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 湊は六花と共に、同じ高校へ進学した。専門の学科があるような所ではなく、よくある普通科のみの学校だった。中学の頃から絵描きとして生きていくだろうと思っていたのを、先生たちも把握していたし、湊の家庭環境も理解していた。

 故に美術科高校から推薦が来ていたとき、担任や学年主任、進路指導の先生たちは揃ってその学校を薦めた。

 けれど専門の学校に進学すれば、技術を学ぶことが出来るけれど、自身の好きな絵を描くことが出来ない。そう考えた湊は、その先生たちの薦めを全て蹴って、普通科に進学する事を決めていた。

 薦めた先生たちは揃って『本当にそれで良いのか?』『絵を学びたいなら専門学校に行くべきではないか?』など言っていたが、湊の美術部顧問の先生だけは『お前には、専門学校なんて息苦しくてつまらないだけだろうから、その選択で正解だとおもうぞ』と笑っていたものだった。


 そうして普通の高校に入学を果たした湊は、美術部に入部を決めていた。理由としては、ある程度自由に絵を描くことが出来て、尚且つ画材は学校のものを使えるから。

 画材は決して安い物ではない。そもそも何かを創作しようとして、安く出来上がることなど滅多にない。度が過ぎない限り、ある程度好きなように絵が描ける環境。湊にとって、美術部とはまさに理想の場所と言えていた。


 そうして入部を果たした湊は、顧問の先生から間近にコンクールがあり、部内で作品を出したい人間は居るかと問われ、迷わず立候補した。

 ――そうして出来上がった作品。そこから全てが始まったと言える。




 ◆◆◆




 瑞々しい葉に覆われた木々による、深い新緑の森。まるで初夏を思わせる木漏れ日の光が、その緑を彩り、さらに葉の瑞々しさを感じさせる。

 その森の中心には、何者にも濁らせることが出来ぬだろう透明な青さを誇る、湖が木漏れ日の光による反射で輝いていた。


 そんな森や湖の側で寄り添うように、動物たちが寝転んでいる。その木漏れ日の穏やかさに、微睡むように目を伏せる動物たちは、この森で生きている動物たちなのだろう。慣れ親しんだ寝台で、眠ろうとしているかのようだった。

 穏やかでありながら、強く生命力を感じる光景。万人が理解しうるような美しい光景。



 ――テーマは『時の自然』。画材は自由。学生限定のコンクールで優秀賞を取った、月瀬湊による水彩画の作品である。




 ◆◆◆





 ――新入生が絵画コンクールで優秀賞を取ったね!


 ――学校に飾ってある絵を見てきたけど、絵画って、絵のことを理解できないような人間が見ても何とも思わないものだと思ってた。


 ――そうそう、俺たちみたいなのが見ても、綺麗だって感じれるものなんだなぁ。


 ――ねー。新入生クン、凄いんだねぇ。




 そんな感じの会話が生徒たちで交わされるほど、コンクールで優秀賞を取ったことにより、湊は一気に校内の有名人となった。

 正直、ただの普通科の生徒たちが、新入生がいきなり表彰されたとはいえ、たかだか一生徒のことを記憶しているという事態は珍しいことだと言えるだろう。

 しかし月瀬湊という人間は、入学当初から生徒たちからの関心を集め、その関心が一気に爆発しただけともいえ、それは彼の外見に由来していた。



 湊は美辞されるほど美麗な存在ではなく、また醜悪とも言われることはない。造形の美醜を定義として言うのならば、外見は普通の人間である。ただ一つ、彼を特殊な存在であると言わしめたのは、湊は『性別が分かりにくい』人間だった。


 声も発しているのが性別問わず『カッコいい』と感じる様な声であったり、身長や体格もどちらとでもとれそうな体つき。

 父親からの遺伝なのか、湊は全体的に何処か色素が薄い。髪色だったり、肌色だったり。間違いなく両親共々日本人であるとの事なのだが。

 そういった、人によっては神秘的なものと見なされそうな要素があったのも、そんな印象が上乗せされたのが大きいのだろう。

 ただ、性別を越えた美しさというものを持った人間かと言えば、けしてそうではない。男であるし、男として生きてきた彼が、女として見えるかと言われると疑問でしかない。


 それでも普通の日常として学校に通う生徒とすれば、どこか性別という概念が薄い人間が居ると、特別な存在に見えてくるものである。

 そもそも、絵画でも分かりやすく描かれていることはほとんどなく、そもそも本来天使は性別がないとされる。そういった考え方が生徒の中にあったのかは不明だが、生徒たちに『中性的な人が絵画なんていう高尚なものを描いている』などという認識が広まり、そうして湊は一般的に、どこか近寄りがたい存在として思われていた。







