第10話 アイザック視点 違和感

 気を取り直した俺は、鞄からポーションを取り出した。

 ポーションには低級と中級、そして上級の三種類がある。本来なら怪我の具合によって使い分けるもんだが、単独で行動する俺にはその手間が命取りなる場合もある。

 以前それで痛い目にあった俺は、以来どんな怪我でも上級ポーションで対応するようにしていた。

 ……まあこれくらいの怪我なら問題なく治るだろう。

 

 少女の上半身を抱き起こし、小さな唇の隙間から慎重に中身を注ぐ。だが、閉じる力を失った小さな唇からは、無情にもたらたらとポーションが零れていく。

 一瞬躊躇した俺はポーションをぐいと煽り、女の唇に自分の唇を押し付けた。


「ん……」


 小さな唇から溢れないように、少しずつ甘くとろみのあるポーションを少女の口内に移す。

 何回か繰り返したところでようやく反応を返し、こくりと喉が動いたのが見えた。


「いいぞ、ポーションだ。もっと飲めるか?」

「……ん……」


 微かに返事をした少女に、再び口移しでポーションを飲ませる。そして瓶が空になったところで、そっと細い身体をベッドに寝かせた。


「偉かったな。どっか痛いところはねぇか」

「……ん……」

「……なあ、お前名前は?」

「……なまえ……セリ……」

「セリ? そうか、セリか。……いい名前だ」


 狭いベッドの上に力なく横たわるセリの姿は余りにも儚げで、今にも消えちまいそうだ。

 幸か不幸か今のところ媚薬の効果は出てねえが、出血が多かったのは確かだ。恐らくこれから熱も上がるだろう。しばらくは誰かが様子を見たほうがいいんだろうが……

 そんなことを考えながら頭を撫でていた俺の手が、弱々しく掴まれた。気がつくと、不安げに揺れる黒い瞳が俺を見つめていた。


「……大丈夫だ。俺が側にいてやるからよ。お前はなにも考えずにゆっくり眠れ」

「ほんとう……?」

「ああ」

「ずっと、ここに、いてくれる? 一人は、やだよ……」

「ああ、約束する」


 安心したのか、セリは間もなく穏やかな寝息を立て始めた。

 その細い肩まで上布を掛けてから、俺は改めて部屋をぐるりと見回した。


 ここ「歌う椋鳥亭」は、駆け出しの低ランク冒険者にはありがたい安宿だ。

 俺もかつて世話になったことがあるが、当時と部屋の様子は変わらず、狭い室内は必要最低限の設備がそろう。

 だが……若い女が暮らしてる割には余りにも殺風景な部屋だと思う。私物らしい私物のない閑散とした様子に、自然と眉根に皺が寄る。


 明らかに訳ありの少女、セリ。

 冒険者なんざ叩けば埃の出る奴ばかりだ。素性の一つや二つ隠してたっておかしくねえ。

 だが、自分がそれに関わるとなると話は別だ。

 今がどれだけ儚げに見えようと、目を覚ませばAランクの肩書きに媚びを売る女共と同じ態度になるに違いない。

 ……ま、仕方ねえ。これもなにかの縁だ。怪我が治るまでは面倒みてやるか。


 ──だが、俺はそんな考えをあっさり撤回することになる。

 ようやく熱が下がった三日後の朝、ほんの少し目を離した隙にセリは姿を消しやがった。

 慌てて探せば、よりによってこいつはギルドで依頼を受けようとしてやがる。

 あれだけ酷い怪我して高熱で唸ってた奴が、どういうつもりだ?

 流石に腹に据えかねて声をかけりゃあ、セリは俺の顔を見るなり思い切り顔を顰めやがった。


「……もしかして、アイザックさん、ですか……?」

「はあ? お前、もしかして俺のことがわかんねえのか?」


 蟲の毒のせいか、はたまた高熱のせいかは知らねえが、髭を剃ったくらいで俺がわからねえとはどういう了見だ。こっちは三日も徹夜で看病してやったんだぞ?

 それになんだ、その他人行儀の敬語は。初めて会った時にあれだけ盛大に啖呵を切りやがったくせに、今さら行儀良くしたって意味ねえぞ?

 

