016.シニエの苦行

 あれでもないこれでもない。

 シニエは片っ端から思い出しては記憶を片隅に放り投げる。

 探していたのは最も古い日付。白い人は実験を行うとき必ず日付を口にした。いつのことかを口にして小さい箱に音を記録。別の白い人が紙にも書いた。長い間観察し続けたのとたまに質問に答えてくれる白い人のおかげでシニエは口にされるそれらの意味を知っていた。シニエはその聞いた日付を元に最も古い記憶を探していた。

 そしてたどりついたのは二年前の記憶だった。

 白い人が実験体ナンバー四とシニエのナンバーとその日の月日、三年と五ヵ月と十三日とシニエの生きた時間を口にする。小さな箱に音を記録して紙にも同じことを書いた。

「思い出せる。二年前。シニエ。三歳。白い人。言ってた」

「なるほど。人に物心が付くのは三、四歳といいますからね」

「草の料理。食べた。胸の中。熱い。グルグル。立てない。息。できない。真っ暗。なにも見えない」

「なるほど。毒草を食べたのですね。それで苦しくなって呼吸困難に陥って気を失ったと」

「起きた。口、中。管」

「蘇生処置をされて無理やり生かされたと。どうやら瀕死にして蘇生できたら儲けものといった実験を繰り返したようですね」

「別の日。虫硬い。痛い。チクチク。叩く。千切る。勝った。食べた。痛い。苦い。まずい」

「毒虫と格闘させられてその上それを食べされたと」

「あんたよく分かるさね・・・」

 シニエの片言の説明に身構えていたお燐は少し気が抜けてしまった。あまり大変そうに聞こえない。むしろ閻魔補佐官の翻訳で意味を知ってその大変さを理解したくらいだ。

「私は仕事柄。動物の獄卒と会話もしますからね。あ、シニエさん。よろしければ覚えている範囲でいいので毒草や毒虫の形教えていただけませんか?使われた物をこちらでも探してみたいので」

 仕事熱心な閻魔補佐官だった。悪びれることもなくシニエにペンと紙を渡す。


 シニエは実験で食べたものの姿形をすべて覚えていた。

 いつも食べさせた後で料理された毒草を白い人がシニエに見せるのだ。シニエが生き残ったことにご満悦の白い人はシニエによく食べさせたものの説明をした。基礎知識も無いシニエにはまったく分からなかったが。そして厄介なことに白い人は必ずおいしい料理で毒草をシニエに食べさせた。甘いお菓子や飲みやすいちょうどいい塩加減のスープ。おいしいを痛いと共に覚えさせられた。シニエがおいしいに表情をほころばせた後でのたうち回るのが白い人には面白かったらしい。


 虫とか蛙、蛇は料理すると意味がないからとシニエに殺させて死んだばかりの物を生で食べさせられた。血や汁が生臭く。苦く。しょっぱい。舌がピリピリチクチクと痺れ。骨や殻がチクチクプスプスと口の中を傷つけて痛い。歯もまともに生えそろっていない。ましてや乳歯のシニエは細かく噛み砕けなくてまる飲みしたものも多かった。肉は柔らかいがなかなか千切れずヌルヌル。油脂が口の中だけでなく手や口周りにも長く残って気持ち悪かった。とにかく毒草料理と相反してまずかった。そして殺すのも食べるのも痛かった。必死に戦うシニエを白い人が上機嫌で手を叩いて応援してくるのが嫌だった。まずいと顔を歪めるのも白い人は面白がっていた。


 実験でおいしいまずい苦しい痛いと感情を見せると白い人はとにかく喜んだが、中には逆の白い人もいた。もう夜だから寝ていいと言われてほっとしたとき、それが気に食わないとばかりに蹴られたり叩かれたり暴力を振るわれた。酷かったものだと針を刺されたことがある。実験でシニエの衰弱が激しいと実験の無かったある日。休めることに安堵するシニエに個人的にかまってやってるんだと言い訳して白い人が長い糸の付いた針を持ってきた。針はシニエの腕に突き刺され、思いっきり針尻を押して腕を貫通させると針の先を引っ張って針だけが腕から抜ける。そうして針が通った後に残った針よりも細い糸を白い人は意気揚々と引っ張った。体内を糸が走る感触が不快だった。糸の終わりに用意された玉結びが傷口を広げて通る痛みとうごめきがおぞましかったのをシニエは覚えている。


