「なるほど……一日二日で決める内容でもございませんな。しかし、ダレリアス家は王都に屋敷を持つ、由緒正しい家でございます。ジャスミン嬢にとってもいい縁談かと存じます」

「だがなぁ、どんな家かもわからんから、娘をやるのはちょっとなぁ……」


 アーロンがはぐらかして言う。


 騎士ウィルは田舎領主の口ぶりにイラっとした。顔には出さず、笑顔のまま片眉を上げた。


「断るおつもりでしょうか? お嬢さまにとってこれ以上の縁談はありません。我が当主であらせられるディーテ・ダレリアスは、かねてよりアトウッド家を気にされておいででした。ラベンダージャムも素晴らしい名産品だと言っておられましたよ」


 騎士ウィルが少しでも縁深い関係だとアピールする。


 すると、ロビンがつんと顎を上げて前へ出た。


「まずはわたくしが王都に行って、状況を見定めますわ。それからでも遅くはなくってよ」

「……失礼ですがあなたさまは?」

「次女ロビンですわ」


 騎士ウィルは、あの浮気出戻り女か、と内心で引いた。


 ロビンの人相を見ると、きつい印象を受ける。スタイルも悪くないし、美人の部類ではあるが、絶対嫁にしたくない女だと直感で思った。


「騎士ウィルさま。わたくしが王都に行って、問題がないとわかりましたら、ジャスミンを差し上げます。ね、お父さま」

「ああ、それがいいだろうな」


 ロビンの問いに、アーロンが欲に目がくらんだ表情でうなずいた。


 昨夜、アーロンはロビンから「できる限りいい家と結婚させる。うまくいけば王都周辺に狩り場がもらえるかもしれない」と、ほぼあり得ない希望的観測をほのめかされた。


 狩りにしか興味のないアーロンだ。

 魔物領域に囲まれた危険だらけのアトウッド家より、広大で肥沃な王都周辺のほうが彼にとって魅力的であった。実際は、狩り場の権利をもらえるはずもないのだが、アーロンは無知であるがゆえ、盲目的にロビンの言うことを信じた。


 また、ミーリアがもらったであろう、報奨金にも目をつけている。


 金に関して耳聡いロビンが、ドラゴンスレイヤーになると金貨が最低でも千枚もらえる、という情報を商隊の誰かから聞いたことがあったらしい。


 どんな方法でドラゴンスレイヤーになったのかアーロンにはわからなかったが、魔法使いとして家に貢献をしないのならば、金貨の千枚ぐらいは払ってしかるべき、と勝手な理論を展開している。


「ドラゴンスレイヤーである妹ミーリアともわたくしは仲がいいですので、ダレリアス家にあの子を紹介してもいいですわよ」

「それは真ですか?」

「はい。あの子は私の言うことならなんでもききますので」


 面の皮が厚いとはこのことだろうか。


 ミーリアが聞いていたら即座にわさび魔法を鼻の穴へ直撃させるだろう。


「……ふむ」


 騎士ウィルにはロビンの言葉が有益に思えた。


 婚約は結べずとも、親族を連れて帰れば騎士の面目は保たれる。さらに、次女がドラゴンスレイヤーと連絡役になってくれれば、お家の利益にもなりそうであった。正直、浮気出戻りの悪名は気になるところであるが、それも四年以上も前の話だ。他の貴族に出し抜かれないことこそが重要である。悪くない提案だと判断した。


 そこまで考えたのち、騎士ウィルはうなずいた。


「承知いたしました。では、王都へまいりましょう」

「ええ。明日にでも出発しましょう。できますわね?」

「はっ」


 騎士ウィルが一礼する。


 ミーリアが見ていたら「やめてくれぇぇぇぇい!」と全力で叫んでいたに違いない。彼女は今、女学院でデモンズマップに熱中している。


 こうして、ロビンはアトウッド家脱出の機会を得たのであった。



      ○



 ロビンの王都出発が決まった夜、事情を知らないジャスミンは部屋で寝ようとしていた。


 ベッドが四つある大部屋も、妹たちが出ていった今は自分一人だ。


 曇ったガラス窓から月の光が漏れている。

 ぼんやりとしか視界が見えないせいか、人の気配には敏感だ。

 自分一人しか部屋にいないのが心細かった。


 ジャスミンが何かから逃れるようにして薄い掛布団に入ろうとすると、 ガチャリとドアが開いた。一番嫌いなシルエットが薄暗い部屋に滑り込んできた。。


「ジャスミン、今日でお別れよ」


 今にも高笑いしそうなロビンが、弾んだ声色で言った。


「あなたのおかげね。目が悪くて嫁にいけなくて、本当に助かったわ。どうもありがとう」

「……っ」


 人を平気で傷つけてくる姉だ。

 ジャスミンはうつむいた。


「ねえ、ミーリアがドラゴンスレイヤーなんですって? 聞いた? あの子、どんな不正を働いたか知らないけど、女王陛下から勲章までもらったそうよ。だから、あなたをほしいっていう貴族が婚約書状を持ってきたの」

「え……?」


 ジャスミンは自分宛の婚約書状だと聞いて、顔を上げた。


 ミーリアがドラゴンスレイヤーになったのも驚きだが、自分を娶りたいと言ってくれる殿方がいる事実にびっくりした。


「嬉しいの? めずらしく声上げちゃって。でも残念でした」


 ロビンがつかつかと音を立てて近づき、両目を開いたジャスミンにぐいと顔を近づけた。


「絶対に結婚させてやらないからねぇ! きゃははははは! 私を差し置いてあんたが結婚? あり得ないから!」

「……どういうこと、ですか?」

「ミーリア目当てであんたに婚約書状が来たのよ。この私じゃなくってねぇ……許せるわけないでしょ? 美人で器量よしの私を差し置いて、食料ばかり無駄に消費するあんたに書状がくるなんて」

「……」

「私があんたの代わりに王都に行ってあげるから、感謝しなさいよ! ああ、清々するわぁ! もうこの家に戻らなくていいんだものねぇ!」


 ロビンは舞台女優にでもなったつもりなのか、窓へ向かって両手を広げてみせた。


 ジャスミンは自分の姉が妙に浮ついていることを疑問に思った。


 もうアトウッド家に戻ってこない?

 私が婚約するはずなのに?


 どういうことか理解できない。


「この土地を抜け出せさえすれば、あとはどうとでもなるわ」


 ロビンが両手を下ろし、ジャスミンへ視線を戻した。


 ずっとうつむいているジャスミンの姿に苛立ちを覚えたのか、ロビンはジャスミンに近づいて、拳で額を小突いた。


「あんたに来る婚約書状は全部私が管理してあげるから。よろしくね」


 こつこつとジャスミンの額を叩き、ロビンが高笑いする。


 ジャスミンは千載一遇の救いの糸が、悪魔によって無常にも切られたように思えてならなかった。



      ○



 時は戻り、王都アドラスヘルム大通りにある未婚貴族のパーティー会場――

ドレスを着たミーリア、クロエ、アリアの三人が到着した。


 王都の最新施設は、若者が集うにふさわしい建築物だった。有名デザイナーが技術の粋を込めて作ったバロック調の見た目に、様々な魔法技術が使われている。高価な魔道具もふんだんに利用されている。


(異世界で言う超イケてる場所って感じかな? 場違い感がヤヴァイ……)


 ミーリアは馬車の窓から見える建物に尻込みした。


 しかし、行かないわけにはいかない。

 気合いを入れて、ついでに眉間にも力を込めた。


(ストップ、地雷女……!)


 ミーリアは着なれないドレスの裾を持ち、馬車から降りるのであった。

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