024 『八重垣家風呂端会議』

 奈月なつきの風邪も無事に治り、八重垣やえがき家にも日常が戻ってきた、五月七日。火曜日。

 何の変哲もない日だが、五日後にはあるイベントが迫って来ていた。

 五月の第二日曜日といえば、母の日である。


 てなわけで現在、八重垣の湯にて(要するにお風呂場)、僕と湊による作戦会議が開かれていた。

 お互い身体が小さいので二人で入っても浴槽には十分なスペースがあり、伸び伸びと脚を伸ばせるのは、子供の特権だ。


「パパは、去年何あげたんだっけ?」


 と湊がスマホをいじりながら尋ねてきた。昔はお風呂にスマホ持って行くとかないだろ……と思っていた僕も、今ではすっかりアリの側になってしまった。

 湯船に浸かってのネットサーフィンや動画の視聴というのは格別だ。


「僕は確か、靴をあげたよ」

「ああ、あの高いやつね」


 お値段は秘密だ。

 去年は身体が小さくなってしまった事もあり、奈月にはとても迷惑をかけてしまったので、そのお詫びというか、お礼的な意味も込めて少し高い物をあげた。


「湊は何あげたんだ?」

「フレアスカート。ほら、レースになってる白いのやつ」

「あ、あれ湊があげたんだ」


 奈月がたまに穿いてるやつで、とてもセンスのいい服だと思っていた。なるほど、湊のチョイスだったのか。


「……で、いくらだったの?」

「んっとね––––」


 湊は僕に近付き、耳打ちしてきた。


「––––くらいだよっ」

「すごっ!」


 任天堂Switchを買って、PS4も買えるくらいだ!


「お前なんでそんな高いもの買うんだよ⁉︎」


 僕の問いに、湊は平然と答える。


「パパと同じだよ、ママが大好きなだけ」

「…………」


 そう言われたら、納得せざるを得ない。


「ママはそういう高いの自分じゃ絶対買わないからさ、みぃなが買ってあげないとね」

「確かになぁ」


 奈月は倹約家と言うわけではないのだけれど、自分にお金をあまり使わない。

 八重垣家のお金の管理は、基本的に奈月が担当しており、僕は所謂いわゆる、お小遣い制ってやつで、月に使える金額が決まっているのだが––––これが、結構多い。毎月、翌月に繰り越してしまうくらいだ。


 服はどうせ子供服なので、オシャレとかはちょっと難しいし(というか、湊が買ってくれる)、外食をするよりも奈月の作ったご飯が食べたいし、趣味といっても趣味だった車は運転出来なくなってしまったので、意味がない。というか、今の僕の趣味は蓮花と遊ぶことだし。


 他所の家庭では、お小遣い制に不満もある人もいるみたいだが––––僕は全くと言っていいほどない。

 ちなみにお小遣い制になった理由は、奈月の好物でもあるリンゴを使ったスイーツやお菓子を、毎日のように買って来たからである。


 結婚した当初は押し切られた––––という感じだったが、結婚生活が始まりしばらくした頃、僕は自分がどれだけ奈月を好きなのかを自覚した。新婚ホヤホヤの時期だったというのもあって、その時の僕は恥ずかしながら奈月ラブ全開だった。

 その結果、奈月の好物を毎日買ってくるという意味の分からない暴挙に出てしまった。

 その暴挙を規制すべく導入されたのが、お小遣い制だったりする。懐かしい話だ。

 まあ、それはさておき。


「別に買ってもいいのにな」

「ねー、ママってハイブランドで武装すると、絶対に無敵だよね」

「分かる」


 それはとても分かる。なんか、奈月は気品があるんだよな。


「ママはセンスもいいからさ、バックを主役にするか、コートを主役にするか、みたいな感じでコーディネートの軸を決めてから服を選ぶから、全体的にパリッとするんだよねー」


