第10話 八幡平

 武田信玄の本隊は、夜明け前には八幡平に到着して陣を構えるための準備を整えようとしていた。妻女山の別働隊が予定通り夜明けとともに襲撃すれば、上杉軍がこの八幡平に来るのは、一刻以上あとになるであろう。その時には準備万端鋏うちにて上杉軍を殲滅できると確信していた。しかし、信玄は周りが夜明けがくるとともに霧が徐々に濃くなっていき一望のきく八幡平の長所が生かせないこともしこりがあった。嫌な予感が増幅する。


「勘助!この作戦間違いなくうまくいくであろうな」

「御意、この霧もまた我に味方でござる。逃れてくる上杉軍は眼前に突然現れた武田を見て慌てふためき、陣形は乱れましょう。天は我に味方せり」

信玄は不安だった。いつもなら、そう思えたが、今日はどうも違うような気がしてならなかった。そうこうしているうちに、なにやら霧につつまれた遠方より何かしらの地響きらしい、空耳かと思うような音が聞えてきた。

「お館様、念のために物見をだしておきましょう」

「うん、そうしてくれ」


 百足衆の浦野民部左衛門が馬上となり、霧の中に消えて言った。しばらくすると、浦野が息を切らせながら帰ってきて、信玄の前に進み出て告げた。


「申し上げます。まもなくすると間違いなく人馬の音が聞こえたため、近づいて確かめたところ、上杉の軍勢にございます。が、犀川の方へ向かっております。たとえ、合戦になりましてもさほど、たいした騒動とはならないものと思われます」


 信玄はこの報告を聞いて唖然とした。やはり、胸騒ぎは本当であったのだ。と、すると別働隊が見つかり、早めの攻撃を仕掛けたのか。であらば、火急の狼煙があがる手筈であったが、この霧で見えなんだか。謙信が攻撃をさとり先手を打ったか。しかし、犀川に向かうとはこれまた解せぬと信玄は思った。

 浦野もまた、あまりにも唐突に上杉の軍勢を見たために、味方が慌てふためいてはいかぬと思い、微妙ないいまわしをしたのであった。


 信玄はいま一度物見を出すよう命じた。側にいた室賀に命じた。

「浦野の報せではこころもとない。室賀入道、いま一度物見をせよ」

室賀が早速馬上となり、偵察に出た。そこには上杉の大軍が眼前にあった。時すでにおそかったのか、武田に向かっての攻撃態勢に入ろうとしているのが読み取れた。この頃には霧が薄れはじめていたのである。


「お館様!間違いござりませぬ。上杉軍は攻撃態勢を整えております。まもなく迫ってくるものと思います」

と報告した。

「何と!」

信玄の本陣は動揺に包まれた。


 さて、妻女山を下りて川中島をすすむ上杉軍は、柿崎景家が先鋒となって霧の中を進んでいた。霧は徐々にうすれつつあるようだった。河川敷を覆う霧は日の出とともにその濃さを減らして視界は開けてくる。先行する物見が急いで景家のもとに駆けつけてきた。

「申し上げます!」

「何だ!」

「前方に武田の軍勢が布陣しております。武田の物見も出ております。まだこちらの動きには気づいておらぬと思われます」

「うん、・・晴家」

「はっ」

 景家は子の晴家を呼んだ。

「すぐさま、お屋形様のもとに参り、武田が前方に布陣していると伝えよ。柿崎隊は戦闘隊形をとりつつ、命を待つと」

「はっ、すぐさまお伝えし、戻ります」

晴家は馬を走らせ、後方を進む謙信のもとへ向かった。謙信はその馬の走りを見て異変を察知していた。

「お館様、申し上げまする」

「うん、申せ」

「武田の軍勢が前方に布陣して待ち構えております。その陣形、数は不明。柿崎隊は戦闘隊形を整えております」

「わかった」


 謙信はその報告を聞いて、さすがは信玄は行動はすばやいと感心した。あまりにも霧が深くて行動も予定より遅くなったことも予期しないことではあったが、万一のためにも遭遇戦の用意も視野に入れていた。武田の陣形はわからぬが、信玄の性格からすれば、重層の包囲陣形を整えているに違いないと思った。この霧はまもなく晴れよう。武田と上杉の兵力は現時点では五分と五分。槍衾のように武田の陣の一角に突進すれば、戦機は見つかるであろう。

「皆に伝えよ。車懸りの戦法にて武田軍を切り崩して善光寺へ向かう。皆心してかかれ」

「はっ」

(毘沙門天よご加護あれ!)

