■第一信①


拝啓

親愛なるゆい


 本当は、こんな風に呼びかけるのも許されないだろうし、握り潰すだけで封さえ切ってもらえないかもしれないけれど、敢えて手紙を送ります。記録して発信することが僕自身のためにもなるのだから、書かせて——なんて言ったら、あなたは鼻で笑うでしょうか。怒りに震えて便箋を引きちぎるかな。それだけはご勘弁を。どうか破り捨てずに残しておいてください。


 毒草園——これは僕らが自嘲的に用いている通称ですが——は、灰色の海に突き出す岬に広がっています。図書室の出窓に腰掛けて、本と景色に視線を注いでいると、海上にレンブラント光線を見出みいだす瞬間があって、その美しさ、神々しさには、いつも胸を打たれます。恩寵のようなものを感じ、まだ世の中のすべてから完全に見放されてはいないのだと、信じられそうな気持ちが湧いてくるのです。……ああ、ちゃんちゃらおかしいと失笑されましたね。どうぞ、お好きなだけ。でも、便箋は破かないで。もう切れてしまった箇所があるなら、セロハンテープでも貼り付けてください。

 日暮れ前、久しぶりにボンネットバスがトンネルを抜けて海岸沿いの道路を走ってきました。 かつては停留所があったそうですが、廃線になってからは黙々と、この毒草園を目指して蛇行してくるだけです。稀に訪れる客を運ぶついでに物資を届けてやろうということで、大型車両の出番になるのだとか。ある不吉な予感に駆られ、僕は廊下へ出ました。腰高窓から見下ろすと、バスは正門前に停車したので、急いで階段を駆け下りました。

 来訪者は男女二人連れで、どちらもトロリーケースを引き摺っていました。新しい職員なのでしょう。男は大柄で手足が長く、伸び過ぎた髪をバンダナで押さえつけていました。女はこれといって特徴のない、ありふれたタイプとしか言いようがありません。彼女は入り口に続く階段と荷物を見比べて、困惑した表情を浮かべましたが、男はまったく意に介さない風でした。僕が四、五段上で立ち止まると、鋭い眼を光らせて、

「今日づけで着任した管理人だ。案内しろ」

 バスの到着に気づいた陸海りくかい兄弟が、仲間数人を従えて出てきました。一同は積み荷を下ろして裏口へ運び、巨体の双子はトロリーケースを一つずつ頭の上に持ち上げて、僕の脇を素通りし、サッサと階段を上っていきました。通廊コリドールの奥に、彼らを待ち受けるように佇むなぎの、華奢なシルエットが見えました。

「……どうぞ」

 僕は先に立って新任の二人を導きました。尊大な男の挙止が、禍々しいものの象徴のように思えて、胸がざわついていました。

「何だか、教会みたいな造りですのね」

 エントランスで、女は穹窿ヴォールトを見上げて呟きました。

「無宗教の結婚式場チャペルだったらしいです。元々、施設アサイラムは半島の低地にあったそうですが、いつだったか台風で甚大な被害を受けて、既に無人となっていたここへ逃げ込んだまま、勝手に利用し続けていると聞きました」

「ウェディング・リゾートだったのか」

 男——新管理人——が、せせら笑いました。不愉快な声調トーンでしたが、現状とのギャップから来る馬鹿馬鹿しさは否めないので、致し方ありません。

「キャッ」

 女が躓き加減に足を止め、短い悲鳴を上げました。気の早い連中が列を作ってお出ましになったのですが、彼女は弾みで一匹踏み潰してしまいました。

宵待蟹よいまちがにって言ってます。正式な名前は知らないけど。日没頃、集団で浜から上がってくるんです」

「シオマネキみたいなヤツだな。蟹漬がんづけにゃ出来るのか?」

「形は似ていますが、食べられるかどうか。まあ、踏んづけただけで毒が飛び散るとか、そんな物騒なもんじゃないはずだから、大丈夫ですよ」

 ヒールに染みを作ってこの世の終わりみたいな顔をしている女に、慰めの言葉を掛けてやりましたが、効果はないようでした。

「フン。酒の肴になるくらいならてっつぁんがそう言っただろうからな」

 ——というのは、先日病気で退任した前管理人のに違いありません。もしやと思っていると、

「お察しのとおり、俺様は水上みなかみ徹太郎てつたろうの身内。大甥に当たる荘次郎そうじろうだ」

 つまり、徹じいは彼の大叔父という訳です。

「徹つぁんは病院で亡くなった」

「えっ……」

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