41 海にきたんだが

 電車を二本乗り継いで揺られること二時間。

 駅を降りた瞬間から感じる塩っけを含んだ風に海の近くに来たという実感が湧く。


「やっと海に来ましたね」


 相坂優の声に彼女の視線の先を見れば、そこには地平線の先までずっと広がる太平洋があった。

 雲一つない青い空、それを映し出す海、普段から海を見慣れていない者にとってはどれもが新鮮で輝いて見える。


「それじゃあ海水浴場に行くわよ」


 そんな綺麗な海のおかげなのか分からないが駅出発前には機嫌が悪かった椎名えりも今は上機嫌だった。この様子なら駅でのことはあまり気にしていないようだ。良かった。


「よし行こー。やっぱり夏は海だね。補習も無事に終わってここからが私の、私による、私のための夏のサマーライフだよ!」

「その夏とサマーって意味が被ってるぞ。っていうか向島も海に誘ったんだな」


 俺の独り言に反応したのは椎名えり、彼女はわざわざ歩みを止めてこちらへと振り返る。


「そうね、勉強を教えていたときにうっかり話してしまったのよ。本当はあまり歓迎していないのだけれど、行きたい行きたいというから仕方なく」

「そんなこと思ってたなんて酷い!? そんなに嫌だったの?」


 向島葵は見るからに落ち込み、顔を俯かせる。

 いかにもわざとらしい態度だが椎名えりには効果覿面だったようで。


「いや、それは初めの話よ。今は別にそうでもないわ。寧ろウェルカムよ」

「ホントに? それなら良かったー」


 椎名えりの言葉で即座に調子を取り戻す向島葵、やはり先程のは演技だったようだ。

 それにしても椎名えりがこういうのに弱いとは少し驚きである。俺もそういう状況のときにはぜひ活用するとしよう。


「それじゃあ気を取り直して行くわよ。早くしないと日が暮れてしまうわ」

「「おー!!」」


 これが海の魔力というものなのか、三人ともテンションが高かった。そんな三人のあとをついていき俺は駅の改札外へと向かった。


◆◆◆


 海水浴場にたどり着くとそこにはたくさんの人がいた。

 夏休みということもあり学生グループが最も多いが、ちらほらと家族連れのグループも見かける。

 今日は土曜日、今回は偶々学生グループが多くを占めているが、これがまた別の日になると今度は逆に家族連れのグループが多くなったり、はたまた全く人がいなくなったりするのだろう。


「じゃあ俺はビーチパラソル借りてくるから」

「私達は着替えて来るわね」

「借りたらここに来てよ? 私こんなに人が多いところで拓也探すの嫌だからね」

「頼みましたよ。早坂君」


 三人揃って脱衣場へと向かう姿を確認した俺はそれからレンタル店へと向かった。

 見たところ多少は混んでいるが三人が身支度を終える頃には借りることが出来るはずだ。


 列に並ぶこと三十分、俺は無事ビーチパラソルを借りることに成功していた。

 あとは飲み物の調達をしなければいけないのだが、それは全員が揃ってからで良いだろう。


 レンタル店から借りたビーチパラソルを肩に背負い、先程三人と別れた場所に向かうと、そこには人目を引く三人が待っていた。


「あ、来た。遅いじゃん、拓也」


 手を振る向島葵の後ろには上半身を隠すようにパーカーを羽織った相坂優と胸を抱えるように腕を組んだ椎名えり。向島葵はともかく、残りの二人はどこかソワソワしているような印象を受ける。


「ああ、悪い少し手間取ってな。待ったか?」

「十分くらいかな。それで?」

「それでって?」


 俺が本気で分からないことに呆れたのか向島葵はハァと一つため息を吐いてからちょいちょいと俺を手招きで呼び寄せる。それから俺の耳元で小さく囁いた。


「普通女の子が水着着てきたら感想の一つや二つ言うでしょ」

「そうなのか?」

「信じられない!? 常識だよ? ほら分かったらやる!」


 向島葵に背中を勢いよく叩かれ、前に押し出された先には未だにソワソワとしている二人。

 あまり見ないようにしていたが相坂優が胸元全体と腰に水色のフリルがあしらわれた水色のビキニ、椎名えりが胸元にレースがあしらわれた白いビキニと二人ともビキニタイプの水着を着ているようだ。

 なんともまぁ目のやり場に困る。


「その……二人とも似合ってるな、水着」

「そうですか? ありがとうございます!」


 俺の言葉に相坂優は嬉しそうに表情を輝かせるが、一方の椎名えりは俺の言葉など気にせず海の方を見ていた。やはり彼女にとってこの言葉は聞き飽きているのだろう。そう思ってしまうほどに反応がなかった。


「なぁこれで良いのか? 一人全く反応無しなんだけど」


 一度下がって今度は俺の方から向島葵に話しかければ彼女は何を言ってるんだと冷たい視線を俺に向けてくる。


「何言ってるの? ちゃんと反応してるじゃん。ほら」


 彼女が指差したのは椎名えりの口元、僅かだが口角が上がっていた。喜んでいるのを見られたくないのか、はたまた他に表面に出して喜べない理由があるのか分からないが、口角が上がっていることから喜んでいるのは確かだ。


「めっちゃ分かりづらいな」

「えりはそんなもんだって、それでまだ忘れてることがあるんじゃない?」

「忘れてること?」

「ほらほら」


 向島葵はそう言いながら自分の体を指差す。

 そんな彼女はフリルなど一切ついていない黒ビキニを着ていた。

 要するに自分も褒めろということらしい。

 というかこの中で一番露出が激しい水着だ。


「ああそうか、似合ってるぞー」

「何その雑な感じ。さっきの二人と違うじゃんかー」

「だって向島だからな」

「なにそれムカつく!」


 向島葵と話して込んでいると、どこからか咳払い聞こえた。声の方向には椎名えり、どうやら咳払いをしたのは彼女のようだ。


「ほら、無駄話をしてないでさっさと場所を取りに行くわよ」

「はいはーい、分かりましたよっと。安心してよ、勝手に取ったりしないからさ」

「あなたは少し黙っててくれるかしら」


 椎名えりは向島葵を睨み付けると一人で先に行ってしまう。


「もうノリ悪いな」


 続いてやれやれと肩を竦めながら向島葵も椎名えりについていく。

 残されたのは俺と相坂優だけだ。


「流石にこれは俺悪くないよな」


 そう口に出したのも束の間、後ろから相坂優に声をかけられると同時にトントンと肩も叩かれる。


「ドンマイです。早坂君も大変ですね」


 彼女の声音には俺に対する同情を含んでいるような気がした。

 特別何かしたわけではないが原因のほとんどが俺にあるとでも言っているような彼女の言葉に俺はただただやるせなさを感じることしか出来なかった。

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