第六話 タバコの時間

 平日の昼間だが、人通りの多い四条通りに面した、スタバに入った。

 砂羽ちゃんは、スタバのソファに深々と座って、激甘のキャラメルフラペチーノを、ほっぺたをすぼめて、おいしそうにストローで飲んでいた。


「最近様子おかしいし、何かあったんやろうけど、あえて聞かんとくわ」

 そういう言い方をされると、しゃべりたくなるのが人情というか。


「別に先生とは何にもないよ。ただ、おばあちゃんの絵の修理をしてくれる事になっただけ」


「私、真壁先生と何かあったとは、言うてへん」

 砂羽ちゃんの口の端がいじわるに上がった。


 しまった、やられた。本当に私は砂羽ちゃんに隠し事できないみたい。すべて話すわけにはいかないので、祖父の家で先生と会った事だけ言った。


「美月のおばあちゃん、亡くなってもう二年になるんやな。はやいな。おじいちゃん、気持ちの整理のために修理を頼んだんかもな」

 砂羽ちゃんが珍しくしみじみと言う。


 お母さんを病気で亡くした砂羽ちゃん。お医者さんのお父さんも仕事で忙しいので、何時も祖父の家でいっしょに遊んだ。祖母の事を砂羽ちゃんは、本当のおばあちゃんのように慕ってくれていた。


「うん、でも作者を調べてほしいとか、家から絵を出したくないとか、なんか隠している事があるような気がする」


「まぁ人間長生きしたら、いろいろ隠し事も沢山出てくるで。それは、おじいちゃんの心の中に留めておいたらいい事違う?」


 砂羽ちゃんらしい、大人の発言に戸惑う。私はあの絵に秘密があるんじゃないかと勝手に勘ぐっている。

 砂羽ちゃんが先生について突っ込んでこないうちに話題を変えた。


「こないだ、美術予備校の人に展覧会誘われてん。まだはっきり断ってないんやけど」

「へー同じ予備校生?」


「違う。アルバイトの先生で、京美大の学生さん」

「行ったらええやん、気晴らしに。毎日絵ばっかり描いてたらおかしなんで」

 自分だって、勉強ばっかりしているくせに。


「砂羽ちゃんは最近デートしてないの?」

「今私フリーやし。さすがに受験終わらんとそんな気にはならんかな」


 膝の上に両手を組み、その上に顎を乗せ小悪魔的頬笑みをたたえ、上目使いで私を見る。


「行っといで、展覧会。デートって思うから身構えるんや。ただ券もらってラッキーぐらいの気楽な気持ちで行ったらええやん」

「砂羽ちゃんみたいに男の人になれてへんし、興味もない。その人と話も続かんし」


「へーほな、真壁先生には興味もったんや」

 えっなんでここで先生の話になるの。


「最初に会った時、普通に話せたんやろ? という事は興味もったってことやん」

「興味あったんは、先生が描いてた絵やってば」

 私は慌てて否定する。砂羽ちゃんは、ニヤニヤして私の話は信じてないみたい。


「ほな、その予備校の人はどんな感じなん?」

「なんかすっごく明るくて、積極的で無神経な人」


「普通やろそんな男」

 私は、膝に頬づえをついてキャラメルフラペチーノの空き容器を、じっと見つめた。


「私、男の人なんて嫌いや」

「お父さんの事があるから?」

 砂羽ちゃんは伏し目がちに言う。


 私の父は、他に女の人をつくり、私と母を捨てて家を出て行った。


「だって、うちの両親、結婚を反対されて、駆け落ち同然でいっしょになったのに、結局はだめになったんやで。愛なんて所詮賞味期限があんねん。そんな不確かなものに時間と労力をかけるのは、無駄やと思う」


