10話 新しい任務


 幸いなことにそれから数分とたたずにイズミの心は帰ってきた。

 このままではらちが開かないと判断したイリーナが失礼致しますとイズミの耳元でそっと何かを呟いたのだ。


 その瞬間、ボンっと爆発させるような勢いで顔を赤らめて、イズミはカイルにその視線を向けると


「そっそんなの、まだ早いよ!!」


 と大きな声で叫ぶ。


 言われたカイルには当然、全く持ってどういうことかわからない。


 何故自分がイズミ様に怒鳴られたのか話が見えないのでカイルは現況を作り出した超本人に聞きだすべく、睨みつけながらイリーナに問いただす。


「何を言った?」


 カイルの質問にイリーナはわざわざ耳元でささやいたような言葉をカイルに、いや男共に教える必要などないと「秘密です」というばかりでカイルにはその内容は全くわからない。


 本来ならイズミ様に直接伺いたかったが、時間がないと騎士長が話を進め始めてしまったのでこの場で明らかにすることをカイルはひとまず諦めた。


 「聖女様、ご心境が落ち着いていないところ申し訳ありませんが、枢機卿より次の浄化先に向かうよう指示を受けました」


 瞬間、周囲にはっきりとわかるほどイズミのその身に纏う空気は変わった。

先ほどまで顔赤らめてもじもじとしていた恋する乙女ようなの様子はすでに影も形も無い。


 ここにいるのは間違いなく聖女であると誰もが確信するようなそんな凛として厳かな雰囲気を彼女は漂わせていた。


「わかりました。それで次はどこに向かえばいいの?」


 少女のその急激な変化に青年も含めたこの場にいた3人は一瞬で呑まれ、息を呑む。その中でもっとも早くに立ち直ったのは場数の差か、やはりアルティメスであった。


「次の任務地は連合王国北部のルイン地方です」


(……カイルといい、聖女様といい。普段の生活や態度には頭が痛いが、任務となるとこれ以上ないほどに頼りがいのある姿になる)


そういう意味ではこの2人は似ている。


 イズミの表情は豊かで、貴族や平民に貴賎を問わず優しく声をかけ続けるそのありようは、氷の人形と評されるカイルとは似ても似つかないが、聖女という押し付けられた強大な使命を前にしても常に前を見続けるその瞳は今までカイルが帯びてきた様々な任務で見せた瞳ととてもよく似ている。


「国境真近とはいえ聖都がこの状況であるというのにイズミ様を国外にむかわせられるのですか?」


 次の任務地に疑問の声を挙げたのは騎士であるカイルでも聖女たるイズミでもない侍女のイリーナであった。


 確かに聖都は今や国内外から毎日のように多くの避難民が押し寄せているような状況だ。彼らがここを目指すのは聖都という女神を最も信仰する聖教国の首都であるとなどという理由では勿論ない。


 確かに聖都は街そのものが女神の加護によって守られているので他のどの町よりも比較的安全ではある。だが彼らの求める安全とは確実な安全だ。聖女がそこにいる、ただそれだけで瘴気に怯える人々はここを目指してくる。女神に加護を受けた聖都という街でしかも瘴気を浄化できる聖女がいる。


 それは彼らにとって大きな希望の光だ。


 その聖女が聖都どころか聖教国から一時的にでも国外に出るともなれば、避難民だけではなく聖都に住む全ての人々に大きな衝撃をもたらすことになるだろう。


 さらに言えば、保身に走る貴族たちがそれを許すとは侍女であるイリーナですら到底思えない。


「……確かに現状の様子では聖女様が聖都にいることの意味は大きい。

だが、このまま聖女様を聖都に留めておくのが良い手段とも言えないのだ」


 アルティメスの説明はこうだ。

 日に日に避難民が増え、聖都の周りには新しい街すらできそうな勢いである。だが聖都が避難民を受け入れることができる数には、当然限界がある。すでに多くの食料が配給として避難民に消費されているのだ。このまま避難民が増え続ければ遠からず聖都はその根本から崩壊する。


 だが、避難民の増加を食い止めるには聖都以外の場所も安全であることを示さなければならない。それも多くの人にわかるよう、目に見える形でだ。聖女による瘴気の浄化という手段はその形にちょうど良い。


