26話 人形の終わり 上


「……では逃したと?」


 暖炉に灯った炎がゆらゆらと室内にいる人の影を怪しく揺らすなか温められている筈の室内の温度を下げるかのように底冷えする口調で彼の言葉は呟かれる。


「…申し訳ありません。あの侍女の能力が此方の予想以上でした。加えてこの暗闇とあの女の能力はあまりに「言い訳を聞いているのではない」…申し訳ありません」


 冷淡な声の持ち主に報告する騎士は体を震わせて謝罪する。騎士にとってこの密会はこのような暗い気持ちで行う予定ではなかった。本来なら難しい仕事ではなかった筈だ、少なくとも手練れの騎士を何人も失う予定はなかった。


 たかだか侍女を1人始末するだけの簡単な仕事だった。


 それが何故このようなことに。あの傷では死んでいる筈だが、確実ではない。どう言い訳しようとも侍女の死体を確保していない以上、目の前の男を納得させることはできない。


(…このままでは処罰は間逃れない)


「…もう良い。貴殿には失望した。このように簡単な任務もこなせぬようでは近衛の入隊などできようはずもない」


 静かなそれでいて息苦しくなるような重厚な口調に騎士は一層慌てて焦燥感も顕に叫ぶ。


「お待ちください!あの侍女には深傷を与えております!どの道どこかで死んでいる筈です!そうでなくとも、あの傷ではそう遠くには逃げれませぬ!すぐに遺体をお持ちできます!」


 彼は昇進を餌に枢機卿の駒として動く騎士の1人で、今回の任務成功時には名誉ある近衛騎士に就任することが約束されていた。彼にとって、いや多くの騎士にとって近衛騎士とは非常に名誉ある称号。自らの栄誉は勿論のこと一族においても近衛騎士を輩出した家となればそれだけで箔がつく何世代にわたって一族の誇りとして語り継がれることになる。故に一介の騎士達にとって近衛に選ばれることは夢であり、生涯に渡っての目標になり得るのだ。


 だが、目の前の騎士は枢機卿にとっては数多くいる駒の一つに過ぎない。前に進めと言って前に進めない駒など彼には必要ない。必要のない駒の行末など彼の中ではいつも同じ。今回も例に漏れず騎士にとって不遇極まりない措置をとることは枢機卿の中では既に決定事項だった。しかし、その点で見れば今回処分を決めた侍女は実に優秀だった。情報収集から暗殺までこれまで多くの任務を完璧なまでに達成してきた。駒には必要ない感情など見せなければ今後も重宝したであろう。それ故に今回の損失は枢機卿にとって非常に手痛いものとなっていた。目の前にいる騎士が10人いたとしても彼女の出してきた成果は出せない。

 

 自らが失った駒の惜しさに溜息を吐こうとした時、それはやってきた。


 枢機卿の全身に唐突に凄まじい悪寒が走る。


 ギョッとした様子では瞬時に扉の方に振りかえる。感じたことのない感覚に本能が枢機卿の体を動かしたのだ。


(……なんだ、何かが、くる)


 先程まで感情のかけらも見られなかったというのに突然様子の変わった枢機卿の姿に騎士は首を捻る。その時不意にガチャっと扉が開いた音が室内に響きわたる。振り返った騎士が見たのは神殿騎士の格好をした1人の若い男だった。


 ノックは聞こえなかった、まして今は秘密の会談中である。そんな中知らせもなく部屋に押し入るなど無礼極まりない。目の前の騎士は明らかに今失態を犯している。自らが叱責を受けている中で枢機卿の視線を僅かでもそらせる格好の餌がやってきたと騎士はそう錯覚した。自分より若いその見た目も大きく影響したのだろう。気が大きくなった騎士は堂々と青年の無礼を指摘する。


