タクシーの怪

「おかしい……」

「えっ?」


 真夜中のベッドの中で呟くと、左隣で息を整えていたヒトミが聞き返してきた。


「おかしいって、なにが?」


 右隣に寝ていたカルラも、身を乗り出して俺の顔を覗き込んでくる。夜中にこの二人が俺のベッドにいるということは、つまり、事後である。

 時計がないから正確な時間はわからないが、おそらくもう日付は変わっているはずだ。二人を部屋に呼んだのは夕食の直後で、それからずっとハッスル(死語)していたから、いくら超絶倫の俺といえども小休止が欲しくなってきた。

 賢者タイムを迎え、男が最も冷静になるタイミングで、ふと、疑問が湧いてきたのである。


「あんだけ乗り回してんのに、なんであのタクシーはガス欠にならねえんだ……?」


 俺が乗っているタクシーは、LPガスを燃料とする、ごくありふれた一般的なタクシー用の車両だ。タクシー運転手になってからずっと同じクルマに乗っているから、もう七年目にもなるか。最近ではハイブリッド車のタクシーも見かけるようになったが、そんなハイテクとは無縁なLPG車。この世界では超未来的機動兵器ということになっているから感覚が麻痺してくるが、向こうの世界ではどちらかといえば古いテクノロジーの車である。


「ガスケツ……ってなに?」

「それは、うーんと、タクシーの、光る船の燃料が足りないこと?」

「ネンリョウ?」

「あー、えーと……なんて言ったらいいのかな……光る船もお腹がすいたら動けなくなっちゃうはずなんだけど、あんなに乗ってるのにどうして平気なのかな、ってこと」


 燃料という概念がわからないカルラにもわかるよう、ヒトミが丁寧に噛み砕いて説明している。タクシーを生き物に例えるのはどうかと思うが、まあ機械が存在しない世界の人間に内燃機関を説明するのが難しいし、他に言いようがないか。


「へぇ~、光る船も、お腹が空くんだねえ」


 わかっているのかいないのか、カルラは間延びした声でそう言いながら、再びベッドに身を沈めた。


 俺は異世界に来てからのタクシーの走行距離を思い出してみた。

 この世界に飛ばされてきてからサンガリアの集落に辿り着くまでにもかなりの距離を走ったし、カムロヌムへの偵察および奪還作戦にもタクシーを使った。それに、カムロヌムを制圧してからも、周辺地域の偵察のために何度かタクシーを走らせている。普通に考えれば、そろそろ燃料が切れてもおかしくない頃合いなのだ。

 こっちの世界で起こっている出来事を向こうの世界の常識で考えても仕方がないかもしれんが、今では貴重な機動戦力となっているタクシーである。燃料のことは頭に入れておかなくてはならない。


「じゃあさあ、光る船って何を食べるの?」

「あれ、なんだっけ……? ガソリン?」


 ヒトミが首を傾げながら言う。まあ、タクシーの燃料事情なんて一般人はそうそう知らねえよな。タクシーにLPG車が多い理由は色々あるが、最も大きなウエイトを占めるのは、LPガスがガソリンと比べて燃料費が安いこと。そのかわり、LPG車はガソリン車よりパワーが劣る。


「いや、あれはガソリン車じゃない。LPガスだ。ガスってのは、地中から吹き上げてくる気体のことで……」

「エルピーガス……? キタイ……?」


 あ~、もう、何から何までこれか。いちいち全部説明すんのは面倒臭ぇな。


「んなこたぁどうでもいい。それよりな、さっきはヒトミだったから、今度はカルラ、お前に特別な燃料を注入してやろう」

「えっ、私にもネンリョウくれるの? わ~い!」

「ああ、めっちゃくちゃ濃厚なガソリンを注ぎ込んでやるぞ!」


 と、我ながらしょーもないことを言いながら、俺はカルラに覆い被さった。



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!



 そして翌日。

 救世主の朝は遅い。というか、俺が目覚めるのは大体昼だし、この日もやはり起床時間は昼だった。

 目が覚めるとすぐに、俺はタクシーの元に向かい、エンジンをかけて運転席の速度計の横にある燃料計を確かめた。

 すると、エンジンの始動と共にグンと振れた針は、Fのほんの少し下ぐらいまで上がり、そこで止まった。


 やはりおかしい。あれだけの距離を走ってまだこれしか減っていないとはどういうことか。速度計の故障の可能性も考えて、トランクを開け、ガスタンクの方の燃料計もチェックしてみたが、結果は同じだった。

 首を捻りながらトランクから顔を上げると、こちらに歩いてくる普段着のエリウの姿があった。


「救世主さま? 何をなさっているのですか?」

「ああ、ちょっとタクシーの燃料が気になってな……」

「……ネンリョウ、とは……?」


 ああ、そうか、こいつにも一から説明しなきゃならんのか……。



!i!i!i!i!i!i!i!i!