 一度浄化を行った土地なら、聖女の浄化によってこの場所は安全だと言える。浄化を行った土地で数年とたたずに瘴気が発生した事例は現在まで確認されていない。


 実際、避難民のほとんどはこれまで聖女が浄化を行ったことのない地域から来ているのだ。ならばこれまで浄化を行ってこなかった各地に聖女を派遣し、土地の浄化によって避難民の増加を食い止める他ない。


 それが聖教国上層部が出した結論で、これまで聖女が浄化を行ったことがない、その上避難民が現在最も多い連合王国北部のルイン地方に白羽の矢が立ったのだ。


「……なるほど、そういうことか」


 アルティメスの説明にイズミも疑問を呈したイリーナも納得という風にうなづいている。だが、この説明をまともに受け取ったのはこの2人だけだ。



(……一応の理にはかなっているが、それだけじゃない)


 近衛騎士としてカイルは多くの任務を受けてきた、皆に讃えらるような任務も大きな声では決して言えない任務も、だからこそカイルにはこれが聖教国上層部が一様立てただけの建前であることが理解できた。


 カイルはその視線を騎士長へと移す。

 まっすぐと氷のように冷たい眼差しで彼の瞳を見る。


 その視線に気づいたアルティメスもカイルを見つめ返す、同じく冷たく凍てつくような眼差しで。


 無論、アルティメスとてわかっている。これが建前上用意された任務であることも。聖教国の上層部はすでに避難民の受け入れを限界だと判断していることも。これ以上増えることなどはもちろん言語同断である。それどころか、現状から減らさねばならない。


 先ほどの建前でももちろん避難民は減るだろうし、今後の増加を抑えることもできるだろう。だが、すでに避難してきている者達はその生活を捨てて確実な安全を求めてきた者達だ。


 聖女が浄化したからもう戻っても大丈夫だと言って、戻るものが果たしてどれほどいるだろうか。


 彼らの多くは思うだろう。

 聖女は結局聖都に戻ってくる。聖女がいるならその場所が一番安全であると。アルティメスの予想では建前上の任務だけでは、現状の避難民の数が聖教国が求める水準まで減ることはない。


 そして、聖教国上層部もそれを理解している。

おそらく聖女がルイン地方に旅立ち、浄化が行われたあとそれでも尚残るもの達には大規模な間引きが行われる。聖女一行が聖都に戻る頃には避難民の数は大きく減っていることだろう。あるいは一掃してしまうのかもしれない。


 これはアルティメスの予想だ。

 決して決定事項として伝えられているわけではない。


 だが、これまでの聖教国のやり方を彼はよく知っている。いくつもの街や村が異端者の集まりとして女神の名の下、滅ぼされてきた。その目で多くを見て、その手をふるったこともある。


 そしてそれは、アルティメスの視線の先にいるカイルも同じだ。彼もまた、その手で多くの異端者を裁いてきた。


 聖教国の命令で、女神の名の下、老若男女問わず、赤子ですら。その手を赤い血で染めあげてきたのだ。


 彼が氷の人形と言われているのは何もそのコミュニケーション能力の低さからだけではない。命令が有れば、たとえ血の繋がった実の兄弟であっても涙一つ流すことなくその手にかける。


 聖教国の一部の上層部が言い出したこの渾名は、その意味は伝わらずとも今や聖殿内の多くの者に広まっている。


 一瞬、アルティメスとカイルの視線が交わりそして次の瞬間には外れる。


 カイルにはその一瞬で十分、何が起こるのか、自分たちが何をしなければいけないのか理解できた。


 カイルは話を進める聖女とイリーナに目を向け、アルティメスはその目を伏せる。声にはできない2人の意思の疎通はこうして終わった。


「聖女様、ルイン地方への出発は5日後に行いますが、我々の出発は混乱を防止するため秘密裏に行われます。いつものように手を振りながら大通りを通ることはできませんのでご了承ください」


 イリーナとイズミが持っていくものなど準備するものについて盛り上がっているところに騎士長が出発の日取りやその方法について説明を始める。


 今まで聖女の浄化への旅は、聖都から出発する時も戻ってくる時も盛大なパレードのように行われてきたが、今回の出発を盛大に発表すれば聖女を求めてきた大量の避難民の妨害に遭う可能性がある。