「――そんな感じで、どっか遠巻きで見られているような感じな訳だけど、お前はどんな気分だ?」


 新入生を祝福するように咲き誇っていた薄紅色の桜が散り、葉桜になり始めた頃。午前中の授業も終わり、昼食の時間となった同級生たちが、それぞれの方法で昼食を食べ始めたり、早い人は食べ終わって好きなことをし出したりしていた。


 ぽかぽかとした暖かさと食事後の特有の眠さが来たような声で、すでに食べ終わった一人の少年は、目の前で弁当を黙々と食べている湊に問いかける。

 教室で湊の前の席をくっつけて向かい合うように食べていた少年は、実にだるそうな空気を漂わせながら、机に片手で頬杖を突いている。

 視線は湊に向いておらず、教室の内や廊下などでワイワイと話している生徒たちをぼんやりと見ながら、少年は返答をしなかった湊に、再び同じ様なことを問いかける。



「ーーすまん、丁度口の中に物が入っていたから、答えることが出来なかった」


「あぁ、そりゃ悪い。んで、オレの問いかけに対する返答は?」


 返ってこなかった言葉をもう一度発したタイミングが、弁当を食べ終わった時のようで、湊は手を合わせて『ご馳走様』と発した後に、弁当箱の蓋を閉じながら少年との会話を始めた。


「別に、何とも。学校行事で困るほど、何かが起きているわけではないし。そもそもそう言った風評は、俺と関わり合いがない所がそんな感じになっているだけだろう」


「まぁ、確かにな。同級生からハブられている訳でもないし、部活動の先輩との関係は寧ろ良好だろう。ーーま、時々絵具を容赦なく使おうとしてるから、部長と顧問にはすっげー渋い顔をされてるけどな!」


 自身の言葉にケラケラと笑いながら湊と話す少年は、渡会諒太わたらいりょうたという。中学時代からの同級生で、湊の友人だ。特にしたいこともなく、とりあえず自分が行ける近い高校にしようと考え、進学を決めた少年である。

 そんな彼とは中学時代に同じクラスになって、たまたま席が隣同士になって、何気なく友達になった。そんな適当な感じの関係性が今も続いているだけだ。

 別に同じ進学先にしようとか、進学先についてそんなに熱心に話したわけでもないのに進学先が一緒になったのは、気が合っていると言えるのかも知れない。


「まぁ、お前の人間性がそこまで凄い奴じゃないのは、接するとよく分かるしな。ちょっと変わっているとは思うけどさ」


「そうか? 俺は別に、好きなように絵が描きたいだけで、他は基本的に適当でいいだけで」


「好きなことだけを集中して、他のことは適当でいいっていう考え方は分かるんだけどさー。お前の場合、好きなことの割合がデカすぎるのがアレだと思う」


 そう言って自身で買った、小さい子供がよく飲むような紙パックのジュースを飲みながら、諒太は苦笑いを浮かべる。そんな小さな紙パックに入っている量などたかが知れていて、直ぐにストロー特有のズズズ、と中身が空になった時の音が聞こえた。

 そんな諒太の苦笑いに対して、多少なりとも思うところはあるのだが、変える気はない。月瀬湊はそういった人間だ。その辺りが諒太の言う“アレ”な部分であるところの要因でもある。


「好きなことに熱中すると、時間の経過を忘れることなんて、諒太にだってあるだろ? それと本質的には変わらないさ」


「ーーで、母ちゃんに『いつまでやってんの!』って、カンカンに怒られるわけだ! まぁお前の場合、その役割は南雲さんなんだろうけど」


 諒太は愉快そうに笑いながら、一人だけクラスが離れてしまった六花の名前を出す。揃ってそう言っている六花の姿を想像して、余りにも違和感がなかった。実に母ちゃんクサい。


