セミが鳴いたり、台風がきたり

第七話 姫乃の家の玄関を開けたら、メイド服を着た姫乃の母親。

 終業式。放課後。


 校門を出て駅に向かうと、セミの声が大きく聞こえた。空は曇ってるのに、暑い。ジメジメする。お腹が空いた。


 だらだらと歩いていると、「ねえ、かざっち」と、姫乃ひめのに話しかけられた。

 無視してそのまま進む。


「ねえねえ、朝から何度も言ってるけどさ、今日こそは連れてくるのよってママに言われてるの。連れてかないとわたしが怒られるんだよ。いいの? わたしは嫌。むぅ。無視かい。ねえねえ、さびしいんだけど!」


 ごちゃごちゃうるさい。暑いのに。


「ねえ、かざっち、うちにくるの、そんなに嫌? ママの料理、美味しいよ? 体育祭の時に食べたよね? 美味しくなかった?」


 美味しかったけど、姫乃以上にうざかった。自分で作ったという、ゴスロリファッションで身を包むのは、まあ、いろんな趣味の人がいるからいいとして、周りにたくさんの人がいるのに、大声ではしゃいだり、あたしの写真を勝手に撮ったうえ、それをいろいろな人に見せていたんだ。


 参観日の時は、サクランボ柄のワンピース姿で現れて、『姫乃!』って大声で呼んでいた。姫乃も、『ママ!』って後ろを向いて、ブンブンと手をふってたから、ものすごく目立ってた。


 あたしの家族は、参観日にも体育祭にもこなかった。あたしがこないでって言ったからだけど、それでよかったと思う。


「ねえ、かざっち、聞いてる? 無視? わたしのこと、嫌い?」


 不安そうな声に、あたしは足を止めた。ふり返ると、すぐそばにいた制服姿の姫乃が、パァッと表情を輝かせる。


 今日もポニーテール。頭の上にはハリネズミ。


「今日のランチはね、グラタンなんだよ! グラタンとパスタが好きって言ってたよね!」

「うん、まあ、言ったけど……」


 姫乃に好きな食べ物を訊かれて、グラタンとパスタが好きだと話したのは確かだ。


 おばあちゃんが和食好きで、うちは和食が多いから、グラタンとかパスタってあまり食べないし。


「絶対連れてくって言っちゃったんだけどなー。学校出る前に、今から出るってメールしたし。ちょっとでいいから、食べにきてほしいんだけどなー」


 甘え口調で言う姫乃がうざい。勝手に決めやがってと、イライラする。


 ああ、何故、こんなに暑い中、こんなところに立ってるんだろ?


 頭がものすごい熱いし、それ以外も熱くて、汗がだらだら流れるし、嫌なんだけど。家に帰ってシャワーを浴びたい。


 ジメジメとした暑さだし、このままここで立ってたら、あたしか姫乃が熱中症になりそうだ。


 もう、嫌だ。


「わかったから。行くから、家何処?」

 ちょっぴりキレながら言うと、ガシッとあたしの腕を掴んで、「さあ! レッツゴー!」と歩き出した。


 レッツゴーはさあ、行こうって意味だから、最初のさあはいらないんだよと思いながら、あたしはドナドナされた。


 ででんと建つお金持ちそうな白い家の前にある公園で、「ここで、ハリネズミと出会ったんだよー!」と、姫乃がハリネズミとの出会いを語るので、前にも聞いたとは言わずに、あたしはポケットからスマホを取り出した。


 お母さんが出てくれるといいんだけど……。


 大人たちが怒らないから、家の電話にかけるとツバキが出ることがあるし、お母さんのスマホの方がいい。お嫁さんだからか、あの子たちはお母さんには気を使ってる。


 同じクラスの鈴川姫乃すずかわひめのさんの家で昼ご飯を食べてから帰るから、昼はいらない。

 そう、お母さんにメールをする。


 びっくりするだろうけど、あたしの昼ご飯は、誰かが食べてくれるはずだ。

 すぐに了解と返信がきて、スマホをポケットにしまった時には姫乃が静かになっていたので、何処に行ったかさがしてみると、彼女はブランコにいた。


 子どもか!

