16.Tira vento





思い返すまでもなく、思い当たる節はこれでもかというくらいにあった。


でも、彼女の傷を態々掘り返すような真似なんてしたくなかった。


そんなことしなくても、これから一緒に生きていけると思ってた。


だけど、俺は彼女の傷を知らなくちゃいけないんだろう。彼女は、救われてなんか、癒されてなんかいなかったんだ。





















樹を別室に追いやった義母さんは俺に座るように促した。


「聞いてて面白い話じゃないし、知らなくたって別に結婚は出来る。でも、あの子のこと、本気で想ってくれているあなたには知っておいて欲しいの」


そう前置きをし、お茶を用意してから語り始めた。


「あの子、友達いなかったでしょ」


「はい」


「あの子は小学生のときに、友達を無くしてしまったのよ」


いじめでも受けていたんだろうか。


「親が言っちゃうのもどうかと思うんだけど、お世辞にも器用な生き方が出来る性格じゃないのはその頃からで。不器用なりに集団の中での生き残りを模索してたみたいなのよ」


今となっては集団の中で生きることを諦めていたように思うのだが、幼い樹はまだそれを諦めていなかったんだろう。


「見つけた方法が、友達含めてみんなの行動を逐一先生に報告する、だったのよ」


「それは」


「当然、中には先生にばれないようにちょっと悪いことをした子もいたわ。それさえも報告してたものだから、その子はばれてないと思ってたはずのことで先生から怒られるし、樹はそれを慰めに来るしで。それがあんまりにも多いものだから、みんなが樹を疑いだしたの。本人は先生からも一目置かれて、それでいてみんなを慰めてあげられるいい子のつもりだったらしいけれど」


ああ、それは疑われるよな。そして、それはやり過ぎだ。


「で、あっさり糾弾されて、あっさりクラス全員が敵になってしまった」


間違いなく、樹の性格を作るきっかけになったのはこのことが原因だろう。それ以外に思いつかない。


「それでも暫くの間は学校も休まずに通ってたわ。と言っても、ずっと俯いて、家でも喋らなくなって、ごはんもあまり食べなくなって


きたら当然、倒れるわ」


思いつめたらそのまま沈み込んでいくのもここからなのか。


「で、何とか体調を戻して学校に行こうとした時にね、見ちゃったのよ」


「見てしまった、ですか」


「そう。家の前を通学路にしてるクラスメイト、昔は仲良くしてた子たちがね、楽しそうに話しながら通り過ぎてくのよ。そのとき、思ったのだそうよ」


そのとき言われたことを、俺はきっと忘れない。そして、一生をかけて樹を守り、救っていこうと決めたんだ。


「自分なんかいないほうがいい。そのほうがみんなが楽しく過ごせるってね」


それは自己否定の塊だった。そうしてあの樹は出来上がっていってしまったんだ。あの日、病院で誰もを拒絶しようとしていた樹が。


「本人も中学までは地獄の気分だったと思うわ。自分のしでかしたことを知ってる人がずっとついてきて、さらに知る人が増えていく。


高校で電車で片道1時間半のところを選んだのも知ってる人のいないところに逃げ出したいって思ったからだったんでしょうね」


そして、人と関わらないから勉強して時間を潰すしかなかった、と。


「ただ、本人も誤算だったんでしょうね。高校であの子を本気で想ってくれる友達に出会ってしまったのは」


「友達、いなかったんじゃないんですか」


「そうね。本人は捨てて行ったつもりだったんでしょうし、そもそもそんなに深い関係になったと思ってもいなかったでしょうけどね」


「そう言うってことは、違った、ということなんですね」


義母さんは頷いた。そして続ける。


「あの子、自分が進学する短大をその子たちに言わなかったのよ。でも、その子たちは樹を探そうとしてた。勿論、住所だって教えたし、行った短大も教えたわ。ただ、あの子の独り暮らしを了承した私たちも大概なんだけど、日帰りで行けるといってもそこそこの距離、公共交通機関では微妙に不便なところ。流石に、そこに全員で予定をすり合わせて行くのは難しかったそうだし、1人は高校卒業後にそのまま就職したからやっぱり自由が利かないし。


