第16戦 我が逃走②

「なっ、まさか『奴ら』か!」

 ローベルトもサイドミラーを見ながら叫んだ。

「念のため言っておきますが、私は電波を捉えただけですので位置までは捕捉していませんよ」

 ザハールはまたしても眼鏡をくいっと上げながら、私の右横に顔を突き出した。

「そういうことはもっと早く言ってくださいよ! まったく!」

「……くっ、どうする⁈」

「ローベルト、そんなの決まってるじゃないですか。猛スピードで逃げましょう!」

「しかしながら、アレクセイさん。敵が後方だけにいるとは限らないかと」

「あ、そっか。その可能性もあるんですね……」

 アレクセイは顔をうつむかせた。

「まあまあ、落ち着くんだお三方。スターリン閣下を見ろ、不動心そのものだ。大体、もしかしたらたまたま通りかかっただけかもしんねぇじゃねえか」

 ウラジミールは私を親指で指差しながら言った。

 その通りだ。いくら装甲車が街中を走っているとはいえ、そう簡単に『奴ら』と決め付けるのは早計であり杞憂だ。そもそも、私達を捕らえたいなら、装甲車などではなく民間に出回っている普通の車の方が、隠密行動が可能なので使い勝手がいい筈だ。

「そうかもしれませんがねぇ」

 ローベルトはサイドミラーから目を逸らさずに、不安げな表情を浮かべた。

「それなら、とりあえずは様子見ということですn」


バンっ!!


 アレクセイがそう言い終わるや否や私にとってよく聞き覚えのある音が後方であがり、それと同時に何か硬いものが凄まじいスピードで車に擦れる音が車内に鳴り響いた。

 私はすぐに「何が起きたのか」は理解できた。しかし「何故したのか」までは理解できなかった。当たり前だろう、こんな事が起きれば。

「おいおい、マジかよ。ハリウッド映画じゃねぇんだからさぁ……」

 車内に一瞬にして訪れた静粛をまず最初に打ち破ったのはウラジミールだ。だが、その声はあまりにも調子がおかしく、当の本人も頭をゆっくりと左右に振っている。

 その傍ら、私は額に脂汗を浮かべながら「きっと大丈夫」という風な前向きな思考で、運転席に身を乗り出しサイドミラーを覗き込む。そしてサイドミラーの中にある装甲車を見つけ、目を細めた。そこには軍服の左腕部分が窓からニョキッと伸び、手には拳銃マカロフが握られている姿が映っていた。


「早く逃げるんだ!」


 ローベルトが全員の目を覚まさせるように呼びかける。

「お、おう!」

 それに呼応するかのようにウラジミールが車のスピードを瞬く間に上げた。すると、メーターの針が急上昇し、車体がガクンっと揺れ、私の体が勢いよく後ろに押し出される。

「おっと!」

「だ、大丈夫ですか⁈ な、何か怪我でもされたら私達のけいk」

アレクセイがあたふたしながら危機迫った顔で私に近づいてきた。

「問題ない」

 私はそんなアレクセイをなだめるように言った。

 思わずこっちの方が不安になるほどの焦り方だな……まあいい、今はそんなことよりも集中するべきことがある。それはもちろん、『奴ら』と呼ばれる存在がこんな街中で堂々と発砲したことについてだ。

 車はグングンとスピードを上げて行き、窓ガラスにはうっすらと周りの車を追い抜く様子が映る。だが、私達を追う『奴ら』の装甲車もスピードを上げてきてるのがサイドミラーで確認できるのに加えて、車を擦れる銃弾の量も増してくる。

「くそっ! このままだと追いつかれる! どうにかしねぇと!」

 ウラジミールがハンドルを叩きながら罵声を飛ばした。

「しかも、銃弾を好き放題ぶっ放せるというアドバンテージがあっちにはありますからねぇ。私達も発砲許可はもらってますけど、こんな街中で使うほど馬鹿じゃないですよ」

 『奴ら』が街中で簡単に発砲することの危険性を考えていないというところを鑑みると、『奴ら』とはテロリストやマフィアといった反社会的勢力である可能性が高いな。ふむ、これで少し真実に近づけたか?