 吐き捨てるように言った。そんな私の目を、じっと砂羽ちゃんが見つめる。

「怖いんやろ?」


 その一言が、私の心に突き刺さる。私があえて目を反らしていた事を、砂羽ちゃんは容赦なく突きつける。


 黙りこくって、不格好な爪を見ていたら、砂羽ちゃんが言った。ふできな子供を溺愛する母親みたいな顔して。

「あせらんでええよ」


                 *


 はー、溜息と共に、煙草の煙を吐き出した。

 クラブどころか、授業にも出てこなかった彼女。よっぽど俺の事警戒しているのだろう。


「何大きなため息ついてんの。また、生徒にちょっかいだされたん?」

 体育教師、春日先生が煙草をふかせつつ、陽気な声で聞いてきた。東棟の屋上、ここは先生たちの隠れ喫煙スポットになっている。


「転ぶふりして、抱きつかれたり、わざとスカートをたくしあげたり、四,五人でかこったり、そんな事はどうでもいいんですよ」


「相変わらず、えげつない事しよんな、ここのお嬢達。でも、その悩みやないんやったらなんなん?」

 俺より、七歳年上の先輩教師がずけずけとつっこむ。


「いえ、個人的な悩みなんで……」

「わかった。女の悩みやろ? えーなー若いなー。あー俺も女ほしい」


「春日先生、彼女いないんですか?」

「昔はいたよ。ここの生徒とも付き合った事あるし」

 衝撃的発言。公にはタブーだけど、みんな隠れてつきあっているのだろうか?


「生徒と付き合っていいんですか?」

「なんやえらい勢いで、くいついてきたな。もちろん、在校中違うで。そんなもん在校中に手出したら、首がとぶわ。卒業生とや」


 なんだ卒業生か。あきらかにがっかりした俺の様子なんて、気にせず春日先生はしゃべり続ける。


「在校中から、アピールされて、卒業してもまだ俺の事好きやったら付き合うって約束してん。で、いざ付き合いだしたら、俺がふられるんや。理由は、やっぱり先生の時の方がかっこよかったって」


 なんて重い言葉。しょせん教師なんて、卒業したら男として見られないってことか。


「ほんま、頭くるやろ? こっちはようやく相手の事女として見始めたのに、男として見られんかなしさ。トラウマやわ」


「それは、かなりなトラウマですね。それ以来彼女なしですか?」

「いや、ちょこちょことは付き合ったけど、結婚したい相手はいんかったな。あーどっかに運命の相手がころがってないかな」


 運命の相手がいないアラサー独身教師と、運命の相手とは巡り合ったが、手がだせない新任教師。どっちがつらい立場だろうか?


                 *

 

 昼休み、今日こそ追加の志望校を出そうと、職員室の中を窺っていた。真壁先生に提出しなくても、担任の先生に出せばいいと気付いた。今ちょうど、真壁先生は不在で担任の木谷先生は在室という絶好のチャンスが到来した。

 さっさと渡そうと職員室の扉を開け、一直線に木谷先生の机に向かった。


「志望校の追加を提出に来ました」

 紙を渡しながら早口で言う。京都美大以外の志望校は予備校の最初の進路相談で、担当の先生があっさり決めてくれた。


 お弁当を食べ終わってなかった先生は、口の中の食べ物を無理やり飲み込んで、お茶を飲んだ。

「私、そんな事言ったっけ?」


「真壁先生に言われてたんですが、不在みたいなので」

 納得した木谷先生が、紙を受け取ろうとした瞬間。私の背後に視線を移し、手を上げた。


「あっ真壁先生ちょうどよかった。有賀さんが志望校の追加だって」

 最悪のタイミングで真壁先生が職員室に帰ってきた。怖々振り返ると、体育の春日先生と真壁先生が立っていた。最近春日先生と仲がいいみたい。よく一緒にいる所を見る。


 木谷先生に渡しそびれた紙を、あわてて真壁先生に押しつけ、さっさと立ち去ろうとすると、呼び止められた。


「校外写生の日にちが決まったから。六月の第一土曜日。出席できる?」

 今日はポーカーフェイスが崩れていて、不安げな眼差しで私を見ている。


「わかりません!」

 一言叫ぶように言って職員室の出口へ走って行った。後から、木谷先生の


「真壁先生、あの子に何かしたの?」

 と言うミーハーな声が聞こえてきた。

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