第十四章「彼女の推理」

   

 その場に静寂が訪れる。

 だが、すぐに破られることになった。

 パチパチと手を叩く音が響いたのだ。

「うまい、うまい。それならば、部屋の鍵の件は説明できますなあ」

 拍手の主は、芝崎しばざき警部だった。

「ですが、犯人の告白というわけでもなさそうですな?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべる彼を見て、安心した俺の頬が緩む。

 当然ながら、俺は犯人ではない。ただ推理としては成り立つ以上、誰かが言い出すより先に自分から口にして、可能性を潰しておきたいだけだった。

「誤解されたらどうしようとも思いましたが、きちんと理解してもらえたようですね。そうです。あくまでも、これは『もしも小説ならば』という仮定の話に過ぎません」

「ふむ。ですが、それを証明できますかな?」

 相変わらず顔は笑っているが、彼の目の奥には、鋭い光が宿っている。

 まあ『私犯人説』を持ち出した時点で、こういう追求も想定内。一応の対応策は考えてあった。

「私の指紋を調べてください。そして、引き出しの中の鍵と、比較してください。あの鍵を犯人が使ったのであれば、鍵には犯人の指紋がついているか、手袋か何かで掴まれた痕跡があるか、あるいは指紋が拭き取られた形跡があるか、そのいずれかでしょう」


 鑑識係とでもいうのだろうか。犯行現場を調べていた連中の中には、その手の専門家が混じっていたらしい。おかげで、指紋調べには時間もかからなかった。

 判明したのは、鍵に俺の指紋は付着していない、ということ。蛇心へびごころ江美子えみこのものと思われる指紋がベタベタと残っているのがほとんどであり、しかもハッキリと鮮明な状態。布か何かで包んで使われた形跡もないという。

 ごくわずかに彼女以外の指紋も見つかったのだが、それは正田しょうだ茂平もへいのものだった。だからといって、脚の不自由な彼を犯人と疑う者はいなかったが……。

 なるほど、この鍵も蛇心江美子が使うようになる前は正田しょうだ茂平が管理していたわけだし、彼女の指紋の下から古い彼の指紋が出てきても不思議ではないのだろう。

 正直、ホッとした。鍵に俺の指紋がないことには絶対の自信があるものの、もしも『指紋が拭き取られた形跡がある』という話になった場合、それをしたのが「俺ではない」という証明は出来ないからだ。むしろ「少なくとも誰かが使った」という示唆になり、先ほどの俺の弁論に従って、その『誰か』は俺以外に考えられない、となってしまうだろう。

 まあ逆にいえば、理論上『俺以外の誰か』が犯行時に使ったとは考えられず、しかも俺ではない以上、誰も鍵から指紋を拭き去っていないはず。だから堂々と主張できたわけだが、それでも「もしかしたら俺の『理論』には穴があるのではないか」という一抹の不安も、まだ残っていたのだ。


「ふむ。どうやら、この場では、密室の謎は解決しないようですな。では、その件は一時保留として……」

 続いて芝崎警部は、昨晩の行動について、俺たちに質問し始めた。いわゆるアリバイ調べというやつだ。

 まず。

 夕食の席には蛇心江美子もいた以上、犯行がそれ以降であることは明白であり、死体の状況から死亡推定時刻を割り出すまでもなかった。

 夕食後、彼女の死体が発見されるまでの間。

 まず俺は一人で風呂に入っていたし、珠美たまみさんも部屋で一人で眠っていた。老婆の蛇心美枝みえも、自室で一人で過ごしていたそうだ。

 使用人たち――正田茂平とフミ、大神おおがみ健助けんすけ板橋いたばし卓也たくや――は、四人とも忙しく働いていたという。ただし、それぞれ業務は異なるため、その間ずっと一緒にいた者はいない。仕事の合間に蛇心江美子を殺しに行くことは、時間的には可能だったのだ。

 以上のように、アリバイのない者が七人。かろうじてアリバイと呼べるものを有していたのは、蛇心雄太郎ゆうたろう安江やすえの夫婦、そして阪木さかき正一しょういち杉原すぎはら好恵よしえの恋人カップルだった。

 蛇心夫妻は部屋で共に過ごしていたと証言したし、阪木正一は杉原好恵の部屋へ行き、恋人らしくイチャイチャしていたらしい。

 正直、夫婦や恋人同士のアリバイ証言をどれほど信用できるのか、俺は疑わしいと思うのだが……。とりあえず芝崎警部は、納得した素振りを見せながら、彼らの話をメモしていた。


