第二十二話 姫神様はガトーショコラが食べたい。姫乃は人魚の浜で、人魚ぉと叫ぶ。

 姫乃ひめのが満足をしたあと、何故かムイ様に、ガトーショコラが食べたいと言われた。

 あたしがこの島にいる間に作ってほしいらしい。姫乃が迷惑をかけたし、そのうち作ると約束をした。


 そうしたら、姫乃が「かざっちのガトーショコラわたしも食べたーい!」とうるさかったので、地元に帰ったらねと言っておいた。彼女は明日帰る。

 必要な物を買わないとだし、今日言われて今日作るなんて無理なのだ。


 ムイ様に、これから何処に行くか問われたので、ことおばあちゃんの家にひとまず帰ると伝えると、「ガトーショコラ、楽しみにしておるからの」と言われた。


 その、次の瞬間。


 世界が、変わった。


 セミの、大合唱。

 太陽の熱。

 夏の匂い。

 生きてる。そう感じた。


 ああ、もどってきた。そう感じた。

 満たされるというか、なんだか安心して、あたしは自然と、笑顔になった。


「うわー! すごいっ! すごいすごいっ! ムイ様、すごーいっ!」

 手を叩いて喜ぶ姫乃。


 その肩には、ハリネズミのトゲッシュハリー。あの場所でもおとなしかったが、今も、落ち着いているように見える。

 ちゃんと、姫乃のトランクキャリーも一緒だ。


「姫乃。その名前を呼ぶと、姫神様に、話してることが聞かれるからね」

「えっ? ムイ様に声が届くの?」

「視ようと思えば視えるらしいよ」

「呼んだらくる?」

「くるかもね」

「そうなんだー! すごーい! ねえ、お腹空いた」

「うん、家に行こうか。と言っても、ここ、琴おばあちゃんの家の庭だけど」


 周りを見渡しながら、あたしは言った。


「この家にも小人いるの?」

「うん、いるよ。でも、追いかけたりしないでね。自分より大きい存在に追いかけられるとか、ホラーだと思うから」

「かざっち、優しいっ!」


 抱きついてくる姫乃。


「やめて!」

 なんて騒いでいると、窓が開いて、琴おばあちゃんが顔を出した。


「風音ちゃん、おかえり。その子が姫乃ちゃんね」

「うん」


 あたしが頷いたあと、ニコリと笑った姫乃が、「鈴川すずかわ姫乃です! お世話になります!」と挨拶をした。


「お昼ご飯の用意ができてるから、玄関から入っておいで」

「わーい! お腹が空いてたんですっ!」


 大喜びの姫乃と共に玄関に行って、琴おばあちゃんとお母さんも一緒に、お昼ご飯を食べた。


 それから、姫乃のトランクキャリーを家に置いたまま、あたしと姫乃は人魚の浜に向かった。もちろん、彼女の肩に乗っているトゲッシュハリーも一緒だ。


 海が見たいと言うから、近くに人魚の浜があるって教えたんだけど、「人魚! 人魚!」と、姫乃がうるさい。


 姫乃は昔、海で泳いでたんだけど、あっという間に沖まで流されたことがあったらしくて、怖いから、海では泳がなくなったのだそうだ。


 だけど、海を見るのは好きで、人魚に会うのが夢だったらしい。

 そんな彼女は、白い砂浜が見えると「海ー!」と叫んで駆け出した。あたしはゆっくり歩く。


「――人魚ぉ!!」

 海に向かって叫ぶ姫乃。


 太陽に照らされて輝く海。波の音は聞こえるが、人魚の声は聴こえない。


「いない……いないよぉ」

 ガックリと肩を落とす姫乃。


「そのうち出てくるよ」

「ほんとっ!?」

「さあ?」


 軽く小首を傾げたあたしは、浜辺を歩き出す。すると姫乃がついてきた。


 しばらく、波の音と、足音だけが耳に届いていたが、ふいに、姫乃が話し出した。


「ねえねえ、かざっちのお母さん、この島で生まれ育ったんだよね?」


「うん、そうだよ」


「じゃあ、どこで、かざっちのお父さんと、出会ったの? この島?」


「……ええと、この島って聞いてるよ。お父さんが大学生の時にこの島で一人旅をしてて、伯父さん――お母さんのお兄さんに出会ったんだって。そのご縁で、お父さんとお母さんが出会って、結婚したって聞いた。お姉ちゃんに」