 同じ中学出身で、この高校に進学したのは三人だけなのだが、六花が一人だけクラスが離れてしまった。

 しかし器用な彼女はクラスでの友人を作ったらしく、仲良くしているのを教室移動などの際に遠目で見かける。

 元々から友人関係を作るのが上手かった彼女に対し、己のように学業生活における人間関係を心配されるような事態が引き起こることはないだろうと踏んでいたが、流石に見事なものだなと湊は感心した。


 そもそも二人は、学校内でベッタリしているような関係性でもないので、学校ではただの同級生のような感じでしか会話をしない。

 思春期特有の気恥ずかしさもあったのかもしれないが、それはともかく、学校では今まで以外の関係性も作るべきだと互いに理解し、そう行動していた。中学時代のことを考えても、二人が幼なじみであることを知る者は多くはないだろう。


 その関係性を知る者の一人である、諒太と六花の仲は悪くない。寧ろ三人の性格を考えると、諒太と六花の方が親しい方が自然ではないのかと、湊は考える。今までの付き合いを否定するような言葉になってしまうので、口にすることはないが。


「そう言えば変な言い方になるけど、南雲さん、今時の女子高生っぽい外見になったね」


「あー髪の毛を少し脱色したりとかしたって、言ってたな。別にウチの校則で禁止されてなかったろ?」


「いや、別にやっちゃいけない事だからとかって言う意味合いではなくて、綺麗になっていくよねって事が言いたかっただけ」


 その言葉に、今の六花の姿を思い浮かべる。高校デビューと言わんばかりに、髪の色を変えて、薄らと化粧もしているようだった。

 六花は元々から女の子らしく、身だしなみを綺麗にしているのを更に磨きを掛けているような、そんな女の子だった。自身という名の原石を、丁寧に研磨していっているみたいに。理想の女性を絵画で描いていくかのように。

 そんな事を考えていた湊は、自身がどんな表情をしていたか分からない。思わず無言になってしまったけれど、そんな湊に何かを感じ取ったのか、話題を切り替えた。


「優秀賞取った作品をみたけどさ、何かお前が思うように描いた感じの絵だと思えなかったんだけど、いつもみたいに計算して描いた絵なわけ?」


 疑問系で聞いてはいたが、諒太の言葉には確信であると思っているのを感じ取れる。けれどその声色には決して重さを感じず、世間話の延長のような声での喋りだった。

 そんな言葉に対して、湊は側に置いてあったペットボトルのお茶をゴクリと一口飲み、会話の返答を始めた。


「ーーああ、そうだよ。優秀賞が貰えるのが商品券だったから、賞が取れそうな絵を考えて、描いて提出しただけ。取れるとは思ってなかったけど」


「……なるほど。ま、お前のする事は、金掛かるもんなー。それにしたって、意図的にそうなれるなんて、湊はすげぇもんだ」


 その言葉を発しながら、怠さが極まったようにズルズルゆっくりと、諒太は机に突っ伏した。完全に机に顔を沈めた諒太の頭をぼんやりと見詰めながら、湊は何故こうするようになったのかを振り返る。


 画材を買うのにはお金が掛かる。ましてや自身の家庭は片親で、母親も金を稼げるような仕事に就いてはいない。衣食住以外である絵画に対し、その金を掛けるのに抵抗がないわけではない。

 己を育ててくれている母に対し敬慕を抱いているし、無理をしてほしくないとすら思っている。今の生活が苦しい事態になったことはないけれど、どうなるか分からない。


 けれど『月瀬湊』が生きることには必要なことで、それがない人生を送るのは己ですらない。そんな凄絶で猛烈な感覚に陥るほど、熱量をもった衝動。それを無視して生きることなどできない。

 そう考えていた湊の思いを汲み取ったのか、母は積極的にそうすることを勧めていた。そんな母に感謝の念を抱きながらも、肩身が狭いような、顔向けできないような、どうしようもない申し訳なさが消えなかった。


 そうして考えついたのが自身の絵で、少しでも生活金か自身の画材の足しにする事だった。探せば賞金・賞品が存在する絵画コンクールは多数存在し、自身の絵を評価して貰え、優秀賞や大賞を取れば賞金・賞品が貰える。

