7.Il giorno dopo.







休日が終われば、待ってるのは仕事なわけで。


少し、溜まっているのを見るとやる気もなくなってくるけれど。


頑張ってみよう。


ここが私の場所だと言えるように。





















まずは溜まっている仕事を片付けよう。


フロア左端の蛍光灯の交換、昨日一日分の経費の申請、社内メールでの連絡事項の確認。


件名、お疲れさま。あぁ、宮下さんからのメールだ。


『おはよう。昨日は楽しかった? 私は楽しかったけど、結構強引に連れまわしたからね。じゃあ、今日のお昼に食堂でね』


返事。したほうがいいのかな? いいんだよね? でも、これ仕事用のパソコンだよね? そんなことしてもいいのかな?


私がモニターの前で変な顔をしていたのか、後ろを通り過ぎた松戸さんが少し笑いながら「おはよう」と言ってくれた。


「今日は直帰しないつもりだけど、もしかしたら直帰になるかもしれないから」


「わかりました」


こうして営業回りをする皆さんがその日の大まかな予定を教えてくれる。それは書類とかを納めるロッカーの鍵を私が帰る前に総務の保管箱に預けていくから。


大体の営業さんは業務資料を家に持ち帰っているみたいだけど松戸さんはよく預けていく。それに、経費の申請用紙とかはそのまま無造作に置いていくなんてことはできない。改竄されたら大変なことになるし。


だから私が帰るよりも前に戻ってきて必要なものをロッカーに納めていく人がいる。


前に直帰しない人全員が戻ってくるのを待っていたら頼むからやめてくれと懇願されてしまったことがある。それ以来、どうしても預けておきたいものがある人は私に一言言ってくれるようになった。


「あ、そうだ。前園は出るの? 1課と2課の懇親会」


そうだった。この前から言われてることなんだけど、食品事業部営業課の合同懇親会に出席しないかというお誘いだった。


たしかに、私も営業2課に籍を置くわけだから出ておくべきなんだとは思うんだけど、気が乗らない。


「えっと」


「出てみたらいいんじゃないか?」


後ろからかけられた声。すぐに私の横を声の主が通り抜けていく。


「おはよう、前園。昨日は楽しめたか?」


桑畑さんだった。


「は、はい。おはようございます」


まずは挨拶。それぐらいはしなくちゃ。


そして、視界の隅に映る懇親会の申込用紙。


「…… やっぱり、出たほうがいいですか?」


「普通なら」


桑畑さんは即答だった。その隣で松戸さんも頷いてる。これは断れない流れなんだろうか。


でも、気が乗らないのが事実で。


「前園は出たくないのか?」


「はい」


今度は私が即答する番だった。


「理由は?」


「何と言いますか…… みんな楽しくないんじゃないかと。私、お酒とか全然ですし、話もできませんし」


これ以外に理由があるかと聞かれればないと答えるしかない。


きっと、社会人としては正解ではないんだろうけど。


「それでいいのなら何も言わない」


今日の桑畑さんはいつになく冷たい印象がある。というか、どこか一線を引こうとしてる感じなのかもしれないけれど。


「まぁ、考えてはみてくれ」


だけど、こうして気遣うことは忘れていかないところは“らしい”気もする。



























お昼。


当然だけど皆さん出払っていて、残っているのは私と課長だけ。


「結局、前園はどうするんだ?」


「はい?」


宮下さんのところに行こうと席を立った途端、課長が話しかけてきた。当然、私は何のことかわからずに間抜けな返事をしてしまう。


そして、少ししてからそれが懇親会のことだと理解できた。


「欠席、だと思います」


自分のことなのに、全然自信がない。


「そうか」


課長も何も言わなかった。それがショックではあったけど、気にしないことにした。


別に普段から気にかけてもらえるような関係ではないのだし。


「では、休憩入ります」


私は2課のオフィスを出た。


手にはお弁当。最近にしては珍しく料理に気合が入った。勿論、誰かと一緒に食べられるというのがうれしくて。


ここ何年も、断れない宴席を除けば誰かと食事をしたことなんてない。気付けばコンビニでパンやお弁当を買っていたり、外食中心になっていたときもある。


それが当たり前になったころに、こうして友人ができた。


今になってみて思うのは、学生のころほど誰かと無条件につながれたっていうことだった。それが私には縁のないことであったとしても。あくまで一般論として、だけど。


(私、損してるなぁ)


