009.こどくのシニエ

「シニエ。万歳さね」

 お燐の声で反射的にシニエは万歳した。途端に視界が真っ暗になる。?マークが出たころには明かりの中。メディアの顔が再び眼前に戻ってきた。メディアが襟を正し、中途半端に肘でとまった袖を手首まで引っ張る。シニエは服を着せられたことに気がついた。

 焦げ茶色のローブは大きめでずるりとずれて片方の肩を露出させる。整えるよりも閉めたほうがいいだろうとメディアはローブにつけた紐を絞る。襟元が閉まった。紐が緩まないように蝶々結びに。これでいい。目の前のシニエを満足そうに見る。後ろは?シニエの後ろに立つお燐へ視線を送る。お燐は器用に左前足で爪を伸ばして丸を作る。


 メディアはパンパンと手を叩く。

 体感的に深夜三時といったところだろうか。

「さあ、よい子は寝る時間さね」

 服を着せたときに跳ねただろう髪を見つけてメディアが頭を撫でて直す。

「よく寝て休めば火傷も速く治るさね」

 お燐、とメディアが名前を呼べば、わかっているさね、とお燐が頷いた。

「チヨメのベッドに寝かせるさね。ん?なんだいその目は・・・あたしだってちゃんと掃除ぐらいしてるさね!布団だって干してるさね!」

 お燐の物言う視線に抗議する。お燐は何も言わずに足の悪いシニエを脇に抱えて歩く。メディアがよく眠れるようにと側にあったカモミールの草を暖炉に投げ入れる。りんごに似た香りが辺りに漂う。

 ベッドの前まで行くとお燐はその上へシニエを下ろして転がした。コロリと人形のようにベッドの上を転がるシニエ。石床と毛布一枚の寝床しか知らないシニエはベッドの上に寝転がって興奮する。なんだこのやわらかくてふわふわな床は!?体全体を動かして確かめる。

「これは寝るための道具。ベッドというさね」

 事情を察したお燐がシニエに教えてやる。

「ベッド?」

 コクリと頷き返すとコテリとシニエが首をかしげる。同時にシニエの手足のバタつきが止まった。これ幸いとお燐はシニエに布団をかける。布団に首から下を覆われてシニエは顔だけ出した状態になった。

「これからはベッドで普通に寝るのさ」

 とはいっても何が普通なのかなんてきっと今のシニエにはわからないだろう。

「お休みさね。シニエ」

 夜は寝る時間。白い人にも言われたことをシニエは思い出す。これはそういうことだ。眠らなきゃいけない。瞼を閉じる。今夜はいろいろとありすぎて思い返してみると頭の中がごちゃごちゃになった。逆に眠りづらくなる。ふしかしんわりとりんごの香りが鼻先をくすぐってシニエはいつしか眠りについていた。


 シニエが眠りについたのを見届けたお燐は踵を返す。お茶を入れるメディアの元へ足を運ぶ。

「ずいぶんな変り種を連れてきたもんさね」

 猫舌のお燐にはぬるめのお茶を手渡しながら言う。お燐は両前足でカップをはさんで持つと一口飲んでほっと吐息をもらす。

「鬼灯の森の西側に白の塔が一塔あっただろ。そこで拾ったのさね」

 ああ、あの、と訳知るメディアは口にする。

 白の塔――道理に反する研究を行う狂科学者たちを集めた狂人たちの実験場及び組織名。世界各地に拠点があり、いろいろな国の後ろ暗い貴族や組織から出資を受けていている。その上神代から溜め込んだ知識を有する。困ったことに金に知識とあるものだから武力面でも立ち向かえる国が無い。世界の闇に潜む根絶不可の巨大地下組織だ。それこそ相手にできるのは神や悪魔、幻獣といった逸脱した力の持ち主くらいと謂われている。たいてい地下組織だけに人の手の及ばない地域に実験場を構えている。メディアの住むこの鬼灯の森もいわく付きの場所で人の魂が囚われ彷徨い生者を襲うことからそう呼ばれた危険な森だった。アーネル王国とトロイメア王国の国境上に広がり、二カ国を合わせた国土よりも大きい鬼灯の森の。確か西側。トロイメアの上に。かつて九頭大尾龍くずだびりゅうという龍が焦土とかした付近。そこに一塔の白の塔があったのをメディアは覚えていた。


「あの髪。あの目。シニエは何かの実験体だろうさね」

 髪の色素が抜けるほどの体への負担は投薬によるものだろう。それにあの菖蒲色の左目は。

「あの菖蒲(あやめ)色の左目。どうやら霊眼のようさね。白い塔で憑きものを見つけ出したさね」

「・・・やっぱりさね」

 霊眼とは文字通り人の目には見えないものを見ることができる特別な目だ。実体を持たない幽霊や神、精霊を見ることができる。メディアの弟子チヨメも霊眼持ちだったからよく知っていた。でも霊眼は生まれながらか、仙人のように長い年月修行して人の寿命を超え、人の枠組みから外れた――それこそ死ぬような修行をしない限り持てるものじゃない。

「本当はあたしも拾うつもりも無かったさね。でもあの白い髪に菖蒲色の目。死んだチヨメのこと思い出してしまってね。なんていうのかね・・・・・」

 お燐の言い分にもう一度シニエの容姿を思い出す。体に負担をかけた色素の抜けた白髪。死ぬような目に逢うことで霊眼を得たとしたら。メディアの頭中に太古からある呪術が思い浮かぶ。

「・・・蠱毒こどく

「・・・そうさね。生前あたしが捨て猫だったっていうのもある。結局あたしは孤独こどくのシニエを放って置けなかったのさね」

 ・・・孤独ね。事実を知ったら憤るに違いないその捨て猫を拾った本人のメディアは言葉違いを飲み込んだ。生前のお燐を拾って育てたのはちょうど西洋から東洋へとメディアが移り住んだころだった。もう何百年昔のことか。まさか死んだ後にあたしが心配だとお燐が化けて出てくるとは思わなかったが。猫は愛情深いとはよく言ったものだ。

「あんたに育てられるさね」

「・・・・・ものぐさなメディアに言われたくないさね」

 嫌な顔していうお燐。その言いようにメディアもカチンとくる。

「この猫は!育ての親になんたる言い草さね!」

化け猫。ましてや大妖怪の火車かしゃであるお燐を猫呼ばわりするのはメディアぐらいものだ。やれやれと首を振りながらお燐は小言を言う。

「香薬だってもう少し下処理をきちんとすれば精油やアロマキャンドルができるさね。乾燥させるだけを手抜きといわずなんというさね」

 薬草は成分を抽出して精油にしたり、蝋に混ぜてアロマキャンドルにできる。それを乾燥させて火にくべるだけとは。もう一手間ができないものぐさなメディアにため息だって自然と出てしまうものだ。人の目があれば変わるのだろうがそれはそれで中身の残念さが増す。

「まったくかまってかまってとあたしのローブ裾を引っかいたかわいい子猫はどこ行ってしまったさね」

 ローブの袖で顔を隠してよよよと泣くフリをする姿があざとい。生前ただの猫のころはこれによく騙された。大丈夫?大丈夫?と焦る自分を内心あざ笑うメディアの腹黒さといったら。

「子猫のころの話なんて引き合いに出すんじゃないさね!」

 その喧嘩買ってやる!ドンッとシニエが寝ていることも忘れて机を叩き、一人と一匹の家族喧嘩が始まった。

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