24話 騎士と侍女の最後の愛想

イリーナは幸せだった。


彼の私に対する反応が何を示しているのかは理解していた。

彼が私を見るその瞳の奥に燻る熱い想いを感じて悪戯をしたくなった。

からかって、彼がその想いに素直になってくれないかと何度も想いもした。


だけど彼はなかなか素直になってくれない。

それがどうしてなのかは、とある人が教えてくれた。


彼には時間がなかったんだ。

彼が何故その気持ちに気づきながら素直にならなかったのか

なれなかったのか理解できた。


悲しかった、だけどそれ以上に幸せだった。


だって世界で一番好きな人が自身の幸せを考えてくれているのだ。

女としてこれ以上の幸せがあるのだろうか。


彼が答えを出すまでどうか待ってほしい、教えてくれたその人からはそう御願いされた。私はそれを了承した。


だけど、もしも彼がその上で離れる選択をしたとしても私がもうきっと逃せない。


我慢できずに今度こそこちらから迫ってしまうだろう。


幸福だったであろう人の命を奪ってきた私がこんなに幸せでもいいのだろうか、そう思ってしまった。


そんな問いかけに答えてくれるものなど当然いない。

だけど少なくとも私が殺した彼らが許してくれるわけがなかったのだ。


「…どういうことですか?」


それはきっと一番許せない答え。

彼も私も命のある限りそれだけは互いに許すことができない。


彼の想いを、彼の預かった想いを、彼の護りたかった想いを護る為に彼が人でなくなる時殺すと約束した。

その想いは彼を愛していようと変わらない、変わることなどない。


イズミ様から私やカイルを引き離したのだ、その意味は勿論理解しているつもりだった。


だけど、それは違った。


あの男の考えは読めるとそう思ったこと自体が間違いだったのだ。



「聞こえなかったか?

明後日、聖女が戻り次第、拘束せよと申したのだ」



幸せはいつだって唐突に簡単に消えてしまう




「はぁはぁはぁ…」


ボロボロの外套を纏って血塗れになりながらイリーナは懸命に歩き続ける。


伝えなければ、カイルに、イズミ様を守ると互いに仕える主人を定めた彼にこのことを絶対に伝えなければ。



「イリーナ!」


イリーナは自身に大きな声を出して近づいてくる人影を見て心底安堵した。


あぁ、良かった。

最後に貴方の役に立てる。

これでイズミ様を守れる。


「ごめんなさい…カイル様、失敗してしまいました。」


「いい!今は喋るな!あとで聞くから、今はしゃべるな!」


イリーナの姿を見たカイルは倒れかける彼女を抱きとめながら彼女の傷を確認する。


出血が酷い。

それに傷の数が多すぎる、複数人に囲まれたのか!

イリーナの傷の深さにカイルは焦燥感をあらわにして叫ぶ。


普段の彼からは考えられないほど焦りを顕にしたその姿に場違いなことに

イリーナは幸福感でいっぱいになった。


だが、今はこの幸福感に包まれるよりも先に伝えなければいけないことがある。


「カイル様、カイル、どうか、聞いてください。

…枢機卿は、イズミ様を人柱にする気です。

イズミ様を犠牲にして女神の結界を張ると枢機卿が…」


イリーナは自身の見聞きしたことを辿々しい口調でカイルへと伝えていく。


「…馬鹿な、イズミ様を生贄にしようというのか!」


イリーナから伝えられたその計画に湧き上がる怒りのままに叫び出してしまいたい感情をカイルは必死に抑える。

またか、このどうしようもない世界は、また誰かを犠牲にするのか。

まだ流した血が足らないというのか!

僕はまた、失うのか、守れないのか、イズミ様へのあの誓いは!


そして今また自身の腕の中でひとつの命が、大事な命が失われようとしている。


腕の中でイリーナの流す血が止まらない。

傷が多すぎて全ての傷口を圧迫できない。

カイルの腕の中でイリーナの力が少しずつ失われていくのがわかる。


このままでは!


カイルが焦りに塗れる一方で、傷を負った当の本人は心底安堵していた。

彼に伝えれば大丈夫だから、この男は例えどんなことがあってもイズミを守り抜く、例え敵が聖教国そのものだったとしてもこの男を止めることなんてできない。


それに、彼なら自分の想いも持っていってくれる。


わたしが世界でずっと願った、狂気じゃない笑顔、憎しみと悲しみ、怒りや怨嗟に塗れた世界じゃない


イズミ様が作る安心できる笑顔の世界、そんな幸せな世界を壊させたりなんてさせない。イズミ様を守る、この想いは彼がきっと持っていってくれる。


「カイル、私はもう、イズミ様を守れない、

…だから、カイルが、守ってください。」


「何を、何を言っている!

其方は僕を殺すのだろう!