小さく、誰にも聞こえないように呟いて階段を上る。待ち合わせの社員食堂は1階上にある。


目的地について、席を探そうとしたところでふと、誰かの言葉が耳に入った。


「最近、営業2課の前園が調子乗ってない?」


「だよね、正直何様って感じね」


私のことだった。


何かあの人たちの気に障ることをしてしまったのだろうか? でも、心当たりがない。


「桑畑君、彼女いるって言ってるのにね。迷惑だって思わないのかしら?」


桑畑さんのことだ。


私、桑畑さんに迷惑かけてるんだ。


知らず、私の足が一歩後ろに下がる。ここから離れたい。桑畑さんに迷惑をかけないために、もっと距離をとりたい。


「合ってるよ」


後ろからかけられた声に、私は声も出せないまま驚いて振り返っていた。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない」


宮下さんだった。びっくりして振り返った私に驚いているみたいだった。


行こう、と宮下さんが促してくれているけど、私の足は前には進まなかった。


「もしかして、ここ初めてで変に緊張してる?」


言われて、私は首を横に振った。初めてじゃない。一人で何度か利用してる。だから、緊張なんて今更することじゃない。


「じゃあ」


宮下さんはゆっくりと“あの人たち”を指差した。


「あれ?」


それは確認のようで、それでいて確信に満ちていた。宮下さんはわかってる。私が何か噂されているということ、その何かがなんなのかも。きっとわかってるんだ。


だけど、それを認めるのはとても怖かった。誰かに陰口をたたかれるのには慣れているはずなのに久しぶりの友達の前でそれを認めることが怖くてしょうがなかった。


「…… 今日は、屋上に行こっか」


その気遣いが本当は苦しくてしょうがないことなんて、とても言い出せなかった。



























今日は生憎の雨。


だから、屋上に出てきてご飯を食べようなんて人が他にいるはずもなかった。


「雨、だねぇ」


「雨ですね」


お互いに空を見上げ、当たり前のことを口にしたところで屋上でご飯が無理だということをよく理解できた。


「そこの踊り場でいいよね?」


「はい」


一応、踊り場にもベンチが用意してあるのでそこで食事にすれば問題はない。


「そういえばさ」


「はい」


腰を下ろして、お互いにお弁当を準備しているときに真っ先に口を開いたのは宮下さんだった。


というより、会話を切り出すのは宮下さんだった。


「桑畑さんとか松戸さんが出て行く前に私に愚痴ってくのよね。『前園が懇親会に出る気がないらしい。何とかならないのかー』って」


……


またこうやって外堀から攻められていくわけですか?


「まぁ、私も正直に言えば一次会くらいは出といたほうがいいと思うよよ。社内のいろんな人に顔と名前を覚えてもらう機会だからね。今回は営業の合同みたいだけど、1課の営業さんとか課長と、あと部長に顔を売るチャンスだからね」


「それって、出世とかのためですか?」


だとしたら余計に行きたくない。誰かと争って角が立つのは嫌だ。みんな仲良くが夢物語なら、私が損してるくらいがいい。


「それもあるかもしれないけど、樹の場合はもう少し社内で味方を作ったほうがいいと思うよ? 仕事振りは知ってる人は知ってるけど、知らない人は懇親会にもろくに出てこない奴っていう程度の認識しかないだろうしね。