 まあ、高校生は大人ではないけど。


 ハァーと大きなため息を吐いてから、あたしは姫乃に近づく。


 ハリネズミを頭に乗せて、背中に濃いピンクのリュックサックを背負ったまま、楽しそうにブランコをこぐ姫乃。


 しばらく待っていると、こぐのをやめた姫乃が、ブランコに座ったまま顔を上げて、口を開いた。


「あの、ね、かざっちに、言っておきたいことがあるんだ……」


「何?」


「ママにね、かざっちが、どこに住んでるか、訊かれてね」


「うん……」


「隣の隣の市って、言ったんだ」


「うん、それで?」


「どこの駅って聞いてきたからね、かざっちのとこの駅の、隣の隣の隣にある大きな駅を教えた」


「そっか」


「あのね、かざっちがね、他の子に言ったら絶交って言ったのもあるんだけど、それだけじゃないの。ママね、あやかしや、あやかし山が嫌いで、そういう話題を嫌がるんだ。だから、言わなかったのもあるんだ」


「そう。まあ、言わなかったなら、それでいいから」


「うん……あのね、あやかしが出てくるアニメを見たり、漫画とか、小説を読むのは怒ったりしないんだ。でも、あやかし山には絶対に行くなって言うの。わたし、あやかしが好きで、ハリネズミや、他のあやかしたちを見たいのに、ダメって。ねえ、どうしたらママがあやかし山に行くのを許してくれると思う?」


「許してもらわなくてもいいと思う」


「ひどいっ! 真剣に悩んでるのにっ!」


「姫乃に何かあれば、姫乃の家族が悲しむよ」


「わたしは大丈夫だもん」


 上目遣いで頬をふくらませる姫乃。


「大丈夫じゃないよ。姫乃は普通の人間だし、ハリネズミが守ってくれてても、もっと強いのが出てきたら、勝てるかわからないでしょ?」


「そりゃあ、そうだけど……」


 うつむく姫乃。


「あのさぁ、ここ、暑いんだけど。このままじゃ、熱中症になるよ」


「あっ、そうだね。ごめんね。かざっち。――あっ、かざっちをどうやって家に連れて行こうかとか、ママのことをどう話したらいいか悩んでて忘れてたっ!」


 突然テンションが高くなった姫乃が、濃いピンクのリュックサックから、一冊の本を取り出した。


「これね、おすすめのあやかし小説! 読書感想文にいいと思ったんだっ!」

「何故?」


 首を傾げて、考える。


 読書感想文のための本は、スマホのネットで調べて、これでいいかと思ったのを三冊ぐらい買っている。そのことは前に話したはずだ。


 彼女に、どの本にするか訊かれたから、ネットで調べて、三冊買ってみたって伝えた。


 読書は嫌いじゃないし、どうせ朝読でも読むんだから、何冊あってもいいのだし、読んだからといって、感想がスラスラ書けるかはわからない。


 その三冊はもう読んだ。読みながら、思ったことは紙に書いたけど、長い文章にはならなかったから、夏休みにがんばろうって思ってたんだ。


 なのに、あたしの読書感想文用の本を勝手に決めようとするこの子は、何を考えているんだろ?

 ……何も考えてないかもしれない。


「この本ね、人間の女性と、美しい鬼の男性の恋愛小説なんだ。中高生女子向けでね、ほらっ、絵がきれいでしょ? 恋愛と言ってもね、エッチなわけじゃないんだ。家族愛とか、友だちへの愛とか、植物や自然、動物やあやかしへの愛が学べる本なんだよ!」


「愛……それを学んで、書けと?」


「うん! これを読んだら、すべてが愛おしく感じられちゃうんだから!」


「そうですか……」


 姫乃は、あたしに愛を学んでほしいらしい。まあ、あやかしへの愛なんて、読書感想文に書く気がないのだけれど、家族愛とか、自然への愛とかなら、わりと普通だし、書きやすいかもしれない。


 同じクラスなんだし、姫乃のあやかし愛は先生も知っているから、姫乃にすすめられて読んでみたって書いてもいいはずだ。


「わかった。借りるけど、明日から夏休みだし、いつ返せるかはわからないよ」

「うんっ! それでいいよっ!」


 子どもみたいな笑顔で喜ぶ姫乃から本を借りて、あたしはそれをリュックサックに入れた。


 それから二人で、公園の前にあるお金持ちそうな白い家に向かった。

 姫乃がインターフォンで母親と話したあと、立派な門扉もんぴを開けて、階段を上がる。


 あたしが一緒だと知って、『えっ!? 風音ちゃんがホントにきたのね!? 夢じゃないわよね!? ヤダッ! ホントにきたの!? 夢? これ夢!? キャァァァァァァァァ! どうしましょう!!』って叫んでた。