僕がいつか化け物になる前に殺すと其方は言ったではないか!」


カイルの叫びは怒りというより、もはや懇願であった。


僕を殺してくれ、僕を消してくれ、化け物になって守りたかった全てを傷つけるのは嫌だ、僕より先に君が死ぬな。


彼女は以前言った、いざという時はわたしが殺すと、いずれ理性をなくし化け物となる時彼女が僕に最後をくれる筈だったではないか。


なのにどうして君が先に逝ってしまうんだ。


カイルの今にも泣き出してしまいそうな顔を見ながらイリーナはやはり幸福感に包まれる。あの氷の人形と言われた聖教国屈指の道具が、感情のない人形と評された彼が、自身に近づく死の足音を聞いて焦った表情を見せてくれている。どうしようもない自分の避けられない死にこんなにも涙をみせてくれる。


それがイリーナにとってなによりも嬉しいことだった。


どこが氷の人形、なのかしら

こんなにも優しくて、暖かいのに、わたしにはあの人たちの方が余程、冷徹で化け物に見えるのですけどね。


此方を覗き込んで来たカイルの瞳はとても寂しそうだ、そういえば1人の時の彼はずっとこんな感じの眼をしていましたね。

なら、わたしが最後に貴方にできることはこれくらいしかなさそうですね。


「…ごめん、なさい、でも、それは、出来そうにありません。

…だから、待っています。

カイルがくるのを、カイルが人でなくなった時

貴方がイズミ様に消していただくその時まで私は貴方を待っています。」


違う、何をいっている

僕を殺さない代わりなんて求めていない、僕が死ぬのを待っていてほしいわけじゃない代わりの対価を求めたかったわけじゃない。


—僕はただ、君に生きていて欲しかった—


またあの時のように3人でくだらない話を続けたかっただけなんだ。

奪い続ける時間も奪われ続ける時間ももうたくさんだ。


贅沢な願いだとはわかってる。

理不尽にたくさんの命を、想いを引き裂いて来たんだ。

自分の番になった途端それを拒絶仕切ることなんてきっとできない。


だけど、想わずにはいられないんだ、あの幸せな時間を。


イズミ様とイリーナと僕の3人であの暖かい時間をもう一度、迎えたい。


君と一緒に笑っていたかった。

君の笑顔をもっと見ていたいんだ。


それが叶わない願いであることは腕の中の暖かい温もりが徐々に冷たくなっていく様子から分かっていた。

彼女の終わりが近いことをカイルは悟った。


「…僕がイズミ様に消していただけるかはわからんぞ」


「そこは、主人を信じてください、イズミ様なら、大丈夫です。

…私と貴方が見つけた、主人ですよ?その程度、必ずこなします」


自分が人でなくなった時、本当にイズミ様が終わりを迎えさせてくれるのかなんて分からない。

カイルの不安に対するイリーナの一言は気休めともいえるものだ。


だけど、何故か、安心できる。

イズミ様ならばきっと僕を終わらせてくれる。


何よりずっと世界の想いを見てきた、僕とイリーナが選んだ相手だ。

彼らの想いを僕らが見てきたように僕らの想いをイズミ様は見ておられる。


なら、きっと大丈夫だ。


「…そうか、そうだな、イズミ様なら必ず成し遂げてくれるかな?

あぁ、でも、イリーナは相変わらず酷いなぁ

僕が死ぬのを待っているとは、最後まで言ってくれるじゃないか」


彼女は相変わらず僕に対して辛辣だ。


「…そこは、感謝、するところ、ですよ

死んでも、待って、くれてる女なんて、なかなかいないのです…から」


ああ、もちろん、しているとも

こんな僕を、化け物になる僕を待っていてくれると

そう言ってくれるのなんてイリーナくらいのものなのだから


「ありがとう、イリーナ、愛してる」


氷の人形と呼ばれた彼の両眼から暖かい雫が溢れて止まらない。


優しく、微笑んだこの笑顔も、涙も全部私に向けてくれている。

私を抱えるカイルの体が、その微笑みが、涙が、全てが暖かく感じる。


私のために、泣いてくれる人が最期にそばにいてくれるなんて思いもしなかった。きっと自分は静かに、誰に惜しまれることもなく死を迎えるのだと思っていた。


だけど、わからないものだ。


こんなにも幸せな気持ちで大好きな人の腕の中で最期を迎えられるなんて…。

だけど、私は強欲だ。

彼の微笑みも、涙も、もっと欲しい、もっと貴方の声を聴きたい。

もっとその言葉を言って欲しい。


それが叶わない願いであることをぼんやりとしてきた意識の中でイリーナも分かっていた。


「…カイ、ル、先にいって、います

待って、ますから、…あとは、おね、がい、します」


彼女の声は途切れ途切れで、今にも聞こえなくなってしまいそうなほどか細い。

だが、イリーナの想いは確かにカイルに届いている。

彼女がその命をかけて伝えてくれた情報を無駄になどしない


「あぁ、約束する、誓ったんだ。イズミ様の道は僕が守る。

だから、安心して待ってろ、其方を1人にはしない。

必ず、必ず僕が迎えにいくから。」


「カ、イル、私も、…あなたを、愛、して、る」


カイルの言葉にイリーナは安心したように目をつぶり、そのまま長い眠りについた。



目を瞑った彼女の呼吸が腕の中で徐々に弱くなっていく。

彼女の唇の上に舞い上がった花びらがひらひらと舞い落ちてくる。

それが全く動かない様子を見て、彼女の命の灯火が消えてしまったことをカイルは理解した。


彼女の体を優しく大事そうに、彼女が寒くないようにカイルは抱きしめる。

どれだけの時間そうしていたのか、カイルはマントでイリーナを優しく包むと立ち上がって歩いていく。


彼の歩みに迷いなどない。

彼の瞳はただただ、前を向いて捉えたものを凍てつかせるほどに冷たかった。

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