謙信は毘沙門天に祈りをささげ、信玄との一戦に挑もうとしていた。

 

 信玄の側にいた勘助はこれは一大事と思った。

(わが策謙信めに見破られたか。あさはかであったか。といっても始まらぬ。この責はとらねばならぬ。どうにかせねば。別働隊が来るまで何としても持ちこたえねばならぬ。わが命をかけても)

と勘助は心に決めた。

「お屋形様、それがし先陣をきって敵を防ぎまする。ごめん」

「うん、勘助!そちの働き見とどけようぞ」


 信玄も勘助の心情を察していた。永年の功労者を失うのは心痛いが、それが勘助の出来る限りの遣り方だと感じていた。

「皆に伝えよ。その場に踏みとどまり備えよ。下知あるまで動くでない」

 百足衆が一斉に各侍大将のところに連絡に走っていった。

 勘助も部下を引き連れて、前面に押しでた。そこにはもう疾走してくる上杉の先陣、柿崎隊の葉大根の纏の姿があった。


「おう、あの印は葉大根、柿崎和泉守景家とみた。相手にとって不足なし!かかれっ!」

 勘助の配下の者は少ない。同じく備えていたのは、飯富三郎兵衛昌景の隊であった。のちの山県昌景である。

 先陣柿崎景家の突入を見た本庄繁長隊は武田の内藤昌豊隊に突進し、新発田重家は穴山信良隊に突入していった。柿崎隊は飯富隊に突入したものの、武田信繁の加勢もあり、防戦固く突破できるどころか、三度も押し返され、一時は総崩れをするかもと思われた。


「踏みとどまれっ!引くでないぞっ!」

 景家は将兵を激励し、自らも太刀をふるって武田と渡り合った。

景家の“大根の馬標”が押されているのを見た、色部勝長は前面の敵は他の武将に任すとして、景家の救援に向かうことに決め、日の丸の旗を飯富隊に向けた。

「ものども!狙うは飯富昌景の首ぞッ!」

「オゥー」

 飯富隊の側面を衝いた。さしもの飯富昌景も防戦しきれず、一時後退せざるを得なくなった。色部勝長の助けによって、柿崎隊は息を吹き返して態勢を整えなおして、再度突進していった。だが、色部隊の損害も多く、多数の死傷者を出していた。のちに、謙信から“血染めの感状”を賜ることとなる。

 

 武田の諸角豊後守昌清は、桶皮の大鎧に火焔頭の冑をかぶり、上杉の押し寄せる軍勢と渡りあっていた。昌清は信玄の曾祖父の末子というから、相当な高齢であったに違いないが、獅子奮迅の働きをしたことには間違いない。いつのまにか、遠望の見えた武田信繁の冑が見えなくなっていた。

「典厩殿ッ、討死!」

の声が昌清の耳に聞えてきた。

「典厩殿が、・・典厩殿の弔いじゃ」

(このわしも、大殿様の為に死んでもここから先は通さぬぞ、典厩殿ッ、ご加護あれ!)

 信繁隊を切り崩していた安田長秀の軍勢に突撃した。

「ものども!典厩殿の分まで討て!打ち崩せー」

「おうー」


 昌清は愛刀“雪山”をふるって上杉兵を倒していった。

安田隊と諸角隊の激突を見た新発田重家は、安田隊が押され気味なのに気づいて、諸角隊の左手から打ちかけよと命じた。このため、形勢は一転して諸角隊は切り崩され、昌清は、わずかばかりの従兵と取り残されてしまった。しかし、昌清は手ごわくなかなか討ち取ることができなかった。

「わしが大将の首をとってみせるぞ」

と名乗りでたのが、新発田隊の槍の使い手松村新右衛門だった。

「この槍受けて見よ」

「おう、この諸角昌清の首見事とってみよ」

昌清は二手、三手繰り出される槍の穂先を防いでいたが、さすがに高齢のため力及ばず、つづいてくり出された槍を防げず、横腹にまともに受けて、ドッと馬から落ち崩れた。

松村はすぐさま匕首をとり、昌清の首級をあげた。

「敵の大将うちとったり!」

しかし、この状況を見ていた諸角の側近は、首をとられてなるものかと、村松に殺到した。村松も首級をあげた安堵感と油断から、数人の武田兵から襲撃されたのでは、防ぎきれなかった。武田の石黒、広瀬らの繰り出す槍先を同時にまともに受けて倒れた。主の首をとりもどした諸角の兵は潮のように引いていった。新発田隊もそれ以上追うことは不可能だった。まわりには、武田と上杉が入り乱れて戦っていたのである。

 

 山本勘助は両軍の激突の様子を見ていた。これほどまでに凄まじい合戦を見たことはなかったといっていい。特に武田の軍勢が上杉の猛攻に押され気味である。屍の山があちこちに見受けられる。両軍とも必死に戦いであることがこの目でひしひしと感じていた。

(武田に仕えて一八年、最後の華を咲かせるときが来たのかもしれぬ)

 勘助にとって、自分の作戦がこれほど見事に外れたのは、初めてといってよかった。過去には運にも助けられたことがあったが、今日は違った。読みが外れたために、多くの武田の武将が討たれていくのを眼前で見ていた。手にこぶしをつくり力が入っていた。それを後方より見た原隼人正種長は勘助の異様さは感じ取っていた。種長は勘助に近づいていった。


