第三話 先生のメガネ

 おいおい、どこまで運命的なんだこの状況。誰かがおもしろくするために、無理やりしこんだネタみたいじゃないか。


 まさか、彼女が理事の孫だとは。

 女学院に通っているというだけで、お嬢さんだとは思ったが。京都の名士の孫。ますます、俺とは住む世界が違う彼女。溜息しかでない。


 修理のための部屋についた。今日はキャラ作りのアイテム、眼鏡を忘れた。どうしても素の俺がでてしまう。


「こういう門は始めてみたよ。部屋がくっついてるんだね」

 彼女は戸口の前に、所在なく立っていた。


「長屋門って言うんです。昔はよくあった門の形式みたいやけど、最近はほとんど見かけません。中は狭いですけど、ここで修理をお願いします」


「これくらいのスペースで十分作業はできるよ」

 俺は絵を長机にそっと置きながら言った。

「有賀さん、叔母さんと北川理事に大切にされてるんだね。二人から受験の心配せれて」


 何か言わなければと思い、当たり障りのない事を言ったつもりだった。

「大切ではなく、憐れんでるだけやと思います」

 どうも、俺は地雷を踏んだようだ。彼女の顔がこわばる。


 先ほどの違和感を思い出す。理事のあのじじバカぶり。

 他の地域では、孫を人前で褒めると言う事はままあるだろう。でも、ここは京都だ。京都人は、身内を他人の前で決して褒めない事が、美徳とされている。


 例えば、孫を連れた老人二人が偶然会うとしよう。自分の孫をけなし、相手の孫をほめる。そして、家に帰ってうちの孫の方がかわいいわ。と舌を出して言うのが京都式の謙遜なのだ。


 他地域の住民にはなかなか理解できない。

 生粋の京都人の理事が、その美徳を心得ていない訳がない。なんでだ?

 俺の混乱がわかったのか、彼女は無理やり笑顔をつくった。


「母も叔母も女学院の大学にそのままいったので、受験する私が心配なんやと思います。それと、叔母は叔母さんって言われるのすごく嫌がるから、本人の前では絶対言わない方がいいですよ」


「えっほんと? 気をつけるよ」

 俺は彼女の言葉に、だまされる事にした。


「幸せな絵だね。持ち主が亡くなってもこうやって修理してもらえるなんて。理事が奥さんを大切に思っていたというのが伝わるよ」


 おべっかでも何でもない。人の思いがしみ込んでいる絵には、浄化作用があるようだ。優しい気持ちが伝播する。

 彼女が俺の隣に座り絵を見つめた。


「祖母も日本画を勉強してたから、沢山の日本画を所有してました。でも、これが一番のお気に入りで、とても大切にしてたんです」


 そっと額縁を、丸く小さい爪のかわいらしい手でなでた。

「祖父はあの通り強引な性格で何時も祖母の事困らせてたけど、祖母は幸せそうでした。二年前に亡くなった時も、祖父はおいおい泣いてました。二人は私にとって理想の夫婦なんです」


