■第八信②

 もしかして、澪の亡骸を見た瞬間、凪は本来の女の直感で、澪が死の直前——あるいは直後——に、に曝されたことを察したのかもしれません。そして、犯人が僕だと見抜いてしまった……。そうか、今やっと気がつきました。瀧は澪と逸早いちはやを結んでいたのでしょう。だから、彼女の死に甚大なダメージを受けているんですね。なるほど、そうだったんだ。


 ……早く迎えが来ないかなぁ。


 猛烈な吐き気で跳ね起きました。以前、機内で居眠りしていて、寝たまま酔ったのか、気分が悪くなって目覚めたことがありましたが、そのときよりひどい状態でした。駆けているやら這っているやら判然しないままトイレに飛び込み、便器に顔を突っ込んで吐きました。凪が寄越した葉のせいなのか何なのか、ほら、正座して足が痺れる感覚があるでしょう、それが頭の中で起きているんです。凪のヤツ、どういう嫌がらせなんだろう。

 バタンとドアが開いて、誰かがズカズカ入ってきました。今日、相部屋になるのは陸と海、どっちだったっけ……いや、そんな巨漢じゃないぞ、と思ったら、瀧でした。やっぱり、あのとき僕と入れ替わりに撞球室へ来た彼が、ギャーギャー喚きながらも遺体の傍から抜け目なくスタンガンをくすねていたんですね。しまった——と思う間もなく、僕は脇腹を押さえて床にくずおれました。意識が遠のき、同時に、ザワザワと雑音が耳を埋め尽くしました。異様な気配を察した陸たちが駆けつけたようでもあり、宵待蟹が赤い鎖と化して包囲網を狭めるかのようでもありました。間髪を入れず、僅かな電気ショックなどとは比べものにならない衝撃が襲ってきて、昏倒しました。寸前に、自分で自分の悲鳴を聞いた気がします。


 ……ええ。そこから若干、回復して、ペンを執っているところです。首が据わらないというか、ずっと頭がフラフラ揺れています。視界に靄が掛かり、こうして綴っている文字が便箋の上で意思を正しく表しているかどうか、自信が持てません。が、手は異様な速さで動き、自動オートマ書記ティスムさながらの様相を呈していると思われます。


 荘「そいつはフンじばっとけ」

 瀧「ウワァァーッ!」

 哉「うるせぇよ、おとなしくしろ(縄の摩擦音)」

 荘「こっちはどうする。面倒めんどくせぇな」

 海「おい(僕の頬をペチペチ叩く)」

 陸「凪、詠に何をした」

 凪「(いつものしゃがれ声で)ムカムカするって言うからスッキリしそうなハーブをくれてやっただけ」

 卓「傷、結構深いですよ」

 矩「オェッ(嘔吐)」

 荘「馬鹿野郎、刃傷沙汰は御法度って言ったろうが」


 どうやら瀧に傷を負わされた後、手荒い治療を施され、どこもかしこも包帯でグルグル巻かれてしまったらしいのです。包帯なんて施設ここにあったかしらん。あ、きっと荘が図書ラベルのついでに注文したんだな。しかし、随分ご丁寧に縛めてくれたもので、身動きが取れません。指先だけが辛うじて自由になる程度です。これじゃあ、まるで邪神の胸像そっくりじゃなかろうか。ひこばえが生えてきたら、どうしよう。鏡を見るのが恐ろしい。いや、覗いたところで、ちゃんと目に映るんだろうか。

 あれ。この振動は、ひょっとしてバスかな。僕はいつの間にか迎えのボンネットバスに乗せられ、移送されている最中なんでしょうか。それじゃ、今、書いている手紙は誰が取り次いでくれるんだろう。拘置監にもポストはあるんですかね。いや、本当は、出て行くのは凪と荘で、僕は相変わらず部屋で机に向かっているのかも。それにしても、さっきから耳許みみもとで、小さな生き物が無数に戯れるような、ガサガサした音が絶えないのです。きっと、宵待蟹が顔に這い上がって――いてっ!


               *****


 ……やれやれ。包帯ごと唇を切られたみたい。生温なまぬるい血の味が痛みと共にじんわりと舌に沁みてきます。これ、会うまで乾かなければいいな。あなたの清廉ぶったキレイな顔に共犯の——教唆犯の烙印を押してやりたい。来てくれますよね、面会には。是が非でも。だけど、ここがバスの中じゃなく地下倉庫だったら、どうしよう。不要品と一緒くたにされて、湿気の中で錆と黴に侵されるとしたら。あるいは、月の出と共に活発化した宵待蟹がゾロゾロ行進して現れ、僕の身を生きたままはさみで切り刻み、なまぐさい細片を銘々好き勝手に運んでいくとしたら……。

 親愛なる唯様、そのときは憐れな骸の引き取りを。どうか必ずおでになりますよう、切に願います。乱筆をお許しください——。


                                  詠より

                                   敬具




             宵待蟹岬よいまちがにざき毒草園どくそうえん【了】


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