 クシャリ。手に持つ紙にしわができる音がした。余計なことを思い出して逸れていた意識が戻る。そうだった。食べた物を思い出して紙に書くんだった。おいしいまずいあれらを。

 ふとメディアの家で出されたおいしいご飯を思い出す。それまでおいしいとまずいは痛いだと思っていたシニエにメディアとお燐がおいしいが痛くもなく、むしろ幸せであるということを教えてくれた。今までの常識が覆されてとても不思議な思いをしたのを覚えている。最初は体が覚えているものだからなんども危険信号を発して、後から来る痛みに耐えようと体が何度もこわばるのだが、何も起きなくて体と頭がよく混乱した。でも残すのを許さない白い人の教育で体は勝手に動いて食べ続ける。やがて警戒が解けてか、徐々に体のこわばりは取れて無事に完食していることに頭が、なんだこれは?、と疑問に思い驚くのだ。


 古い記憶も新しい記憶も思い出してシニエは渡された紙に絵を書く。

「草。花。赤い。細いの。いっぱい。緑。虫。黒い。長い。足。いっぱい。硬い」

「なるほど。彼岸花とムカデですね」

「ほかにもいっぱい。白。オレンジの花。蛙。蛇・・・」

 風鈴のような蕾の付いた花やラッパのような花弁の花といろいろな植物を書く。花のほかに赤い色という二つの丸がつながった実を書いたりもした。中には間々に虫や蛙、蛇もいた。

「スズランにエンゼルトランペット。木の実はヒョウタンボク・・・」

 何よりも恐ろしいのは閻魔補佐官だった。思い当たる植物があるのか名を口にしていく。大妖のお燐は死なないとはいえ毒で苦しみはする。嫌がらせを受けないように気をつけようと思うのだった。

「いやいや。ありがとうございました。しかしリストを見る限り動植物すべて致死毒ばかりでしたがよく生き残れましたね」

「みんな食べた。おいしくない」

 おいしくないという言葉にお燐は先日のやり取りを思い出して顔をしかめる。

「たぶんシニエさんは毒で体を破壊。毒で再構築を行っていったのでしょうね。それがくしくも仙人の修行と合致してしまった」

 閻魔補佐官の頭に蠱毒という呪術が思い浮かぶ。それとも仙人の修行の本質を理解していた誰かが意図的にやっていたのだとしたら。そんな推測を閻魔補佐官は内にしまう。

「たぶんシニエさんは血肉は猛毒と化し毒そのもの。あらゆる毒が効かないのでしょうね」

 何と入れ替えるかは人それぞれ。過去に所用で他の世界に言った際には体をすべて機械にしたアンドロイドと呼ばれる仙人に会ったこともある。シニエの場合はそれが毒だった。

 ハッと何かひらめいた顔になる閻魔補佐官。考えが読めたお燐はすぐさまシニエの足裏の火の輪を操る。シニエを肩まで持ち上げて肩車した。

 ああ。と残念そうな声を出す閻魔補佐官。

「できればシニエさんの血を少し分けていただきたかったのですが・・・」

 その言葉にやっぱりかとお燐はため息を付く。髪の毛一本だってやるもんかい。ギロリと睨んで閻魔補佐官を牽制した。

 百九十と身長が高かい閻魔補佐官から見ても大きなお燐。さすがにその頭上に逃げられては閻魔補佐官もシニエから血をもらうのをあきらめざるを得なかった。

「シニエさん!あまたの猛毒を有する動植物を見てきたあなたの経験は得がたいものです。地獄に就職の際はぜひとも私の助手になりませんか?」

 ただ別のことはあきらめてなかった。ある意味あきらめが悪い。

「ええい。引っ付くんじゃないさね!」

 お燐にかじりつく閻魔補佐官をお燐は押し除けるのだった。

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