「貴様!ここは枢機卿のお部屋だぞ、このような夜分に知らせもなく訪れるとは何事か!」


 そんな騎士の姿を青年は一瞥するだけでその後は目をやろうともしない。あからさまな無視をされた騎士は苛立ちをあらわに無防備に青年へとずかずか近づいていく。


「貴様、聞いているのか!ここは…ここは…」


 さらなる叱責をしようとした騎士の言葉が最後まで続くことはなかった。騎士の手が青年の肩に触れる直前、騎士の首は中に浮いていた。


 ぼとりと地面に落ちた騎士の首を視界に収めることなく、青年は部屋の中へと足を進める。


「……さて、こんな時に使える駒が来てくれるとは随分と都合の良い、…だが少々、無礼が過ぎるのではないか?カイルよ」


 ずかずかと断りもなく部屋に入ってくるカイルを一瞥した枢機卿は使えない駒を始末する手間は省けたと良いタイミングで現れたと自身お気に入りの人形を誉めつつも主人である自分に対する無礼を指摘する。


 枢機卿のその態度は表面上は非常に落ち着き払っているように見える。しかし実際にはその内面は疑問と焦りに満ちている。当然だろう。何故ならこれは明らかに今まで目の前の人形が見せてきた従順な態度ではない。部屋に無断で入り汚らしい血で部屋を汚し、挙句今自らを前にして殺気めいた気配を漂わせているのだ。


(悪寒の原因はこの人形か、だが何故だ、何故この人形が)


 枢機卿が抱いたその疑問は次にカイルの発する言葉で解けることになる。


「……貴方がお探しのイリーナなら既にこの世にはいませんよ、枢機卿」


 カイルの一見すると静かなその口調に込められた怒りと憎しみを枢機卿は確かに感じとっていた。


(仇討ちが狙いという訳か……だがあの人形が何故あの侍女にここまで感情を顕にする?)


 枢機卿が知っているカイルは命令に忠実で余計な感情や疑問を一切持たない非常に優秀な人形だ。命令であれば実の兄ですら手にかけることのできる非情さに加えどのような過酷な任務でも確実に命令をこなすその遂行能力は他にはない貴重な駒として、枢機卿が重宝するにふさわしい存在だった。


 今まで一度として自身の前で目の前の人形が感情を発露することはなかったのだ。今日までは。


 あの侍女には聖女の監視を命じていた、カイルとの接点はそこに間違いないだろう。だが、この人形がここまであの侍女に執着するような状況は報告では一度たりとも聞いていない。意図して隠していたのか、それとも本人すら気付いていなかったのか、どうであれ非常に厄介な置き土産をしてくれたものだ。


「そうか、ならいい。そこの使えない駒でもあれを殺すことはできたわけだ。

……それで、お前は?表の見張りを始末してきた以上、ただ報告をしに来たわけではあるまい」


 枢機卿の視界の端には扉の外に横たわる護衛の騎士の姿が目に映っている。


「約束を果たしに来ました」


「約束だと?」


「はい、イズミ様を守るとイズミ様御自身と皆に誓いました。

……貴方はイズミ様を犠牲にしようとしている。そうイリーナにききました」


「あの駒か、余計なことを喋ってくれたようだな」


 カイルの言葉に苦虫を噛み潰したように顔を歪めて枢機卿は呟く。

一度は取り逃がしたのだ、この人形の元に向かっていたというのなら情報を喋る機会などいくらでもあっただろう。仇討ちに来たと思ったがよりにもよって聖女を守るために来たとはあの侍女といい目の前の人形といい、どうにも成女に関わったものは厄介な感情を発露させるようだ。


「……守るとはどうするつもりだ?」


「貴方を殺します」


 簡潔にはっきりとカイルは枢機卿に向かってその意思を伝える。


 カイルの言葉に枢機卿は目を細めて考える。

 これが本気で私を殺そうと思えば一瞬だ、どれだけの騎士を集めたところで奴をこの場で止める手段などない。瘴気をその身に纏ったカイルを止めることができるのは聖女だけだ。

 枢機卿にとって絶望的な状況。それでも彼の脳が思考を止めることはない。彼こそこの聖教国の頭脳、この破滅に向かう世界を少しでも生きながらえさせようと数多の策を打ち出し実行してきた英雄の1人。聖女が善を持って世界を救う表の救世主だとすれば枢機卿は悪をもって世界を救おうとする裏の救世主。これまで多くの人間が彼の取捨選択によって死に生きながらえてきたのだ。


 (あれが聖女を守る為に私を殺しに来たというのならまだチャンスはある)