「けっ、こうなったら……対向車線に出るぞ!」


「……え?」


 ウラジミールの突拍子もない提案に車内が水を打ったように静まり返ると、誰もが異口同音にそう発した。

「いやいやいや、何言ってるんですかウラジミール。こんなに交通量が多いのに。あ、もしかして自殺願望でもあるんですか?なら私が悩みを聞きますよ」

「あぁ、神様マルクス様レーニン様! もう悪いことしませんから、この私アレクセイをお助けください!」

「ふぅ〜、まったくウラジミールさんはいつも……」

「うるせぇ! 行くぞ!」

 ザハールが何かを言い終わる前に、ウラジミールは躊躇なくハンドルを左にきり、ラバーポールの列とラバーポールの列の間に車を滑り込ませた。

「無茶もいいところだ!」

 私は悲痛な声で叫んだ。だがそんな声などすぐにかき消される。

 キキキッッーという音、何重にも重なった車のクラクション、怒りに我を忘れた人の罵声、金属と金属がぶつかる鈍い音、などが一気に私の耳に押し寄せてくる。更に、まるで時間の流れが鈍化したようだ。しかし、私は恐怖のあまり目を閉じているため、その混沌した音が生まれるような光景を目にできない。

「やった……」

 アレクセイが隣でそう一言漏らした。その言葉を聞いた私は恐る恐る目を開いた。すると、見事対向車線への移動に成功していた。

「やった……」

 思わず、私はアレクセイと同じことを言った。

 だが、今の私にはそんなことどうだっていい。ただ、生きているということが嬉しい! まあ、いささか寿命が縮んだ気がするがな。

「へっ、どんなもんだい! これで対向車と同じ方向に行けば奴らをまけるな!」

 ウラジミールがガッツポーズをとりながら言った。

「ふぅ、命拾いしました。時にはこういう思い切った行動が必要なんですかねぇ」

「当たり前だろ。つーか、人生っていうのは意外とこんなもんだぜ。なぁ、皆んな?」

「……」

 沈黙の時間が5秒ほど続いた。

 車内には気まずい空気が充満し、ローベルトに至ってはウラジミールの隣の席に座っているので、さらに居心地が悪そうだ。

 ふむ、たしかにそうかもしれんが、今のは流石に……。いや、率先して勇気を振り絞り、茨の道を突き進んでくれたのはウラジミールだ。ここは彼の顔を立てるべきか。

「時として、できるだけのことをし終えたら後は両手で手を握りしめるだけ、ということもある」

 私は車内に自分の声を響かせるように言った。すると、まず最初にアレクセイが反応を示した。

「そ、そうですよねー。スターリン閣下だって、今までこんな感じこといっぱいあったと思いますけど、今元気にピンピンしてるってことはそういうことですよねー」

 アレクセイは私の方をちらちらと見ながら言った。

「なるほど、つまりは今がその時だったと。これはいい教訓を貰いましたねぇ。その言葉、座右の銘にさせていただきます」

 いや、それは普通に恥ずかしいのだが……。ま、まあいい、これも私に対する忠誠の一つと受けとっておこう。

 ちなみにローベルトの声は明らかに震えていたが、あえて誰も何も言わないようだ。

「ふんっ、お前らの手首はイカれてるぜって、おおおおっ! え? ん? あぁ? ファッ⁈ あいつら何やってんだ! 馬鹿か⁈」

 ウラジミールがサイドミラーを見ながら突如奇声を上げたかと思うと、私達の後方から戦場でしか聞かないような轟音が轟いた。

「な、何だ!」

 私は意味もなく運転席にいる二人に向かって声を飛ばした。しかし、ローベルトは私の声に反応したようで、即座にサイドミラーを覗き込む。

「一体何が起きt、はぁ? 『奴ら』は正気か?! 装甲車を運転してるくせに、私達と同じ方法で対向車線に乗り込んできやがった!」

 「えぇ?!」とアレクセイが驚きを隠さず叫んだ。

 ところが、私は先程とは違ってある程度の余裕が心に出来ていたので、少し好奇心が湧き、サイドミラーを覗き込もうと思った。しかし、装甲車があんなことをしたら周りの車両にどれだけの被害を与えるかと考えると、自然と体の動きが止まった。

