坊主探偵~ラノベプロデューサー殺人事件

遊良カフカ

第1章 大晦日と正月の坊主は忙しい

 居間にある古いラジオからオールディーズソングが流れている。生前父が好きで聞いていた番組だ。

「……そうか今日は日曜日だったな」

 大田区鵜ノ木の古刹『密言寺』の十一代目住職見習いの大宮現生は、部屋でごろごろしながら曜日の感覚を取り戻していた。

 坊主の日常に休みと言う観念はない。法事は土日に多く、通夜葬式は突然やってくる。正月休みもお盆休みもゴールデンウィークも僧侶に休みはない。一度出家したからにはずっと坊主、この生活は死ぬまで変わらない。この永久に背負い続ける感覚。

一般サラリーマンが三十五年の住宅ローンを背負った時の重みと似た辛さと息苦しさがある。同じ悩みを相談できる絶対数が少ないだけに、仏道を悟る以前に諦めの境地に至ってしまいそうだ。

 先代住職の父が亡くなって早七年。

『自分は坊主の生活とは無縁』と思っていた末っ子の現生が、数奇な運命により跡継ぎにされ現在住職見習いの生活を送っている。色気の無い姉が坊主の婿養子を取るその日が来たら、住職円満退職、晴れて警察官に戻してやるという警察署長の口約束を信じて辞職してから三年目。そもそも映画「インフェナルアフェア」の潜入捜査官みたいに、警察を除籍された人間が日本の警察組織に簡単に戻れるのかも良く考えると怪しい。

「……もう少し粘れば良かった」と後悔しても遅い。頼りの姉には一向に男の影は見えてこない。

「現生くんは大晦日も仕事かい、勢が出るね」

 通りかかった檀家の宮大工さんが庭から声をかけてきた。末のあいさつに来たついでに、来年の本堂の修繕工事をどうするか母親と話した帰りのようだ。

「今日も仕事だ、しかも例の面倒なやつだ」

 ラジオで五十年前のアメリカンポップスを聴きながら、再び刑事として活躍する日は遠い幻に思えてきた。


                * * *


二〇一七年十二月三十一日。大晦日。

 全国の寺院にとって年末年始は掻き入れ時でもある。

 特に大晦日は皆さんご存知「除夜の鐘」という行事がある為、これだけでも人と時間を取られてしまう。普段は時刻をしらせるお寺の鐘なのだから一月一日午前〇時に一回つくだけでいいようなものだが、煩悩の数だけつかなくてはいけないという理由で一〇八回と言われている。鐘撞き中に暇な老人が百八つ目まで数えていたりするので、ごまかしやテンポアップも許されない。 金銭欲、色情欲、出世欲……何が一〇八なのか教えてくれた人はいないが、確実につきながら後半は睡眠欲がわいてくる行事である。

 そういうわけで大晦日と正月の坊主は忙しい。でも見習い住職・大宮現生にとって幸いだったのは、この寺では「除夜の鐘はつかない」ことになっていることだった。

 それ以前にウチには梵鐘が無い。突く鐘がもともと無い。

密言寺は室町時代末期の建立から五百年越えを誇る大田区内有数の古刹だけに、昔は鐘堂も立派なものが立っていたが、それは残念ながら戦時中に無くなった。その理由は、空襲といった事故的なものではなく。第二次大戦末期『金属回収令』というものが出て、近所の工作隊が持って行ったというからまことに残念な話だ。他にも境内にある鎖、銅像など次々と鉄製品を回収していったそうだ。当時は鉄道のレールも回収したというのだから本末転倒。これで戦争に勝てるわけがないと思う。

 そんなことでウチの寺では『除夜の鐘は鳴らさない』。だからといってヒマできるかと思いきや、これが縦横に張り巡らされた恐るべき『坊主連絡網』の呪縛があり、同じ宗派の大きな寺に『お手伝い要員』として動員され、鐘つきやら、おみくじやら、古いしめ縄のお炊き上げなどで散々働かされる。俗世では『大晦日休業』だ、『アメ横でタラバガニ』だ、『紅白』だ、『ガキ使』だ、とか言っている時に見習い坊主たちは密かに召集をかけられる。

 現生がいつも派遣されているのは、城南地域で最大規模を誇る『僧土寺』だ。大宮家宗派の東京本山であり、江戸時代には将軍家も参拝したといわれる。年末年始には広大な境内の敷地には出店などが並び大勢の参拝客でにぎわう。

