<7>


 その言葉に湊が、思わず立ちすくんでしまったのは仕方がないことと言えた。その言葉につく疑問符は、男か女か分かっていないからというものではなく、男であると確信している問いかけによる疑問符だからだ。

 なぜ分かったのか、自分は何か大きなミスをしてしまったのかと、グルグルと思考の渦に飲まれ、湊が立ち止まったのを感じたのか、前を歩んでいた紬がゆっくりと振り返った。その表情は、すごい内容の問いかけをしているというのに、出会った当初の表情から一切の変化がなかった。


 何とか誤魔化さねば、あそこまで真剣に考慮して行動してくれた六花に申し訳がないと思うと同時に、誤魔化したところで、紬には関係ないだろうと確信できる言葉だった。

 しかも、それだけの確信を持ちながら、こんな問いかけをしてきたと言うことは、この事の真意がどうしても知りたいのであろうと、湊は判断した。自身も似たタイプだからだ。


 そこまで突き進む強さに対して誠実でありたいと思い、湊は後で六花に謝ることを決めながら、女装した経緯を含めて全て話すことにした。

 父の絵を超えたいと思っていること、その途中で現在スランプに陥っていること、そのスランプを乗り越えるために、ありとあらゆることをしようと思ったこと。その全てを湊はありのままに紬に語った。


 そんな湊の話を聞いているうちに、当初から変化がなかった紬の表情が徐々に変わった。最初の印象ではおしとやかな淑女であったのに、徐々に『ただの少女』のような表情が見えてきた。

 ――そこまできっちり話されるとは思わなかった。そう思っていることを表情が語っており、湊は『あぁ、彼女は普通の女の子なのだな』と理解した。

 湊のふざけたような話につられるように、彼女はまるで『被っていた淑女の仮面』を剥がすように、言動に変化が訪れていった。



「――正直、そこまで話してくれるとは思わなかったわ。貴方がそこまで誠意をもって行動してくれたのなら、私も色々と話さないと不誠実な人間になってしまうわね」


「別に貴方もお、私と同じように話す必要はないとは思いますけれど……」


「普段通りの言葉遣いでいいわよ、私もそうしてるもの。……私はね、不誠実な人間は嫌いなのよ」



 そう言った彼女の空気は、一瞬でとても冷ややかなものとなった。それほどまでに彼女の中で『不誠実である』ことが許せないことなのだろう。ならば深く突っ込むべきところではないだろう。

 そう考えた湊の考えを読み取ったように、若しくはその冷たくなった空気を変えるかのように紬は湊を自身の隣に来るように言った。その言葉に素直に従い、湊は紬の隣へ移動する。その行動を合図とするように、再び世間話をするように会話を再開する。

 ただし、互いがもっと話をしたいと思っているかのように、先ほどよりも歩幅は狭く、足取りはゆっくりと。


 そんな中で、まずは軽く自己紹介を互いにしあうことを提案され、それを承諾した。何せ互いが知っている、相手の情報がちぐはぐだからだ。経緯が経緯なので仕方がないといえるのだけど。

 まず湊が紬のことを知って驚いたのが、自身より一つ年齢が上だということだった。年上で、学校は違うが先輩ともいえる人。そのことを知って再び敬語に戻そうとした湊を『私は貴方と親しくなりたいと思っているの。だから止めてほしい』と言われてしまった。

 その次に語ったのは彼女の学園での階位の話。この学園には階級ともいえるものが存在するが、彼女は階級でいうのならば一番下、ただの外部入学生にあたるということだ。

 彼女曰く『父親がいいところの学校に行かせてあげたいと思って頑張って、私自身もそれに見合う努力をした』だけとのこと。

『~の君』という称号は、その階級とは一切関係ないらしく、周りがつけるあだ名のようなものだという。そういった俗っぽい説明の仕方を聞いたときに『彼女は本当に普通の子なんだな』と実感した。



「——私はね、服を作るのが好きなの。学校でも暇があれば刺繍でも何でも、常に針と糸と衣に触っているわ。だからそんな呼び名がついたんでしょうね」



 その言葉に、湊は思わずピンときた。そこまで好んで服を作っている人間ならば、男と女の骨格やら体格とかに察しがよくても分からなくもない。

 自身もデッサンの時とかに注意する箇所でもあるからか、そういったものを意識して生活している人間ならば、察しが良くても分かる気がする。



「へぇ、俺も似た感じかな。暇さえあれば、常に持っているデッサン帳に何かしら描いているから」


「私たち、似たもの同士なのかもしれないわね。目指しているものを含めて」


「目指しているもの?」



 趣味の一環として裁縫を好んでいるのかと思いきや、そうではないらしい。しかも『目指しているもの』があるとまで言い切った。

 その言葉を言う彼女の嬉しそうな表情に、確かに自分たちは似たもの同士なのかもしれないと、思いながら紬の話の先を聞くことにした。



「私はね、ウエディングドレスが作りたいの。それもただのウエディングドレスじゃないのよ? 『その瞬間、花嫁が世界でもっとも輝くような』ドレスを作りたいの。ーーある日見た、その日世界で最も輝いていた花嫁を見てから。それを超えるような、ウエディングドレスをね」


