第5章

第10話 知らない声

 翌日。

 私は、東間凪子に言われた通り、“東間凪子”の配信を見ずに部屋の掃除をしていた。けれど、つい気になって、Twitterだけは掃除の合間に開いてしまう。


 幸い、昨日の騒動は話題に上がっていなかった。何人かが、“東間凪子が酔っぱらいに絡まれてた”と言っていたが、写真はアップされていなかったし、その発言自体が放置されているような雰囲気があった。


 “東間凪子”を形作るのは、東間凪子だけではないのかもしれない。

 彼女が言う、東間凪子によく似たファンたち。周りで見守るたくさんの人たち。

 本当の顔が見えないまま、何時間もゲームをして騒いだり、何気ない話で笑ったり。


 “東間凪子”は饒舌だ。それはきっと、“東間凪子”が一人ぼっちではないからだ。

 “顔の見えないどこかの誰か”の分まで、彼女は言葉を口にする。溢れる言葉を、声に乗せる。


 本当のファンたちは、昨日、街角で男たちに絡まれた“東間凪子”のことを知らない。知っていても、それには触れない。

 彼らが、東間凪子と一緒になって作り上げる“東間凪子”を。東間凪子が見せる“東間凪子”を、ファンたちは楽しんでいる。応援している。

 これを愛情と言わずに、何と呼べばいいだろう。


“今日は珍しく日中の配信でしたが、暇人のみなさんとお祝い出来て楽しかったですよ!”


 相変わらずの口調で、“東間凪子”が投稿すれば、あっという間にファンからの感想が書き込まれる。

 うらやましい。そう思った。

 捻くれた物言いで、生意気な口調で、ストレートでわかりにくい“東間凪子”の愛情表現を、一身に受けるどこかの誰かたち。

  

 ああ、これはやきもちだ。独占欲だ。

 平たく言えば、そういうことだった。



 午後三時を回ったところで、私のスマートフォンに通知が届いた。


“センセイが教えてくれたプレゼント、喜ばれました。配信も、盛り上がりました。ありがとうございました”


 東間凪子からのメッセージだった。




 それからしばらく、私は掃除を続けていた。大して広くない一人暮らしの部屋だけど、こうして必死になってみれば、案外やることは山積みだ。

 テレビの液晶画面を一心不乱に拭いていれば、急に、スマートフォンに着信が入った。電話なんて珍しい。


「凪子ちゃん?」


 メッセージではなく、電話。どうしたんだろうかと、私は電話を取った。


「もしもし?」


 どんな憎まれ口が聞こえるのかと、ほんの少しだけ期待して。


 しかし、期待はあっさり覆された。

 聞こえてきたのは、知らない若い男性の声だった。


『センセイ? センセイって、そちらさんですか?』

「え?」


 唐突な質問に戸惑えば、後ろから今度は別の女性の声が『ちょっと、それじゃ伝わんないよ』と聞こえてきた。


『すみません、あたしたち、凪ちゃんと同じ事務所の人間なんですけど』

「あ、もしかして配信の?」

『そうです、Vtuberの』


 まるで、アニメのキャラクターと話しているみたいだ。電話口の女性の声は、甲高いけれどよく聞こえた。

 しかし、言葉の粒はすぐに弾けてしまった。


『それで、今日さっきまで配信してたんですけど、凪ちゃん、倒れちゃって』

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