14.疑問。私が私なのかって聞かれて自分でも分からなくなったんだけど

「……私は、たぶん結城くんが知っている私の……はずだよ?」

 少しだけ考えてから、しっかりと孝太朗の目を見て告げた。

 私の動揺が伝わったのかな、私に抱きついたままだった鈴音の腕に少し力が入ったように感じた。

 黙ったまま、じっと私の目を見つめていた孝太朗は、大きく息を吐きだすと、眉間をもみながら近くの椅子を引き出して座った。なんだかこの一瞬だけで、孝太朗がすっごく疲れたように見える。


「うん。その感じ、ちょっとだけ違和感があるけど、僕が知っている葛城さんだ。よかった、僕だけが違う世界に迷い込んだのかと思った」

「えっ? 違う世界? どど、どういう――」

 意味がわからない。

 ううん、何となく意味はわかるんだけど記憶が、曖昧だった部分が今は全て書き換えられているから何が変わったのか思い出せない。


 慌てる私の前で孝太朗が、片手を上げて指を二本立てた。


「今日だけで二回、世界が何らかの力で改変されているんだ」

「世界が……改変……」

「朝通学している時に最初に世界の色が変わった、少しだけ鮮やかに見えるようになった。それからお昼前、ちょっとだけ色が濃くなったと思ったら、鈴音ちゃんが突然現れた。

 たぶん誰にも違和感なく変わったんだと思う。でも、僕の目にはしっかりと変わっていく様子が見えたんだ。だから忘れる前に急いで書き留めたんだけど」

「っ!」

 孝太朗がポケットから取り出した紙には、何も書かれていなかった。真っ白なまま、文字を書いた跡すらない。


「世界が変わった時、僕の目の前で文字も消えたんだ。だから、見ての通りこれは何も書かれていない、ただの紙なんだ。

 葛城さんの異能が二つ増えているから、それに合わせて世界が改変されたんだと思うけど、一体何が変わったのかはっきりしたところがわからないんだ」

「そそ、それで結城くんは、私になにか聞きたいって……」

 てっきり、異能のことを聞かれると思っていたから、予想外の展開についていけない。話の流れが変わったことに気づいたからか、私の腰にしがみついていた鈴音がゆっくりと離れて自分の椅子に座ってくれた。


 私たち以外に誰も居なくなった教室はとても静かで、孝太朗の次の言葉を待っている間、ずっと自分の心臓の音だけが大きく聞こえていた。

 待っておかしいよね、いまそんなに深刻な話ししてるのかな。


「うん、僕が聞きたかったのは、葛城さんが葛城さんのままなのかなって。それだけかな。僕はあくまでも察知したり見えたりするだけで、当事者の一人でしかないんだよ。

 もし僕が観測者の立場だったら、世界が変わったことを憶えていて、何をすればいいのかわかると思うんだ。でも残念だけど、ちょっとした違和感だけで、なんにもわからない」

 孝太朗は諦めにも似た苦笑いを浮かべると、椅子から立ち上がった。


「だって、観測したくても記録がすべて白紙になっちゃうからね。

 大型トラックが教室を蹂躙して、全てを吹き飛ばとしたことさえも、一切記録することが出来ないんだから」

「えっ、ちょっ……待って、結城くんっ?」

『生徒の呼び出しをします。二年B組の葛城琴音さん、葛城琴音さん。家族が迎えに来ていますので、職員室まで来てください――』

 そのタイミングでお父さんが来たみたいで、校内放送が入った。孝太朗は自分の席まで行って鞄を持つと、私に手を振って教室から出て行っちゃった。


 私が呆然としていると、服の裾が引かれた。


「琴音お姉ちゃん、追いかけなくてもいいの?」

「うっ……そうだよね、なんだかモヤモヤしたままじゃ、うちに帰ってもいい気がしないもんね。今からまだ間に合うかな?」

「大丈夫だと思うよ。お父さんなら少しくらいなら待ってくれると思う。でも、どこに行くの?」

「どこって、異世界研究クラブだよ。放課後に孝太朗が向かうのって、そこしかないから」

「うん、わかった」

 私が鞄を持って立ち上がると、鈴音がクレヨンと画用紙を黒い光の粒に変えているところだった。机の上にあったものが一瞬で無くなった。


「それって……?」

「わたしの収納だよ。大鎌が入ってる暗黒収納なんだけど、たくさんは収納できないし、時間も停まったりしないんだよ。ただ、中に入れると『存在がなかったことになる』から、ちょっと使いづらいかも」

「収納が中の物を勝手に吐き出さないなら、それでいいと思うよ」

 立ち上がった鈴音の手をしっかりと握ってから、異世界研究クラブの部室に向かって走り出した。

 本当は、廊下とか走っちゃいけないんだけど、今日くらいはいいよね?




