28話 違和感


 後に悲劇の始まりと言われることになる事件。

 聖教国の実質的指導者、枢機卿ことアーガス•フォリアードの暗殺は翌朝には聖都の為政者全てが知ることとなった。

 その日の夜中、夜半の巡回任務に当たっていた当直の騎士2名が、廊下で首を斬られてなくなっている騎士3名と、室内で胸部に剣を突き立てられた枢機卿を発見したことで事件は発覚した。


 通常この手の暗殺事件は下手人を見つけるのが非常に困難であるが、今回の事件に関しては例外であった。下手人は枢機卿殺害後もずっとその部屋にいたからだ。枢機卿の死体発見と同時に1人の血塗れの神殿騎士がいたことは聖都上層部にしか知られていない秘匿情報だった。秘匿されたが故に聖女、タチバナ•イズミは当初の予定どおり何も知らないまま早朝にはリードアルティメス率いる近衛騎士団と共に浄化の任務へと赴いていった。


「ねぇ、アルティメスさん。これってちょっと変じゃない?」


 聖女一行が帝国との国境地帯に赴くその道中でイズミは自らの馬車の横で馬を歩かせるアルティメスへとそう声をかける。


「何がでしょうか?」


 疑問の声をかけられた近衛騎士の首領騎士長ことリード•アルティメスは素知らぬ顔でイズミの言葉に答える。


「何がって、勿論今の状況のことですよ。カイルもイリーナも私の専属のはずなのに、無理矢理何処かに引っ張っていかれちゃうし」


「……聖都も今や安全とは言い難いですから、手練れのカイルが引き抜かれるのも仕方がないことかと」


「そりゃカイルは騎士だし、強いのだからこういう非常時に引き抜かれるのもわからなくもないけど。イリーナはそうじゃないでしょう。侍女のイリーナまで引っ張っていった理由って一体なんなんですかね」


「……イリーナも侍女として優秀ですから各地から避難して来た貴族の対応にも人手が足りないのでしょう」


「聖女の私を差し置いてまで避難して来た貴族の対応に充てるというのがそもそも不自然ですよ。私にはまるで私達3人をわざと引き離しているように感じます」


 いつも素晴らしい的中率を誇るイズミの勘の好調ぶりに、アルティメスは涼しい顔をしながらも内心では冷や汗を流していた。本当にこの聖女様は勘が鋭過ぎる。彼女のいう通りおおよそこの人員転換は間違いなくこの3人を引き離すことにあったことは間違いない。だがそれも今となっては無意味なことだったのかもしれない。この策を企てたであろう枢機卿はすでにこの世にいないのだから。


 枢機卿の死という情報は、近衛騎士の長という立場にあるアルティメスにも、しっかりと降りて来ている。勿論、その実行犯がカイルであるということも含めて。

 

 あの夜、カイルがイリーナを連れて自らの私室を訪れたあの時、カイルが言っていた約束というのが何を示すのか、その正確なところはアルティメスにもわかっていない。だが、彼が何を思って枢機卿を殺害したのかは分かる。イリーナもカイルもイズミを守る為なら、どんなことでもするというタイプの人間だ。そんな2人があの夜に何かを変えようと必死に動いて命を落とし、片や牢へと囚われた。自分の知らないところで聖女である彼女の身に何か危険が迫っていたことは間違いない。だからこそ、彼はあの夜自らに向かって、イズミを頼むとそう言ってきたのだろう。


「イリーナもカイルも暫く会えないのに出発前にも顔を出さないし。なんだか凄く嫌な感じがするんですよ」


「2人とも枢機卿から押し付けられた仕事の量に忙殺されているのではないでしょうか?」


 イズミはイリーナの死もカイルが牢へと囚われたことも何も知らない。アルティメスが何も教えていないのだ。

 何方か片方でも目の前の少女に教えてしまえば彼女は直ちに聖都へと帰還すると言い出すだろう。それはあまりに危険すぎる。


 おおよそ聖都の為政者の大半は枢機卿の息の掛かった者達、あるいは都合よく利用される道化のような貴族達だ。枢機卿主導でイズミに危険が迫っているというのなら、聖都の大半は聖女にとっての敵となりうる。敵の群れの中に無防備な少女を1人送り込みことができるほどアルティメスも非情ではない。それに聖都内部では近衛として聖女を守ることが難しくなってしまう。幾ら聖女専属の護衛部隊と言ってもその命令権は聖女にはない。枢機卿やその周囲の権力者達に命じられれば、近衛は戦うことができないのだ。しかし聖都を離れた今の状況なら近衛騎士長に判断が一任されている。世界一安全と言われた聖都内よりも正気の蔓延る危険地帯の方が聖女を護りやすいと言うのはなかなかの皮肉だが。


「……アルティメスさん、私に何を隠しているのですか?」


「……」


 最もそれは護衛側の責任者としての意見でしかない。護られているイズミの意思を反映したものでもない。だから当然、そんな説明をしたところで彼女が納得して大人しくしてくれる訳もない。アルティメスもそれをよく分かっているからこそ、こうして何も言わないのだ。


「アルティメスさん、黙っていたんじゃ分かりません」


「……今はまだ申せません」


 正面から嘘をついたとしても、この勘の鋭い聖女様はすぐに嘘だと気づいてしまう。なら下手に嘘をついて妙な行動を取られるよりも、こうしてある程度正直に話せないと言ってしまった方がいい。少なくとも聖都で何かしらの動きがあったと報告があるまでは目の前の少女に教える訳にはいかない。カイルがこのまま大人しく捕まったままとも思えないし、本気を出したあれを捕らえておける牢獄など早々ありはしない。


(……早くしろよカイル、私ではこのお転婆聖女様を抑えきれん)


 ジト目で此方を見つめるイズミの姿に、内心で溜息を吐きながらアルティメスはイズミの扱いを完璧に心得ていたカイルとイリーナを真剣に尊敬するのだった。

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