第27話 出まかせ

 「あいつ、ノロマのくせに、こういう忙しい時は入らないんだな。平日でも今はただでさえ忙しいっつーのに」


 バイト先の控室で、三田村が、俺と一緒くたにする山木海斗の愚痴で後輩と盛り上がっていた。


 「山木さん、やる気ないんでしょ」


 三田村の機嫌を取るように、後輩もまた山木を非難する。


 「まあ、あいつがいるだけで足手まといだし、俺はいいんだけどな。土日のシフトも入れねえようなビビりが、どうせ暇なくせに。っはは!」


 「あの人も、ポンコツですよね…」


 『も』って言うな。


 俺は、何も聞こえなかったかのように制服に着替え、すぐさま一階の売り場へ足

を進めた。


小さな女の子の泣き声が聞こえたのは、その日働き出してから二時間が経過したこ

ろだった。


その声の方に視線をやると、オレンジ色の液体が伸び広がった床と、その液体が滴

った両脚が確認できた。


「うわぁぁぁん!」


大声で泣く小さな女の子の隣で、母親らしき女性が困ったように周りを見渡し、カ

バンからハンカチを取り出して女の子の足についたオレンジジュースを拭う。


「落としちゃったんだから、しょうがないでしょ? また来週飲もう? ね?」


「いやだ! 今日飲みたいの!!」


 涙を指で拭う女性は、泣き止まない女の子に困っていた。


 周囲には、いたたまれないような様子で彼女たちを見守る人もいれば、鬱陶しい

ような顔で睨む人もいた。


 小声で、おそらく「すいません」と言いながら四方に頭を下げる女性。


 「忙しいのに仕事増やすなよ」


 「…ホントですね」


 俺は、三田村と先ほどの後輩の無慈悲で身勝手な声を背中で受けながら、機械に

プラスチックの透明なコップをセットして、ボタンを押した。


 『おいしいオレンジ』。


 小さな字で書かれたそのボタンを押すと、一秒ほどの待ち時間を経て、オレンジ色の液体が機械からコップに注がれる。


 ピー、っという機械音を合図に俺はほとんどの部分がオレンジ色に染まったコッ

プにストローを差す。それを手に取り、そのまま吸い寄せられるように歩き出した。


 「よかったら、どうぞ」


 俺は、そのコップを、女性と女の子のテーブルに置いた。


 「そ、そんな。この子がこぼしちゃったんで、お金はちゃんと払います」


 「い、いや、いいんですよ」


 カバンから今度は財布を取り出す女性の手に戸惑いながら、俺の方は両手をパー

にして止める合図を出した。


 「いやあ…、今月の分のジュース、上司の人が発注しすぎたみたいで、今のペース

だと絶対に余ってしまうので、受け取ってくれると、ありがたいです、なんて…」


 出まかせだった。


 上司の発注ミス、というのは、少しまずかったか。こんな言い訳では、通用しな

いだろうか。


 「あっ、そういうことなら…、いただきます。ほら、タミちゃん、お兄ちゃんが新

しいの持ってきてくれたよ」


 受け取ってくれた。


 「ありがと」


 知らない大人に人見知りしながらも、舌足らずにお礼を言ってくれる女の子。すっ

かり泣き止んでくれて良かった。


 「お前、ほかのお客さん待ってんだろ」


 「何やってんすか。店長にレジ任せて」


 まるで、あの親子が困ったままでいてほしかったような顔をする三田村と、彼に

同調しながらニヤニヤ笑う後輩。


 俺が接客をしていたレジには、店長がいた。


 「店長…」


 俺ごときが、あんな出過ぎた真似をして、バイトのくせに勝手に商品を無料で提供

してしまったことを謝りたかった。


 ジュースをあげてもいいのか、そんなことをこの忙しい店内でわざわざ聞いたら、

怒られるのではないかと思い、怖くて聞けなかった。


 謝る時間もないほど忙しいので、せめて店長が埋めてくれたレジを代わろう。申

し訳なさ全開で店長に声をかけた。


 「間中。もういいから、上で十五分休憩とってきな」


 休憩回せてないから今のうちに行ってこい、と言いながらテイクアウト用のパッ

クに紙で包んだホットサンドを二つ敷き詰めた。


 さっきの俺のことなども、全く気にしていない様子で、ただ仕事に集中していた。


 人に感謝されるようなことをした後でも、なんだか、同級生にも店長にも突き放

されているようで、少し寂しい気持ちになった。



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