第30話 思わぬ邂逅

 昨夜、突然王都へ行くことを宣言したアイザックは、夕飯を済ませるやいなや荷造りを始めた。

 やることがない私は先に寝かせてもらったんだけど、アイザックは一体いつ寝たんだろう。夜遅くにでかけたのはわかったけど、朝起きたら枕元にカトレアさんのお店で買った服があったのも、かなりびっくりした。

 そして、慌ただしく朝食を終えターシャとノートルに別れを告げた私達は、朝一番に冒険者ギルドにやってきていた。


「じゃあ、俺はあのジジイに挨拶してくるからよ、セリはここで待っててくれ」

「うん。わかった」

「そうだ。カーバンクル、お前ちょっと俺と来い。ギルマスが一目見せろってうるせえんだ」

「ギュ……」

「なんだあ? その嫌そうな顔は」

「ああもう、二人とも喧嘩しないでよ」


 アイザックとカーバンクルを二階のギルマスの元へ送り出したあと、私は置かれた休憩用のベンチに座ってギルドを見回した。

 トリップして以来、ほぼ毎日のように通い詰めた冒険者ギルド。明日からしばらく来なくなると思うと、ちょっと不思議な気分になる。

 突然決まった王都行きだけど、もちろん異論はない。どちらかというと、まるで旅行に行く前みたいにワクワクしてる。

 私の荷物は、日本から持ってきたリュックが一つだけ。テント一式はアイザックが持ってるっていうし、特に用意するものはないよね? 念のため日持ちする食料とか? ギルドの売店でも見に行こうかな……


 そんなことを考えていた私は、ふと視界の端に一際目立つ鮮やかな紫色が映ったのに気がついた。

 見ると依頼ボードの前で、紫色のローブを纏ったロマンスグレーの男性が辺りを見回している。

 冒険者ギルドには似合わない高級な服装からして、ここを初めて利用する人かもしれない。

 どこか懐かしさを覚える黒い瞳に、私は思わず立ち上がってその人に声をかけた。


「あの、どうかされました?」

「ああ、これは失礼、お嬢さん。冒険者ギルドが珍しいもので、ついうろうろしてしまった」


 優しそうな笑みを浮かべた男性は、物珍しげにギルドの中を見回している。


「ふむ、ギルドとはいつもこんなに活気があるのかな? それともこう賑やかなのは、このモルデンだけなのかな」

「ええと、私もモルデン以外を知らないので詳しくないですけど、王都の冒険者ギルドはもっと賑やかだそうですよ。それに建物もずっと立派だって」

「ほう、そうなのか」

「モルデンは初めてなんですか?」

「ああ。昨日初めてここに来てね。今日はもう戻らないといけないんだが、せっかくだから少し見学させてもらっているんだ」


 そう言って感慨深げに頷く男性の手には一枚の紙が。穏やかな口調や上品そうな服装からして、きっと依頼人なんだろう。


「それ、依頼書ですか? よかったら貼るのお手伝いしましょうか」

「これかい? 楽しそうに見えたから、つい自分で貼ると言ってしまったんだが、どうも作法がわからなくてね。実は困ってたんだ。……そうだな、よかったらお願いできるかな?」

「任せてください」


 私は依頼書を受け取り、ボードの空いている場所を探した。

 人気の依頼はあっという間に決まって剥がされていくけど、そうでもない依頼はずっと同じ場所に居座り続ける。だから下手をすると、上から別の依頼書を貼られたり、ピンで穴だらけにされたりしてしまう。そうならないためには、貼る場所を吟味することが大切だ。

 依頼書を貼る高さも、実は重要だ。目線の位置が違うから、男性向けの依頼は高い場所に、女性や子供向けの依頼は低い場所に貼ったほうがいい。

 そんなことを説明しながら、私はふと依頼書の内容を確認してないことを思い出した。

 ……そういえば、これは一体なんの依頼だろう。


「ええと、ちょっと失礼しますね。……依頼内容は文献翻訳、資格は二十歳以上の女性、期間は応相談で、報酬は十万ギル……え? 十万ギル!? すごい! こんな好条件の依頼、きっと応募者が殺到して、あっという間に決まりますよ! いいなあ、私もここにいたらきっと応募して……」


 破格の内容に興奮して声を上げた私は、ふと、男性がさっきからずっと黙ったままなことに気が付いた。不思議に思って依頼書から顔を上げると、男性は驚いたように目を瞠ってこちらを見つめていた。


「あの、どうかしました?」

「君は……まさか、これが読めるのか?」

「え? 読めるって? ええと、それはもちろん、文字は読めますけど」

「待て。その黒髪に黒い瞳。もしや君は……」

「……あ、あの?」


 私を凝視する強い眼差しがちょっと怖い。

 思わず後ずさりしようとした途端、腕が強く掴まれた。


「いっ……!」

「す、すまん! つい力が……む? 君は私の背中に隠れなさい」


 私の表情が歪んだのを見て、男性は慌てたように力を緩めた。でも次の瞬間、突然眉間に険しい皺を刻み、私を背中で庇うように後ろ手で隠した。


「……おい、てめえ俺の女になにしてやがる」


 怒気を孕んだ低い声に、辺りの空気が凍り付く。

 足下から登る冷気に足が竦むのに、背筋をたらたらと嫌な汗が伝う。

 ──そこにいたのは、ナイフを構え男性を鋭く睨む、アイザックだった。


「アイザック・モルド。──君こそ依頼主の私に向かって、一体なんの真似だ?」


 男性はアイザックの威圧に怯むことなく、一歩もあとを引かない構えだ。私はその背中から顔を出して、アイザックを呼んだ。


「アイザック!」

「セリ、無事か? こっちに来い」

「う、うん。でも」

「セリ? では、やはり君がセリザワさんだね?」

「え? どうしてそれを……?」

「おい、セリから手を離せ!」

「ギュギュッ!」


 アイザックの鋭い声に、肩にいたカーバンクルが男性を目がけて飛びかかった。

 咄嗟に驚いたように身構えた男性は、それがカーバンクルだとわかると危なげなく抱き止めた。


「うわっ……と、お前、真紅じゃないか。こんなところにたのか」

「……は? そのカーバンクル知ってんのか?」


「おーい、お前ら、ギルドのど真ん中で一体なにしてんだ?」


 その時、一発触発の緊迫した空気を無視するように、呑気な声が辺りに響いた。


「……ったく、困るんだよなあ。ギルド内での暴力行為は御法度なんだよ。アイザック、お前さんなら知ってんだろ? それにニックさんよ、あんたみたいな偉い魔法使いが、一体なにしてんだい」


 人混みを掻き分けて現れたのは、冒険者ギルドのマスター、エンゾさんだった。




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