 セリに部屋の掃除を頼んだのは、もちろん体調が心配なのもあるが、ささやかな意趣返しのつもりだった。

 だが、そんな思惑を知ってか知らずか、セリはことごとく俺の予想を裏切る反応を示す。

 ちょっと抱き上げただけで照れてギャアギャア喚くわりには、頭を撫でてやると嬉しそうに笑う。

 ポーション代を弁償すると言い張り、ガキの小遣いでも買える菓子を遠慮する割には、俺の部屋を見て驚きもしねえ。

 極めつけは風呂を見た時の反応だ。

 ここらの人間は風呂なんぞ目にする機会はねえだろう。だがこいつは目を輝かせて『お風呂なんて久しぶり!』と言ってのけた。

 そしてセリが風呂に入っていた時に、その出来事は起こった。

 聞こえていた水音が途切れたことを不審に思い浴室を覗くと、そこにいるはずの姿がない。

 一気に血の気が引いた俺は慌てて風呂に飛び込み、湯に沈む腕を掴んで上に引き上げた。


「なにしてんだお前! だから一人じゃ危ねえって言っただろうが!」


 だが怒りに任せて怒鳴る俺を不思議そうに見ていたセリは、ややあってから言いにくそうに、自分は潜っていただけだと言った。


「その、ちょっとお湯の中で考え事をしてて……。あと、広いお風呂が久しぶりで嬉しかったから、潜ったら気持ちいいかなって、つい」

「……潜る?」

「うん」

「……んだよそりゃ」


 俺は思わず天井を見上げ、盛大に嘆息した。だが次の瞬間視線に入ったセリの背中に、一気に頭が冷えた。

 骨の目立つ薄い背中。その白い肌に浮くのは、赤く痛々しい傷痕だった。


「……怪我の痕が浮いてきてやがる。風呂で身体が温まったせいだな」


 背中一面に散る細い線に、一際目立つ痕が四箇所。あれは恐らく俺が蟲の毒針を掘り出した場所だろうな。慎重に指で辿ったが、痛みがないのは幸いだ。

 普段は日に当たらない背中は白く滑らかで、黒子一つない。明らかに男慣れしていない肌に浮く赤い傷痕は、余りにも痛々しい。

 いくら本人が気をつけていたとはいえ、今までセリが女だとバレずにいたのは奇跡としか言いようがない。

 こんな田舎町にはちょっと珍しい艶やかな黒い髪に、アーモンド型の黒い瞳。すんなり伸びた手足に華奢な身体と綺麗な肌は、大切に育てられたんだろうことが容易に窺える。

 それなのに、こんな痕を残しちまってよ。ったくもったいねえ。

 だから、俺はつい余計なことを言っちまったんだ。


「セリ、お前本当は冒険者みてえな荒事をするような人間じゃねえだろう? こんなに華奢な身体で綺麗な肌してんだ。元々はどっかいいとこの生まれなんじゃねえか? ……お前、一体何者だ?」


 だが、セリの顔を見た俺は、続く言葉を呑み込んだ。

 瞬きを忘れたように見開いた瞳に、表情が抜け落ちた青白い顔。薄く開いた唇からはひゅうと空気が漏れる音が聞こえ、熱い湯に浸かっているにもかかわらず、冷たくなっていく肩───。

 どんな事情があるのか知らねえが、これ以上の詮索はセリを追い詰めるだけだ。

 そう判断した俺は、セリを風呂場から連れ出した。

 

「なあセリ、俺はこう見えてもAランクの冒険者だ。腕はいいし口も堅いし結構頼りになるぞ? それにいい男だろう? ……だからよ、いつかお前が俺を信用できるようになったら、そん時に話してくれればいい」

「……うん」


 風呂を出てからもなにかを躊躇うように逡巡していたセリは、俺の言葉に小さく頷いた。


「アイザック……あのね、あの……」

「なんだ?」

「……ありがとう」

「ククッ、いいってことよ。だが、そうだな……礼ならこっちをもらおうか」


 ようやく表情の戻ったセリの顎を掴んで上を向かせ、すかさず小さな唇を奪う。

 まあ、俺にもこれくらい役得があってもかまわねえよな?

 あっという間に頬が染まっていく初々しい様子に、俺は思わずニヤリと笑った。


「確かにもらったぜ」

「…………っっ!!」


 部屋を立ち去る間際に俺が見たのは、奇声を上げ勢いよくベッドに顔を伏せるセリの姿だった。



 ……◊……



 真っ赤になったセリの顔を思い出しニヤニヤしていた俺は、突然目の前に置かれたエールのジョッキに顔を上げた。


「なんだ、ノートルか。なんの用だ?」


 ぐっすり眠るセリを部屋に残し、俺は一人で宿の一階にある食堂に飯を食いにきていた。

 食堂の名物親父ノートルは、同じくこの宿の経営者でもある。元冒険者だけあってデカい身体にガキが見たら泣くほどの強面。今でも酔っ払いの喧嘩くらいは軽くいなす腕っ節の持ち主だ。

 まだ新人の頃に世話になった縁で、俺がモルデンに滞在する際の定宿にしている。


「エンゾがお前を探してたぞ」

「はあ? じじいがか? あのじじい、わざわざここまで来たのか? いや待てよ。どうして俺の居場所がバレてんだ」

「来たのは遣いだ。伝言を頼まれた。ギルドに顔出せってよ」

「チッ、面倒くせぇ」

「いいか、俺は伝えたからな」

「……ああ。わかったよ」


 あのエンゾがわざわざ人を寄越して伝言を頼むなんてよ、また指名じゃねえだろうな。

 厄介事の予感に顔を顰めた俺は、ジョッキに残るエールを一気に煽った。


「……ま、セリがいるんだ。受けるつもりはねえがな」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る