 ママはすごく参考になるよーと湊は言う。


「あとは時々TPOをワザと無視して、あえて持つ––––みたいな意図的に外していく事もやるからさ、あれは上級者だよ」

「すまん、何言ってるか分からない」


 湊は「あははー」と笑ってから、


「まあ、ママはオシャレさんってことだよっ」


 とまとめた。それなら分かる。

 奈月はパジャマでくつろいでいるだけなのに、やたらとサマになるからな。まるでドラマのワンシーンだ。

 ちなみに僕は、奈月が髪をくしかしているのを見るのが好きだ。なんか、すごくいい。


「で、なんの話だったけ?」


 と湊。


「えーと、アレだ、母の日に何あげるかって話だ」

「そうだった、そうだった。あ、ねぇねは今年も同じものあげるみたい」

「八重垣家御用達、和菓子屋さんのアップルパイだな」


 先日、蓮花れんかがプリンを買いに行ったお店だ。和菓子屋なのに、何故かアップルパイを注文すると作ってくれる。謎だ。


「それと、れんちゃんは幼稚園で今年も何か作るみたいだよ」


 幼稚園とか保育園では、こういう日には工作で何か作ったりする。去年は確か、色紙で作った花束だった。真ん中に書いてある奈月の似顔絵が、とても良かった。

 僕は母親にあげた『肩叩き券』をなんとなく思い出した(もちろん使われた覚えはない)。


「パパは、おばあちゃんには何もあげないの?」

「いや、遠いし」


 僕の実家はわりと離れた場所にあるので、すぐには帰れないし、郵送しようにも、前に母の日にスイーツの詰め合わせのギフトを送ったら、『私なんかいいから、奈月ちゃんになんか買ってあげなさい』と怒られてしまった。

 ちゃんと買ったうえで送ったと言ったら––––『じゃあ、もっといい物買ってあげなさい』と言われてしまった。


 僕の母親はやたらと奈月の事を気に入っており、嫁姑よめしゅうとめ問題など、全くない。むしろ仲はかなりいい。

 僕としては嬉しい限りだけど、僕の昔の話をアルバムを見せながらするのだけは本当にやめて欲しい。

 って、また話が脱線してる。

 閑話休題かんわきゅうだい


「湊は何買うか決めたのか?」

「うーん、あるにはあるんだけど、コレ! ってのはないかなぁ」

「分かりみ深過ぎバーサーカー」

「パパって時々、未来行くよね」

「こういうのはな、語呂と語感が大事なんだよ」


 僕がそう言うと湊は納得した様子で、『分かりみ深過ぎバーサーカー』と何回か反芻はんすうしてから、「確かに流行る可能性はあるね」と数回頷いた。


「だろ?」

「でも多分流行るのは、パパとれんちゃんだけだね」

「やりぃ」


 謎やりぃ。子供というのは本当に時々変な言葉を覚え、やたらとその言葉を意味もなく繰り返す(最近の『やりぃ』もそうだ)。可愛いからいいけどさ。


「パパはさ、もうポエムでいいんじゃない?」

「おい、ポエムって言うなって」


 ここで湊は悪戯っぽく笑い、ワザとらしく咳払いをしてから、僕の真似をして言う。


「僕にとって奈月の存在は––––」

「なんで知ってんの⁉︎」


 それは奈月に一度だけしか言ったことがないやつだぞ⁉︎ 家族の前で公開処刑にあった翔奈のやつならともかく、なんでそっちも知ってるんだよ⁉︎


「ママが昔嬉しそうに話してくれたの」

「奈月ぃ––––––––––––––––––––––––!」

「はーいっ」


 脱衣所の扉が開き、奈月の声が聞こえてきた。


「なんでしょうか?」

「……あ、いや、なんでもない」


 大声で奈月の名前を叫んだので、奈月は呼ばれたと勘違いして来たっぽい。

 とりあえず誤解を解かないと……なんて考えていたら、湊が今日もいらんことを言う。


「パパがね、ママに身体をキレイキレイして欲しいんだってー」

「あらあら、全くしょうがないですねー」

「おい!」


 裏切りだぞ、湊⁉︎ なんでそんな全く関係ないこと言うんだよ⁉︎ そもそも身体は湯船に入る前に洗ったし、背中を流してくれたのはお前だろ⁉︎ まさか、顔にある黒子取りたいって言った時に、猛反対したの未だに気にしてるのか⁉︎ あれは大人になってから取るって事でお互い了承したじゃないか⁉︎