東京城南地区の品川、太田、目黒から労働力として集められた若手坊主達は、『僧土寺』内の『大祖堂』という大会議室に夜八時に集められ、そこで指導役からシフトの発表を受けることになっていた。


                * * *


「皆様本日はお集まりいただきありがとうございます。今夜のスケジュールをお伝えします。二十三時から本堂正面の大門を開いて初詣の参拝客を受け入れます。三班の皆様は先に二十二時からの除夜の鐘の一般参加者の誘導とサポートをお願いします。一班と二班の方は境内の特設頒布カウンターで昨年大好評でした『LOVE僧土寺・縁結びお守り』とバンダイ様と提携した『ライダーお子様御守り』の販売を二十時から交代でお願いします。『今年はどれほど売れるんだろうか?』と地区長も楽しみにされていました。気合い入れて精進してください」

 貴重な現金収入の機会でもあり指導役の先輩僧侶も鼻息が荒い。

「それと大粗堂の入り口脇に昨年大好評だった特別お夜食用意していますので交代で食事をとってください。えーっ、それと携帯電話やスマホはなるべく使わないようにお願いします。あくまでも本日は仏事でございますので、昨年大問題になりました参拝客とのLINE交換やナンパしてインスタにあげられたりする不祥事がないように、各自修行の気持ちでご奉仕お願いいたします。ではこの後、皆様お楽しみの『特別懐石弁当』を受け取って各自食事終了後、最初の持ち場に入ってください。以上よろしくお願いします」


 指導役の先輩僧侶から一方的な伝達が終わると、大宮たちは弁当を受け取りそれぞれ地区担当ごとに別れて勝手に食べ始めた。大宮のシフトは同じ大田区で鵜ノ木の隣町下丸子の萬田さんとペアになっていた。この班の最初のシフトは二十二時からとなっていて、肉の無い懐石弁当を食べ終わった後もまだまだ無意味に時間が余る。集合時間が早すぎるのだ。このように何かとスケジュールを一時間単位でしか切らないところが『坊主タイム』の特徴である。何せ、死ぬまで続く仕事だから誰も『分単位』では焦らない。

ペアを組む下丸子の萬田さんは、僧侶になる前は地元密着型の銀行員だった。定期預金の営業で度々地元の寺を訪れているうちに、住職に見出されて『自分の娘との結婚を条件』に二〇〇〇万円の定期預金を獲得したという。ちょうどその頃萬田さんは池井戸潤の金融ミステリー小説を耽読しており「金融界って怖い! 俺にはとても無理」と銀行員の将来を悲観し入り婿、以降は専業坊主として寺を継ぐことになったらしい。銀行員と僧侶の天秤で、一体何が彼の人生を変えた最大要因なのか興味深いが、奥さんは美人らしく、おそらくそれが最後のひと押しになったことは間違いない。

 話を会場の僧土寺に戻すと、目玉である一般参加型『除夜の鐘イベント』はあらかじめ整理券が配られているので開始時間前に会場に集まる人は心配するほどおらず、通常の参拝客の列も混乱なく順調のようだった。

「これなら自分たちの担当時間までは、出る幕は無いだろう」と大宮と萬田の二人は安心しきって、境内裏庭で焚き火にあたり無駄話を始めた。


「寒いなぁ」

「寒いですね」

「銀行員の時はさぁ、帰宅はめちゃ遅かったけど大晦日と正月だけは家でゆっくりできたからな……コタツ入りながらさぁ、テレビを見てウトウトしながら年越し出来たことがどんだけ幸せな事だったか、失ってから身に染みて感じるよ……」と、萬田さんは一般市民時代を懐かしむように語り始めた。

「紅白の最後の方は絶対我々見れないですからね」

 大宮もしみじみと俗世への未練を感じていた。

「一度でいいから渋谷で大騒ぎしながらカウントダウンとかやって見たかったなぁ」

「まぁもう無理ですよね。萬田さんキレイな奥さんもらったんだしいいじゃないですか。僕も彼女と年越しデートしたいなぁ」

「お前、彼女出来たんか? どこで知り合った」

「単なる妄想です。知り合うチャンスなんてないですよ。法事で可愛い子見かけても、向こうは『袈裟着た坊主』なんか最初から恋愛対象外ですから、萬田さんは超レアケースですよ。うらやましいな」やっかみながら大宮はぼやいた。