「そっかぁー。いいなぁ。わたしも結婚したいー!」


「すれば」


 あたしが言えば、ピタッと、姫乃が止まり、両手をぎゅっと、胸の前で握りしめた。どうしたのかと思い、同じように足を止めたあたしが見つめていたら、ブルブルと身体を震わせた彼女が口を開いた。


「ううっ、かざっちが冷たい! わたしのこと、愛してないんだわっ!」


「すればって言ってるし」


「声が冷たい。もしかしてヤキモチ? わたしの大事な親友は、男なんかにあげないんだからねってやつ?」


「いや、あげる。遠い国に連れて行ってほしいくらい」


「それはダメ! そうだっ! 桜木さくらぎさんじゃなくていいから、この島にいるかざっちの親戚で、若い人紹介してっ! この島の人なら、あやかしが好きかもしれないしっ!」


「……お盆までいたら会えるかもしれないけど、残念だね」


「お盆っ!? お盆は無理なんだ……。八日から、親戚の家に行くことが決まってるから」


「そう」


「うん……こればっかりはどうしようもないんだ。この島にいられないなら、あやかし山に行って、ソウタともっと仲よくなりたかったけど、あやかし山にもしばらく行けないし……」


 しょんぼりとする姫乃。


「まあ、あやかし山はこの時期、行かない方がいいよ。お盆前とか、お盆に、大学のあやかしサークルの人たちが、キャンプしにくるんだって。あたしは島にいるから、見たことないんだけど……すっごくうるさいし、ゴミを捨てて帰るから、山のあやかしたちが迷惑してるみたいなんだ」


「――えっ? そうなんだ! じゃあ、あとでゴミ拾いしなきゃ!」


「……そう、がんばって」


「かざっちはしないの?」


「あたしが山に行く時には綺麗になってるから」


「えっ? そうなんだ。じゃあ、わたしが行く時にもきれいになってるのかな?」


「かもね」


「この浜もきれいだし、あやかしってきれい好き?」


「さあ? いろいろなあやかしがいるから……」


 なんてしゃべっていると、「フッフッフッフッフッフッ」と音がした。

 パッと、あたしは姫乃の肩の上にいるトゲッシュハリーに視線を向ける。


 その時。


「――あっ、人魚っ!」

「えっ?」


 姫乃の声がして、あたしは海の方を見た。


 ――いた。ヒスイ色の髪と瞳の人魚が、こっちを見ていた。あたしと目が合った彼女は水音を立て、海の中に消えた。


 その夜、初めてあたしの姉に会った姫乃は、すぐに仲よくなった。

 二人であたしの話ばかりするので、早く明日になればいいと、そう思った。


♢♢


 翌朝、姫乃はさびしそうな顔でフェリーに乗り、島を離れた。来年の夏もくるのだそうだ。


 もう、勝手にしたらいい。

 あたしが何を言っても好きにするだろうから、無駄なエネルギーは使わない。


 それからはおだやかに日々が流れ、あたしは買い物をしたり、ガトーショコラを作ったりした。


 ガトーショコラが完成したあと、ムイ様を呼んだら、すぐにきてくれて、目の前で、美味しそうに食べてくれた。

 美味しそうに食べてくれるのが、一番嬉しい。


 お盆になると、従兄妹たちが帰ってきたり、他の親戚が会いにきたりした。みんなで、お墓参りにも行った。


 そして、お盆が終わると、あたしとお母さんは島を離れ、地元に帰った。


 再会の喜びで、テンションの高いツバキとユズが落ち着くまでが大変だったけど、やがて落ち着き、遊びにきた姫乃のために、約束のガトーショコラを作ったりもした。


 あっ、こっちのお墓参りも、もちろんした。


 いつもなら、島からもどったあとは、マツリ様からお茶のお誘いがあったりするんだけど、今年は姫乃がいるせいか、お誘いはなかった。


 あたしに人間の友だちができたことを知って、喜んでたし、距離を置こうとしているのかもしれないなと、そう思った。


 そんな感じで、夏休みが終わった。

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