 いや、最近はお前もその黒子気に入って(左目の下にある涙黒子だ)、化粧した上からわざわざアイライナーで書いてるじゃん⁉︎

 湊はこちらを見て、八重歯を見せながらニヤリと笑う。


「でも今日はみぃなが綺麗にしてあげたからさ、ママには明日お願いするってー」

「あら、あなた。浮気ですか?」

「バカな事言うな、もう出るからな」

「あ、誤魔化した、ママこれは怪しいよ」

「そうですねー、それは怪しいですねっ」


 奈月は全く怪しんでないのがバレバレなのに、湊に乗っかってきた。


「きっとこれは母の日に高価な物をあげて誤魔化すコースだよ」

「あらあら、それは酷いですねー」

「酷いのはお前らだからな⁉︎」


 これが女性の多い家庭での日常だ。押されて流されて諦める。もう、僕は黙るからな。黙秘権を行使だ。

 奈月がドアの向こうで楽しそうに微笑んでるのが見なくても分かるよ。


「じゃあ、本当にそろそろ出てくださいね。流石に一時間は長過ぎるますよ」

「分かってるって」


 奈月が脱衣所から出た音を聞いてから、手で水鉄砲を作り、湊に攻撃する。


「こら」

「あははー、ごめんってー」


 でもそろそろ身体もふやけて来たし、長風呂をする為に持ってきた、水差しもカラになっている(中身は水道水で湊と飲んだ)。

 この辺でこの会議もお開きにしないとな。


「で、真面目にどうする?」

「みぃなの今年の第一候補はオーダメイドのブラ」

「ほう」


 湊は真面目な顔をして続ける。


「ママのブラ、ワイヤーが結構切れるらしくてすぐにダメになっちゃうんだって」

「よく分からないけど、合わないからって事だろ?」

「その通りだよ、パパ」


 湊は頷き、同意する。

 奈月はブラのサイズが殆どなく、かなり苦労していると前にボヤいていた。


「だからオーダメイドで自分に合ったブラを作ってもらうの」

「でもお前さっき、コレってのはないって言ってなかったか?」

「本当は最初から決めてたんだけど、パパの意見も聞いとこうって思って」

「……このやろ」


 相変わらず策士なやつだ。湊は「でねっ」と話を続ける。


「価格はちょっと高いけど、二人でお金を出せばローテ出来るだけ買えると思う」

「具体的には?」

「えっとねー、大体––––」


 湊は僕に近付き耳打ちしてきた。


「––––くらいだよ」

「いける」

「じゃあ、柄はパパが選んでいいよ」

「マジで⁉︎」

「あんまりえっちなのだと、ママは着けてくれないからね」


 湊に釘を刺され、本日のお風呂場会議は終了した。

 後日、母の日に奈月を連れて、オーダメイドのブラを買いに行き(柄違いで五つ購入した)、数日後に届いたブラを着けた奈月は、かなり喜んでくれた。

 でも一つだけどうしても着けてくれないブラがある。

 なんていうか、黒のブラで周りにフリルのあしらわれたメイド服みたいなブラなのだが(セットで同じ柄のショーツ付きだ)、コレだけは『えっち』と言い、絶対に着けてくれない。

 だが、湊には好評だった。


「なるほど、ママをパパだけのメイドにするんだね、オーダメイド的な意味で」


 僕は湊の将来がとても心配だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る