 いざというとき、助けてくれる人って大事だよ。私は味方でいるつもりだけど、いつも私がそこにいるわけじゃないしね」


仕事なら尚更ね、と言葉を切って宮下さんは自分のお弁当の準備を終えた。


私は宮下さんの言葉の意味を考えたまま止まってしまっていた。


「樹、早く食べよ」


「あ、はい」


慌ててお弁当を開くけど、今まで慌てて何かをしようとしていい結果だったことがない。


お弁当は私の手から滑り落ちて、床の上にばら撒かれてしまった。


「あ……」


やってしまった。


こんな醜態、晒したくなんてなかった。まして、久しぶりにできた友達の前でなんて。


「樹。これ、一緒に食べてコンビニ行こうよ」


「でも」


「いいから。だからまず、拾ってしまおうか」


言って、宮下さんは拾い始めていた。それを見て私も急いで拾い始める。


「ゆっくりでいいよ」


言われた意味がわからなかった。


「樹は、樹のままで。ゆっくりと、進めばいいよ。でも、それがいい方向に進んで欲しいなって思ってる」


「宮下さん……」


そうだね。ゆっくりとでいいから、道を間違えずに、歩いていきたい。私も、そう思う。


でも、今の後片付けは急がせてください。


…… 私が情けなくてしょうがないから。



























昼から仕事をしながら考えてみた。


仕事をする身としては、懇親会にも出て、もっといろんな人と親交を持つべきだっていうのはわかる。だけど、一個人としてそれをすぐにはできないこともわかってる。


何より、宴席で私がいて誰か不愉快な思いをしないのだろうかと不安になってしまう。


そんなことを考えながら、桑畑さんの経費の申請に私は経理に向かった。


「事後申請ですけど、大丈夫ですか?」


「ちょっと待ってください。すぐに目を通しますから」


経理の一番入り口に席の近かった人、小野寺さんは笑顔の似合う、ポニーテールの綺麗な人だった。私はこんな風になりたかったのかもしれない。


自転車に乗って、風を切るたびゆれる髪、道行く人に明るく大きな声で挨拶できる笑顔。


こんな人になれたなら、私はきっと……


「前園さん?」


「は、はいっ!」


呼ばれて思考の海に意識を沈めていたことに気付く。


「経費のほう、大丈夫ですよ」


「あ、ありがとうございます」


慌てて頭を下げかけて、思いとどまった。


慌ててもいいことなんてなかったでしょ。自分に言い聞かせる。そして、改めて頭を下げた。


「…… 前園さん」


小野寺さんがそっと耳打ちをしてきた。


「あんまり、隙を見せないほうがいいよ。あっちのグループ、前園さんの粗を探してるから」


「え」


言われて、小野寺さんの視線の先を見ると、お昼の人たちがそこにいた。


経理の人たちだったんだ。


「私も、あの人たちのことあんまり好きじゃなくてね。っと、ちょっと廊下に出ようか?」


「あ、はい」


小野寺さんに連れられて近くの自販機コーナーに入った。


「コーヒー、大丈夫?」


「はい。むしろ、好きなほうです」


「そっか」


ガコン、と音がして、すぐに小野寺さんが私に缶コーヒーを手渡してくれた。私が財布を出そうとすると、小野寺さんはその手を制した。


「いいよ。今日は奢るから」


「でも」


「お願い。たまには誰かに先輩面したいこともあるのよ」


そう言った小野寺さんはとても優しそうに見えた。


「で、さっきの話ね」


「はい」


「私、高卒入社でね。それだけで大卒の後輩に嘗められてるのよね。あの人たちよりも仕事してるっていう自負もあるし、上司の評価もいいっていう自信もあるけどね」


だけど、と小野寺さんは続ける。


「あの人たちからしてみれば、私は所詮は“高卒”なのよ。自分たちは大学を出てるから私なんかとは違います、って勝手に思ってるみたい。


 で、あの人たちが桑畑さんを変えてしまったわけ」


唐突に桑畑さんの名前が出てきて私は驚いていた。


「あの人たちね、入社してしばらくして桑畑さんの評判を聞いたらしいのよ。将来有望ならって言い寄ったみたいでね。本人も辟易してたみたい。で、気付いたら桑畑さんの近くには誰も知らない“彼女”ができてたわけ。まぁ、そうなれば身を引くしかないわけなんだけど、そしたら今度はあなたが桑畑さんの近くにいた。


 あの人たちからしたら気に入らないわけよね。自分たちはせっかく身を引いたのに、わけもわからないのが気付けば近くにいるわけだから」


そんなこと言われても、困る。


「あぁ、別に前園さんを困らせようってわけじゃないんだけどね。ただ、いろいろと面倒だから気をつけてねっていうこと」


そういうこと。ただ忠告、というよりはアドバイスをしてくれただけ。


でも、それが嬉しくもある。何も知らないまま誰かに陰口たたかれるのは嫌だし(何か知っていても嫌だけど)、それが少しでもわかれば対処のしようもある。


そういった意味でも、こうして教えてくれたことは嬉しかった。


「ありがとうございます。私、社内であまり伝手がないのでこういうの、助かります」


「そっか。役に立てたならよかったよ」


こうして、私は経理を後にした。


それにしても、と思う。


最近、桑畑さんの距離がずいぶん近い気がする。距離というのは少し違う気もするんだけど。どう表現すればいいのかもいまいちわからないけど。


私が行き詰ったときに気付けば先に立って手招きしてる感じだ。


「彼女いるのに。こんなのいいわけないのに」


ただただ罪悪感ばかりが募っていく。


やっぱり、こういうのはよくない。


よくはないのに、弱い私は自分の意思では断ち切れない。そのことだけはよくわかっていた。



























後書き


今回の副題は「翌日の話」です。そのまんまですね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る