「勘助殿」

 勘助は振り向かずに前方を直視していた。

「種長殿か」

 勘助は興奮していても、聞き覚えのある種長の声を判別していた。

「お館様の御大事は今日に限らず、決して短慮のふるまいをなさるるな」 

 勘助はぎょろりとした眼差しで種長の方を見た。

「往く事はただ流れの如し」

 勘助は刀を抜き馬を走らせた。勘助は胸当に金の五軒梯子を描いた黒糸縅の鎧に、三つ巴の裾金物、しかみの前立物打った甲をつけ、糟毛の馬に貝鞍を置いて突進した。従う者は、法師武者、大仏入道や諫早入道ら長刀をもって、勘助を囲んで守るように、上杉の本庄・北条らの陣営に切込んでいった。

 勘助の率いる一隊の奮迅の戦いは、豪でなる本庄隊をなやますほどであった。わずかばかりの兵での奮戦ぶりは、敵味方から大いに目立った。遠くで勘助ではないかと見た柿崎景家は、かたわらの兵を集めて命じた。

「あそこにいるのは山本勘助と見た!取囲んで討ち取れぃ」

「はっ、・・ウォー!」


 もう一人、勘助の姿を見た者がいた。道儀である。道儀は、近くにあった主のいなくなった馬に飛び乗ると、勘助の所へ向かった。

 勘助も激戦で、守る郎党は討ち取られ、もう数人しか残っておらず、勘助自信も矢による傷を二箇所も受けていたが、致命傷ではなく上杉軍と闘っていた。上杉の足軽はもう畏怖の状態であり、ただ槍をもって囲んでいるだけであった。

「勘助殿とお見受け申す!」

 道儀が足軽勢の間から入り込み勘助と対峙した。

「いかにも。そなたは」

「かねがねより勘助殿の軍略には敬服いたす。だが、こたびは破れたり!」

(??、こやつはひゃっとすると、謙信の影の軍師か?謙信には得体の知れぬ軍師か乱破の者がおると聞いていたが)

「拙者の戦法を見破ったのは、貴殿か?」

「ご推察におまかせしよう。ここでお会いしたのも何かの縁。御首頂戴つかまつる」

「お相手もうそう」

 お互いに刀を抜き、馬首を巡らして戦い始めた。三手四手しても勝負はつかず、今度は接近戦となった。それでも、お互い互角の勝負であった。何手したか数え切れず、さすがに疲労が蓄積していたのと還暦を過ぎていた勘助は動作が緩慢になってきた。そのため、ついに胴に刃を受けて、落馬した。首をとろうと勘助にどとめをさそうとしたが、残っていた郎党が邪魔をして道儀を退けた。馬の尻を槍でついたため、馬が驚き走り出したので、道儀はそれを制するのに時間を費やしたため、勘助の首をとることはできなかった。かわりに、柿崎の郎党が勘助に殺到し、坂本磯八という者が首級をあげた。


「勘助が首!討ち取ったり!」

 これを見た、勘助の郎党は、主の首をとられてなるものかと、死にもの狂いで殺到し、ついに勘助の首を取りかえし、川端に急いで埋めた。

道儀は馬上からこの様子を見ていた。勘助の首は自分が欲しいからではなく、存在がなくなったことがわかればよいので、謙信の下へ向かった。敵とはいえ偉大なる勘助を失ったことに心のなかで成仏されよと念じていた。

「お屋形様」

 道儀は本陣に向かうと、謙信のもとへと近づいた。謙信は軍扇を手にしていた。道儀は下馬すると、謙信に向かって力強い言葉でいった。

「山本勘助、討ち取りましてございます」

「うむ、よくやった」

謙信は軍扇を御側衆に渡すと、刀を静かに抜いて高く掲げた。

「ものども!武田を踏み潰せ!刻を与えるでない。かかれっ!」

「オゥー」

 謙信自ら、動き出していた。それはあたかも大河が流れる如く怒涛の勢いであった。謙信は馬上にあった。

 

 信玄はまだ本陣で床几に腰掛けたまま戦いの行方を見守っていた。それは、誰がみても激戦の様相であり、じわじわと陣形が押されて破られているのがわかった。だが、信玄は武田軍の強靭な粘り強さも熟知していた。自分がここから退いたならば士気に影響して総崩れをしてしまう。我慢のしどころであった。妻女山別働隊の到着が待ち遠しいのだ。背後から攻めれば、上杉軍をたちまち包囲殲滅することができるのだ。

(最後の勝利の女神はわれにあり)

と信玄は心に刻んでいた。しかし、上杉の怒涛の如き軍勢は目前に迫っていた。

「父上、本陣に敵は寄せ付けませぬ」

 と嫡男太郎義信は、旗本五〇騎、雑兵五〇〇を率いて、眼前に迫る上杉勢に立ち向かった。

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