「では、次に……。みなさん、これに見覚えありますかな?」

 芝崎警部が掲げてみせたのは、ビニール袋に入った一本のナイフ。蛇心江美子の胸に刺さっていた、あの刃物だ。

「あっ……!」

 真っ先に反応したのは、料理人である板橋卓也だった。

 彼の話によると、問題の凶器は、厨房の奥に保管されていたはずのペティナイフ。野菜の面取りや飾り切りなどに用いる、やや小型の包丁だ。だが、これは『ペティナイフ』にしては大きめで使いづらかったため、すぐに買い替えた。とはいえ捨てることもないので、しまわれていたらしい。半ば放置気味だったため、芝崎警部にナイフを見せられるまで、盗まれたこと自体、気づいていなかったという。

 こうして、凶器の出所でどころも判明して……。


「今日のところは、これ以上、聞くべきこともないようですな。これで、お開きとしましょうか」

 と、芝崎警部が解散を宣言したタイミングで。

「犯行現場にあった鍵……。机の引き出しに入っていた鍵って、本当に、あの部屋の鍵なのかしら?」

 突然、杉原好恵が、新しい推理を披露し始めた。

「引き出しに入っていた部屋の鍵は、犯人が使うために持っていってしまい、代わりに他の部屋の――例えば江美子さんが以前に使っていた部屋の――鍵を入れておく。そうやって、江美子さんの部屋の鍵は引き出しに入ったままだったと思わせる……。どうかしら、このトリックは?」

 なるほど。

 それならば確かに、犯行後に外から部屋に鍵を掛けることは可能となる。また、部屋で発見された鍵が『江美子さんが以前に使っていた部屋』のものならば、蛇心江美子の指紋が付着していた説明もつく。

 蛇心江美子が頻繁に自室を移していた件を利用した、巧妙なトリックと言えるだろう。

 そう俺は感心したのだが……。


 芝崎警部が部下を走らせて、早速、試してみる。

 昨夜の警官たちもそうだったが、今まで犯行現場の施錠に使うのは合鍵の方ばかりであり、引き出しに入っていた方は証拠品ということで、一切使用していなかったのだ。

 この段階で初めて使ってみたわけだが、その結果。

 問題の鍵は、蛇心江美子が殺された部屋を施錠するものと判明。さらに、その鍵は他の部屋には使えなかったし、逆に、別の部屋の鍵で207号室を開閉することも出来なかった。

 こうして杉原好恵の推理は、残念ながら一瞬で崩れ去ってしまうのだった。


 落胆する杉原好恵。だが、めげずに彼女は、別の可能性を提唱する。

「それなら、こういうのはどう? 犯人はドアから出ていくのではなく、中から鍵を掛けた後、他の出口を使った、というのは?」

 ドア以外。

 それを聞いて俺の頭に浮かんだのは、あの日、現場で大神健助が口にした言葉だった。

 彼は言っていたではないか、「窓もない部屋なので、この扉から入るしかないのに」と。

 その点、芝崎警部も真っ先に考慮したらしい。彼は少し呆れたような声で、指摘する。

「あの部屋に窓はありませんがねえ」

「ああ、違うの。窓じゃないよ、私が言いたいのは」

 彼の言葉を笑い飛ばす、杉原好恵。

「私のいう『他の出口』とは……。隠し通路のことよ!」

「……隠し通路?」

 仰々しい口調の彼女に対して、横から聞き返したのは、阪木正一だった。

「そうよ、正一。この『邪神城』って、外から見たら、凄く大きな建物だったけど……。中に入ってみると、思ったよりも部屋の数は少ないし、それに高さも四階までしかないでしょう?」

 その言葉に、俺は内心で驚いてしまう。

 これだけ広い館内なのに、部屋を『少ない』と思うとは! いやはや、一体どれほどの規模を想定していたのだろうか。

 これは別に、杉原好恵が大豪邸で生まれ育ったという意味ではなく――どう見ても彼女は庶民のようなので――、あくまでも想像力の問題なのだろう。その証拠に、俺の隣では珠美さんが、俺と同じように「驚いた!」という顔をしている。珠美さんこそ、大きな屋敷の生まれであるというのに。

 そんな俺たちの顔を見回してから。

 少なくとも反論が来ないことに満足して、杉原好恵は、さらなる提案を口にするのだった。

「だから、部屋と部屋の間とか、階と階の間とか。かなりスペースに余裕があるように感じるわ。だったら、そうした空間に、隠し部屋や秘密の抜け穴があっても不思議ではない……。私、そう思うのよ。どうかしら? みんなで今から、探してみない?」

   

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