 まったく、この世界に来て良かったことなど、プラウダに出会えたことくらいしかないではないか。

「くそったれめ、俺がどんな気持ちで、対向車線に移動したと思ってるんだ!」

「これで振り出しに戻りましたねぇ」

 ローベルトの言う通り、また銃弾が車体に擦れる音が車内に響いてきた。

「あぁ!もうどうすればいいんですか?!」

「どうするって言ったって、このまま真っ直ぐ進むしかねえだろ。それか、もう一度対向車線に移動してみるか?」

「いや、それは意味が無いかと。恐らく、『奴ら』は私達を捕まえる、といっても1番捕まえたいのはスターリン閣下でしょうけど。とにかく、『奴ら』は目的のためには手段を選ばないので、私達の動きに合わせてくるかと」

「なるほど、たしかにそれじゃあ無理だ。だが、この状況のまま支部に向かう訳にもいかねぇ。う〜ん……あ、あの、スターリン閣下には何かいい案はねぇかな?」

 ウラジミールが申し訳なそうに私に話を降ってきた。

「わ、私か?」

「えぇ、スターリン閣下ならなんか妙計があるんじゃねえかって思って」

 そんなことを言われてもな……。

 私は顎を擦りながら、自分の世界に入り込んでいった。

 まず、この状況を覆るせような名将がいるならば、何個勲章を与えても足りないだろうな。何しろ、『奴ら』と私達では車両の性能が違いすぎる。普通にレースをしても負けるだろう。さらにあちらには街中で銃火器をいとも簡単に使える(誰かに許可されているのかは定かではないが)という優位性がある。ところで、私達が『奴ら』に対して有利であると言える点はあるd

「あ、皆さん、前から来ます」

 私が自分の世界に入っている中、後ろからそう一言聞こえた。恐らく、眼鏡をクイッと上げていることだろう。

「前から来る? おいおい、馬鹿を言っちゃ、ん? ん?!……は、、マジかよ」

 ウラジミールが声をひきつらせて言った。

 「なっ、!」「嘘ですよね?!」

 そして、それに続くようにローベルトとアレクセイが同時に声をあげた。

 間違いなく、車内の空気が一変した。

 私はそのことに気づき、意識を現実に戻して、膝からバンのフロントガラスに視線を移す。すると、私の目に息を呑むような光景が飛び込んできた。

 それは、真正面から私達を目掛けて猛スピードで突進してくる装甲車の姿だ!もちろん、対向車は全て弾き飛ばしている。

「やべぇ、これは本当にやべぇ! おい、ローベルト!どうする?!」

 ウラジミールは顔を赤くして、ローベルトに質問指した。が、ローベルトは既にぐったりとしており、とても喋れそうには見えない。

「挟み撃ちとか、もう逃げられないじゃないですか!」

 アレクセイは私の方を向き、涙を浮かべながら両手を広げて言ってきた。しかし、私はそれを意にも介さず、みるみると近づいてくる装甲車をただひたすら見つめている。というよりも、そんなことしか出来ない。

「くそっ、F U 〇 K! F 〇 C K! ああいいさ、お前らがそんな行動をとるんだったら、吹っ切れたぜ!」

「ウラジミール!何 かするんだったら早くしてくだs、あっ、前! 前! ぶつかる!」

 アレクセイが正面を指差しながら叫んだ。

 私は歯を食いしばりながら死を覚悟すると共に、柔らかく目を閉じた。

「うおりゃぁぁぁ!」

 ウラジミールは腹の底から出したような声で怒鳴り、体ごとハンドルを今度は右に切った。すると、バンは林の中に突っ込み、わずか10数メートルは進んだかと思うと、けたたましい音を上げて木に激突した。

 車内にはとんでもない衝撃が走り、「うぅっ!」と、最近はあまりこういうのを味わっていなかったので私は呻き声を出してしまった。さらに今の状況を確認するために目を開けようとしたが、上手く力が入らず、目に映る景色は全てがぼやける。