 手紙を出しても返事はないし、携帯にした連絡は無視される。樹はあの子たちを徹底的に避けたわ。でも、あの子たちに報われて欲しいのよ、前園樹の母親としては」


「人間としては?」


「正直に言えば、勝手にしろってところかしら」


樹よ。お前、大人しく友達に捕まってやったほうがよかったんじゃないのか。


でも、それが出来ないほどには追い詰められて生きてきたんだろうな。それはわかる。


「結婚式には必ず招待させます」


「お願いね」


義母さんは「それから」と続けた。


「あの子、小学校低学年の頃の家族旅行以来まともな旅行をしてないから、新婚旅行は思いっきり楽しませてあげてね。国内ですら碌に巡っていないから」


え。この歳まで生きてくれば、普通は修学旅行くらい行くはずだ。小学校、中学校、高校。あとは大学や専門学校であったなら研修旅行なんかもだろう。


少なくとも、樹の学歴は小学校、中学校、高校、短大となっているはずなので、修学旅行ですら3回は行っているはずなのだ。


「小学校の頃はさっきの話で不登校寸前だったから不参加。中学は行きはしたものの班の中には入れなくてバスやホテルで先生と一緒に待機。高校は直前に足を骨折して入院で不参加。


 だから、あの子に思いっきり楽しませてあげて欲しいの」


そういうことか。それにしても高校が不運すぎる。


だからこそ、だ。友達のこと、旅行のこと。全部、解決してやりたい。



























帰りの車の中で、俺は友達のことを切り出すことにした。


「樹、高校の頃の友達、呼んであげないか?」


「それ、お父さんからも言われたんです。私が家を出てからも家に来てくれたり、連絡してくれてたって」


それだったら尚更呼んであげないと。そして、俺で安心してもらえるかわからないけど、樹の未来を示してあげないと。認めてもらいたい気持ちもある。


それに、わかる気がするんだ。多分、樹を最低限であっても他人と触れ合えるようにしたのはその友達だって。彼女達がいなければ、きっと進学もせず、家に引きこもってしまっていたんじゃないかって、今日の話を聞きながら思った。『自分なんていない方がいい』と思い込んでしまった彼女だからありそうだと思う。


「俺、これでも結構貯金してるから、式、もうちょっと規模を大きくしてもいいと思ってる」


「貯金は、私もそこそこあります。そうですよね。皆さん、呼ぶんでしたら今考えてるのより少しお金かけるべきですよね」


実のところ、式については殆ど決まりかけている。樹が呼びたくなるであろう友達の人数は聞いているから、誤差の範囲で収まるだろうけど、その友達に見てもらうためにも、ここは少しばかり見栄を張っておきたいのだ。


「そうだな。招待状作って、皆呼んであげるといい」


「そうですね。折角だからもう一度、友達として会いたいなぁ」


それは紛れもなく樹の本音だったはずだ。今、彼女は『赦し』を希っている。


だから、俺が赦そう。


「会えるだろ。樹がそれを願えば。宮下も小野寺も。樹が望んで行動すればそれだけで」


それが友達だ。


会いたいと思って、そのように動けば会える。



























後書


実は、某所で公開している版から激しく様変わりした話です。というか、カクヨムに公開するに当たって、唯一完全に書き直した話です。書き直しに際し、樹視点での語りから、静季視点での聴きに徹してもらいました。回想が無い所為で短くなりました。


少なくとも、小学生にとってはクラスの全てが敵になるというのは本当に恐ろしかったのではないかと思います。


今回は母親目線で語ってもらいました。樹ではおそらく旅行の話が出ないので、そうすると別の人に語ってもらうべきだと判断し、この形としました。


旅行そのものの話はありませんが、そこに触れるエピソードは後々追加します。


今回の副題は「風が吹く」でした。


因みに、要望があれば樹が語ったバージョンも公開します。


本編としては次回が最終話に位置するのですが、閑話をいくつか挿みます。

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