コンバラリアのオオカミたち~情報屋ルー・ビアンカと機械心臓~

野口祐加

第1章 蒸気の街の古書喫茶

第1話「情報屋ルー・ビアンカは蒸気と共に」

 静寂を切り裂くように汽笛が一つ、漆黒の夜空に鳴り響いた。

〈蒸気の街ホロカ〉行き寝台特急アトミスが地下トンネルへ入った。

 窓の外に広がる荒れ果てた大地も、視界を遮る乾いた砂嵐も、今は見えない。窓硝子に映り込んだもう一人の自分が、気だるげな顔でこちらを見ているだけだった。


「……そろそろ行くか」


 懐中時計をベストのポケットに押し込み、俺は食堂車に向った。

 ドアを開けて間もなく、いぶしたような香りがほのかに漂ってきた。見れば、入口からすぐ傍の席に座っている初老の紳士が手紙を書いている。そのかたわらには、グラスに入ったウイスキーが置かれていた。


「お席にご案内いたします」


 ドアの前で突っ立っていた俺に、給仕が深々と頭を下げた。


「あぁ、大丈夫。待ち合わせですから」

「これは失礼いたしました。ご用があれば、何なりとお申し付けください」


 きびすを返し、離れていく給仕を目で追いつつ、ゆっくりと車内を見渡した。

 目に留まったのは、最前席に座っている黒髪の女性。歳は20前後。黒いワンピースドレスにワインレッドのストール、胸元には目印である白薔薇のコサージュ。待ち合わせの依頼人に間違いない。

 俺はトランクから取り出したガスマスクを被り、彼女のいる席に歩み寄った。


「相席、よろしいですか?」


 少し驚いて顔を上げた彼女は、俺の顔を見てさらに目を丸くした。「あっ」と思わず口を開けたものの、乗客の目が気になったのか、慌てて口を押えた。


「狼のガスマスク……あなたが情報屋の?」

「【ルー・ビアンカ】と申します。依頼人の神蔵レイラさんですね?」


 こくりと頷く彼女に、相槌を打つように頷き返して、俺は向かいの席に座った。


「依頼した件は……彼は見つかったのですか?」

「恋人のサロさんは監禁されていました。あなたのお父上と、婚約者の加倉井さんが計画したようです」

「やはりそうだったのですね……それで、彼は?」

「ご安心ください。私の仲間が助け出し、今は別の場所に身を隠しながら、あなたが来るのを待っています」


 そう告げて、1枚の【伝書盤エピストラ】をテーブルの上に置いた。

 厚さ二センチ、直径4センチにも満たない真鍮製の六角柱のディスク――文字や写真、映像などの情報が保存できる記録媒体だ。これを映写機能搭載の【通信機アステリ】に差し込むことで、保存された記録を見ることができる。


「そこに、彼の居場所を記した地図が記録されています」

「確認させていただきます!」


 彼女は座席に置いていたハンドバッグの中から、小型の通信機アステリを取り出した。さすがは大手製薬会社の社長令嬢だ。家の裕福さを、これでもかと主張するような通信機アステリだった。

 二つ折りの構造になっていて、表にはディスクから読み取ったデータを映すディスプレイ、裏には回転式のダイヤルがあり、0から9までの数字が彫られている。ここまでの構造は同じだ。

 本体は純銀製で円形、ルビーやらダイヤの装飾まで施されている。大きさは手の平に収まる程度で、一見するとコンパクトみたいだった。真鍮しんちゅうで造られた俺の通信機アステリとは格が違う。


「情報屋さん、ありがとうございます。確かに、受け取りました」


 記録を確認し終えた彼女は目を潤ませて、伝書盤エピストラを胸元でギュッと握り締めた。


「やっと、彼に会えるんですね……」

「私共が協力できるのはここまでです。無事、逃げ切れることを祈っています」

「ご協力、感謝いたします」


 力強くそう言って、彼女は分厚い封筒を差し出した。依頼の報酬だ。


「また何かあった時、依頼してもよろしいですか?」

「もちろんです。いつでもお待ちしています」


 封筒を受け取り、これで仕事は完了。あとは列車の到着を待って、ホロカ駅で別れるだけ。淡い達成感を味わいながら、何も見えない暗い窓の外に目をやった。

 少し喉が渇いた。珈琲の一杯くらい、飲む時間はあるだろうか。そんなことを考えながら、時間を確認しようと懐に手を入れた、丁度その時。突然、彼女は慌てた様子で身を屈めた。