「なるほど、そのガスというものがなければ、光る船は動かないということなのですね」

「お、おう。そういうこった」


 いざ説明してみると、エリウはこの文明レベルの人間にしてはとても飲み込みが早く、タクシーがエンジンという内燃機関によって動いていることと、それを動かすためにLPガスが必要であることをすぐに理解した。


「ガスとは、どういう形をしているものなのですか? この世界にも、ガスの代わりになるものがあればいいのですが……」

「いや、ガスは本来気体だから、形はない。LPガスは、それを圧縮したり冷却することによって液体にしているんだが、おそらくこの世界では天然ガスを精製してLPガスを作ることは不可能だな」

「キタイ……? エキタイ……?」

「……ああ、気体ってのは、まあ空気みたいなもんだ。液体は水みたいなの。たとえば、屁をこいたら臭くなるけど目には見えないだろ? 屁の正体は人間の尻から出てくるガスなんだ」

「な、なんと……人体からもガスは出てくるのですか?」

「おい、勘違いするなよ、屁を燃料にすることはできねえからな。天然ガスは地中から湧いてくるんだ。稀に自然と地上に吹き出してくることもあるが、大抵は地中深く穴を掘って、そこから吸い上げたものを使う」

「なるほど……ガスは地面から吹き出してくる……燃える空気……いや、しかし……」


 エリウはそこで意味深に言い澱み、顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。


「しかし、なんだよ?」

「いえ、実はこのカムロヌムの北西には広い湿原が広がっているのですが、そこは古くから『瘴気の沼』と呼ばれ、恐れられている場所なのです。誤ってそこで火をおこしてしまうと、たちまちのうちに炎に包まれ焼かれてしまう。また、火をおこさずとも、その瘴気を吸うだけで意識が遠のき、やがて死に至ると言い伝えられています」

「ほう、湿原から瘴気が……火をおこすと燃えるとな……」


 火を起こすと激しく燃焼する、そして一酸化炭素中毒の症状――いかにも天然ガスの噴出地らしい話である。

 まあ、仮にそこが本当に天然のガス田であったとしても、それをそのままタクシーの燃料として使うことはできないだろう。しかし、貴重な天然資源であるからには、一応確認しておくべきだと俺は考えた。


「エリウ、その『瘴気の沼』の場所はわかるか?」

「ええ、もちろん」

「よし、善は急げだ。エリウ、俺を今からそこへ案内してくれ」


 瘴気の沼と呼ばれる湿原はカムロヌムの町からはだいぶ離れているらしく、移動にはタクシーを使うことになった。エリウを助手席に乗せてから運転席につくと、俺の目は、念願かなってようやく拝めたエリウの素晴らしいパイスラに釘付けにされた。


「な、なんですか、救世主さま……」


 熱い視線を感じたエリウは腕で胸を隠そうとしたが、俺はその腕を引きはがして、じっくりまじまじと舐め回すようにあらゆる角度からエリウのパイスラを観察した。

 この文明にはもちろんブラジャーなどない。素肌に薄いローブを羽織っているだけである。つまりノーブラのまま谷間をシートベルトに押さえつけられているわけで、エリウの丸みを帯びた豊満な乳房の形、そして視姦されて隆起し始めた乳首までも、薄い布の上からはっきりと窺うことができる。

 エリウは頬を赤らめながら言った。


「や、やめてください、そんなに見られたら……」

「いいじゃねえか、向こうの世界ではな、これをパイスラと呼んで崇めているんだぜ」

「ぱ、パイスラ……?」

「そう、巨乳が谷間にシートベルトやショルダーバッグの紐を挟んだときに見られる神聖な光景。俺はずっとエリウのパイスラが見たいと思ってたんだ」

「そ、そうなのですか……?」


 エリウのパイスラによって股間が急激にムクムクと盛り上がってきたが、車内でコトに及ぶのは俺のポリシーに反する。俺はパイスラに目を奪われながらも、カムロヌムの東にあるという湿原へとタクシーを走らせた。



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!