 聖都の民にも悟られることのないよう、馬車も複数回に分けて聖都を出発する。


「……以上が聖都出発の手順になります。ルイン地方での活動については移動中にご説明させて頂きますが、今までの部分で何か質問はございますか?」


 アルティメスがその説明を終えて、イズミへと何か質問がないかを伺う。


 ここまで真剣な表情で聞いていたイズミは「うーん?」とうなるように考えこむ様子を見せると、いくつかの簡単な疑問を騎士長へと投げかける。


「移動の馬車は魔導馬車で行くのかな?」とか「どのタイミングで他の馬車と合流するの」とかいつものイズミのほんわかと落ち着くようなその空気にアルティメスもその強面で微笑みながら聖女へと返していく。


だが、その微笑みも次のイズミの質問に思わず強張る。


「……あと気になるのは、私に何を隠してるのかな?」


 この問いにアルティメスはイズミの姿を改めてその目に映し、驚愕することになる。つい数瞬前まで、彼女は確かに年齢に相応しい優しい空気をその身に纏わせていた。その空気に彼も慣れない笑みを浮かべて返答していたのだ。


 だが、今この瞬間に彼女がその身に纏うのはそのような暖かみのある空気ではない。彼女の表情こそ先程と変わらずにこやかだが、その細められた瞳は決して笑ってはいない。


 嘘は赦さないとそう言わんばかりに彼女は彼の目を見続ける。


 このやり取りに先程までアルティメスの微笑みを、気持ち悪いなどと思っていたカイルも思わず体に力が入り、その肌に薄らと冷や汗をかいていた。


(……まただ)


 このイズミの姿をカイルは以前にも見たことがある。

 カイルは初めてイズミと2人で話した夜のことを思い出していた。


 あの時のイズミもこのように人が変わったようにその身に纏う空気を豹変させていた。普段の彼女は人好きされやすい、誰にでも優しくて明るいその笑みで、多くのもの達と交流を行なっている。だが、イズミは今のように時折、まるで別人ではないかと思うほどに鋭く、冷たい雰囲気を纏う。


 何より、あの瞳だ。その表情こそにこやかだが、彼女の瞳は決して笑ってなどいない。吸い込まれるような美しい黒い瞳は捉えたものから決して離されることはない。捉えられたものは、まるで自身の全てを見透かすされているような錯覚すら覚え、その身に隠した真実を明らかにする。


「アルティメス騎士長、黙っていたらわからないですよ?」


 彼女の質問の鋭さとその雰囲気の豹変した様子にアルティメスは数瞬、その言葉を失う。その様子に待ちきれなかったようにイズミはアルティメスに先程の答えを促す。


「……失礼致しました。おっしゃっている意味を理解できなかったもので」


 だが、今その瞳を一身に受ける彼もただ者ではない。

 長年聖教国の表裏で活躍し、今では神殿騎士の中でも精鋭たる近衛騎士を率いる長でもある。この場で聖女の纏う空気にやられてすんなり喋るようでは、その役目を果たしきることなどできはしなかっただろう。そしてその覚悟は、その瞳でアルティメスを見続けていた彼女にも伝わった。


「……簡単に答えてくれそうにはありませんね。

なら、これだけは教えてください。私にできることは何ですか?」


 その言葉にまたしてもアルティメスは一瞬逡巡する。


 聖女として聖教国に縛られ、女神の呪いを受けている彼女が自由に出来ることなどほとんどないと言っていい。


 まして、もし悲劇が起こるので有ればそれは女神の名の下に聖教国が引き起こすのだ。女神の呪いがある以上、彼女が女神の意思、引いては聖教国の意思に反することはできない。


 アルティメスは尚も此方見続けるその漆黒の瞳を見つめ返し、その意思を確認する。


 これから訪れるであろう悲劇を抑えるために今回の任務の範囲内で、最大限に少女ができることは何か。


 アルティメスが出した答えは先程と大きな変化はない。


「……先程お伝えした通り、聖女様はいつものように浄化の儀式を行なってくだされば十分ですが、強いてあげるので有れば、浄化を行ったことを聖女様ご自身が声高々に民に伝えてくだされば、民も安心するでしょう」


 これが、この場でアルティメスが伝えることのできる精一杯の言葉だ。聖女が自身で喧伝することは無論任務にはないが、各地で聖女自らの言葉で声を掛けられるのであればその安心感は大きく異なる。


(どこまで効果があるかは分からんが少なくともしないよりは良い筈だ)


 アルティメスのその真剣な眼差しにイズミもその身に纏った鋭い空気を和らげる。


「わかりました。…なら私は声を大きく出す練習でもしようかな?」


 彼女の言葉に部屋には再び暖かい空気が満ち始めるのだった。

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