起きて夢見る、邯鄲の君

来栖

第1話 一場春夢

 

 

 

 私にエイリアンの殺し方を教えてくれたのは、先輩だった。

 

 私のハジメテは狭い路地裏で、五月なのに目玉焼きが焼けそうなくらい暑い日。

 だけど路地裏までは日が届かなくて、すっと抜けていく風のおかげか結構涼しかった。でもそれだけじゃない。目の前にあるそれのせいだ。


 エイリアンは、地面に転がっていた。手足をもがれて芋虫みたいな緑色の、お父さんの顔をしたエイリアン。

 今朝起きたらこうなってた。帰った時には手足は有ったけど。もいだのは先輩。最近現れた超能力者らしい。すごい。スプーン曲げの応用かな。なんて呑気に思った。全部が全部、急なことで現実感がなかったからか、一周回って落ち着いてたんだ。多分。


 昔は優しいお父さんだった。お母さんと妹が消えて、街に銀色の円盤が突き刺さるまで。

 

 その後は酷かった。

 

 天気や街と一緒で、みんな変わってしまった。お父さんの変わり方も酷かった。よく暴力を振るうようになった。お酒もよく飲むようになった。色んなことをされた。だけどまだお父さんだった。泣いてる私を直ぐに慰めてくれたし、いつもより優しくなった。だから、まだお父さんだった。

 だけど、今では、全身透き通ったエメラルドグリーンで、怪獣みたいな白い爪と牙とか生えてたエイリアン。一応声をかけて見たけど返ってきたのは叫び声だったから、逃げ出して。追いかけてきたのが目の前に転がっている。


 「……怖い?」


 「怖い、です」

 

 そういえば最初は敬語だった。見ず知らずで、随分大人びて見えたからつい。

 

 「エイリアンが怖い?」

 

 「怖い……です」

 

 「知ってる人?」

 

 先輩は指を指すから私は頷いた。

 

 「……お父さん、です」

 

 「今も?」

 

 「今は…………違います」


 「じゃあ、どうしたい?」


 「怖い……怖いから……」


 「うん」


 「……いなくなって、欲しいです」


 結論だった。怖いものが居なければ怖くない。思い出した時は、その時だけれど。眼の前の恐怖が居なければ怖くない。


 「だったら、殺そう」

 

 「…………どうやって?」

 

 殺すことなんて簡単なはずだった。手には拳銃。先輩は超能力者。だけど、私にはどうにも難しく感じた。

 だって、殺すなんてしたことない。人を殺したことなんてない。普通の女子高生に何を求めるんだ。

 でも私は、『どうやって?』と聞いた。まるで、殺すことが前提のように。


 「怖いって思ってるでしょ?」


 「……はい」


 堪らなく、怖い。


 「ずっと、思ってるとね。感情は心の中にある入れ物に貯まるんだ」

 

 「貯まる……」

 

 「そう、心の中にぎゅーって溜め込んで。溜め込んで、頭とかが頑張って留めてるの」


 ぎゅうっと後ろから先輩に抱きしめられた。息が詰まる。先輩は背が高くて、胸も大きいから小柄な私には少し、息苦しい。さらっと落ちてきた髪からいい匂いがした。とってもいい匂い。

 

 「怖いって気持ちがずーっとずーっと貯まってて。ためて……ためて……最後に入れ物が壊れて溢れ出す――前に、解き放ってあげるの」

 

 「そうしたら……?」

 

 「殺せる」こくりと頷いて「エイリアンも生きてるんだから、殺せる――だからほら」

 

 極自然に私の腕は持ち上げられて、気付けば拳銃を握らされていた。


 拳銃。持つのは初めてだった。当たり前だ。日本で拳銃なんて持ってるの、警察とか自衛隊とかそれくらいだもの。私が握ってたのも警官がもってるようなやつ。昔は詳しくないから知らなかったけど、それの名前はニューナンブM60。お巡りさんの腰にぶら下がってる黒く輝く拳銃は、小さいながらに確かな重さがあったのも覚えている。冷たくて重たかった。ちょっと前・・・・・が続くなら、絶対に持つことなんてなかったもの。

 

 流れるように銃口をお父さんだったものに向ける。引き金に、指は触れていたから感情を乗せるだけ。

 

 「撃って」

 