「……確かにお前のいう通り、ある意味で私は聖女を犠牲にしようと考えている。世界の為、より多くの人を救う為に聖女の犠牲が必要だからだ」


「……世界の為?より多くの人を救う為?」


 枢機卿は内心でカイルが反応したことをほくそ笑む。自身を殺すだけならば会話に応じる必要などない。有無を言わせず手に持った剣を振ればいい。だが目の前の人形はそれをせず今会話に応じている。そこに付け入る隙がある。人形に似つかわしくない感情を得たというのならそこをつけばいいだけだ。材料ならばいくらでもある。なにしろ目の前にいる彼もまた世界の為に、人々を救う為に多くの犠牲を許容してきた者の1人。自分同様、世界に狂う悪の救世主だ。


「そうだ。聖女を人柱に聖都を中心に加護による広域の結界をはるのだ。女神の慈愛に満ちた聖域には汚らしい瘴気など入って来れない!人間が生き残る為の楽園を聖女の犠牲によって作り上げることができるのだ」


 無論、世界の全ての人間をその結界の中に入れることはできない。世界中に人間が住んで暮らすには到底広さが足りない。だが、この聖教国に住む人々くらいは救うことができる。このままいけば世界は瘴気に包まれ人類は瘴気によって滅びる。それはなんとしても避けなければいけない、その為にこれまではあったのだ。これまでの犠牲の全ては、馬鹿な貴族が贅沢をするためでも、血族などという下らないことにこだわる王族などの為でもない。まして、存在すら定かではない女神などという神の為でもない。


 男は女神教の中で枢機卿という立場にありながら女神を信奉などしていない。


 全ての犠牲は瘴気から人を守る為の時間を稼ぐ為だった。表で女神の為と偽り私服を肥す貴族を始末した。女神を信じる世論の中で自分達の力でなどと反発を招き余計な犠牲を生む愚かな先導者を始末した。制御できない世論を統制し、各地の暴発を防ぐ為に大粛正を行った。


 そして、粛正を防ごうと動いた目の前の人形の兄を始末した。今日死んだ有能な駒もそうだ、聖女を人柱にすることに反対し聖女を逃そうと情報を漏らそうとした。どれもこれも必要だからこそ始末してきた。これまでの犠牲の全ては決して無意味などではないのだ。


「それに犠牲という言葉にも誤解がある」


「……なにが誤解だと?」


「聖女は確かに人柱になる必要があるがそれは聖女の死を意味するのではない。むしろその逆だ。柱となった聖女の時は止まる。つまり聖女は未来永劫にわたってこの聖教国の柱として生き続ける不死の存在となるのだ」


 定義としてそれが生きていると言えるのかどうかは勿論そうではないだろう。

しかし、死んでいるというのも正確ではない。柱となった聖女は簡単にいえば長い眠りにつくのだ。柱である限り目覚めることはないがそれでも死んでいるのではない。


 普通の人間相手であればこれはただの言葉遊びでしかない。柱となる儀式を一度やれば人為的に解除されるまで聖女が目覚めることはない。逆を言えば誰かが解除すれば聖女は目覚めるのだが、そんなことをすればたちまち聖教国は瘴気に呑まれることになる。そんな滅亡への道をわざわざ進むものなどいまい。となれば聖女が目覚めることは永遠にないといえる。永遠の眠り、そんなものは死と同じだ。

 そう声高々に叫ぶものがいるとすれば枢機卿は鼻で笑って見せるだろう。

たった1人の犠牲も許容できず、誰かを救いたいなどとなんと高慢なことか。優しさなど見せたところでなにになる?そんなものでは人は人類は救われない。大を救うために小を切り捨てられない者は結局全てを犠牲にするのだ。これが枢機卿という立場にある男の全てだ、これこそが彼の培ってきた想いだ。


 目の前の人形にしても同じだ。彼は一度として命令に背くことなく世界の為に、文字通りその身を削って時間を稼ぐべく教育された自らの優秀な駒だ。より多くの命を助けるために1人を犠牲にすることを理解している。

 だからこそ、自らの意思でなにもすることのなかったカイルが聖女に騎士の誓いをたてたと聞いた時も枢機卿はなに一つとして焦ることはなかった。経験とは時に人を先見の明のある優秀な人とし、時人を高慢なる暗愚とする。今回の場合は後者だった。彼は心のない人形に心が宿ったことを軽視してしまったのだ。

 

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