二皿目 お嬢様、接近?

「一之宮さん……」

「ええと、あなたは……。そう、たしか、小川颯馬だったわね」

「覚えてくれてるんですね」

「たった三十人のクラスメイトの顔を覚えられないほど、悪い脳みそはしていないわ」


 ちなみに、聖イオリア高校のクラスは数字やアルファベッドではなく、花、鳥、風、月、山、川、草、木の八文字が当てられている。生徒数の多い学年には、明組、水組、光組、空組などもある。


 それにしても、どうして生粋のお嬢様の彼女がバイキングなんかに?

 お嬢様はフレンチのコースみたいなのを食べるんじゃないのか?


 困惑する僕に、雪乃は舌打ちをして、

「ねえ、邪魔だから、そろそろどいてくれないかしら?」

 いつもとは打って変わって、棘だらけの口調だった。

「あの、本当に一之宮さんですよね?」

「見ればわかるでしょ。それより、どいてよ。タイム・イズ・マネー。無駄話してる場合じゃないのよ」

 才色兼備で、落ち着いていて、誰からも慕われる柔らかな物腰。お嬢様の中のお嬢様。そんな普段とはまるで別人だ。


「ごめん、お先にどうぞ……」

 気おされながら場所を譲ると、雪乃は、分かればいいのよ、とトングを手に取った。それから、手早くいくつかの料理を皿にのせると、お先に、とすぐにその場を離れた。無駄のない鮮やかな動きだった。


 僕が再び一歩前に進み料理の乗った台を見下ろすと、思い出したように雪乃は足を止めて僕を振り返った。

「そうそう、エビと春野菜のテリーヌは食べておきなさい。すごく美味しかったわよ。マリネはイマイチだったから取り過ぎない方がいいわね。ビネガーが強すぎて。そういうのが好きな人もいるんでしょうけど、一口だけ試してから、気に入ったらお替りすることね。せっかく食べ放題なんだから、お腹の容量を無駄にしちゃダメよ」

 マシンガンを撃つと言うより、火炎瓶でも投げ込むみたいに、雪乃は僕に一方的な言葉をぶつけると、くるりと踵を返し、自分のテーブルに帰って行った。

 少しのマリネと、テリーヌを二切れ、それからハムを数枚皿に乗っけて僕は席に帰った。


 雪乃の言った通り、テリーヌは最高だった。エビ以外に何が入っているのか、僕の貧相な味覚ではとても判断できなかったけれど、お皿に山盛り食べたくなる味だ。マリネは酢が効きすぎていて、不味くはないけれど、お替りしようとは思わなかった。



 二、三皿ほどが空になり、人心地がつくと、両親はようやく僕の誕生日に祝いの言葉を

寄越した。

「本当にあっという間ね。ついこの間まで赤ちゃんだったのに……」

「残念そうに言わないでよ!」

「ふふ、だって、小さいころのあなた、本当に可愛かったのよ。お兄ちゃんとはよくケンカして大変だったけど」

 それから、父が高校生活について僕にたずねた。毎日は楽しいか、勉強にはついていけているか、友達ができたか。僕は、まあね、とお茶を濁すしかなかった。

 僕はクラスメイトと会話すらろくにしたことがない。必要な情報伝達くらいはするけれど、それだけだ。だって、ごきげんよう、なんてレトロ映画みたいな挨拶を現実社会リアルでする連中と仲良くなれる気がしない。

「たまには家に友達を連れて来いよ」

「嫌だよ。高校の連中はみんなド級の金持ちなんだ。うちみたいな家に呼べないよ」

 そんな会話をしているとき、雪乃が僕たちの席の近くを通りがかった。反対側からは僕の兄が、皿に山盛りのパスタを乗っけて戻ってくるところだった。


 兄は雪乃を見ると足を止め、じっと彼女を見つめた。彼女の甘い香りに惹きつけられているのか、鼻をひくひく動かしている。

「何ですか? じろじろと……」

 視線に気づいた雪乃が、迷惑そうに顔をしかめた。


 まずい。兄貴が変質者だと思われてる!


 僕は慌てて席を立ち、兄と雪乃の間に割って入った。

「ごめん、一之宮さん。これ、僕の兄貴なんだ」

「失礼しました。颯馬君のお兄様でしたか。私、同級生の一之宮雪乃と申します」

 すごい豹変だった。野球帽でも被るみたいに雪乃はスポッと猫をかぶり、兄に丁寧な挨拶をした。それから彼女は僕の席に来て、父と母にも自己紹介をした。

「あらあら、颯馬のお友達も来てたのね」

「今日は家族と一緒なのかい?」

「いえ、両親は仕事なもので、昼食は一人で済ませるよう言われてまして」

「じゃあ、一人ぼっちでバイキングに?」

「ええ、そうです」

「それは寂しいだろう。ほら、颯馬、せっかくだから雪乃さんの席で一緒に食事をしてきたらどうだ」

 なにが“せっかく”だか知らないけれど、あたふたしているうちに、雪乃のいる席に移動しなければならない流れになった。雪乃は「一人の食事はつまらないから嬉しいです」と言っているけれど、本心は分からない。顔にはべったりと作り笑いが張り付いている。


 飲みかけのコーラと、食べかけの料理を持って僕が席を立とうとすると、いつの間にかパスタを食べ終えた兄が先に席を立った。

「さあ、お替りしてこよう。じゃあね、雪乃さん。弟と仲良くしてやってね」

 それから声を潜めて、僕の耳元で、

「超かわいい子じゃないか。せっかくのチャンスだ、しっかりモノにしろよ」


 モノにするってなんだよ。

 彼女と僕では、ロミオとジュリエット以上の格差があるって言うのに。旧家のお嬢様と、電気工務店の次男坊。世界がひっくり返ったって釣り合うはずがない。


「ほら、俺たちのことは気にせず友達との食事を楽しんで来い」

 父がダメ押しで僕を送り出す。

 いろいろと不満はあったけれど、僕はしぶしぶ雪乃の席に移動した。

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