 校舎を出て渡り廊下に差し掛かると、遠くの駐車場にお父さんの乗っているミニバンが停まっていた。真っ赤なミニバンは、周りの車からも浮いていて、自分ちの車なのに何だかおかしくて思わず吹き出しちゃった。

 特別仕様車で期間限定で販売した色なんだけど、数台しか売れなかったってテレビで言っていたっけ。


 体育館の前を通り過ぎて、旧校舎まで行く。

 ちらっと見た体育館の中ではバスケ部とバレー部が練習していたし、渡り廊下を挟んで反対側に広がっている広い校庭では、野球部とサッカー部が走り回っている。私が所属しているのは美術部だから、新校舎の美術室で絵を書いていたんだけど、その窓から校庭が見えていた。でも今見えている校庭の景色は、視点が変わったからかちょっと新鮮だよ。

 何だか、野球部とサッカー部の活動している場所が逆に見える。


「琴音お姉ちゃん、大丈夫? ちょっと休んだほうがいいよ」

「はぁっ、はぁっ……だ、大丈夫だよ。もうちょっとだから……ふぅ」

 旧校舎に入った踊り場で、鈴音に手を引かれて立ち止まった。息がだいぶ上がっていたみたいで、言われて大きく深呼吸した。何だろう、なんだかもやもやが強くなっている。

 自分でも気づかないうちに、急いでいたのかな。

 たぶん私、かなり急いでいたんだよね。そのまま息を整えると、私の顔を心配そうに覗き込んでいた鈴音が、安心したのか笑顔になった。


 異世界研究クラブがあったのは確か二階だから、鈴音と一緒に階段を上がった。部室があったのは一番奥の部屋だったはずなんだけど、何となく全部の部室の看板を確認しながら廊下を歩いた。


「えっ、なんで? 野鳥観察クラブ?」

 案の定というか、異世界研究クラブの看板はなかった。部室に案内されたのが昨日のことだからはっきりと覚えている。間違いなくここだったんだけど。


「どうしたの? なにか変なの?」

「あのね、昨日来たときはここが異世界研究クラブの部室だったんだけど――」

 ゆっくりと、部室の扉を開ける。

 中の机の配置とかは全然変わっていなかったんだけど、知らない人たちが中で活動していた。

 あ、一人だけ知った顔がある。


「あれ? 葛城さんじゃん、珍しいな。美術部の部室って、本校舎の方だったよな」

「……えっと、小林……くん?」

 そこに居たのは、同じクラスの小林樹生だった。


 ……おかしいよ。


「あの、小林くんって」

「うん? 俺がどうかしたって?」


 得体のしれない違和感が、頭をいっぱいに染めていく。

 それは私の記憶と違う。


 絶対に無くしちゃいけないって、心が悲鳴を上げている。


 その残っていた記憶ですら、無理やり書き換えられていく不快感に、必死で抵抗した。そして頭の中ではっきりと、何かが弾けるように割れた音がした。一瞬の激しい頭痛に、思わず顔をしかめた。

 そしてその割れた何かを、私の無限収納が勝手に収納し始めたのがわかった。


 ……待って、待ってよ。また何私の意思と関係なく、勝手に得体のしれないもの収納しているのよ?


 後ろで、鈴音が息を呑んだ音がはっきりと聞こえる。


『粉微塵になった記憶の檻を手に入れました。異能に組み込みます』


 いつもの声が頭に直接聞こえた。


 ……うん、知ってる。そうだよ。私は全部知っているよ。

 もうなんだかメチャクチャだけど、昨日から知らないうちに忘れていたことを思い出した。


「小林くんって、サッカー部だったよね。なんでここ、野鳥観察クラブに居るの?」

「えっ……僕は……サッカー部? あっ、ぐっ……」

 突然、樹生がその場で膝をついて頭を抱え始めた。

 様子を見ていた他の部員の子たちが慌てて駆け寄ってくる。


「小林くん、大丈夫か?」

「ちょっとあなた、葛城さんって言ったかしら。樹生くんに何したのよ?」

「おい、樹生。タオル敷いたからちょっと横になれ」

 騒然となる『野鳥観察クラブ』の部員たちを見て、さらに私は畳み掛けた。


「いい? ここは野鳥観察クラブの部室じゃない。そもそもここは『異世界研究クラブ』の部室なんだよ。なんで関係ない人たちが占拠しているの?」

 空気が凍るって、このことなのかな。


 全員の動きが止まって、顔面が蒼白になった。

 誰も言葉を発しなくなって、目を大きく見開いた部員たちは、一人一人ゆっくりと立ち上がると、入り口に居た私の方にゆらゆらと歩いてきた。さすがに想定外だったから、慌てて鈴音を抱き上げると廊下に出ようとして、躓いてころんだ。


 なんでかな、躓いて転んじゃったのよ。


 咄嗟に体を捻って、鈴音が怪我しないように必死に転がって、反対側の壁にぶつかって止まった。

 襲われる――鈴音をギュッと抱きしめたまま、思わず目をつむった。自分で煽っておいて、こうなることは予測できなかったのかって言われそうだけど、何だかそこまで頭が回らなかったんだよね。


「こ、琴音お姉ちゃん……」

 琴音のか細い声で、ハッとなって目を開けた。

 結果的に襲われることはなくて、視界の奥でゆらゆらと歩いていった野鳥観察クラブの部員たちは、ゆっくりと階段を降りていった。


「た、助かったの……?」

「もう、何でいきなりあんなこと言ったの。また理が変わったよ、いまならさっきのお兄ちゃん……孝太朗くんだっけ。彼が言っていたことがわかるよ。

 誰かがなにか悪さしてるわけじゃない。琴音お姉ちゃんが悪いわけじゃないんだけど、なんだか琴音お姉ちゃんの意思に関係なく世界が変わっていってる」

「……うん、そんな気がする」

 ため息ををついてから見上げた部室の看板は、いつの間にか『異世界研究クラブ』に変わっていた。


 いったいなにが、起きているんだろ……?

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