 それを聞いた萬田は小声でささやいた。

「でもな大宮くん、俺たちの職業坊主ってこの先も成長産業らしいぞ」

「何の話ですか?」

「この前銀行時代の仲間から聞いたんだよ。西暦二〇四〇年あたりになると日本は『スーパー超高齢化社会』になるというじゃないか、日本中が七十歳以上の老人であふれるとどうなる? 自然と葬典式場や火葬場、お墓が足りなくなるよな」

「へぇー、そうなんですか」

「なんか君、感動薄いなぁ。つまり、これからどんどん子供や労働人口が減ると、家買ったり、モノ買ったりしなくなるから、流通業界も不動産もメーカーも金融も、さっぱりダメになる。日本のほとんどの業種は今以上の成長は望めないってことだよ」

「なるほど」

「だろ! そこで注目されるのが我々『寺業界』だよ。この先二十年以上も安定していて、定年退職も無い僧侶という職業は稀にみる優良銘柄ということになるんだって。だから今後はどんどん女子人気も上がってくるに違いない。大宮くんの前途は明るいってもんだよ」

「それで萬田さんは銀行員辞めたんですか?」

「……確かにそれもあるな」

「でも本当にそうなりますか? 萬田さん、日本人ってクリスマスだからと言って教会行かないじゃないですか? 初詣だってやっぱり信仰しているわけじゃなくてスタイルでしょ? だから……葬式だって、そのうちやらなくなるんじゃないですか?」

「えっ、そうなの? じゃあさぁ、家族の誰かが亡くなった場合はどうすんのさ」

「そうですね、葬式とかお墓とか面倒なことはみんな廃れると思うんですよ。そのうち、コンビニで買ってきた仏前お供えセットにロウソク立てて、皆でフーッと息吹きかけて『おじいちゃんさよなら』とか言って『終了』ですよ。それにスーパー超高齢化社会になると、亡くなる人が多すぎて手間がかかるっていうんで、区役所から毎週決まった日に霊柩車で町内を回って、そこで遺体回収、処理場で一緒に火葬して終了ていうシステムになるんじゃ無いですか……希望者だけにオプションで遺骨が帰ってくるとか? イスラム教徒も増えてるって言いますし」

「燃えないゴミと一緒じゃないか……お前、めちゃくちゃ将来に悲観的だなぁ」

「この先あまり良いことはこの国に起きない……そんな気がしてならないだけです」 

 大宮は表情を変えずにそう言い切った。

 坊主二人がこんなシニカルな会話をしていると、近くでイベントでもやっているのか重低音のリズムが漏れ聞こえてきた。萬田は暗い話にも飽きたので、その音楽を聴き分けようと耳を澄ました。

「たしか今年は隣の『信徒ホール』を貸し出して、カウントダウンイベントやってるって言ってたな。ちょっと調べてみるわ」

 萬田は大晦日は禁止されているスマホでスケジュールを調べ始めた。

「カウントダウンイベント下らないなぁ。俺たちと違って好き好んで徹夜するなんて、眠くないのかなあ? ご飯とかどうするんでしょうかね、 夜食とか出るんでしょうか?」

 大宮は食事がまず気になるようだ。

「なんかクラブ系の音楽っぽいなぁ、宗教法人も最近は多角化してるなぁ」と萬田は大宮の話は気にせずスマホを見ていた。「おっ分かったよ、貸し切りシークレットイベントってなってるな。これあやしい感じだぞ」

 大宮は急に眼を輝かした。

「あやしい感じ……ちょっと僕、覗きに行って見ますわ」

「お前まずいよ、こんな格好で行ったらサボリ坊主バレバレだろ」

 萬田も大宮も僧衣に坊主頭だ。

「まぁ、そのうち俺たちのシフトになるよ」

しごく真っ当な萬田のアドバイスも、ルーチンワークが大嫌いな大宮には通じなかった。

「新年までまだ三時間、僕らの交代まで三十分もありますよ。萬田さん、三十分は長いですよ。僕なら『般若心経』で十回は余裕です」

「早すぎだろ! なんだよその例え……まぁ、俺も気になるから、何か面白いことあったらメールで教えてくれ。でも時間までには必ず戻って来いよ。一人減っただけでも地区長にはすぐばれるんだからな」

「もちろんです、萬田さんにご迷惑はかけません。私も仏法に生きる人間です」 

 心配する萬田を置いて、大宮は一人境内の裏口からイベントが開かれている信徒ホールへ続く石段を下りて行った。

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