「レイラさん?」

「あ、あの人……」


 大きな瞳がよりいっそう大きく見開かれ、表情は酷く怯えていた。一体、彼女は何を見たのか――振り返ると、食堂車の入口に厳つい2人の男が立っているのが見えた。1人は熊、もう1人はゴリラを連想させる風貌だ。何かを探しているのか、乗客の顔を一人ひとり確認しながらこちらに向かってくる。


「レイラさん。あの男達とお知り合いのようですね」

「婚約者の……加倉井の護衛の者です。どうしてこんなところに……」

「もしかしたら、後をつけられていたのかもしれませんね」

「あと少しなのに……こんなところで連れ戻されるなんて」


 その時、耳をつんざくような汽笛が響いた。時間は午後8時39分。終着駅のホロカ到着まであと1分を切っていた。


「さて、どうするかな……」


 思案の声が無意識のうちに口をついて出ていた。

 依頼内容は2つ。1つは、彼女の恋人を見つけ出すこと。

 もう1つは、見つかった場合は逃がして居場所を教えること。

 それ以外の仕事は引き受けていないし、彼女から追加で依頼されてもいない。この先、彼女がどうなろうと俺の知ったことではない――と、言えないのが俺の甘いところだ。


「レイラさん、今回だけ特別ですよ」

「えっ……?」

「私共の協力が無駄にならないよう、必ず逃げ切ってください」


 話しながら、ショルダー・ホルスターから愛用の銃を抜き、空のシリンダーに一発ずつ弾を込めていく。その度に、彼女の顔から血の気が引いていくのがわかった。


「情報屋さん、それって……!?」

「これで全て解決です。凄いですよ。たった1発でここは真っ赤に染まります」

「でも、そんなことしたら大変なことにっ!」

「そうですね。大騒ぎになるでしょう」

「悪い冗談ですよね?」

「いえ、私は本気ですよ」


 ガスマスクで表情が見えない分、声を大袈裟なくらいに弾ませ、彼女の腕を掴んで立ち上がった。当然、座席に隠れていた彼女の姿は丸見え。男たちはすぐに気づき、狭い通路を突き進んでくる。


「はい、はい。それ以上は近寄らないように!」


 振り返りざまに構え、銃口を向けた。

 談笑していた貴婦人たちに、堂々と愛を語り合う歳の差夫婦、その他諸々。異変に気づいた乗客たちは、たちまち悲鳴を上げた。銃口を向けられた男は驚倒して立ち止まり、身振り手振りで止めろと訴える。護衛の仕事をしているとは思えないほど情けない反応だ。


「おいっ、よせ!」

「邪魔者を排除するためだ。少し苦しいだろうけど、我慢してくれ」


 狙いはもちろん、男の心臓――と言いたいところだが、今回の標的は上にある。

 向けた銃口を素早く天井に向け、1発。引き金を引いたとたん、弾はドウンッと音を立てて弾けた。車両内は瞬く間に赤い煙で満たされ、乗客の悲鳴と噎せ返る声がさらに広がった。

 混乱に呑まれたまま、列車は終点ホロカ駅へと到着。俺は彼女を連れ、前方の出入り口から第1セクター3番ホームへと降りた。


「さっきの、煙幕だったんですね」


 降りて間もなく、彼女はそう言った。

 その声には安堵の色が滲んでいる。おそらく、本気で撃つと思ったのだろう。正直、少しからかってやろうと思って、勘違いさせる言い方をしたのは確かだ。

「だから言ったじゃないですか。って」

「そうですね、確かにそう言っていましたね」


 彼女はクスクスと含み笑った。

 ホームを行き交う人々は、奇妙な赤い煙を充満させた寝台列車アトミスに興味津々。何事かと、野次馬が次々と集まってくる。視線がそちらへ向けられたことで、狼のガスマスクを被った男が目の前を通り過ぎようとも気にも留めていない。