 湊にとっては正に一石二鳥とも言え、絵画コンクールを探しては提出し、時折賞を取っては賞品を貰っていた。自身の有りの儘に描くのではなく、賞を取れるような絵を描く。

 それは称されることに執着しているかのようだが、湊にとって賞を取ることは分析のような感覚で行っていた。そもそも絵画の賞を取るなど、たかがか学生の身である湊が、意図して取ろうとして取れるものではない。


 自身の技量、万人が良いと思う物、どんな画材で描くのが良いか。良い作品を作るために考え、試行する。自身が描きたい物を描くのではなく、周りが良いと思えるものを描くということも、湊にとっては新鮮で面白いものだ。

 自身が求めるものと周りが求めるものが違うと、もっとも理解できるのが絵画コンクールなのだと、湊は考える。そんなことをずっと続けてきている。

 その反動とでも言うべきか、好きに描こうとするときは、本当に好き放題やって描くので質が悪い。テーマが自由だった中学時代の卒業制作の時は好き放題やって、使った絵具の量に関して顧問に絞られた。


「たまたま今回は、審査員の方々に受けるような作品を描けただけだ」


「そりゃそうだけど。一応褒め言葉だから、素直に受け取っといてくれや」


 突っ伏していた机から顔のみを湊に向けながら、にんまりとほくそ笑むような笑みを浮かべ、諒太は言った。それに対して『それは知ってる』と一言だけ答えた。

 彼のモットーは『オレの人生は楽しく・楽な道を歩いて行く』なので、極端な感情に囚われることを本能的に拒む。そんな緩い性格だからこそ、一部分に於いて変人と言える湊と友人になれたと言える。

 そもそも基本的に湊の周りの人間関係の基準は、諒太が入ってくるまで性別が偏っており、六花の父親と『俺ら肩身が狭いなー』なんて言い合って笑ったものだ。



 飲み終わった紙パックのジュースを、同じように買ってきて食べ終わった買ったものを入れていたビニール袋に入れて、空気を抜きながら、袋の持ち手で袋を縛る。ゴミを小さく纏めて、すぐにゴミ箱に捨てに行けるようにした。

 その間に湊も自身の弁当を袋に仕舞い、通学鞄に入れた。そうしてペットボトルの蓋を開け、再びお茶を一口飲み込む。二人は完全に昼食は終わったが、お昼休みはまだ時間があり、二人はくだらない会話を続ける。


「ーーで、新しい絵の題材は何かあるのか?」


「いや、特には。何か要望を言われればそれを描くけど、部活内でも特に言われてないからなぁ」


「へぇ、自分が描きたい題材も出てこないのか。お前にしては珍しいな」


「そう、なんだよな……」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、諒太は心底珍しいと思われる殊勝な態度の湊に、思わず首を傾げた。絵に対しては息切れをしないような速度で走り続け、まともに休息と呼べるようなものをしてこなかった湊が、絵のことに関してここまで神妙な顔をして悩むなど、初めてといっても良いほどの事だった。

 そんな湊の態度を見て、諒太は頭に浮かんだ言葉が口からするりと出てきた。自分自身はそういった言葉から無縁なので、何とも不思議な感覚になったけれども。


「スランプにでも陥ってるんじゃないのか? お前は理想が高いとでもいうか、あの絵に対しての執着みたいなのが凄いからな」


「ーースランプね。これが、そうなのかもな」


 たしかに周りの人々から突っ走りすぎと言われ続けているのを考えると、湊本人も気付かずに、どこか調子が悪くなっているのかもしれない。

 そんな考えも過ぎるが、自身の執着の対象と言われた絵のことを考えると、乾いて渇望している状態で水を一滴ずつ与えられているような、知らないでいたときよりも更に渇望が酷くなるような、言葉にし辛い感情で一杯になる。

 だからこそ、周りが驚くほどの執念がそこにはあるのだ。



 自身が憶えている限りで初めて見た絵。自身が成長して、ここまで感情を動かすことが出来るのかと、衝撃を憶えた絵。

 ――今の自身が、追い求めているのに届かない絵。今の自身が何かに渇いている、飢えているのだと感じる絵。






 それは亡き父親が描いたという花嫁――母である月瀬奏音つきせかのんを描いた『花嫁の肖像』。それが、月瀬湊の始まりの絵である。





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