 優しい囁き――撃った。

 だからお父さんはもう動かなくなった。もう笑顔は見えないし、もう殴られる事もない。もう二度と――そう思うと、涙が止まらなくなった。

 硝煙が目に染みたのか、堪えていたものが溢れ出たのか。今となっては思い出せなかった。自分の事なのに全然全く。

 だけど、これだけは憶えている。泣き止むまで宥めてくれた、抱きしめてくれた先輩の優しさを憶えている。

 

 

 

 ++++

 

 

 

 じりじりと騒々しく喚き散らすアラームを叩いて止める。起きれないからアラームを大きなのにしたんだった。目は覚めるけど苛立ちを若干覚えてしまう。何時になっても慣れない。叩き壊して、新しいのに変えてから暫く経つのに。

 

 「だるい……」

 

 見慣れた天井を見上げてぼやくと。

 

 「じゃあ、今日は一緒にベッドに居る?」

 

 「………………それは、甘いなあ」

 

 隣から声がした。左腕に掛かる柔らかな熱と重み。さらりと肩に掛かる艷やかなショートヘア。生暖かに吸い付き、ちろりと肌を優しく滑る感触。指先が感じる湿り気のある茂み。それらを受け止めているとむくむくと首をもたげてくる衝動があった。溺れてしまいたい程には強さのある衝動。

 

 「だけど、うん」この後の事を考えると「今日は働かないと」私は断腸の思いで誘惑を振り切った。

 

 実に残念。

 

 「ていうか、今日の仕事引っ張ってきたの先生じゃん」

 

 私が唇を尖らせたら。

 

 「ん、まあね」

 

 「白々しい……! って、起きてたなら起こしてよ……」

 

 針の進み具合は中々レッド。スヌーズ機能があるから結構な頻度で鳴っていたはずなのに。

 

 「寝顔が可愛かったからつい、ね?」

 

 くすくすと肩に顎を置いて耳元で子供みたいに笑う。やや歳の離れた同居人。先生。私達を助けてくれた人は、えっちな黒子のある唇に笑みを浮かべて。

 

 「むっ……」

 

 私が尖らせた唇をちゅっと鳴らした。柔らかいフレンチ。だけど感触は生々しいく、離れた後も濃く残る。

 

 「ほら、顰めっ面なんてしたら可愛い顔が台無しよ?」

 

 「そうさせた張本人にそんな事を言われるのはとっても癪なんだけど」

 

 「はいはい」

 

 なんてするりとベッドから抜け出していく。マットの歪みと熱だけが残る。するとなんだか寂しくなってしまう。我ながら現金だなーって思う。夜に作った赤い痣が目立つ色白で小さな背中とこれまた昨夜揉みしだいたおしりが白衣で隠れていくのを目に映しながら、私もベッドから出ることにした。


 素足を床に付けて、ぺたぺたと着るものを探す。冷房の効いた部屋は、ベッドから出たばかりの私には少し肌寒かった。ベッドの側に落としてあった地味なグレーのスポブラと丸まったショーツをほどいて身に着けて、ハンガーラックにぶら下がったYシャツに腕を通すと冷房もちょうどよく感じた。

 仕上げとばかりにタイトなデニムへ足を通せば、いつもの私が出来上がる。姿見に映して、満足げに頷いてみる。完璧――いや、まだだ。と頭でぴょんぴょんと主張する寝癖達。どうにかせねば……。

 

 「朝、食べてく?」

 

 先生の声が背中から聞こえた時には、私はデニムの後ろに付けたホルスターにハンドガンを捩じ込んでいた。

ちなみに寝癖はまだ駆除できていない。強敵だ。ぴょこぴょこと後ろと横で踊る毛先を霧吹きで湿らせる。後は櫛を通して整える――跳ねて、跳ねた。溜息。とても大きく。再挑戦……よし! 小さくガッツポーズ。

 ぐぅーー……。お腹の虫がせっつくように鳴った。夜通ししてたから結構ぺこぺこ。だけど分針は結構せっついてきていた。厄介。止まればいいのに。時よ止まれっ……って誰だっけ。

 

 「ゲーテよ。正確には彼の書いた戯曲『ファウスト』に出てくるセリフね」

 

 「おお……なるほど……」

 

 どうやら口に出ていたみたいちょっと恥ずかしい。

 

 「ごめん、今日はいいや。時間無いし」

 

 大変申し訳無い……ところで当てつけみたいにベーコンを焼き始めるのはあまりにも慈悲がない。今日はハムエッグか~! 畜生! と鏡越しに目で言ってみれば、にやにやと笑いが返ってきた。ちくしょうめ。

 

 「じゃあ、はい」

 

 すると先生が何かを投げてきた。鏡に映ったから直ぐに気づけた。いや、鏡越しで見えるにしても背中に投げてくるって結構雑じゃない?

