第3話

目が覚めると、ぼやけた視界に最初に入ってきたのは白色だった。

病院の天井の、白だ。

「お? 起きた?」

まとまらない思考のまま、声のする方向に視線を向けると、そこには俺と同じ高校へ来た、唯一の気が合う友人だった。

「ナースコール押しとかなきゃ」

その友人が淡々とナースコールのボタンを押す。……いや、お前なんでそんな冷静でいられるんだよ。ていうかなんでお前がここにいるんだ。

「なんでお前がここにいるんだよ……」

心底嫌そうにそう呟く。不思議と、声は滑らかに出た。

「ん? 記憶喪失になったりはしてなさそうだね? 僕の名前分かる? 言ってみて?」

一番最初に目に入ってくる人物はお前じゃなくて重士がよかった……。なんだお前、医者気取りかこのやろ……。

上水留有人うえみるあると、有人だろ…」

「おぉ、正解正解。じゃあ自分の名前は?」

はぁーっ、とため息をつく。記憶喪失じゃないっていう確認は今ので取れたろ。

宇和神晴我うわかみはれが

「またも正解。頭は大丈夫そうだね」

この眼鏡め……頭がおかしいみたいにいいおる。

いや、異常がないかの確認かってのは分かるよ? 分かるがね、捻くれた受け取り方しちゃうんだよお前だと。

重士の顔が最初に見れなかったことにイラついてるんですよ俺は! なにが悲しくて目覚めた時に野郎の顔見なきゃいかんのよ。

「じゃ、そのうち看護師さんが来るから。僕は帰っておくよ。邪魔にならないようにね」

「……? 邪魔……?」

どういう意味だろうか。家族が来るから、とかか? いや、来ないと思うけどねぇ。

「この後、君のことが大好きな、いや、君が大好きな重士さんかな? が、来るからさ。僕がいたら邪魔だろう?」

「そういうこと……」

重士が来るのか……。

嬉しいけど、体のあちこちが痛すぎる。この状態で顔合わせられるもんかな……。

そう思っていると顔に出ていたのか、有人に笑いながら言われた。

「心配はしなくていい。骨折はないし大きな傷もない。少しあざになったぐらいさ。運がいいんだか悪いんだかわかんないね」

くっく、と喉を鳴らしながら少し笑い、じゃ、と言ってさっさと帰った。

やっぱ顔に出るのは良くない癖だな……。

癖を治すことを誓って、しばらくじっとして待っていた。

あれでもアイツなりに心配してくれてるんだろう。……後で礼言っとかなきゃな。


程なくして看護師さんが来た。自分がここにいる理由がわかるか、名前、家族関係、年齢、色々と聞かれた。異常があるかどうかのチェックだろうか。

「親御さんにも連絡しましたので、もうすぐ来てくださいますよ」

「ありがとうございます」

礼を言い、スマホはどこにあるか訊ねた。

「右のほうの机に置いてありますよ」

首だけを動かして確認する。というかこれ動いていいはずだよな。

試しに、体を起こしてみる。

「よいしょ……いっつ……」

体のあちこちが、節々が痛む。今更気づいたが、腕にあざがあった。腕以外にもあざが付いているのだろう。腕以外も痛んだのでそう思った。

「あんまり動かないでくださいね。大きな傷は無いとはいえ、あなたの体は痣だらけなんですから」

「へい……」

本当に、あちこちを打っただけで済んだのか。あいつの言った通り、良いのか悪いのかわからない。死ななければ全部かすり傷って偉い人が言ってたな。

「では戻りますので、何かあったらナースコールを押してくださいね」

「はい」

看護師さんが出て行った後、俺はふーっ、と息を吐き、脱力した。

しかし学校二日目の帰り道に追突事故とはついてない。ついてないってレベルじゃない……。

その後、スマホをみて時間を潰していると、病室のドアが思いっきり、勢いよく開かれた。

そこに立っていたのは、息を切らした重士だった。

「う……うあかみう……」

「重士……」

ベッドから起き上がって出迎える。体が相変わらず痛むが今はそんなことはどうでもいい。

重士が来てくれたことに、心が浮き足立っていた。

「宇和神くん!」

浮き足立っていた心は急に抱きしめられ、悲鳴をあげる体の痛みに塗りつぶされた。

「いっだだだだだ!」

俺を労ってくれているのか、力はずいぶん優しいものだったが、それでもこの体にはこたえるものだった。

「あ、ご、ごめんなさい!」

すぐに重士が申し訳なさそうに離れる。少し残念。

この怪我さえなければなぁ……。いや、怪我がなきゃ抱きついてきてくれてなかったか? 物事はうまくいかないんだな、くそ。

「もう、大丈夫なの?」

涙目の重士にそう聞かれる。安心させたくて、笑いながら俺は元気だと伝えた。

「もう大丈夫だって。さっさと退院して一緒に学校行くか」

そう言うと、重士はまたも泣き出した。