 すごいハイテンションでびっくりした。やっぱり帰ろうかなって思ったけど、ここで帰るなんて言えば、大騒ぎになりそうだからやめた。


 ちょっぴりご機嫌ななめな姫乃が、『何? かざっちの分、ないとか?』って聞いたら、『あるあるあるけど、恥ずかしい!! どうしようっ!!』って叫んでたし、大人なら、もっと落ち着いてほしいんだけどな、なんて思いながら、玄関に向かった。


 玄関の鍵も開いていて、門扉と一緒に開けてくれたんだな。すごいなと思った。

 ドアの向こうには、誰もいない。


 外もすごいけど、家の中もおしゃれというか、お金をたくさん使っていそうな家だ。


 観察していると、さっさとピンク色のスニーカーを脱いだ姫乃に、「早く上がりなよ」と言われたので、「お邪魔します」と言って、黒いスニーカーを脱いで上がる。


 その時。

 ダダダダダダダダッとものすごい音がして、メイド服の女性がこっちに走ってきた。


「セーフ! セーフ!」

 叫んだあと、ゼエゼエ、ハアハア息を吐いて、つらそうだ。


 姫乃の母親は、裁縫や編み物などの手芸が得意で、好きだとは聞いてるんだけど、コスプレも好きなのかもしれない。


 姫乃の母親の頭は、茶髪のクルクルパーマで、もじゃもじゃって感じだ。若くて綺麗な人なんだけど、ちょっと変わってるなって思う。


 呼吸が落ち着いたらしい姫乃の母親が、にやけた顔であたしを見てるんだけど、背筋がゾワゾワする。


 怖いんだけど。


「うふふ。うふふふ。いいわぁ、いいわねぇ、生よ! ひさしぶりの生、風音かざねちゃんだわぁ!」


 体育祭で会ってから、そんなに経ってないと思うけどな。


「体操服もよかったけど、制服も素敵! 写真撮っていい?」


 首を傾げてウインクする姫乃の母親。


「ダメです」


 あたしが許可しなくても、体育祭であたしの写真をたくさん撮って、『娘の友だちなの! 可愛いでしょ!?』って、周りのよく知らない大人たちに見せびらかしてたのは忘れてないんだから。


「うふふ。うふふふふ。クールビューティー最高!」


 姫乃の母親のニヤニヤが止まらない。


「たまにはデレてほしいんだけどね」


 呟く姫乃。


「――姫乃、親友はね、一日にしてならずよ! 花だって、愛情込めて世話をしれいれば、美しく花開くの。いつも愛を持って、その愛を注ぐのよ」


「うん! わたし、がんばる! 素敵な親友の花を咲かせてみせるんだから!」


「ふふっ。あなたならできるわ! アタシの子だもの!」


「あのね、老後はかざっちの家の近くに住んで、二人でまったりとお茶を飲むのが夢なんだ! 孫の話をしたりするんだよ!」


「素敵ね! 応援しているからね!」


「うん! ママ、大好き!」


 母親の胸に飛び込む姫乃。ひしっと抱きしめる姫乃の母親。


「ママも、姫乃のことが大好きよ。アタシはいつでもあなたの味方だからね!」


「うん!」


 感動的なシーンだと思うんだけど、あたしのいないところでやってくれないかな?

 お腹が空いてるんだけど。


「――姫乃、食事にしないんだったら、あたし、帰るけど……」


「ダメ! 帰らないで!! ママ! 早くランチを! かざっち、お腹が空いてイライラしてる!!」


「あらっ! 大変っ! もう用意できてるのよ!! ナスとトマトとバジルの夏野菜パスタと、ズッキーニとパプリカの夏野菜グラタンよ!! ものすっごく美味しいんだから!!」


 どや顔で宣言をした姫乃の母親は、ガシッとあたしの腕を掴むと駆け出した。

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