「いったたたた……。ふぅ、ふぅ、まあ、ギリギリセーフってところか」

 ウラジミールが呼吸を荒らげながら言った。

「そ、そのようですねぇ」

 ぐったりとしていたはずのローベルトも口を開いた。

「よし、と、とりあえず確認だ。全員生きてるか?」

 ウラジミールは一人言ととれなくもないようなか細い声で皆に質問した。

「ローベルトは生きてますよ」

「はぁ、はぁ、あ、アレクセイもです!」

「私ザハールもなんとか……」

「わ、私もだ」

 全員さっきまでの生気は失っているようだが、生きてはいるようだ。

「そ、うか……、ならいい、ならいいんだ。まだ任務は続行できる……」

 ウラジミールはそう言うと、息を深く吸い込んで、私達の方を振り向いた。

「アレクセイ、頼みがある。ふぅ、あのな、今すぐに、ふぅ、スターリン閣下と共にバンから出て、林の奥の方に逃げてくれ」

「はぁ、はぁ、んぇ、え? な、なんで私だけなんですか? 三人とも来てくださいよ」

「そいつは無理な話だ」

 ウラジミールは顔を横に振りながら言った。

「それはおかs」

「下半身の感覚がねぇんだ」

 ウラジミールはアレクセイの言葉を遮って言った。そして、アレクセイを返事を待たずに話を続けた。

「恐らく、ローベルトもだ。だからな、ふぅ、俺たち二人は逃げれない。さらに、ザハールは体力が少なすぎて、ス、スターリン閣下とお前の足手まといになる。なら、ここで『奴ら』の相手をさせた方が百倍ましだ……さあ、早く行け。『奴ら』がくる」

 ウラジミールは言わねばならないことは言い切ったという風な表情を顔に出し、震える右手で親指を立てる。

 それを聞いたアレクセイは口に手を当て再び涙を流していた。私は意識が飛びそうになっており、それと頭の中で格闘しているため、ウラジミールの言葉に何の反応も示せない。

 アレクセイは「すいません。そして、今までありがとうございました」と言い軽い礼をすると、涙を自分の服の袖でぬぐい、バンの右側のドアを開け、私の腕を強く引っ張った。

 私はなされるがままにバンから降りたが、足にも上手く力が入らなかったのでしっかりと両足で立つことができず、アレクセイの肩を貸してもらうことで、やっと歩けるようになった。

 そして何歩か足を進めると、後ろで銃声が聞こえ始めた。

「くっ、スターリン閣下、もう少し早く行きましょう」

 アレクセイが私の耳にそっと囁いた。

 私は返事か息か区別がつかないような声で応え、足を力ませ、力を振り絞って、十数歩足をまた進めた。

「スターリン閣下、もう少し頑張ってください」

 アレクセイが私の耳にまたそっと囁いた。

 しかし、その時だ! 私の首筋に何かが刺さったのだ! そして、私の体は途方もない脱力感に襲われ、そのまま糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだ。

「ス、スターリン閣下!」

 アレクセイは倒れ込んだ私の体を持ち上げるように手を差し伸ばした。

 けれど、当の本人である私の意識は既に対岸の彼方へと追いやられていた。





モスクワの地下施設にて


「という訳でありまして、スターリン閣下の身柄を保護することは出来ませんでした。書記長殿」

 博士は私達の目の前のモニターで起きた出来事を声を震わせながら報告すると、頭を深々と下げた。

 私は責任者でもなんでもない博士が書記長殿に頭を下げるとは思っていなかったので、礼のタイミングが遅れてしまった。

「申し訳ございません」

 博士は言った。しかし、書記長殿は博士に何も言わない。それどころか、いきなりモニターに向かって拍手をし始めた。

「ん? 何をしているんだ、リーデンブロック博士、パブロフ元帥。彼らは任務こそは全う出来なかったが、懸命に戦ったではないか。ならば、面を上げ、労いの拍手を送るべきだろう」

 「は、はあ」と博士は気の抜けた返事をし、頭を上げて手を叩き始めたので私も同じ行動をとった。

「第一、博士に罪などない。君はただの研究者だ。無論、パブロフ元帥、君にも罪はない。たしか、リィンカーネーション部隊は君の管轄外だったからね」

「はい、その通りでございます」

 私は答えた。

 「ところが……」書記長はそう言いながら、拍手をやめ、右手の人差し指を立てた。

「私はそうはいかない。私はここの最高指導者であり、この組織の全ての落ち度は私の落ち度だ」

「そんなことはございません!」

「いや、ある!」

 書記長殿は身を乗り出してきた博士を手のひらで制止しながら言った。

 そして、書記長殿は手を降ろし、今まで浮かべていた笑みをより一層深めると口を開いた。

「なぁに、急ぐことは無い。我々にはまだ時間がある、闘争が始まるまでの時間が。ならば、ゆっくり急ごうではないか」

 なるほど……。ゆっくり急ごう、か。

 何はともわれ、書記長殿の笑みはいつも不気味だな。

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