「なんで!? 今どこに泣き出す要素あった!?」

今、泣く要素なかったと思うんですが。なにに感動したの? 感動な涙ってわけじゃなさそうだけど。

「ちがうの……ごめんなさい……」

重士が鼻をすすりながら、謝ってきた。謝ることなんてなにもないのに、一体どういうことだろう。

「あの時、用事なんて無視して宇和神くんと一緒に帰ってれば……私が庇えたのに……」

……また、そういうことを言う。

「重士、気持ちはありがたい。けどその用事ってのもちゃんと守らなきゃダメだし、なにより、俺の代わりになるみたいなこと、言わないでくれよ。それに……」

ここで、言葉に詰まった。

こんなこと、伝えるべきだろうかと悩む。いや、伝えよう。これははっきりとしておきたいことだから。

「……お前が事故になんてあったら、それも俺を庇ってそんなことになったら、生きていく自信をなくしちまう」

そういうと重士はまたも抱きついてきた。

「重士!?」

痛みに声をあげそうになるのをこらえて、かわりに名前を叫ぶ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

謝らないでほしかった。なにも悪いことなどしていないのに、俺のことを気遣って謝るなんて。

謝るのを止めたくて、止めたい一心で、こう聞いていた。

「えっと、その……キス、しないか?」

少し冗談っぽく、そう言った。

こう言えば、キスに気を取られて涙も謝罪も止まると思った。

もちろん、キスはするつもりはさらさらない。そもそも、重士がいいと言うはずがないだろう。

「キス……?」

「そう、キス」

「したい」

あれ……? てっきり断られるもんだと。なに言ってんだこいつ……みたいになると思ってたんだが。

それに、俺がしようと言ったはずなのに、今度は重士がしたいと言い出した。

その返事に俺は、鼓動がはやくなる。

するつもりはなかったが、したくないわけではない。

それに今、するつもりはありませんでした、なんて言える雰囲気ではなかった。

「事故で……宇和神くんが、離れるかもしれないって思ったら、怖くて、怖くて……お願い、キスさせて? キス、して?」

ベッドの横で、涙の溜まった瞳を向ける彼女の唇に視線がいく。

柔らかそうな、血色のいいその唇を見れば見るほど、俺の心臓の鼓動ははやくなっていく一方だった。

「それに私は、宇和神くんのものだから。したいこと、好きにしていいよ」

俺の手に添える重士の手は震えていて、今にも壊れてしまいそうだった。その手をぎゅっと握って、俺は真剣な表情でもう一度聞く。

「……いいんだな?」

俺の言葉に、こくり、と頷き、目を瞑る。

少し突き出す唇に、俺も少し突き出した唇を重ねた。

触れた唇から伝わる感触は、柔らかくて、熱くて、どうにも言い表せない多幸感を俺の心に広げさせた。


長い長いキス、のように感じたが、時間にしてみればものの数秒だった。

離れて、目を開けて俺の顔をみる。

安心したように微笑んで、首を傾げて

「……大好きです」

敬語で、そう言った。




「もうこんな時間か」

外はもうすぐ暗くなりそうで、こんな時間まで一緒にいたのか、と少し驚く。

あまりの幸せに時間を忘れていた。他愛無い話をしていただけだが、それがどうにも楽しくてやめられなかった。だけど、夜遅くに帰るなと叱った俺が、夜遅くまで引き留めてはダメだろう。

「もう、帰らなきゃだな」

俺がそう言うと、繋いだ手をぎゅうっと握りしめる。

「離れたくないよ」

その言葉と姿に、どうにも胸を締め付けられる。けれど、遅くに帰して何かあってはいけない。

「今日はもう帰ろう、な? また学校で会えばいいじゃないか」

俺がそう言うと、少し悩みこんでから、座っていたパイプ椅子から立ち上がった。

「安静に、しなきゃだもんね……。迷惑かけちゃいけないし、今日は帰るね」

「あ、待った。それとさ」

重士を慌てて引き留め、今日、ずっと言いたかったことを伝える。

「重士は俺の所有物なんかじゃなくて、俺の好きな女の子だから」

そう言って、少し照れながら重士から顔を逸らす。首元をポリポリと掻いて重士を見送ろうとしていると、

「……やっぱり、宇和神くんは優しいね」

そう言いながら、俺の頬にまた手を添え、唇を重ねた。

一瞬のことに何がなんだかわからなかったが、理解すると同時に、俺は顔に血がのぼっていくのを感じた。

何も言えずにいると、重士は近くに置いていた鞄を手に取り、足早に病室の扉を開けた。

そして振り返り、すこし赤みがかった笑顔を俺に向けてこういった。

「私、宇和神くんの好きな女の子でよかった」

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