VSたゆたう火


 異なる世界、違える次元の先と聞いてそれなりの覚悟は決めていたが、存外割り裂いた空間の先はなんでもない街中だった。

(俺の世界とそう変わらんな…。異世界、ってか並行世界も入るんだったか?)

 だとするならばここは石動堅悟の住む世界に極めて近い『何かの可能性がズレた』先の日本なのかもしれない。

 ともあれ知らない土地とはいえ慣れた国土だ。勝手知ったるままに道を歩く。今は深夜帯なのか人の姿はなく、等間隔に設置された街灯の明かりだけが視認可能な領域を示していた。

(本当に違う世界なのか…?確かに時間帯はあっちが昼でこっちは夜だが)

 こうも認識の差異が無いと次元を超えたという自覚が薄くなってくる。

 十分ほど当てどもなく歩き、もう二分歩いて何も無かったら一旦元の世界に帰ろうかと思案に至った時。

 まるで期待に応えるかのように、背後数十メートル先で爆炎が柱となって夜空を焦がした。

「…いいね。やっとらしくなってきた」

 眠りの中にいた人々が起き抜けの騒ぎに悲鳴を上げて火柱から逃げ惑う中を、人波に抗って進んでいく。

 特に急ぐ挙動でもなく、ゆったりと持ち上げた右手の内から現出する両刃の剣。

 振り被り、落とす。

 距離は遠く、間合いにまるで届かない剣はしかし、何かを斬った。

 瞬間火柱は不自然と思えるほどの一瞬で鎮火する。

「火遊びではしゃいでんじゃねぇよ三下。器が知れるぞ」

 『絶対切断』にて両断したのは空気。より正確には空気に含まれる酸素。

 火の手を上げていた周囲一帯の酸素を断絶した。いくら石動堅悟の規格外を以てしても持続出来る芸当ではないが、一度酸素の供給を断ってしまえば小火程度の消火は容易い。

「俺んとこにバケモン送り込んだのはテメエか?」

 放火をあっという間に収められて不服なのか、犯人らしき老人はやけにつぶらな瞳でキッと堅悟を睨み据えた。

「……パズル」

「あ?」

 全裸の老人は譫言のように何かを呟きながら泡を吹いている。

 いや、泡ではない。

「次元パズル。どこだ」

 口から零れる真紅の水泡、に見える何か。

 シャボン玉のように空気に乗ってふわりと浮き上がる何十ものそれが老人から離れ四周に漂う。

「もういい」

 会話は諦めた。この不細工な人型からはまともじゃない雰囲気を感じる。

 何者かは問わない。放火という形で害を撒き散らすのなら息の根を止めて次を目指すだけだ。

 聖剣を手に駆け、ろくに回避にも防御にも思考を割かない老骨を断つべく剣閃を澄ませる。

 一太刀で首を刎ねる軌跡の途上で刃は赤いシャボン玉に触れ、

「…ッ!?」

 爆裂。

 咄嗟に受け身を取ったが爆発と衝撃で聖剣が吹き飛んでしまった。後転を繰り返して距離を取りつつ顕現解除、再度の発動で一度消失させた剣を手元に呼び直す。

(爆ぜるシャボン玉だと。やっぱ異世界のヘンテコ能力者なのか)

 充分な距離を稼ぎ立ち上がる頃には、老人を囲うシャボン玉の密度が増していた。その数百に届くかどうか。

(一呼吸で出せる総量があれか?立て続けには出せねえよな、爺だし肺活量だって大したことないはず)

 触れれば爆発。ならば対処は逆に容易である。

 一歩二歩と近付き、三歩目から疾駆。

 敵に到達する前に剣で地面を斬り裂き、地面から砕けたアスファルトの欠片を掴み投げつける。

 細かな礫は爺の前面に張られていたシャボン玉の大半と衝突して爆散。正面の防御を打ち消す。

 最短最速の突き。心臓を狙う。

「っほぅ!!」

 眼前を多量のシャボン玉が覆った。

(速ェよ生成がっ!)

 想定より呼吸が続く。明らかに老翁の身体に見合わない深い呼吸から放出される赤い輝き。

 身を倒し地面に頬が擦れるほど低く体を沈み込ませ、かろうじて一つの接触もなくシャボン玉を回避する。

「チィ…!」

 眼球だけを動かして見上げる先に空気を取り込む爺の姿が映る。

 既にシャボン玉に囲まれた状態。次の放出は直後。

 人差し指に嵌めてある指輪に意識を向け、魔力を注ぐ。

(ソロモン!)

「はぁっ!!」

 先程よりも幾分大きい分数の少ないシャボン玉が数個、息に押されて地面に着弾。周りのシャボンも連鎖して大規模な爆発を引き起こした。

 煌々と夜を照らす爆炎の中から跳び出る爺の姿に外傷は見当たらない。自身の能力をよく理解した上で指向性の操作を施し爆炎の殺傷圏域から逃れていた。

 素足を擦り炎熱から離れた爺が、勝負は決したと言わんばかりに息を整え陰部を隠していた新聞紙の皺を伸ばす。

「おい」

 新聞紙を握っていた左の腕が肩の部分から胴より離れ地に落ちた。

「ヌっ!」

「やって、くれたな」

 変身能力を持つ神聖武具『ソロモン』の効果により蝙蝠の姿に変化しシャボン玉の隙間を潜り抜けた堅悟の一撃が老翁を隻腕に追い込む。

「刻んでやる」

 後方に下がるが構わない。聖剣を構え吶喊する堅悟を深く深く吸い込んだ吐息が狙い澄ます。

 気を練り上げすぼめた口から放たれる焔は鋭い穂先を備えた炎槍。高速で眉間を穿ちに来るそれを、聖剣の腹で受け止める。

 シャボンと同様、接触と同時に爆裂する炎の槍。衝撃を止め切れずまたも剣は夜空に舞い飛ぶ。両手は空き、だからこそ堅悟は褪めた笑みを浮かべる。

 剣の威力が最大の脅威。それはもう十分過ぎるほど爺に擦り込んだ。

 この刹那、爺は勝利を確信していた。徒手の人間に殺されるまで落ちたつもりはない。

 故にこの考えが誘導されたものだと気付けなかった。

「ふぅ」

 静かに一息吐き、爺の懐で両脚をズシリと地に打ち付ける。

 脚より返る衝撃は膝、腿を通い腰で捻転し胴を廻り腕に介し末端へ集束する。

 練功の果て、発するは寸勁の掌打。

 老いた矮躯の胸を叩く掌が、臓腑と心臓を纏めて押し潰す。

「か…はぁ…っ!?」

 魔力の強化と放出によって後押しされた未熟な武術による一撃は、油断を晒した敵の命を正確に絶った。

 これが最強に至った非正規英雄の力。天神や天使に与えられた神聖武具なる能力に頼らずとも敵を屠る力を会得した者。

 剣士にして拳士でもある石動堅悟が、倒れ伏した爺の頭部を踏み砕くことで確実な死亡を確認してから踵を返した。

「次」

 手の内に呼び出した聖剣で次元を断ち、今現在の世界を発つ。

 元凶はここではなかった。あの爺ではなかった。

(次元パズルとかわけわかんねえこと言ってやがったな。それが元凶ゴミクズに通じているのなら)

 追えばいい。手にすればいい。

 そうすれば出鱈目にうろつくより、よほど簡単に事件の中心に近付けるだろうから。

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