言質

 目くるめく狂乱の宴は朝まで続き、天窓から朝日が差し込んでくる頃には、十人の女たちは皆床に倒れ伏していた。


 かくいう俺もさすがに腰がキツくなり、もうまともに立つことすら難しいような状態。いやあ、ハーレムって意外と疲れるもんだなあ……。

 十人もの美しい女たちの寝姿をうっとり眺めていると、疲労困憊の体に心地よい睡魔が襲ってきて、俺も間もなく深い眠りに落ちた。







「エリウ様、なりません、ここには誰も入れるなと救世主さまからのご命令で……」

「しかし、昨夜奴隷の女が十人この屋敷に入っていったのを見た者がいる。奴隷が許されて私が許されぬという理屈はあるまい」

「で、ですが、その……」

「案ずるな、これはお前の責任ではない。私の一存で押し切ったのだから、お前に咎が及ぶことはないだろう――通るぞ」


 あ~、うるっせえな……。

 外の騒がしさによって俺は目覚めた。柔らかい毛皮の敷布の感触、天窓から差し込んでくる暖かい陽の光。本来なら心地よい目覚めになるはずだったのだが……。

 どうやら、この屋敷の衛兵とエリウが何やら言い争っていたらしい。ったく、せっかく俺様が気持ちよく眠ってたっつーのに。


 俺が体を起こすのとほぼ同時に屋敷の扉が開け放たれ、エリウがずかずかと広間に乗り込んできた。


「なっ……!」


 部屋に横たわる手枷を嵌めた十人の全裸の女。その光景を見て、エリウはしばし絶句していた。


「おいエリウ、許可も取らねえで勝手に人様の屋敷に上がり込むたあ、ずいぶん非常識なんじゃねえか?」


 声を掛けると、エリウはハッとした様子でこちらに向き直り、険しい表情で俺を睨みつける。


「救世主さま、一体何ですか、これは……?」

「ハッ、何って、見てわかんねえかな? 戦利品の味見をしたんだよ」

「なんと……酷いことを……」


 エリウは顔を顰め、憐れむような視線で女たちを眺めた。


「え? なんで? こいつらは俺たちの奴隷になったんだろ? サンガリアのものは俺のもの、所有者がどう使おうが勝手じゃねえか。ここに捕らわれていたサンガリアの奴隷たちだって、ゴーマの奴らに酷い仕打ちを受けてたんだろう? 因果応報、目には目をって言うだろうが」

「それとこれとは話が別です! カムロヌムを奪還しても未だ劣勢である我々がゴーマと戦っていく上で、奴隷は必要不可欠な存在なのです。にもかかわらず、貴重な労働力をこのような目的で……」

「ああ? 捕虜の数は数百人は下らないんだろ? たかが女十人ぐらい、こっちによこしたって平気じゃねえか。それに俺はサンガリアの救世主だぞ、それぐらいの特権があっても……」


 しかし、エリウは俺の言葉を無視するようにつかつかとこちらへ歩み寄ってきた。


「おい、聞いてんのか、この……」


 パチン


 素早く振り上げられたエリウの右手が俺の左頬を打つ。

 そのあまりの衝撃に、俺は一瞬思考が停止した。意識が飛ぶほど痛かったわけではない。ただ、女にビンタを喰らうのはこれが初めてだったのだ。つーか、ビンタを喰らうこと自体が初めてだった。親父にも打たれたことねえのに。


「てンめぇ……この救世主さまに何を……」


 これまで色々と女に対して酷い仕打ちをしてきたが、ビンタをくらったことはついぞなかった。女に打たれるという行為がこれほどまでに屈辱的なものだったとは。エリウ許すまじ。絶対ボコボコに殴り返してやる――そう思いながら見返すと、エリウは、


「もう……やめてください、救世主さま……どうか、私や民たちを失望させないで……サンガリアの救世主として相応しい振舞いをなさってください……」


 悲し気な表情で、うっすらと涙を流していた。


 その白く瑞々しい頬を伝い、流れ落ちる小さな雫を見て、俺は何も言い返せなかった。

 女を泣かせるのが初めてだったわけじゃない。現にさっきまでここにいる女たちをさんざん泣かせたばかりなのだ。だがエリウの涙は、俺が今までに見たことのない類の涙だった。恐怖とも憎悪とも違う、静かな悲しみの涙。


「私たちサンガリアの民は……ずっとずっと長い間、救世主さまをお待ち申し上げていたのです。だから、どうか、罪のない者達を虐げ、自らの価値を貶めるのはおやめください……たとえ相手が憎きゴーマの民であったとしても……」


 一語一語絞り出すようなエリウの言葉と共に、打たれた左の頬がジンジンと痛み出す。

 自らの価値だぁ? 何寝言言ってんだこいつは。せっかく富と権力を得たんだから、好きなように使わせろ――心の内ではそう思っていたものの、何故かそれを言葉として口に出すことはできなかった。


「ふぁ~ぁ、よく寝たよく寝た。おはよう運転手さん……あれ、エリウちゃんも?」


 ヒトミが大きな欠伸をしながら寝室から広間へと出てきたが、部屋に横たわる十人の女とエリウの顔を見ると、驚いて目を丸くした。


「えっ……ちょっと、何これ? どうなってんの?」


 俺は何も答えられなかった。

 エリウにもヒトミにも。

 いや、ヒトミだけなら何とかなったかもしれない。だが、やはりエリウ――この女だけはどうも苦手だ。


 エリウとヒトミの詰るような視線を一身に浴びて、広間に気まずい空気が流れる。

 しかし、ここでエリウがとどめのつもりで放ったであろう迂闊な一言が、場の空気を一変させた。


「救世主さま……昨夜の戦いではっきりしました。アランサーの力を引き出すためには、私たち二人が心と体を合わせなければならない。はっきり言って滅茶苦茶な設定ですが、私はこれを受け入れます。だから、お願いです……私には何をしても構いませんから、この者たちにはもうこんな酷いことを……」


 むっ?


「何をしても構わん……だと?」


 自分が口走った言葉の意味に気付いたのか、エリウは慌てて口を塞いだが、時既に遅し。


「えっ? いや、はっ、私、そんなこと言いました?」

「今更しらばっくれるんじゃねえよ。俺はこの耳でちゃあんと聞いたんだぜ?」

「そ、それは、その……」

「へっへっへっへっへ、よ~~~~~しいいだろう。この女たちにはもう金輪際家事以外の労働はさせねえ。だが、わかってるんだろうな? 俺の言うことをなんでも聞くんだな?」

「えええっ、そういう意味では……」

「嘘はよくねえなあ、嘘つきは泥棒の始まりって言うじゃねえか、聖剣アランサーの使い手が嘘なんかついちゃならねえな」


 進退窮まったエリウは戸惑ったような表情を浮かべていたが、やがて眦を決して言った。


「……そ、それで、本当に、ゴーマの奴隷たちにはもう酷いことをしないと誓ってくれるんですね?」


 ニヤリ。


「ああ、もちろん。交渉成立だな?」


 念を押すように問うと、エリウは頬を赤らめながら小さく頷いた。

 この女たちに手を出せなくなるのは少々惜しいが、それでもこのエリウが俺の言いなりになるってんなら、まあ悪くない取引だ。

 俺はその場で早速、エリウに今夜俺の部屋に来るよう約束を取り付けた。

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