「あれです、救世主さま。言い伝えによると、あの湿原から瘴気が立ち上っていると」


 目の前には、広大な湿原が広がっていた。青々とした草原の中に黒い沼が点々と横たわる。今日は朝からあいにくの曇り空で、そのせいもあってか、灰色の空の下に蟠る沼は、『瘴気の沼』という呼称がピッタリな禍々しさを放っている。

 俺たちは湿原の手前にタクシーを止め、一番近くにあった小さな沼へと近づいてみることにした。沼の近くの地面は粘土のように柔らかく、一歩踏み出すごとに足が沈み、ただ歩くだけでも体力を奪われる。


「気をつけてください、救世主さま……」


 互いに手を取り、フラフラする体を支え合いながら、俺たちは沼の淵へと辿り着いた。沼は直径二メートルぐらいで、沼というよりは水溜まりと呼んだ方がしっくり来そうほど小さな沼だ。やや縦長の楕円形に近い形をしており、水は濁っていて水底は全く見えない。


「これが瘴気の沼か……」

「あっ、あれを見てください、救世主さま!」

「ん?」


 エリウの指差す沼の中央を見ると、黒い水面に無数の小さな泡が立っている。泥の沼だから炭酸飲料のようにシュワシュワと勢いよく湧いてくるわけではなかったが、地中からあそこに何らかのガスが発生しているのは確からしい。


「よし、あのガスを試しに少し持ち帰ってみるか」

「え、あの瘴気を持ち帰るのですか? どうやって?」

「へへへ、こんなこともあろうかと……」


 俺はおもむろにポケットから白いビニール袋を取り出した。

 何の変哲もないコンビニのレジ袋。もちろん向こうの世界から持ってきたものである。コンビニで買い物をした際に受け取ったレジ袋を、俺はタクシーにいくつかストックしておいている。ビニール袋って、あれば何かと便利じゃん?


「これはビニール袋と言ってな、水や空気も漏らすことなく入れておくことができるんだ」

「水や空気も……? こんなに薄いのに、ですか?」


 エリウは某コンビニチェーンのロゴがプリントされたレジ袋を、不思議そうに見つめた。


「まあ見てなって。よいしょっと!」


 俺は靴と靴下を脱ぎ捨て、素足になってから、右足を慎重にその小さな沼へと足を踏み入れた。沼底の泥のねちゃっとした感触の気持ち悪さが、子供の頃、学校の農業体験か何かで田植えをやらされた時の記憶を呼び起こさせる。

 授業でああいう体験とかさせられるの、ホント面倒くせーよな。興味ない奴に無理矢理やらせたってさ、米育てたいと思うどころかむしろ絶対やりたくねーと思うだけなんだけど。


「うっわ、気持ちワリィ……」

「大丈夫ですか救世主さま、私が代わりましょうか?」

「いや、これぐらい大丈夫……」


 足元に注意しながら沼の真ん中に近付き、気泡が出ている場所の上にビニール袋を構えてガスを集めること数十秒。果たしてこれでガスが集まっているのか甚だ不安ではあるが、これしか方法がないのだから仕方がない。ガスが噴き出している場所に長居するのは危険だし、ほどほどのところで切り上げて袋の口をキュっと結ぶ。


「よし、とりあえずこれでいいか……よし、帰るぞ」


 近くのそこそこ綺麗な水溜まりで足を洗い、俺とエリウはタクシーへと戻る。


「そのガス、うまく役立てられるといいですね」


 助手席についたエリウが、再び見事なパイスラを披露しながら言った。


「ああ、まあ望みは薄いけどな」

あるじよ、そのガスは私の燃料にはならないぞ」

「いや、わかってるけどさ……一応な、一応」

「そんなもの、間違っても私に入れないでくれたまえ」

「そりゃ当然……ん?」


 ……あれ?


「エリウ、お前今何か言ったか?」


 エリウはぶるぶると首を横に振って否定した。


「いえ、私はてっきり救世主さまが独りごとを言っているものと……」


 俺はさっき、たしかに誰かと会話していた。そしてその相手はエリウではなかった。よくよく考えれば、声の主がエリウであろうはずがない。何故ならば、さっき俺と会話を交わしていた声は、声優で言えば諏訪部順一ばりのイケボだったからである。エリウがどう頑張って声を変えたとしても、あんな声にはならないだろう。


 ここで俺は、ふと異世界転移直後に、あてもなくタクシーを走らせていたときのことを思い出した。暗闇の中でサンガリアの集落の篝火を見つけ、どうしようか迷っていた俺に、


『我が主よ、あの集落に向かうがよい』


 という謎のイケボが聞こえてきたのだ。あの時はただの幻聴と片付けたのだが……。


「エリウには、さっき俺以外の声が聞こえたか?」

「ええ……確かに男の声が聞こえましたが、救世主さまが声を変えて話しているのかと思いました」


 エリウにも聞こえている。

 つまり、幻聴ではない。

 じゃあ、あの声はいったい……?


 おい、これホラー小説じゃねえんだぞ? 異世界エロギャグラノベだぞ?


 静まり返る車内に、再びあのイケボが響き渡る。




「主どの、私は、今あなたが乗っているタクシーだ」

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