 だけどまあ、そのままキャッチできないのは癪なので、振り向きざまにキャッチしてみる。

 

 「カロメだ……」チョコレート。私、フルーツのほうが好きだけど「四本入り……」大きいやつだ。食べごたえありあり。

 

 「いいの?」

 

 「いいよ。空腹で行き倒れたり、死なれても困るしね」

 

 湯気を上げる珈琲メーカーの前で、眼鏡を曇らせながら先生は笑った。いい匂いがした。のんびり一杯飲んで行きたかった。けど時間がない。明日は早く起きよう。

 

 苦笑い「じゃあ、お言葉に甘えて」受け取ったままも悪いので箱から片割れを取り出し「お裾分け」と先生に投げ返した。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「先輩、行ってきます」

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 さてさて。今日のお仕事は、エイリアン駆除です。

 

 現場は都内某所の住宅街。仲のいいお隣さんの様子が数日前からおかしいなって気になっていたら、いつの間にか愛犬がいなくなり、隣の奥さんがお裾分けに持ってきたシチュー・・・・で発覚。

 どうやら一家まとめてエイリアン化しているらしい。様子見に覗き込んだ通報者のお隣さんは、四足歩行に全裸で徘徊するお隣さんの旦那と息子を見たと電話口で早口で言っていた。奥さんは未だに普通に生活しているみたいだけど、パニック一つ起こしてない辺り、目に見えない変化の可能性が大。

 そんなエイリアンの駆除依頼を〈保健所〉から受けて、私はここに来ていた。

 〈保健所〉っていうのは、えっと、なんだったかな……そうそう! 地球環境保全保護健全維持機関の略称なんだよ。

 エイリアンの調査とか駆除の依頼を私達みたいなハンターに出しているところ。

 

 

 「四足歩行してるって情報があったのよかったなぁ……」

 

 PDWに弾倉を叩き込んで、初弾を薬室に送り込んでおく。腰のハンドガンの様子もついでに見ておく。よしよし調子はいい。多分大丈夫。詰まジャムって死ぬのはやだから、掃除はちゃんと昨日の夜にした。マガジンも同じ。だけどチェック……うん、ヨシ。

 駆除のお仕事はありふれてる。私も、週に一、二回はやるからわりと慣れてるほう。これでも五年続けている。エイリアン駆除は、安定してこなせるなら普通に働くよりはお金になる。だから競争相手は少なくないけど減りもするから均衡がとれている。

 だけどエイリアンの皆さんは毎回パターンを変えてくるから勘弁して欲しい。行動を揃えて欲しい。団体行動を学んで欲しい。そうしたら殺しやすいのに。

 

 「でもやっぱり……」今朝の夢を思い出して「怖いくらいでいっか」

 

 がしゃんとハンドガンに初弾を装填する。

 準備は出来たので、乗り込むことにした。件のお隣さんの間取りは頭に入れている。

 二階建て。一階はダイニングキッチンで後は玄関や風呂とかの水回り、小さな和室もあったかな。二階は洋室が三部屋。不動産屋から仕入れた間取りはそんな感じ。現在はどうだか。窓という窓はカーテンを引かれて伺うことは出来ないし、突っ込んでみてから確かめるしか無い。ドローンとかで事前に調査をする人たちもいるらしいけど、私にはできません。機械は難しい……。

 

 「……めちゃくちゃ帰りたい」

 

 怖い。めっちゃ怖い。分からないのは怖い。しかもエイリアンが徘徊してる。後、暗い。最低三体。増えていない可能性は捨てきれない。もうやだなあ……泣き言を頭の中で零した。現状は変わってくれないけど、零すのは自由じゃない? だけどもう家屋の裏側、勝手口まで来ている。玄関から突撃朝ごはんとかN○Kでーすってしてもいいけど、表でやるのはあんまり好きじゃない。赤の他人を巻き込むのは後味が悪いし、色々面倒くさい。万が一撃ち殺しでもしたら相手がエイリアンだけですまなくなる。お金がかかる。無駄なお金は嫌い。