「――それは、確かに経緯的にも、その対象までそっくりだな」



 彼女の話した言葉に、思わず陳腐な台詞しか話せなかった。まさかそこまで経緯が似通っているとは。湊自身も、父の描いた母の『花嫁の肖像』を見てから、それを超えたいと思ったのだから。

 確かに二人は似たもの同士だ。それも深いところで繋がったような。親友とはまた違う、なんと言ったら分からない不思議な関係性だ。

 なんと表したらいいのか分からない関係に、頭を捻っていると、紬も一緒になって悩んでいるらしく、眉間にしわを寄せて考え込んでいた。そしてポツリと小さく何かを呟いた。

 その呟きに反応して『何?』と問いかけるが、紬は対したことではないと首を振った。


 そうしている内に二人で同時に思わず『あっ』と小さく言ってしまった。視線の先には校門が見え始め、もうすぐ二人が離ればなれになることを揶揄しているからだった。

 思わず声が出てしまったということは、二人とも離れがたいと思っていることが読み取れた。思わず二人は立ち止まり、改めて小柄である彼女と見つめ合う。

 しばしの時間が流れたが、紬が思い出したように声を上げ『スマホ持ってる?』と問いかけてきた。

 いつもならば持ち歩く習慣がなくて『持っていない』と返すところだったが、出かける際にいつものように母親のごとく『持ち歩かなきゃ携帯の意味がないでしょ!』と六花に言われていたため、しかも今日はさらに口を酸っぱくして言われたため、今日はしっかりと持ち歩いていた。

 六花から小物を持ち歩くために貸し出されたポシェットからスマホを取り出すと、紬は顔を綻ばせて、自身も制服のポケットからスマホを取り出した。



「これでまた連絡を取り合えるじゃない。連絡先を交換しましょ?」


「そう言えばそうだったな。使う機会が少なかったから、忘れていたかもしれない」


「……君、一体どんな生活を送ってきてるの……。まぁ、私も偉そうなこと言えるほど、使っているわけではないけれど」



 連絡先の交換にまごついている湊のその様子に紬が見ていられなかったのか、連絡先の交換をしてくれた。『これでよし!』と嬉しそうに笑いながら、スマホを彼の手へと返した。

 返されたスマホの画面を見ると、連絡先の画面に『水無月紬』の名前が追加されていた。湊の少ない連絡先が、一つ増えた。

 さて、と一息ついて、紬は湊に対して片手を差し出した。ーーそれは友好を求める、握手の手だった。



「改めまして、私は水無月紬。紬でいいわ。君の一個上のお姉さんで、趣味は

 裁縫。将来の夢は『あの日の花嫁を超える輝きの、ウエディングドレスを作ること』よ」


「――改めまして、俺は月瀬湊。俺も湊でいいよ。貴方の一個下で、趣味は絵を描くこと。将来の夢は『父の描いた母親の『花嫁の肖像』を超えること』だ」


 その言葉に続いて湊も手を差し出し、二人は友好の握手をした。そうした後に二人で校門まで歩いて行き、立っていた警備員に対して会釈をして、校門で別れと再会を告げ合った。

 校門からどんどん離れていく湊を最後まで見つめ、その姿が見えなくなり始めた頃、紬は一人でぽつりと呟いた。




「――『それは、その子が貴方と仲良くなれるだろうと、確信しているからですよ』――か。学園長はどこまで私たちのこと知った上で、それを言ったのかしら」



 その言葉は新緑の葉をざわめかせる風によってかき消された。その風も、春頃と比べるとどこか蒸し暑さを感じさせるかのような風だった。春とは言いがたいけれど、夏に入ったとも言いがたい中途半端なこの季節。




 ――木々の緑が深まり、日差しもキツくなり始めた。もうすぐ夏が始まるのだと感じさせるような季節に、月瀬湊は魂で繋がったといえる仲になれるであろう存在を得たのだった。



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