 おかげで難なくホームを移動し、5番ホームに停車していた炭鉱の街ワッカ行きの列車に彼女を乗せることができた。


「終点のワッカまでは行かずに、港町ソーラで降りてください。そこからは伝書盤エピストラに記録した通りに向かってください」

「ありがとう、情報屋さん。これで――」


 言葉に重なるように汽笛が響いた。入口に立っている彼女はその場を動こうとしない。発車する瞬間まで、俺を見送ろうとしているのがわかって、思わず吹き出してしまった。焦るということを少しは憶えるべきだ。


「中へ行ってください。あの護衛連中に見つかったら、行先が知られてしまいますよ」

「でも――」

「それでは、良い旅を」


 入口のドアを閉めると同時に、列車は蒸気を吐きながらゆっくりと動き出した。

 丁度その頃、3番ホームが騒がしくなった。あの護衛の男2人が車両から転がり降りてくるのが見えた。狼のガスマスクのヤツがどうのと、大声で喚きながら探しているようだ。

 彼女の足取りを知られることも、俺自身が捕まって「吐け」だの「言え」だの脅されるのも面倒だ。


「もう1つ、手を打っておくか」


 列車が加速したのを見計らい、煙幕弾をもう1発、ホームに打ち込んだ。

 吹き出した青い煙は膨れ上がり、瞬く間にホーム全体へ広がっていく。やがて、アトミスの車両から漏れ出した赤い煙と混ざり合って、不気味な紫色に染まった。

 その煙に隠れながら被っていたガスマスクを外し、トランクの中に押し込む。着ていた黒いインバネス・コートを裏返せば、褐色のロング・コートに早変わり。そうして何食わぬ顔をして、再び3番ホームに戻った。


「すみません。首都行きは、このアトミス号で間違いないでしょうか?」


 俺は旅行者に成りすまし、護衛の男――熊に似ている方に声をかけた。

 こちらは満面の笑みだというのに、この男ときたら、話しかけるなと言わんばかりに舌打ちを返してきた。この護衛、どういう教育をされているのか。


「そんなこと俺が知るかっ。それより、この女を見なかったか? 狼のガスマスクを被った妙なヤツに連れ去られたんだ」


 見せられた写真を覗き込み、俺はわざとらしく首を捻った。

 妙なヤツとは失礼だ。あれを被るのは仕事上、顔を見られないためでもあるが、なにより師匠から引き継いだものだ。誰が何と言おうと、俺は気に入っている。

 熊みたいな風貌のくせに、馬のタテガミみたいな髪型をしているお前の方がよほど妙だ、と喉まで出かかって我慢。今の俺は通りすがりの旅行者だ。


「そういえば。さっき、六番ホームで擦れ違いましたよ」

「本当か!」


 もう1人のゴリラ男が俺の肩を掴んだ。その握力が思いのほか強く、かけている眼鏡がずれ落ちるほどだった。


「え、えぇ。確か一緒の女性が、オビロがどうとか言ってましたけど」

「行先はオビロ駅か!」

「あっ、もし乗車するなら急いだ方がいいですよ。あと2分で出発ですから」


 ほら、とホームを指さした。6番ホームに停車した寝台特急スフィカは、急かすようにシューッと蒸気を吐き出した。助かったと礼を言って、男たちはホームへ向かう。

 2人が列車に駆け込んで間もなく、列車は静かに動き出した。俺はにやりとほくそ笑んだ。

 オビロ行きの列車は、彼女が乗った列車とは逆方向。おまけに途中下車不可。彼女がいない事に気づいたとしても、下車できるのは2日後だ。


「まぁ、良い旅を――」


 呆然とする男たちの姿を想像しながら、俺はホームを後にした。


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