 おばあさんの事が本当に好きだったんだろう。俺も自分の父が亡くなった時を思い出した。

 俺が中一の時、病気で亡くなった父。しばらく、その喪失感から抜け出せなかった。彼女を覆うもやのようなものは、その喪失感なのだろうか。


「いいね、そういうご夫婦」 


 彼女は、うれしそうに微笑んだ。何時もの大人びた表情ではなく、やけに子供っぽい。

 その表情に、俺は心臓をうちぬかれた。

 子供のような無邪気さで、俺の顔を覗きこんでくる。


「先生は、なんで今日眼鏡かけてないんですか? それと、京都美大の日本画専攻なのに、なんで教えてくれなかったんですか?」

 ふいをついた質問に俺はうろたえる。


「眼鏡は普段つけてないんだ。あれは、営業用というか。今日有賀さんに会うとは思わなかったし。油断したというか」

 ぽりぽり頭をかきつつ答えたが、支離滅裂だ。どんどん素の俺が出てくる。


「大学は俺が京都美大だからって、特別な指導ができるわけでもないし、わざわざ言う事でもないかなと思って」


「私は教えてほしかった。聞きたい事がいっぱいあります。どんな勉強するのかとか、学生生活の事とかいろいろ興味があるから」


 興味って……勘違いするな俺! 彼女の興味は、俺じゃなくて大学にあるんだよ。


「いやそんなたいした学生生活でもなかったし、俺は絵ばっかり描いてて」

 しどろもどろになる。


「どんな絵を描いてたんですか? 今度ここに持ってきて見せてください」

 またこの密室で、二人で会いたいって事? いやいやそれは俺の願望だ。


「今度持ってくるよ。来週の土曜には来れると思う。その時修理に使う道具も運ぶつもりだから」


 彼女の顔はますます、好奇心で輝きだす。

「修理の勉強って大学では教えてくれないんですか?」


「普通日本画専攻では勉強しないんだ。俺は修復工房でバイトしてたから、そこでみっちり鍛えてもらったんだよ」


「修復工房のアルバイトとかもあるんですね。おもしろそう。美大生ってみなさんそういう美術関係のアルバイト、してはるんですか?」


「俺は、勉強になると思って工房でバイトしてたけど、時給は悪いしみんなやりたがらなかったな」


 少しでも、生活費になればと思ってしていたのも事実だ。大学院への進学をあきらめ、就職を考えた時、修復工房は給料の安さから、断念した。


「私も京都美大に行きたいな。全然受かる自信ないけど」

 五年前の自分の気持ちを思い出す。

 俺もこんな風に、いろいろ想像して受験への不安をはらしてたな。


「先生に紹介してもらった京都駅前の美術予備校にゴールデンウイーク明けから通う事にしました」


「そうよかった。あそこは現役の京美大生も講師のバイトではいってるから、いろいろ情報収集できるよ」


 西日が差し込む部屋で、彼女と二人。教師と生徒のたわいない会話。その会話が、このうえもなく楽しい自分がいた。

 村山先生からこの話を聞いた時、断らなくてよかった。


                *


 私は佳代ちゃんに呼ばれ、台所の手伝いに駆り出され、先生は祖父の相手をするためお座敷に呼ばれた。


 もうちょっと先生と話したかったのにと、ぶー垂れた表情を受かべながら、豆の筋取りをしていた。


「先生と何しゃべってたん?」

 佳代ちゃんのぶしつけな質問に、雅恵さんまで聞き耳を立てている。


「別に、大学の話聞いてただけ」

「へーその割には私が呼びに行った時楽しそうやったやん。あんたが男の人と楽しく会話できるなんて、うれしいわ」


 さも、うれしそうに言う。女子校育ちをばかにした発言。自分も女子校育ちのくせに。


「別に、普通にしゃべってただけ。それに、先生学校ではすごく無愛想でニコリともしないし、今日の先生はしゃべりやすかっただけや」

 むきになって言うと、さらにツッコミがはいった。


「先生無愛想なん? すごい感じのいい人に見えるけど。それに男前やし」

 男前は関係ないだろうと思いつつ、言った。


「そうや。学校では伊達眼鏡かけて、冷たい感じやで」


 先生の株を下げてちょっと悪いかなと思ったけど、

「いやー眼鏡も似合うと思うわ」

 全然下がってない。


 雅恵さんまで、

「ほんま、ほんま物腰やわらかなんもええけど、冷たい感じの先生も見てみたいですね」


 ここにも先生の取り巻きが増えたみたい。二人で年齢を忘れてはしゃいでる姿に憐れみさえ感じる。


「でも、なんで学校だけ眼鏡かけてるんやろか?」

 さっきの先生の言葉「営業用」の意味をこの二人なら教えてくれるかなと期待して聞いてみた。


「そら、女よけやろ」

 即座に返答が返ってきた。


「眼鏡かけてちょっとでも、あの男前を隠そうとしたんやない? で、女子高生と壁をつくるため、わざと冷たくクールに接する。はっきり言って逆効果やけど」


 なるほど、さすが年の功。たしかに、生徒達は離れるどころかむしろクールなところにひかれている。


「でも、先生そこまで計算してるんかな?」

 ちょっとがっかりな気分で聞いてみた。


「たぶん誰か年上の助言やろ。眼鏡かけたら、暗くてまじめに見えるっていうのは、年寄りの発想や」

 さんざん先生の話題で盛り上がり、夕飯の支度はいっこうに進まなかった。

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