 

 ということで私は勝手口からお邪魔することにしました。間取りだとキッチンに通じている。流石に、普通の一軒家だし迷路とかになってたりはしないと、思う。思いたい。

 人類の半分くらいが消えてから、銀の円盤がやってきたせいか、極たまによく分からないものが現れるとか。

 私はまだ出会ったこと無いので、『とか』、『らしい』で語るのは許して欲しい。実際怖いですまないので出会いたくはないけど。


 「開いてる……」

 

 軽く引いてみるとキィ……と微かに鳴った。勝手口に鍵は掛かってないみたい。中を伺えるくらいの隙間が欲しかったからドアを引く。ゆっくり、隙間から覗き込んでも見る。

 ……真っ暗。昼間なのにカーテンを引いて、明かりの一つもつけてないせいだ。これはヤバいやつ。私はもう回れ右したくなった。だってこれ暗くて問題ないってことだよ? 暗視装置なんて持ってきてないよ? 夜目効くとか聞いてないしー! いやだなあ……

  

 「一回引き返そうかな……」

 

 思いつつ私はゆっくりとドアを締め始めていた。いや、無理でしょ。いくらなんでも。私、人間だし。超能力者でもエイリアンでもないし。出来ないことは出来ないです。引き際の見極めは重要。

 

 「………………――――――」

 

 なんて都合よく撤収できればよかったんだけど。

 

 「――――――………………」

 

 目が合った。目と目があった。確実にあった。視線が繋がった――光る瞳が扉の向こうにあった。

 

 やばいまずいまずいまずいいぃぃぃぃ!――流石に口には出してない。顔にでは出てたと思うけど。

 

 反射的に銃口を跳ね上げて、銃爪を引き絞っていた。閉まる寸前のドアの間に銃口を突っ込んで、視線の先に叩き込む。恐怖と反射が先行してしまった。だけど仕方ない。怖いと思って、弾けたのだから仕方ない。

 ものの数秒だったかな。銃爪を引いてる間の時間間隔が曖昧になってしまう辺り、私はまだまだだと思う。

 きいきいとドアだったものから音がする。空のマガジンを引き抜いて、代わりと入れ替えて差し込む。それから、恐る恐る、中を伺って見ると。

 

 「先制一点先取……かな、うん」

 

 無残に穴だらけになった人型が転がっている。どうやら銃弾は通じるみたい。ちゃんとめり込んでるし、突き抜けてる。色々出てるし。頭弾けてるし。極め付きに動いてないし。よしよし、殺せるなら殺せる。

 

 「でも……踏み込む気にはならないかなあ」

 

 一匹減った。後二匹――最低だけど。それに撃ったのはバレてる筈だ。今撃ち殺したエイリアンをもう一度見てみる。やっぱり、犬っぽい。見た感じは人だけど、耳が大きくて後ろ足がやけに発達してる。音には敏感な筈だ。こういう家族まるごとエイリアン化するのは共通項が多かったりする……気がする。経験則的にはそう。

 

 「あー……どうしよう……」

 

 立ち往生してても時間が無駄なだけだからさっさと決めてしまいたいんだけ――なんて思ってたら。

 

 「パパーご飯よー。パパー? どこーパパー?」

 

 声が中から聞こえてきた。女の人の声。四十歳くらいの女の人の声。きっとシチューを持ってきたっていう人だ。人の形をしているっていうのも聞いてたしそうかな。その筈だ。

 

 「外に出たのかしら……」

 

 多分ドアが半開き(半分くらいしか原型が無いけど)なのをそう解釈してくれたみたい。私は息を殺した。手元のPDWは絶好調だしこのままでだいじょ――いや待って。ちょっと待って。そりゃないよ。これを見て外に出たはないよ。ていうかそもそも私気づいてたじゃん。

 

 「耳が良いって」

 

 

 

 ++++

 

 

 

 振り向きざまの抜き打ちは多分、今までの人生で一番格好いい瞬間だったと思うので動画で保存しておきたかった。残念無念。

 

 


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